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竜の卵が孵るとき [ラグナノール戦記1]   作者: 猫吉
第五章 竜の卵が孵るとき
33/39

第4話

 起きて。

 ねえ、起きてってば。風邪、引いちゃうよ?

 このままだと、凍えちゃうよ?

 ねえ…………。


 ……寒い。全身を刺すような冷たい冷気と、懸命に彼に呼び掛ける精霊たちの声とに、ラグは目を覚ました。


「……痛い」


 後頭部に残る鈍い痛みに顔を顰めつつ、ゆっくりと身を起こした少年は辺りを見回した。


「ここ、どこ?神殿?」


 そこは、ジャドレックの神剣神殿のように、神聖な何かを祀った建物の中のようだった。室内全体を覆い尽くし、彼の身にも付きまとう冷え冷えとした冷気が、厳粛な荘厳さをますます強く感じさせる。

 彼がいるこの広間を中心に、冴え冴えと美しい水晶柱が、一見、無秩序に、そして、無数に乱立し、しかし、それは、この先の祭壇らしき場所にある、一際大きい水晶を守るように配置されているようにも見えた。

 周りの水晶柱とは比べ物にならないくらい巨大な水晶の柱。その前に、彼をここへと連れてきた紫銀の髪の男が佇んで、柱に向かって何かを語り掛けていた。

 ラグは柱の奥に見えるものが何なのかを知ろうと、じいっと柱を凝視した。


「ディスクード!」


 巨大な水晶の柱の中には、シェリルから聞かされていた通りの黒髪と美しい容姿を持った青年の姿があった。少年の叫びに、水晶柱の中のディスクードはピクリとも応じず、彼の代わりに、紫銀の髪の男、ゼフィアスが振り返った。彼は水晶柱から手を離すと、ゆっくりとラグの許へと歩いてくる。


「……そうだ。あそこにおわすのがディスクード様だ。いつの頃からか、深い眠りに就いたまま、一向に目覚めてはくださらない。……なぜか、わかるか?」

「……なぜなの?」


 悲哀に染まるゼフィアスの冷たい氷色の瞳に、ゆらり、と狂気に揺らぐ灼熱の炎が宿る。あっと思う間もなく、男はラグの体を床へと叩きつけ、片手でも十分に余るほどに細い首をぎりぎりと絞めつけた。


「お前たち、雛のせいだ!お前たちは、あの御方を殺そうと、殺しても殺しても、何度も何度も、私の前に現れる!……断じて、光皇になどさせるものか。あの御方を、ディスクード様を殺し、光皇に成り替わろうとするおぞましいお前たちなどに……‼」

「あ、ぐ、ぁ……!」


 呼吸ができず、空気を切望する頭が、がんがんと頭痛を訴える。男の手から逃れようと必死に足掻くが、その手はびくともしなかった。視界が赤く染まり、手が弱弱しく宙を泳ぐ。

 死にたくない。せめて、せめて、シェリルが目を覚ましてくれるまでは。彼女とディスク—ドとの約束が果たされるまでは。

 しかし、必死な願いとは裏腹に、指先の辺りから感覚がだんだんとぼやけていくのを感じる。


「ひ…………ぅ」


 死というものを、目前に感じていたラグの首から、唐突にゼフィアスが手を引いた。ゲホゲホと激しく咳き込みながら、ラグの体は空気を体内に充填することに夢中になった。

 身体全体でゼイゼイと荒い息を繰り返し、ラグはゆっくりと頭を上げた。涙に霞んだ目に、ゼフィアスと対峙する人物が映る。その姿にラグは喜びと驚きの声を上げた。


「ロセッタ!」


 ゼフィアスは、突然現れた獣人の女と肩に突き立つ短剣とを見比べた。魔獣との融合体である聖天騎士の彼は、魔獣の体質を受け継ぎ、通常の武器では傷つくことがない。血が噴き出るのも構わず、無造作に短剣を引き抜いた彼は、それをつくづくと眺めて小さく笑う。


