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第2話

 光、光、光。

 眩いばかりの光がそこには満ち溢れ、乱舞していた。先ほどから彼らが追っていたティラグは、一体だけではなかった。それどころか、無数としか例えようのない数の光の小精霊がそこに集い、光の繭を形成していた。


「すごいわ……。こんな数のティラグが集まっているのなんて、初めて見た」


 唖然とするシェリルの前を、どこからともなく続々と現れるティラグたちが通り過ぎ、どんどん光の繭の中に飛び込んでいく。

 むくむくと大きくなる光の繭が発する白色の光に、木々の緑や空の色も色を失っていく。気を引き締めていないと、自分まで色を失って、ティラグに取り込まれてしまいそうな気がしてくる。


「すげえな……」


 精霊と語る素養のないシオンにはぼんやりとした白い靄が薄っすらと発光しているようにしか見えない。が、これが普通の自然現象ではないことだけはわかる。まん丸の巨大な繭の形をした靄なんて見たことがない。


「おい、こいつら、何でこんなとこに集まってるのか、わかるか?」

「うーん、こんなに集まっちゃってると、意識が混ざり合っちゃってわかりにくいのよねえ。ただでさえ、光の精霊って読み取りにくいし」

「……素直に出来ねえって言えよ」

「あっ!嫌な言い方!わかるわよ!」


 嫌味なシオンにぷうっと膨れっ面を向けたシェリルは、光の繭にその意識を集中させた。


 喜び、嬉しい、楽しい、期待、幸せ、祝福……。


 様々で雑多な感情が繭の中で点滅するように繰り返される。その中でも特に強く感じられるのは、喜びだった。


「喜び……。何かを喜んでる」

「何をだ?」


 シェリルは眉根を寄せて、さらに真剣に小精霊の感情を読み取ろうとするが、繭の意識はどんどん混濁してきていた。


「そこまではわかんないけど……」

「近づいてみるか」


 ティラグは臆病だという彼女の言葉を信じて、シオンは前に進もうと決めた。二人はティラグを掻き分けながら光の繭に向かって突き進んだ。

 一歩進むごとに混じって溶けて消えてしまいそうなほどの強烈な光が、シェリルの体を包む。光の小精霊の喜びの感情は、今や最高潮に達し、弾けるような歌の奔流となって、術士であるシェリルの頭にガンガンと鳴り響いた。

 何百、いや、何千ものティラグの圧倒的な感情の嵐を受け止めることが出来ず、大鐘のように打ち鳴らされる大きな歌声に耐え切れなくなったシェリルは、頭を抱えてよろりと膝をついた。


「……気持ち悪い……」


 変調をきたした彼女を心配して、ギーが気づかわし気にシェリルの体に擦り寄る。シオンも遅れて気づき、彼女を覗き込んだ。


「おい、大丈夫か?」


 戻った方がいいか、と言いかけた彼の前に、何かの気配がするりと二人の間に滑り込んだ。シェリルの目にははっきりと映るティラグが、ちかちかと点滅を繰り返し、彼女の目の前を上下する。


「……心配してくれてるの?あ?歌が…………」


 シェリルの目の前を飛んでいたティラグが群れの中に消えていった途端、周りから波が伝わるように光が内から外へとその色を変えていく。激しく強烈なものから柔らかく優しいものへと。

 繭全体に優しい色が伝わっていくと同時に、際限なく感情を爆発させているかのような喜びの歌が、子守歌にも似た優しい包み込む響きとなる。


「こんな……、こんなにも優しい歌になるんだ」


 ずっと、ずっと包まれていたい、まどろんでいたい、愛されている、そんな心地良い響き。


「なんとなく、俺にもわかるぞ」


 シオンには彼女の言う「歌」はやはり聞こえていないが、先刻から肌に触れるぱちぱちと弾けるような感覚が消え、代わりに暖かく柔らかい春風のような微風がそよぐ感覚を感じ取り始めていた。


「あたしたちに、道を開けて」


 シェリルが頭上高く手を掲げる。彼女の意を受けた光の小精霊は、素直に二人の前に道を開いた。


「見ろ!」


 しかし、多少弱まったとはいえ、相変わらずの眩しさに苦労しながらシェリルがシオンの言葉に従って見やった先には、この場におおよそ似つかわしくないものがいた。


「子ども……?」


 ティラグが創り出した繭の中心、光の褥の上に、小さな子どもが体を丸めるようにして寝入っていた。ティラグの一つがその子どもの鼻先に近づくと、彼らの登場を知らせるかのように何度も子どもをつつく。

