第3話
シェリルが慌てて探し回る一方で、当の本人であるラグもまた、大事なものの行方を追っていた。
「アッタ!」
ようやく探し物を見つけた彼は、真横に突き出ている長い耳をぴんと跳ね上げる。
濃い緑色の苔の絨毯の上に、探し求めていた白い球がぽつん、と転がっていた。自分の顔ぐらいの大きさのそれは、触ると少し温かくてとても懐かしい感じがする。
あの場所を出た時から、いや、それよりもずっと前から持っていたような気がするが、近頃はこれをいちいち持って歩くことを面倒に思い始めていた。しかし、「しぇる」がきっと大事なもののはずだから手放すなと、これに関しては厳しく言うので、しょうがなく持って歩いている。
「しぇる」や「しお」は、これを竜の卵だと言うが、卵の割には丈夫で、多少乱暴な扱いをしても罅一つ入る気配がなかった。
「ダメ!」
小さな拳で卵をぽくっと叩く。勝手にどこかに行ったら、「しぇる」に怒られちゃうじゃないか。そうやって叱りつけるように何度もぽくぽくと卵を叩いていた彼は、はっとなった。
「しぇる」が、いない。
慌てて辺りをきょろきょろとしてみたものの、灌木や茂みに邪魔されて「しぇる」の姿を見つけることができない。
「しぇるぅ!」
猫の眼のようにくるくると虹彩の変化する翡翠色の瞳が、たちまちうるうると潤み出した。あわや決壊寸前かと思われた彼の涙の洪水を止めたのは、底抜けに明るい娘の声だった。
「はーい!やっと、見つけた。勝手にどこか行ったらだめでしょ!」
蔦や灌木の小枝に遮られながらも、シェリルが姿を見せ、ラグに両手を広げて駆け寄ってきた。と、思ったら、いきなり彼女の姿は彼の目の前から消え失せた。
「???しぇる?」
「……ここ」
ととっと声のする方に駆け寄ったラグは、下に目線を落としてしゃがみ込んだ。そこには大人一人分がすっぽりはまり込むような穴がぽっかり空いており、「しぇる」は穴の底で尻もちをついていた。
「ちょ……、ちょっと待って、ラグ!」
「しぇる」の姿を見つけ、ぱあっと表情を明るくして、すくっと立ち上がった彼に、シェリルは次なる行動を予測して必死で止めに入る。が、間に合うわけはなかった。
「げふっ!」
躊躇うことなくシェリルに向かって穴に飛び込んできたラグの体が、一直線に彼女の腹の上に落ちてきた。奇妙な声がすごい衝撃と痛みと一緒になって口から飛び出す。
「……イタイ?」
……なにか、まずいことをした。顔を思い切りしかめてぷるぷると震える「しぇる」を見つめて、ラグはそう思った。これは、確か、痛いというものだった気がする、と考えて聞いてみたのだが、「しぇる」はぷるぷる震えるだけで答えを返さない。
これは、怒って、いる……?そう思った瞬間、彼の中でぶわっとなんとも言えない嫌な感覚が沸き起こる。
(イヤ、イヤ、イヤ!キラワレルノ、イヤ!)
感情とともに涙もまたぶわっと両目に盛り上がる。「しぇる」の胸元に縋り付いてラグは必死になって叫んだ。
「イタイ、ヤダ!キライ、ヤダ!しぇる!しぇる!しぇるぅぅぅ!」
「……う、動かないでぇぇぇ。下りてぇぇぇ」
痛みがまだ引かないというのに、ゴリゴリと腹の上で暴れられて、シェリルは地を這うような低い声を吐き出した。途端に、ぴたっ、ラグの動きが止まり、そろり、と彼女の腹の上から降りる。
「イタイ?イタイ?」
「大丈夫。……なんとか、ね」
落とし穴に落ちた擦り傷よりも数段痛む腹を擦りつつ、心配そうに瞳を潤ませる子どもに彼女はなんとか笑顔を絞り出した。
「上で待ってればよかったのに」
返事の代わりに、ラグはぎゅうっと彼女にしがみついた。「しぇる」の姿が見えなかっただけで、こんなにも泣きたくて切ない気持ちが体のどこかから湧き上がってくる。自分でもどうしてだかわからないが、とにかく、彼女から離れること、嫌われることがとても嫌だった。
完全に彼女に頼り切っている幼子の様子に、シェリルは軽く息を吐くと、無言のまま優しく子どもを抱きしめ、背中を撫で続けた。
「……お前ら、そんなにじめじめしたところにいるのが好きなら埋めてやるぞ。とっとと上がってこい。これ以上、世話ぁ焼かせるんじゃねえよ」
相変わらずの不貞腐れた顔と毒舌を振りまいて、シオンが切り取った蔦を穴の中へと放り込んだ。上ではギーも不安そうなか細い鳴き声を上げて覗き込んでいる。