「甲殻魔獣の甲羅より削り出した短剣か。面白いものを使うな、女」

「ラグ様を返せ!」


 目の前の男に対する恐怖を押し殺して、次の短剣を構えるロセッタを、ゼフィアスはせせら笑いで見下す。


「能力のぎりぎりまで駆使して、高位の魔獣を使役し、この高みまで追いついてきたとは健気なことだ。良い部下を持ったな、雛よ。……だがな、私は獣人が嫌いだ」


 言葉も終わらぬうちに、目にも止まらぬ速さでロセッタの懐に飛び込んだゼフィアスは、彼女の鳩尾に拳を叩き込んだ。振るわれた拳の衝撃そのままに、ロセッタの体は床石に激しくぶつかって跳ね返り、鈍い音とともにゴロゴロと床を転がった。


「自力で生き残る力もなく、ディスクード様のご慈悲に縋って生き延びたお前たちが、私に歯向かうだと?笑わせるな」


 痛みで朦朧としながらも、それでも何とか起き上がろうと足掻くロセッタに、とどめを刺すべく歩を進めようとした彼の足に、ラグが必死に取り縋った。


「……やめて!ロセッタを殺さないで!」


 両腕で彼の足にしっかとしがみついて必死に懇願する少年に、ゼフィアスの頭がすう、と冷える。何かが彼の中で切り替わり、彼は感情のこもらぬ冷徹な眼を少年に向ける。


「……そうだった。お前を始末する方が先だったな」


 逃げることなど考える暇すら与えられなかった。がつっ、と襟首をつかまれたラグは仰向けに引きずり倒され、大きな手が目の前に覆い被さり、彼の頭を押さえつけた。

 バキリ。手近にあった細い水晶の柱をゼフィアスが容易く折り取ると、それは彼の手の中でパキパキと音を立てながら鋭い杭の形へと変化していく。押さえつけた手の中でこれから起こることに蒼白になって震えている少年を無感動に眺めながら、彼はその小さな体に杭を容赦なく叩き込んだ。


「…………!」


 水晶の杭は肉を貫く嫌な音を立てて、少年の胸元から背中へと一気に突き抜け、その体を床に串刺しにした。体中を何度も何度も駆け巡る雷撃のように強烈な痛みに翻弄されて、ラグは微かな呻き声一つすらも発することができなかった。

 抵抗どころか悲鳴一つ上げずに、じわじわと流れ出る自らの血の海に身を横たえた小さな少年の体を、ゼフィアスは何の感動もなく、冷めた目で見下ろした。

 大水晶柱をゆっくりと振り返れば、柱の中の唯一の主は、この凄惨な光景にあっても依然として瞳を閉じたまま沈黙を守り、ここまでして忠誠を尽くす彼に何一つ応えようとはしなかった。


「非情な御方よ。あとどれほどの雛を屠れば、あなたは目覚めてくれるというのですか……⁉」


 表情から一瞬冷酷さが溶けて消え、悲痛な心情を露わにした彼は、悲鳴めいた声で主を詰る。が、それでもやはり沈黙を貫く光皇の姿に顔を背け、逃げるようにしてその場を後にした。






 冷たい冷気の漂う中、自分を呼ぶ微かな声に、ロセッタは、はっと目を覚ました。ゼフィアスの攻撃を受けた後、気を失ってしまったらしい。

 ラグ様!少年の身を案じた彼女は、何とか起き上がろうとしたが、体を動かした途端に激痛が走った。どうやら肋骨が何本か折れているようだ。軋む痛みに抗って、彼女はようやく身を起こす。


「ロセッタ……」


 再び彼女を呼ぶ声がした。彼女が敬愛する小さな少年の声だ。しかし、それはか細く弱弱しいものだった。痛みに顔を顰めつつ、よろりと立ち上がり、彼女は体を引きずるようにして声のする方へと一歩一歩歩み寄った。


「ひ…………っ」


 弱弱しく微笑む少年を前にして、ロセッタは出かかった悲鳴を飲み込んだ。少年の体は胸のほぼ中央を無残に水晶の杭に貫かれ、床に縫い止められて横たわっている。背中からはじわじわと血の池が海となりつつあった。これは、もう……。戦士としての、狩人としてのロセッタの本能が、彼女に絶望を告げていた。


「……ロ、セッタ」


 呆然と立ち尽くすロセッタに、血塗れの小さな手が伸ばされる。致命傷を負った少年は、懸命に彼女を呼んでいた。はっと我に返ったロセッタは、がばりと膝をつき、その小さな手を己の手で包み込んだ。