 程なく目を覚ました子どもは、開け放った瞳をきろり、と彼らに向けた。眠そうなぼんやりとした表情は、数度の瞬きの後、満面の笑みへと変わる。

 子どもは立ち上がると、ころころと笑い声を上げた。辺りを包み込む眩しいほどの白い光とは対照的な、深い夜闇を刷り込んだかのような黒髪が、光の波間に揺れてキラキラと輝く。

 無邪気で澄んだ子どもの笑い声は、ティラグの喜びの歌と呼応し、優しい優しい共鳴を作り出す。

 その、あまりに愛らしい様子に呆気にとられて突っ立っていたシェリルの足が、つい、と動いた。


「おい、勝手に動くなって……」


 不用心な彼女を叱りつつ歩を踏み出したシオンが、雷に打たれたかのように、びくん、と立ち止まった。 頭の中で何かが激しく警告する。それ以上進んではならない、と。シオンの傭兵としての、戦士としての本能が激しく警告を発していた。

 ギーもまた、こちらは野生の本能で危険を嗅ぎ取り、じりじりと後退る。

 そして、ほんのわずかの後に、シオンは己の警告が正しかったことを、身をもって知ることとなった。


「どうしてこんなところにいるの?一人じゃ危ないよ」


 一糸纏わぬ裸の幼子に自らの外套をかけてやりながら、シェリルは優しく声をかけた。彼女の問いに、幼子は胸に抱いた子どもの頭と同じくらいの大きさの白い丸い玉を、きゅうっと強く抱きしめると、美しく澄んだ翡翠色の眼差しをじっと彼女に向け、小さく首を傾げた。


(言葉がわからないのかな?……あれ、この子……?)


 遅まきながらその時になって、シェリルは子どもの姿が普通のそれとは異なることに気が付いた。

 光の加減で猫のように虹彩が細く太く収縮する宝石を思わせる翡翠色の瞳。闇色の髪の耳の辺りからぴょこりと突き出ているのは、兎にも似た長い耳だった。


(獣相……。獣の子ら……?)


 シェリルの顔色が変わった。

 神話の時代、神々は人間と魔獣を創造した。ある意味、人間と魔獣は兄弟とも呼べる存在だと言える。そして、それを裏付けるように、稀に両種族の中からそれぞれの特徴を併せ持った子どもが生まれてくる。


 人間の子なのに魔獣の特徴である獣相を、魔獣の子なのに人間に近い姿を。


 「獣の子ら」、「獣人」などと称される彼らは、人間たちの間では生まれた瞬間から忌むべき存在として扱われる。魔獣は人間を喰らう。かつて、その残虐さと貪欲さによって絶滅寸前にまで追い込まれた人間の歴史を顧みれば無理もないことである。

 そうして、この知識は彼女に一つのことを告げる。こんな人里離れた深い森の中に一人でいる子どもなど、魔獣を親とする子以外あり得ない、と。

 蒼白になったシェリルの表情の変化も知らず、幼子は彼女に無邪気な笑顔を見せ、羽織った外套を翻してくるくると回りながら、楽し気な笑い声をさらに高くした。




 彼女を引きずり戻そうと、本能に逆らって、シオンは何とか歩を進める。何歩目かに、ぱきん、と硬い何かが足先で爆ぜるような音を立てた。

 なんだろうと恐る恐る拾い上げたそれは、金色の光を弾き返す。手にしたものの正体に即座に気づいたシオンの中で、危険を警告する音と心臓の早鐘のように弾む鼓動とが重なっていく。

 金色の大きな鱗を手に唖然とするシオンの頭上が、にわかに陰った。


(…………来た)


 ごくり、とシオンが喉を鳴らすのと同時に、頭上から生臭い風がどっと押し寄せ、空に覆いがかけられたかのように日の光が遮られる。

 シェリルが驚いて頭上を見上げようとした瞬間、上空からさらに先ほど以上の猛風が彼女たちの体を地面に叩きつけた。


「くっ……」


 あまりの風圧に呼吸することさえままならない。子どもを抱きしめ、ただただ吹き飛ばされまいと、歯を食いしばって必死に地面にへばりつく。

 無数にひしめいていたティラグたちもまた、嵐に舞い散らされる花弁のように、四方八方へと四散していった。

 暴風が吹きすぎた後、奇妙な静寂が辺りを包む。


(最悪だ……)


