第2話
「いやああああああっっ‼」
あの子が!あの子が!あたしの、あの子が‼
殺された!殺された!殺されてしまった‼
あたしの、あたしの、愛しい、愛しい……!
「……どうか、落ち着いて。あれは、過去の出来事だ。君のラグナノールではない」
静かな、あくまで冷静な声に諭されて、錯乱し混乱していた彼女の意識が徐々に収まっていく。
あたしは、誰ぁれ?あたしは……。
落ち着いていくにつれ、意識もまたふわりと浮上を始める。ぼんやりと目を開けるが、視点がうまく定まらない。先ほどの眩しいばかりのサンルームと、この薄暗い空間との明暗の落差に、目が慣れていないためのようだ。彼女は目をゴシゴシと擦った。
「……ここは、どこ?」
薄暗いどんよりとした灰色の天井が目の前に広がり、体を横たえる地面は冷たくもなく暖かくもない、のっぺりとした床の感覚を背中から伝えてくる。
「……あたし、どうなっちゃったの?」
「一時、危なかったが、ディセルバが機転を利かせてくれて、君を助けることができた」
「ディセルバ……?どこかで聞いたような……」
「君も良く知っている黄金の竜がいただろう?あれと融合し、聖天騎士となった男だ」
聖天騎士⁉それって、確か、吟遊詩人の謳う最強の戦士の称号じゃなかった?事態が自分の知らないうちに、どんどんとすごいことになっているらしいことに、シェリルは頭を抱えた。
それに、この声。彼女の質問に次々と答えてくる、この声の主は誰だ。一人ではない、複数人。しかも、そのよく通る響きはどれも微妙に似通っていて、なぜか、どこかで聞いたことのある声のような気がした。
やがて、シェリルの目が慣れてきたのを見計らってか、彼らの一人が進み出て、彼女の顔を覗き込むようにして身を屈めてきた。
「あ、あなた……!」
驚きで言葉が続かないシェリルに、彼は薄く笑みを浮かべた。
「ディスクー……ド?」
そっくりではあるが、どこかあの青年と違うと感じたシェリルは、語尾を濁す。そんな彼女に彼は優しく手を伸べて、その身をそっと助け起こす。
「……いや。初めまして、だ、シェリル。と言っても、私を含めた後ろの連中は、皆、君のことを知っているがね。私は、ラグレイン。初代光皇と呼ばれた者だ。そして、私の後ろにいるのが、ディスクードを除いたかつての光皇たちだ」
ディスクードにそっくりの面差しをした青年は、驚くシェリルに背後の人々を紹介する。顔を向けたシェリルはさらなる驚きに目を瞠った。
彼の言葉通り、大勢の青年たちが彼女を見守っている。目の前のラグレインも含めて、人数は全部で十三人。髪型、年齢、服装が微妙に異なるものの、艶めく漆黒の髪の色、翡翠の瞳の色、顔つき、体つきですら全員似過ぎるほどに似ていた。二人ならともかく、十三人もそっくりだなんてあり得ない。
「ラグにあれほど深い愛情を注いでくれている君に、我々は言葉に尽くせぬほど感謝しているのだよ」
ラグレインの言葉に応えるように、若者たちはシェリルに深々と頭を下げた。ルオンノータルの歴史を支えてきた伝説の存在たちにそんなことをされて、シェリルはなんともこそばゆいというか、居心地の悪い思いをした。
「や、やめてください。あたしは、ただラグが幸せになればいいって、ただそれだけで、何にも考えずに突っ走っていただけだもの」
彼女の言葉に、光皇たちは、皆、一様に憂いを含んだ寂しい表情を作った。
「君のように他人のことを自分のことのように考えられる人間が、今のルオンノータルにいったいどれほどいるだろうね。悲しいことに、それほど、この世界は荒廃してしまった」
「……あの人、ゼフィアスが原因なんでしょう?」
「光皇の世代交代を妨げている彼が、荒廃の最も大きな原因なのは確かだ。……しかし、私たちは一概に彼を責めるわけにはいかないのだ」
ラグのような幼い光皇の雛を無残に殺し続けるゼフィアスを、一番憎んでいるはずの彼らが、なぜ、彼らを庇うようなことを言うのか。
「ゼフィアスのしたことは、どの光皇と聖天騎士にも起こり得ることなのです」
彼女の心の不信を見透かしたかのように、光皇の一人が答える。
「いや、ディスクードの罪と言う方が正しい。彼は彼の主として、ゼフィアスが心の均衡を崩すほどに彼に依存し、思い詰めていたことに気づかなくてはならなかった」