「ラグ様!」


 歴戦の女戦士が頼りない子どものような心細い顔をして少年を覗き込む。ゼイゼイと荒い息を吐きながら、にこりと笑ったラグは彼女の手を握り返した。


「……ロセッタ、お願い、これ、外して…………」


 自らの身を縛り付ける杭を抜けと懇願するラグの必死の眼差しに、ロセッタは逆らえない。震える手で彼の血に染まった杭に手をかけ、それを引き抜こうと力を入れる。少し動かしただけでも新たな血がジワリと滲み出し、少年の顔が苦痛に歪む。床に突き刺さった杭はなかなか抜けず、ロセッタは何度も止めようと懇願したが、少年は承知しなかった。ラグは彼女に気を使わせまいと、襲い掛かる苦痛に耐えて、懸命に悲鳴を押し殺した。

 杭が抜けた。

 同時に、ぽっかりと開いた胸の大穴から血が流れ出し、激しい痛みがラグを襲う。だが、それを無視して、彼はよろりと立ち上がった。


「ラグ様!」


 無理だ。無茶過ぎる!ロセッタが悲鳴を上げた。彼女の予想通り、立ち上がった彼は、一歩すら歩けぬうちに、がくりと膝をついた。両手で押さえた口から、ごぼりと大量の血が溢れる。真白だった神官衣は、大量の血で完全に真紅に染め変えられていた。


「ラグ様!動いてはなりません!じっとして!」


 こんな酷い傷で動けること自体、いや、生きていること自体が奇跡である。しかし、取り縋ったロセッタの手を、ラグは振り払う。そうして、また、よろよろと立ち上がり歩き出す。


「ごめん……ね、ロセッタ。……でも、僕、行かなくちゃ……」


 わずかな距離でしかないのに、瀕死の少年に水晶柱はとてつもなく遠かった。何度も転び、這いずりながら、それでも少年は進むことをあきらめない。ようやく彼がディスクードの眠る水晶柱に辿り着いた頃、その後ろには、不規則に曲がりくねった血の川が出来上がっていた。

 乱れる息を荒く吐き出すと、ラグは水晶柱の胎内に眠るディスクードを見上げる。もうほとんど感覚を失ってしまった足を踏ん張り、なるべくディスクードの顔に自分を近づけようと、柱に寄りかかって、精一杯に手を伸ばす。透明な水晶柱に、ラグの血塗られた小さな手形がいくつもついていく。


「……ディスクード。僕……来たよ。シェルは、あなたとの約束を、守ったよ。……今度は、あなたが、約束を、守る、番だよ」


 水晶の中の青年は、しかし、彼の呼び掛けに答えることはなかった。ラグの必死な表情を前に、ただただ冷たい沈黙を返すのみ。


「目覚めてよ!……お願い、だから…………」


 変化のない水晶の中の光皇を前に、ついにラグは力尽きて、ずるずると床にへたり込んだ。柱に背を預けるようにして足を投げ出し、自分が作り出した血だまりの中にべちゃりと腰を落とす。その頭の上にす、と影が下りた。

 見上げれば、泣くのを必死に耐えているロセッタの顔がある。自分を気遣うロセッタに、ラグは今できるだけの精一杯の笑顔を向けた。いや、向けたつもりだった。

 しかし、心は偽れない。顔は笑いつつも、その瞳からはボロボロと大粒の涙が流れ出し、頬を伝う。


「……ごめんね、ロセッタ。……僕、光皇に、相応しく、なかった、みたい」


 嗚咽で切れ切れになった少年の謝罪に、ロセッタは静かに首を振った。涙と血に塗れた少年の顔を優しく拭う。


「……いいえ。あなたは誰よりも、光皇に相応しい御方ですよ。私は、あなたに出会えたこと、仕えられたことを感謝しております。……ラグナノール様」

「ロセッタ……」


 ふわりといい香りがして、ラグはロセッタに抱きしめられた。その温かさに、ラグは、この世界で一番大切に想う娘のぬくもりを思い出す。


「僕ね……、もう、一度だけ、シェルに、会いたかった…………」


 彼女の腕の中で微笑んだ少年の頭が、力なく、ことり、と彼女の肩に落ちる。


「……ラグ様?ラグ様っ⁉」


 返答はない。慌てて体を引き離し、何度も少年の名を呼ぶが、返事は返ることなく、小さな体は徐々に冷たくなっていく。小さな少年の体を抱きしめ、ロセッタは魂の底からの悲鳴を上げた。










 

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