 そろりと頭を上げたシオンの目に映ったのは、初夏の太陽の清々しい輝きすらも色褪せる黄金の鱗を全身に纏った巨大な翼竜が、血のように赤い朱金色の眼に怒気を漲らせる姿だった。

 魔獣。ルオンノータルすべての生物の中で、最も強靭にして獰悪なるもの。その種類は多種多様で、どんなに過酷な環境下でも適応する肉体と長い長い寿命を持つ生命体。唯一の共通点といえば、どの種族も様々な獣を融合した巨大な姿であることだろうか。

 生物として、ルオンノータルで彼ら以上に完全な肉体を持つものはいない。敢えて、欠点があるとすれば、その肉体の成長速度に比べ、知性の発達がかなり遅いことくらいだろう。肉体をより強靭に、より巨大にと進化し続けた彼らは、それを維持し満たすことを貪欲に求め続ける。

 人間にとって最も危険な災厄。その獰猛な性質によって滅ぼされた国や都市は数え切れない。

 そして、シオンが知る魔獣の中でも最強最悪の一角を担う存在が、圧倒的な威圧感を放って、その威容を見せつけていた。


 グォォォォォン


 翼竜の大きな顎から轟く咆哮が、ビリビリと辺りの空気を震わせる。

 血に飢えた眼が自らの縄張りを荒らした不心得者どもへの怒りに燃え、血祭りに上げるべき獲物を求めて、自らが起こした土埃の中に視線を彷徨わせた。

 怒れる竜の視線がピタリ、と止まる。その先には、幼子とシェリルがいた。一瞬、シェリルと竜の視線が交錯する。


 竜は、笑った。


 少なくともシェリルにはそう思えた。それがあながち間違いではないと告げるように、魔獣は喜色に満ちた咆哮を上げ、目と鼻の先にいた獲物めがけて、重装甲の騎士の甲冑すら易々と切り裂くことの出来る前脚の爪を振り下ろすべく、大地を蹴った。 

 すべては一瞬だった。

 竜の鋭い爪が届く寸前に、シオンが背後からシェリルの両肩を掴んで抱き込み、後方のやや大きめの岩陰へと飛び込むようにして滑り込む。間髪入れず、ギーがかがみこむ形になった竜の頭に飛びつき、視界を遮るように眉間に牙を立てた。


「なんで、ガキまで連れてきてんだよ‼」

「だって……!」


 助けてやった娘は、よりにもよって例の獣相の子どもを抱き込んだままだった。縄張りを荒らされたうえ、子どもまで奪われたとなれば、逃げられる確率など皆無に等しい。

 魔獣、それも最強クラスの魔獣に遭遇するという最凶最悪の状況をまるで理解していない彼女に、とんだ災厄を抱え込んじまった、とシオンは大きく舌打ちした。


「俺と山猫で時間稼ぎをしてやるから、ガキなんか置いてとっとと逃げろ!」

 

 言うのももどかしく剣を抜き、彼は岩の陰から飛び出した。

 激変する現実に心が追い付いていないシェリルは、呆然としてカタカタ震える手を無意識に握りしめた。

 ふと、違和感を覚えて手を見やる。震える手のひらには擦りつけたような掠れた血の跡が付いていた。赤い色は彼女を一気に現実に引き戻し、視線は敵前に飛び出していった青年へと向かう。


「シオン!」


 彼女の呼びかけに背を向けたまま、シオンは口の端を皮肉げに歪めた。背中がズキズキと痛みを訴える。うまく避けたつもりだったが、僅かに爪に引っかけられてしまったらしい。


「……しくじったなあ」


赤の、それもほんのちょっと前に知り合っただけの他人を庇って怪我をするなんて、冷徹で勘定高い傭兵にはあるまじき行動だ。自分のお人好しさ加減を一人、心の中で嘲笑う。

 竜は黄金色の鱗を太陽にギラギラと反射させ、ギーを頭から振り落とそうと、凄まじい勢いで振り回した。たまらずギーは竜から離れ、くるりと反転して地面に降り立つ。

 その間隙をぬって、シオンは剣を握りしめ、足腰に力を溜めて思い切り地を蹴った。










 

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