表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の卵が孵るとき [ラグナノール戦記1]   作者: 猫吉
第五章 竜の卵が孵るとき
35/39

第6話

「いつまでこそこそと隠れているつもりだ!」


 ゼフィアスの苛立ちの極みに達した怒声とともに、ついに重厚な石の扉が砕け散った。濛々と立ち込める塵の隙間を縫って、ディセルバが反撃の電撃を二、三発ほど立て続けに打ち込むと、ゼフィアスの右へと回り込み、鋭い竜爪で襲い掛かる。

 ゼフィアスは慌てた様子もなく、無駄のない動きで、ディセルバの竜爪を風圧の壁を創り出して凌ぎ、その攻撃に合わせるようにして、同時に飛び出してきたシオンを、神剣で切って捨てようとした。しかし、爪を弾かれたと見たディセルバが、そうはさせじと己の長い尾を鞭のようにしならせて、足払いをかける。

 ディセルバの援護によって、シオンに致命傷を負わせるはずの一撃はわずかに逸れ、心臓を狙った剣先は、シオンの左肩の肩当てを吹き飛ばし、その肩にかすり傷を負わせる程度に留められた。


「ちっ!」


 煩い羽虫の一匹を殺す好機を逃したことに苛立ち、舌打ちするゼフィアスが体勢を整えるために、いったん剣を引く。そのわずかの一瞬。

 この一瞬を、シオンとディセルバは待ち望んでいた。かすり傷とはいえ、金属の肩当てを吹き飛ばすほどの衝撃を受けた左肩が、ビリビリとした痺れと痛みを訴える。が、それを無視したシオンは勢いをつけて飛び上がり、ゼフィアスの懐へと飛び込んだ。


「二流の剣士の腕なんか使うから怪我ぁするんだよっ!」


 たっぷりと皮肉を塗り込んだ台詞を言い放ち、シオンは元は自分の腕であったものに、鋭い斬撃を叩き込んだ。


 ごとり。


 実に呆気なく、生々しくも重々しい音が血飛沫とともに、戦場に響いた。


「……くそおっ!」


 右腕を切り落とされ、ぼたぼたと血が滴り落ちる傷口を押さえて、ゼフィアスが、ついに苦悶の呻きを上げた。

 神剣を使用するためにゼフィアスの腕に繋がれたシオンの腕は、混じりけなくシオンの、つまりは、人間の腕だ。魔獣の体質によって強化された聖天騎士の腕ではなく、何の強化も防御力もない、ごくごく普通の人間の腕のはず、だ。何の変哲もない人間の腕、そこを集中的に狙えば、もしかすると、傷を負わせることが可能かもしれない。

 自らの再生された右腕を見て、ふと閃いたシオンの思いつきは、万に一つの、いや、奇跡に近い賭けだったが、どうやら当たり目を引けたようだ。

 低く獣のごとき唸りを軋らせ、膝をついたゼフィアスの前に転がる神剣を、シオンはすかさず拾い上げ、床を滑るようにして離脱し、間合いを取る。

 冷やりとしているが握り込んだ柄は、長年使い込んできた剣のそれのようにしっとりと手に馴染む。

 四年前の忌まわしいグロイアルの一件以来、彼は神剣を嫌い、恐れまでした。しかし、これは、未だ会ったことのない実の父親、剣帝と自分を結ぶ唯一の絆であったのだ。長年の友のように手に馴染むそれに、シオンは静かに微笑み、囁きかける。


「目覚めろ、ガンダルヴァ。力の出し惜しみなんぞするな。最初っから、全力で行こうぜ」


 あのグロイアルの惨劇を引き起こした力を使うことへの躊躇いは未だある。が、しでかしてしまったことをなかったことにはできない。そう思うのに、四年もかかった。

 だったら、もう、踏み止まるしかないじゃないか。

 しでかしてしまったことを償っていくためにも、俺は、この圧倒的に不利な戦いを生き残る。これからは、償いのためにこそ、誰かのためにこそ、俺はお前を使おう。

 すう、と息を吸い込んで心のざわめきを沈めていく。彼の心に呼応するようにして、鍔の装飾がパカリと開き、眼球の意匠を模した宝玉が、眩い紫の光を放ってその姿を現す。どういう仕組みでか、剣の瞳がぎょろりと持ち手のシオンを見つめた。


 --承知シタ。主ヨ、存分ニ戦ウガ良イ


 以前聞いた声よりもやや滑らかな老人の声が、厳かに宣誓する。それと同時に、白銀の刀身が爆発したかのような白熱した輝きを帯びて、辺りを眩しく照らし出す。暗い石造りの室内に飛び込んできた太陽のごとき輝きに、ディセルバは、先ほど苦しめられたゼフィアスによる神剣の攻撃がいかに紛い物であったかを悟った。そして、これこそが真の神剣の姿なのだと理解する。

