第3話
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「シェリル⁉」
畑を耕していたティルトは、村を出て行ったはずの幼馴染みの娘が、にこやかに手を振っているのを見て仰天した。手にしていた鋤を放り出して、彼は慌てて彼女の許へと駆け寄った。
「久しぶりね、ティルト。元気だった?」
「……お前、なんで、戻ってきた!」
ティルトの荒げた声をものともせず、彼女はじっと彼を見た。深い深淵を覗き込んだかのような、彼の心の奥底などすでに見通しているかのような、不思議な色合いを見せる彼女の瞳に、逆にティルトの方がたじろいだ。
「ティルトは、知っているのね?」
声に含まれる非難に後ろめたさから、ティルトは、こくりと唾を飲み込んだ。
「こいつが、お前の幼馴染みのティルトか?」
シェリルにばかり気を取られていたティルトは、彼女の横に現れた青年に気づくのが遅れた。贅沢な金糸の刺繍が入った真白の騎士服のような装いに、金髪と青い目。物語に出てくるどこぞの王子様みたいな青年だと思った。ただし、彼の目つきだけは、王子、という甘い役どころには不似合いな、少々剣呑な雰囲気がありありと浮かんでいたのだが。
剣呑、とティルトに思わせたシオンの不機嫌な目つきは、じろりとティルトに向けられる。薄栗色の頭から足の先まで、さり気なくティルトとやらを観察した彼は、ふぅん、と顎を撫でた。
ティルトは、典型的な田舎の農民の青年だった。うん、まあ、これなら、俺の方が……。ティルトの顔を眺めつつ、そんなことを考えていたシオンは、はっ、と我に返った。そうして、思わず顔を赤くする。
おい、何で、俺が、そんなこと考えなけりゃならねえんだ!だいたい、何で、俺は、こんなとこに……。
憮然として空を仰いだシオンは、小うるさい黒髪の青年の顔を思い浮かべた。だいたい、うっかり、こんなことを考えてしまったのは、ラグが余計なことを言ったせいだ。
里帰りして幼馴染みと再会だなんて、一番危ない状況じゃないか!シェル、取られちゃってもいいの⁉
そう、きゃんきゃん騒がれて、無理矢理、村に連れてこられた彼は、はいとも、いいえとも言えないうちに、結局、ここに立つ羽目になっていた。一方、ティルトの方でもシオンを気にしていた。彼、と言うよりも、シェリルと彼との関係を。
「……シェリル。まさか、どこかの王子様と駆け落ちしてきたとか言わないよ……な?」
シェリルの突飛で無謀な言動を良く知るティルトの、当たらずとも遠からずな言葉に、シオンが余計に顔を赤くし、シェリルはからからと笑い出した。
「やあだ。そんな甘ったるい関係じゃないわよ。せいぜい、口の悪い戦友ってとこかしら、ね?」
口が悪いは余計だ。否定されてありがたいはずなのに、なんだかもやもやするシオンは、ぶすっと口をひん曲げた。
「それより、何で戻って来たんだよ、シェリル!せっかくオランジュが逃がしてくれたってのに」
「そんなことまで、知ってるの?」
驚きに見開かれたシェリルの瞳を、ティルトはまともに見れずに目を伏せた。彼はシェリルが旅立ったあの日から、不可解すぎるオランジュの行動を怪しんでいた。何度も老婆の庵に通ううちに、村の有力者が老婆を責め立てる場面を見てしまった。そうして、賢い彼はすべてを悟った。
世界で一番優しい場所だと、美しい場所だと信じていたものが、ガラガラと足元から崩れる絶望を彼は味わった。だからか、とシェリルは思った。だから、こんなにも諦めきった疲れ切った大人の顔に変わってしまったのか、と。
「よりによって、お前がいなくなった日に、鍛冶屋んとこの三人が魔獣に襲われた。長老たちは揃って、お前が村の結界を壊して逃げたからだって言いふらしてた。でも、皆、なんかおかしいって薄々気づいている。だけど、安心できる何かが欲しいから、お前を悪者にしたがってる。頼むよ、帰ってくるな、シェリル。もう、二度と、こんな村に帰って来るな」
