序章・準備は周到に
今回は長期連載の予定です。
何話になるかわかりませんが、お付き合いよろしくお願いします。
名もない世界を作った神がいた。
神は自身の有り余る力を使って、自分の住む環境を整えた。
降り立つ土地を、見上げる空を、香しい木々の匂い、透き通る水の色。
美しい。
でも何かが足りない。それらを愛でるだけでは物足りない。
やがて、動き回るものを作り出す。
美しい環境を元に様々な魔力を創り、力を注ぐ。神を崇拝し、神に従うそれらに精霊と名付け、可愛いがる。
しかし、それらもやがて満足させてくれなくなる。
何しろ神には持て余すほど膨大な力と時間があったのだ。
「次は何を創ろうか」
今度は、神を恐れず自由に動き回るものにした。獣と名付け、形を与えると、それらは勝手に動き出す。
予想など出来ない獣たちの生き様は、神には目新しく楽しいものに思えた。
ところが問題が発生した。
様々な形に創られた獣たちは、混ざり合い、さらに様々な形に生まれ変わる。
あまり他種族には干渉しない精霊たちと違い、獣たちは何故か執拗に他者と自分とを比べたがる。
それが妬みや恐れといった神の知らない感情となり、やがてあちこちで諍いが起きた。
「困ったことだ」
神は自身と同じような力を持つものを創り、それらに管理させることにする。
◆ ◆ ◆
「まーた、難しそうな本を読んでるの?」
膝に幼子を乗せて本を開いている夫に妻が声をかける。
「えっと、王都の教会から頂いてきたんだけど」
難しいか?、と膝の上の末娘に問う。
「んー。おとーしゃまの声がしゅきなのでしゅ」
本の内容はどうでもいいらしい。膝の上の黒髪の幼子は、かわいらしい顔を花のようにほころばせる。
「そうか」
父親はゆっくりとその小さな頭を撫でる。
エルフの商人であるギードは、エルフの森ではなく、小さな森の中にある『商国』に住んでいる。
実はそれは商会の名前でもあり、彼はそこの代表を勤めているのだ。
以前、獣人たちばかりの小さな村を住人ごと買い取ったことがあり、それが今の商国の始まりだ。
商国の森の奥にある、泉の傍に建つ館。
すでに深い秋の夜は更け、家族だけの静かな時間を過ごしている。
ギードは人族の魔術師だった女性タミリアと結婚しており、三人の子にも恵まれた。
ギードの部屋は館の地下にある。
長子である男女の子供が階段を下りて来た。エルフの男の子と人族の女の子という双子で、もうすぐ八歳になる。
妻とそっくりの藍色の髪をした娘はミキリア。
そろそろ眠そうな顔になっているが、両親と妹の側にやって来る。
「ナティ、えーい、ぐりぐりいい」
四歳の妹の髪をくしゃくしゃっと撫でる。
どうやら妹であるナティリアを構いたかったようだ。
「おいで、ナティ。そろそろ寝るよ」
息子のユイリは妹を父親の膝から奪うと、軽い身体をくるりと回してあやす。
エルフであるユイリは成長が早く、どうみても十歳以上に見える。
子供部屋で一緒に寝るためナティリアを迎えに来たようだ。
「おやすみなさいー」
きゃっきゃと笑いながら三人の子供たちは両親に就寝の挨拶をして、階段を上がって行った。
「さて、寝ますか」
静かになった部屋で、ギードは本を閉じる。
「その本、見せて」
すでに寝床に入っていたタミリアが珍しく本に興味を示した。
首を傾げながら、ギードは本を差し出す。
元々小心者である彼は、脳筋な妻に決して逆らわない。
「今度、海の『大神』様に会いに行くんでしょう?」
ギードは、商売の販路を広げるため、海上輸送を検討している。
「うん。まあ」
『大神』の領域である海に船を出す許可と、航海の安全をお願いするつもりだ。
「この最初に出てくる神様が『大神』様ってことなのよね」
「ああ、そうらしいね」
最初にこの世界の環境を創った『大神』は、今は海の神様ということになっている。
タミリアが黙って本を読んでいる。
魔術師から魔法剣士となった彼女は、並々ならぬ努力の人である。
脳筋とは言われているが、決して頭が残念なのではない。思考が戦闘に特化しているというだけで、ちゃんとした知識人なのだ。
「大丈夫なの?」
こんな神と交渉しようとする夫をちらりと見た。
ギードは彼女の勘の鋭さを知っている。
「あー、まー、そうだねー」
危険かどうかは未知数だ。今まで誰も成しえていないのだから。
「やってみないと何とも」
ギードは正直に話す。
「そう」
寝台の毛布に包まれたタミリアが、今度はまっすぐに顔を向けると、ギードはそっと目を逸らした。
(絶対に同行してやるわ)
タミリアはこの大人しそうに見える夫が、実は無鉄砲な事を知っている。
そのくせ心配症の彼は、『妻だから』という理由でタミリアが危ない目に遭うことを極端に嫌がるのだ。
タミリアはにっこりと笑いながら、そのまま不穏な夫の身体に腕を廻す。
(私がギドちゃんを守る)
口には出さず、堅く心に決める。
そんな妻の心も知らず、ギードはうれしいような怖いような気持ちで、いつものように抱き枕にされていた。
◆ ◆ ◆
商国にある『決して枯れることのない泉に宿りし神』は、その日、自分のために造られた神殿でぼんやりとしていた。
(本当に行く気なのかな)
自分が見込んで力を与えたエルフが『大神』に会いに行くという。
そうなると、どうしてもこの『泉の神』自身も『大神』に会うことになる。
よほどのことがない限り、神同士はそんなに会うことはない。
空間に縄張りのようなものがあり、それに影響しない限り他の神には干渉したりしないのだ。
しかし、実はこの『泉の神』はこの世に誕生して三百年ほどである。神としてはまだ若い。
どの神にしても、この『泉の神』は赤子のようなものである。
『大神』によって創られたばかりの頃の『泉の神』を指導していたのは、王都を守護している『湖の神』だった。
最初は『大木の神』だったはずなのに、何故か『泉の神』になってしまっていたので、『湖の神』も呆れていた。
先日、ギードと共に王宮へ行った時も、『泉の神』は『湖の神』に散々小言を言われたのだ。
(嫌だなあ、行きたくないなあ)
しかし、あのエルフとはもう一蓮托生なので切り離すことなど出来ない。
(『大神』ってどんな神なんだろう)
せめてそんなことを楽しみにしておこうと決めた『泉の神』であった。