大した怪我もなさそうなことを見て取って、ひとまず安堵したしたシオンは、眉を顰めて疑問を口にした。
「……何だってこんなとこに落とし穴が仕掛けてあるんだ?」
彼の疑問に答えるかのように、木々の濃い緑の奥から銀色の鋭い光がギラリ、と光った。
「ちょっと、シオン、手を貸してくれたっていいじゃない!」
一向に手を貸してくれないシオンにむかっ腹を立てたシェリルは、抱え上げたラグを一旦下すと、落とし穴の縁に何とか飛びついて顔を出しかけた。
「……!」
顔を出しかけた彼女はぎょっとした。彼女を出迎えたのはシオンでなく、地面に突き立った無骨なナイフだったのだから。その危険な銀の光に、慌てて穴から這い出ようとした彼女を、シオンの鋭い声が制する。
「動くな!」
ぎくっ、と穴の中でシェリルが身を固くするのを感じ取ったシオン自身も、地面に縫い付けられたかのように、身を伏せたまま動けずにいる。
自分にもギーにも気配を悟らせずに近づける相手が、じりじりと確実に包囲を狭めてきている。一人ではなく、複数人。神経を澄ませて、気配から人数を推測する。
最初のナイフは辛うじて躱せたが、このまま、女子どもを連れての突破など到底無理だ。心臓の鼓動が早鐘のように煩わしく、服の下を冷たい汗が伝っていく。
数瞬の迷いの後、シオンはゆるゆると立ち上がり、自らの剣帯ごと剣を外すと、それをどさりと足元に放り出した。
「降参する。命だけは保障してくれ」
シオンの言葉を受け、それでも警戒心を剝き出しにして数人の人影が森の濃緑の茂みの中のあちこちから姿を現した。何かの獣皮で作られたらしい茶色っぽい外套で頭まですっぽりと覆い隠し、薄汚れた粗い麻布のようなもので顔をぐるぐる巻きに覆った異様な姿の連中に、シオンは目を瞠る。
「シオン、伏せて!」
ふぉんっ。シェリルの叫びに続いて、彼女が呼び込んだ風の精霊力が鋭い唸りを上げて目に見えぬ高速の刃を作り出し、幾人かの敵をなぎ倒す。
シオンは彼女の声と同時に伏せ、足元に投げ出した剣にすかさず手を伸ばした。が、その行動を予期していた者によって、柄に彼の手が届く寸前に剣は遠くに蹴り飛ばされた。
「くそっ!」
「術士の女の子との連携攻撃。年の割には洗練されたいい動きだったが、そこまでだ。動くな」
動くなと言われても、もうシオンに動ける余地などなかった。シオンとシェリルの思惑をあっさりと見抜いた凄腕の相手は、厳しい声とともにピタリと彼の喉に冷たい刃を突き付けていた。
女、か?シオンは間近に聞いたその声に再度驚く。粗布で阻まれているが、低く良く通る声は女の響きだ。
「……あんたたち、いったい、何者だ?」
「それはこちらが聞きたいことだな。街道を大分外れ、魔獣と鉢合わせしてもおかしくない、樹海に近い森の奥深くに子連れの若い男女。珍妙な組み合わせじゃないか」
「俺だって好きでいるわけじゃねえよ。成り行きだ」
憮然としたシオンの物言いに、異様な風体の連中から思わずくぐもった笑いが漏れた。女も同じように笑いに肩を震わせている。そうして、おもむろに女は頭全体を覆い隠していた粗布と深くかぶった頭巾とを剝ぎ取った。
さらり、と女の肩に解き放たれた灰色に近い銀色の長いまっすぐな髪が流れ落ちる。
女の年齢を外見で推し量るのは難しいと言うが、この女は特にわからない。若いようにも、見た目より老成しているようにも見える。それは、女の持つ顕著な特徴が邪魔をしていたからだった。
シオンの背後で、穴から這い上がってきたシェリルの息を飲む音がはっきりと聞こえた。
「……獣の子ら、か」
女の額から伸びているのは、本来、滅多にその姿を見ることができないため幻獣と呼ばれる一角獣が持つべき真白き角。人間にはあり得ない大きな瞳孔、魔獣種に多いとされる深紅の瞳。
切れ長で涼やかな目元が不均衡なそれらの部分を微妙な加減で統一し、女を美しく仕上げている。女に合わせて、他の連中も顔を隠す外装を外した。やはり、彼女同様、彼らにも獣相があった。
獣の子らと竜の子のラグ。
同じ獣相を持つ者が、こんな場所で偶然に出会う。
これは、きっと、何かの意味を持つのだ。シェリルはそう確信した。そうして、一方で不安がよぎる。
これを導いているのは、いったい誰なのだろうかと。ディスクード?それとも……。知らず知らずのうちにラグを抱く腕に力がこもる。
抗うことの出来ない未知の力が、見えない糸で自分を絡めとろうとしている。そんな気がして。