お、とシオンは内心で少し焦りを覚えた。やばい、こいつ、すげえ、いい奴じゃねえか。そんなことを考えた時、大丈夫?負けちゃうよ?黒髪の小生意気な青年の心配そうな顔がちらっと脳裏をよぎって、ちょっと、イラっときた。
ひゅっ。
突然、石礫が飛んだ。それがシェリルの右肩を掠めた。
「やめろ、ホルス!」
畑の端に、ティルトの末の弟が、目をつり上げ、石を握りしめて立っている。少年は兄の制止を無視して再びシェリルに向かって石礫を投げた。が、それはシオンが突き出した剣の平に当たって跳ね返った。
「ホルス!」
「兄ちゃん、なんでだよ!そいつは村の掟を破った罪人だ!そいつが逃げたせいで、ピュルカとマールが死んだんだぞ!」
「その女を庇うんなら、お前も同罪だぞ、ティルト!」
「次はお前が魔獣にでも喰われちまえ!」
毒々しい言葉を次々と放って、村人たちが手に手に鋤や斧を持って、わらわらと集まってくる。ホルスが中心となって、子どもたちが次々と石をシェリルに投げつけた。それをティルトとシオンが盾となって防ぐ。ぴし、と硬い音がして、ティルトが呻く。避け損なった石礫が当たった額に、僅かに血が滲んだ。
「みんな、止めて!あたしは……」
『いい加減にしろ‼』
シオンが凄まじい怒号を上げた。それは逆上していた村人だけでなく、シェリルまでも怯えさせるような圧倒的な威圧感を持った声だった。大国ジャドレックを担うべく、幼少期よりフィルダートに育てられ、また、周囲も彼にそう接してきた。自然、本人の好む好まざるとに関わらず、シオンの体には支配者としての立ち振る舞いが染み込んでいる。その彼が本気で激怒した一喝に、片田舎の村民がたじろいでしまうのは、むしろ、当たり前のことだった。びくつく村民に、シオンはさらに舌鋒で追撃をかける。
「自分や身内が犠牲にならなきゃ、それでいいってのか?ふざけるんじゃねえよ!孤児や身寄りのない奴らを平気で魔獣の餌にして、のうのうと偽りの平和とやらを楽しんでた卑怯な連中のくせに、偉そうなことをほざくんじゃねえ‼」
鋭い刃のように突き刺さってくる怒声に、後ろめたさを感じていた村人たちは、怯えてじりじりと後退る。そこをさらに追撃しようとするシオンの服の裾を、シェリルがおずおずと引っ張った。
「……シオン、もう、いいから」
「よくはねえっ!」
シオンの怒りは継続して、今度はシェリルに向かう。
「お前も、人が良いのも大概にしろよ!こいつら、お前を生贄にしようとしてた連中だぞ。今だって、お前を悪者扱いして目を逸らそうとしてるじゃねえか!こんな腐った奴らのために、わざわざ、お前やラグが出張って、魔獣を退治してやる必要はねえよ!」
「……退治しちゃったけど、まずかった?」
「まずいに決まってる……、わけねえだろ」
背後からの気まずそうな声に、完全に怒りをすかされたシオンは憮然として、声の主を振り返った。ガジェットに肩を貸すようにして支えるディセルバと、同じようにオランジュを支えているロセッタを従えて、困惑した表情のラグが、険悪な雰囲気の彼らの背後に佇んでいた。
「退治しちゃった、って、一人でできたの、ラグ?」
まるで、小さな子どもに、初めてのお使い、ちゃんと行って来られたの?的な台詞は、光皇となったラグに対して、いくら何でもあんまりだろうと、シオンですら思ったが、シェリルにとって、ラグはいつまでも幼い子どもに見えているのだから仕方がない。まあ、ラグもラグで、シェリルが言う分には怒るでもなく、却って上機嫌である。
「うん!だから、もう、心配しないでいいよ。でも、ここ、樹海に近いし、空いた縄張りに目をつけて、他の魔獣が来ないとも限らないから、できれば、もうちょっと北に移住した方がいいと思うんだけど」
