三日目の夕方・女友達
ギードたちが領主館を出た直後に、お湯の中からゆらりと、ひとつの影が湧き出た。
「ふむ、逃げられたか」
にやりと口を歪める、銀に薄い青が混ざる髪をした長身のハイエルフである。
「あれはどうもこちらに挨拶に来る気はないようだな」
客が出て行った方向に目を向ける。
漂流者のエルフが意図的に神殿を避けているのはわかっているようだった。
神殿のエルフは『大神』がまた何かを仕掛けてきたのだろうと推測する。
この町の『女神』と『大神』とは長い間、反目し合っている。
こうして結界に閉じこもっているのに、時折、『大神』はちょっかいを出してくるのだ。
「まあ、いい」
どうせすぐには戦局は変化しないことを長年の繰り返しで銀青のエルフは知っている。
(この町に住んで何年経った?。百、いや二百年か?)
自らが望んで神と共にこの地に来て、もはや年月も忘れてしまった。
この世界では、神が実際に居る建物を神殿、それ以外の神職たちが働いている場所は教会と呼ぶ。
大抵は別棟になっているが、小さな町では教会と神殿がごっちゃになっていたりする。
この町には小さいながら神殿があり、神職は代々の領主が勤めている。領主館が教会の代わりとなっていた。
銀青の髪のイケメンエルフは、神殿で神の代理として住人たちに言葉を伝えたり、祝福を与える役目を仰せつかっている。
そのため、この町の獣人たちからは彼自身が神だと誤解されているようだった。
実は、ギードがエルフだというだけで過剰に丁寧な扱いを受けているのは、そのせいである。
銀青のエルフはぼんやりと町の風景を見下ろす。
そのエルフの側に、ふいに翡翠色の半透明の女性が現れる。
「気持ちいいですか?」
うれしそうに目を細めたハイエルフは、女性の姿をした神に微笑む。
「はい、女神様のお陰で、とてもいいお湯です」
ふわりと女性の身体が浮かび、彼の隣に腰掛ける。
触れ合うことの出来ないふたりは、そうやって並んで同じ景色を見ることしか出来ない。
◆ ◆ ◆
ギードたちは領主館から出てすぐに山を下り、港に近い広場に戻って来た。
先ほど昼食を探し回った屋台が並んでいる。
「そろそろ夕食の準備にかかりたいので、食材を買いたいのですが」
「それなら、こちらです」
ハクローが広場から住宅街に向かう間にある下町の商店街に案内する。
ギードは自分たちと一緒に歩き出したハクローを止める。
「ハクローさんはお仕事ではないのですか?」
確か、夕方からの営業の店の従業員だと聞いている。
「ああ、大丈夫です。今日は休みをもらいましたので」
領主の息子であるハクローが漂流者を監視する役目であることは明白だ。
しばらく歩いていると、下町の商店街に不似合いな馬車が停まっているのが見えた。
なにやらざわざわとしている。
ハクローが事情を聴くために近づいた。
「どうかしましたか?」
突然の白狼の登場に周りが静まり返る。
「あら、ハクローにハートさんじゃない。こんにちは」
人垣から屈託のない笑顔で現れたのは、若い細面の犬の獣人女性だった。
「サナリ。こんなところで何をしている」
彼女は白狼とはご近所で幼馴染だった。ということは山の上のほうの住人だ。
「たまには違うものが欲しいと思ったのですけれど、何がいいのかわからなくて」
店員と会話をしているうちに周りに人が集まって来てしまったらしい。
「お前はまた……。買い物なら使用人に任せておけばいいだろう」
こんなところに来る必要はないはずなのだ。
むっとした顔になったサナリがハクローにずいっと顔を寄せた。
「私の癒しであるハートさんがお店をお休みされています」
ハクローがその気迫に押されて後ずさりする。
「もう鬱憤が溜まって溜まって仕方がないのですもの」
目に涙さえ溜めて訴える。
「これくらいの冒険は許されると思うのです!」
見かけは大人しそうな女性だが、良く口が回るようだ。
待たされている馬車の御者らしい男性が気の毒なくらいおろおろとしていた。
ギードは黙って事の成り行きを見守っている。
たじたじとなっていたハクローがハートに助けを求める視線を送る。
その様子がおかしかったのか、ハートはくすくすと笑いながらサナリに近づいた。
「こんにちは、サナリさん。お買い物でしたらご一緒しませんか?」
「いいんですの?」
柔らかく声をかけたハートに、女性獣人はとたんにきらきらと瞳を輝かせ、頬を染める。
「私は今、こちらのご夫婦のお世話になっているんですよ。お二人も一緒で良いというのなら」
ハートが許可を求めてギードたちを振り返る。
ギードはいつものようににっこりと微笑んだ。
「かわいらしいお嬢さんが増えるのは歓迎ですよ」
つい商人の顔が出てしまう。とりあえず、ギードとしては男性よりはましである。
反対にハクローは眉を寄せて、はっきりと嫌そうな顔になっていた。
サナリを加えた一行で、雑多な店が並ぶ下町の商店街を歩く。
「帰りは遅くなるから」と、馬車は返している。必要になれば呼び寄せる使いを出すので問題はないそうだ。
タミリアは自分と同じくらいの背丈の獣人女性に興味津々で話しかけている。
全く人見知りのないタミリアらしい行動にギードは苦笑する。どうやら買い物だけでなく夕食も一緒にするつもりのようだ。
「では、買い物が終わりましたら我が家にご招待しましょう。借家ですが」
「わあ、それはうれしいです」
ギードの言葉にサナリが声を上げて喜んだ。
「い、いいんですか?」
買い物だけのつもりだったハートが戸惑いの視線を向ける。
「妻が喜ぶこと。それが自分にとっては一番ですから」
ハートとハクローが「こりゃだめだ」と呆れ顔になった。
「ギードさん、ちょっと」
ギードを「様」と呼ぶと嫌な顔をされるので、「さん」付けに落ち着いたハクローが声をかける。
女性二人と気弱な青年は買い物に夢中だ。
「申し訳ありませんが、一度二人だけでお話を」
こっそりとギードにしか聞こえないようにしている。
「そうですね。ではこの後、女性たちを家に送り届けてから、小熊亭で待ち合わせにしますか」
そして、ギードはハートを見る。
「彼も女性側でいいですかね?」
女性陣に何の違和感もなく混ざって笑いながら歩いている人族の青年は、どちらかといえばあちら側だろう。
「ええ、では後で小熊亭で」
そう言うと、ギードは女性たちを連れて借家へ、ハクローは席を予約するために小熊亭に向かった。