 シオンは最高潮の力を溜め込んだ神剣を大きく振り翳し、正面のゼフィアスに向かって容赦ない一撃を振り下ろした。


「行っっけぇええっ‼」


 シオンが放った真の神剣が生み出した衝撃波は、巨大な白亜の塔の一角を苦もなく吹き飛ばし、凄まじい轟音とともに、塔の堅固な壁が粉砕され、瓦礫が雪崩のように塔の遥か下方へと崩れ落ちた。


「……おのれ…………!」


 粉砕された砂礫の煙が消え去り、大穴の背後に遥かに広がる雲海が見え始めた頃、彼らの目の前に、紫銀の毛並みを纏った巨大な魔狼が姿を現した。


「……貴様ら、決して許さぬぞ。生きて地上に帰れると思うな……!」


 憤怒にギラギラと眼を光らせた魔狼が、再戦を告げる咆哮を上げた。






「ラグ様、お願いです。目を、覚まして」


 自らも冷え切って指先の感覚も薄れる中、ロセッタは水晶柱を背にして座り込んだ少年の体を抱きしめ擦り続けた。水晶の中の青年同様、少年もまた、瞳を固く閉ざしたまま、彼女の懸命な呼びかけに答えようとしない。が、この小さな体が完全に冷え切ってしまったら、最悪の事態を自分が認めてしまうようで、彼女は少年の体を擦る手を止められずにいた。小さな手を握りしめ、息を吹きかけ、何度も擦る。それを、いったい、どれほどの時間続けていただろうか。


「ロセッタ!」


 彼女を呼ぶ声に、ロセッタは振り返った。その声の主を見た途端、泣き腫らした彼女の目から、再び涙が溢れ出す。


「シェリル……。遅かったよ。ラグ様は、最期の最期まで、お前に会いたがっておられたのに」


 小さな体の胸元に大きな穴を開けた血塗れの少年の姿が、シェリルの瞳に飛び込んできた。悲鳴となって飛び出しそうな心の衝撃を辛うじて抑え込んだ彼女は、静かに愛しい子の許に歩み寄り、血塗れになるのも構わずに膝をつくと、力ない身体をそっと包み込むように抱きしめた。


「……最期まで、立派であられたよ。傷ついた体で、懸命にディスクード様に呼びかけを続けておられた」


 ロセッタの言葉を聞きながら、シェリルは、ラグの苦闘を物語る、少年が作った不規則に曲がりくねった血の川と、血の色の小さな手形がいくつもついた巨大な水晶の柱を見やる。その目は、やがて、冷たい水晶の柱の奥で瞳を閉ざし続ける青年に向けられた。


「偉かったね。頑張ったね。……でも、まだ、終わりじゃないよ、ラグ」

「シェリル……?」

「……終わりになんて、絶対させない!」


 だらりと腕を下げた少年を抱きしめるシェリルの決意に満ちた言葉に、ロセッタは訝しむ顔をした。

 ラグは死に、ディスクードは目覚めない。これが最悪の終わり方でなくて何だというのだ。シェリルはそんなロセッタに構わず、ラグの赤黒く染まった胸元に「竜の卵」をそっと置くと、少年の手を卵を抱くように組み合わせた。そうして、ゆっくりと語り掛ける。


「……思い出して、ラグ。あなたが何でできているのかを」


 シェリルは語り掛けながら、ひんやりと冷たい少年の手に自分の手を乗せる。


「あなたは死なない。だって、あたしは信じてる。シオンも、ディセルバも、あなたを信じて戦ってる。だから、ねえ、目覚めて、ラグ」


「止さないか、シェリル!もう、たくさんだ!もう、安らかに眠らせてあげて……!」


 ラグの遺体に語り掛けるシェリルの姿が、あまりに痛々しくて見ていられない。耐え切れなくなったロセッタが、シェリルを引き離そうと肩をつかむ。彼女はそれを強引に振り解いて叫んだ。


「目覚めなさい!黄昏に立ち向かう者ラーグナル・ノール!あたしたちが望む限り、あなたは死なない!あなたは…………!」



 ーーそう、僕は、人の希望。明日を夢見、未来を生き抜こうとする者たちの祈りでできているーー



 どこからか聞こえてきた声と同時に、ラグの腕の中にあった「竜の卵」が弾け飛んだ。そこから無数の光が解放されて、辺りを白一色に染め上げていく。激しい光の乱舞に巻き込まれたシェリルとロセッタは翻弄され、やがて、その姿も、景色も真っ白い光に飲み込まれていった。










 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