突然現れて、魔獣を退治したとけろりとした表情で話す青年を、ティルトと村人たちは、だらしなくぽかんと口を開けたまま見つめる。
凄まじい怒号を上げた金髪の青年より、いや、ルオンノータル中探しても、これほどに綺麗な青年はいないのではないだろうかと思えるほどに美しい青年が、シェリルに子犬が飼い主に擦り寄るようにじゃれつく様に、ティルトはますます混乱した。
恋人には全く見えない。むしろ、親子、と言った方が近い気がするのだが、青年の方がどう見てもシェリルより、二、三歳は年上に見える。いったい、この二人は、どういう……。
「あの、シェリル、その人は……?」
混乱するティルトは、救いを求めるように、シェリルに答えを求めた。ところが、ティルトの質問に被さるようにして、謎の美青年が無邪気に彼に身を乗り出す。
「あっ!もしかして、あなたが、ティルト?」
「あ、ああ」
勢いと、あまりに整った容貌とに思わず後退去ったティルトを、青年は好奇心丸出しのキラキラ光る目で、彼をじいっと見つめた。居心地の悪さに、さらに一歩下がりかけたティルトから、ようやく目を逸らした青年は、今度は心配そうな顔で、金髪の青年に顔を向ける。
「どうしよう、シオン。すごく、いい人みたい。頑張んないと、負けちゃうよ?」
「勝手に余計な心配するんじゃねえよ‼」
「あの……」
自分をネタにして、小突き合いを始めた彼らに、ティルトは、再度呼びかけを試みる。それに気づいた美青年が、にこっと人懐こい微笑みを返して手を差し出した。
「初めまして、ティルト。僕は、光皇ラグナノール。シェルを旅に出してくれて、ありがとう」
「光皇?」
呼び方としては、どこかの王族の称号らしいと思うのだが、聞き慣れない呼称に、ピンとこないティルトは首を傾げた。それは、村人たちも同様であった。彼らもまた、ラグの自己紹介に困惑して、お互いに顔を見合わせて、さわさわとざわめく。
「光皇を知らねえって、本当に、ここ、ルオンノータルか?」
シオンの呆れた声に、ロセッタに支えられていたオランジュがため息を漏らした。
「無理もない。わしらは、初代光皇たるラグレイン様の説かれた教えに背き、魔獣と契約を交わした者たちです。……背徳者が光皇の信仰を伝えられるわけがない」
でも、それが、却ってよかったのだ。苦い顔で真実を語る老婆を、シェリルは湖水のごとき静けさで見つめる。光皇を知らないから、シェリルは畏れることなく、自然とディスクードと接することができ、ラグを導くことの重大さに必要以上に怯えずに済んだ。あまりに皮肉な偶然が、大きな奇跡へと繋がった。そのことに、シェリルは我知らず微笑みを浮かべた。
「じゃあさ、シェル。みんなに聞かせてあげようよ」
愛しい子の呼びかけに、シェリルは密やかな笑みを終わらせ、慈愛に満ちた目で彼を見やる。鮮やかで美しい、太陽に照らされた南の海の色を思わせる翡翠の瞳を、生き生きと輝かせて、ラグは笑う。
「この村を出たシェルが、僕やシオンと出会った頃の、すべての始まりからをさ!」
さあ、どこから話そうかしら?シェリルは旅の始まりを思い起こして、くすりと笑った。村人たちは、ラグと仲間たちに誘われて、おずおずと円になり、いつしか、彼らの話を熱心に聞き入り始めた。
この年、暦の上で、約六百年続いた失皇期が、そして、聖魔戦争が、十五代光皇ラグナノールの即位によって終結を迎えた。天災と魔獣、そして、戦災に苦しみ続けてきたルオンノータルの人々の心の黄昏に、ようやく希望の暁が呼び込まれようとしていた。
竜の卵が孵るとき [ラグナノール戦記1]・終
完結にともない、題名を「竜の卵が孵るとき [ラグナノール戦記1]」と改題いたします。第二弾、「小さき花は古都に舞い [ラグナノール戦記2]」を予定しています。そちらの方も、よろしくお願いいたします。