「別れなど告げずに、黙して死んでいくべきだった」
断罪人のように、彼らは厳かにディスクードの過ちを指摘する。それを静かに制して、ラグレインはシェリルを見た。
「人の一生は短い。長くておおよそ六十年前後、か。私たち光皇でも二百年から五百年といったところか。長い命など空しいものだよ、シェリル。かけがえのない友人が、臣下が、次々と亡くなっていくのを看取らなくてはならないのだから」
そこまで述べたラグレインは、いったん、言葉を切って立ち上がった。
「……しかし、私たちより聖天騎士の方がもっと辛いだろう。彼らは魔獣と融合したために、魔獣と同じ時を生きる。千年近い永劫ともいえる時間を、我々が死んだ後も、たった一人、ね」
「……その辛さに耐えかねて、光皇とともに死を選ぶ騎士もいる」
ぽつりと別の光皇が呟いた。慰めるように隣の光皇が、その肩に優しく手を置く。
「契約だけではない、人間と異なる時間を過ごす者同士だからこそ、光皇と聖天騎士の絆は深く強いのだよ」
幼い頃に両親を失ったシェリルは、残された者の辛さを身をもって知っている。だから、彼らがゼフィアスの行いを声高に責められない理由もまたよくわかった。
「……兄上」
髪の長い光皇が、ラグレインを促す。それに頷き返したラグレインは、再び、シェリルの手を取って立ち上がらせる。
「おいで。君が体に戻る時が来た。その前に、君に私たちの知識を伝えたい。……そして、果たしてもらいたい使命がある」
「使命……?」
「おそらく、君のラグは殺されるだろう。彼はゼフィアスに見つかってしまった」
ラグレインの非情な言葉に、シェリルは、はっ、と息を飲んだ。
「……すまない。だが、雛はまた現れる。その雛を君に託したい。ある程度まで成長し、我らの知識を君が伝えてくれれば、ノルティンハーンに行かずとも、自力で光皇になれる可能性がある」
「……いや」
「シェリル!」
「いやよ‼」
ラグレインが悲痛な叫びを上げ、シェリルは彼の手を乱暴に振り払った。他の光皇もまた、驚きに目を瞠る。ここまで頑張り抜いた彼女にこそ、彼らは未来を、世界の命運を託せると信じていたのだ。
「あの子を取り換えの利く道具みたいに言わないで‼」
シェリルの鋭い叫びが、光皇たちをびしりと打った。
「あたしは、ラグをディスクードに会わせるために頑張ってきた。他の誰かでもいいなんて、思ったことない!ラグは絶対に殺させたりしない‼」
光皇たちをも一瞬怯ませる強い眼差しを向けたシェリルは、ラグレインの胸板を、ドン、と叩いた。
一つ、さらに、もう一つ。ラグレインの胸板を叩く彼女は、いつしか、その手を止めると、声を張り上げて泣き始めた。
ラグは、よく泣く。シェリルは、泣かない。
ラグの性格は、シェリルの性格を基にして形成されている。光皇の雛は、形成主に出会う前は、自我がない。形成主と出会い、その感情に触れることで、その人間の本質を自我として育んでいくのだ。ならば、ラグの涙腺の緩さは、元来、シェリルのものであるということ。それなのに、なぜ、違うのか。
それは、経験の差である。彼女が滅多に泣かないのは、数多くの経験を経て我慢を覚え、耐えることを覚え、それを隠すことが上手になったからに他ならない。
しかし、彼女の涙は今、そんなものを乗り越えてしまった感情の高まりによって溢れ出していた。
泣き止まない彼女にされるままにさせていたラグレインは、やがて、優しく微笑むと、小さな子をあやすように抱きしめた。
そうして、彼は思い出す。遠い遥か昔に愛したものを、信じたものを。
ああ、そうだった。これこそが、我々の愛した人間の姿だった。
遠い愛しい昔を懐かしんで閉じた翡翠の瞳を再び開いた彼は、他の光皇たちを振り返る。彼らもまた、彼と同じように微笑んでいた。
「泣かないで、シェリル。ディスクードが君を選んだ目は確かだったようだ。……ラグを救おう。そして、止まってしまった時の呪縛から、ルオンノータルを解き放とう」
ラグレインの言葉を合図に、光皇たちの額に宿る紋章が、白銀の強い光を帯びた。彼らは手と手をつないで輪になり、中央に光り輝く空間を創り出す。
「さあ、この中へお入り。すべて、とはいかないが、わたしたちの知識を受け取ってほしい。でないと、ゼフィアスには到底太刀打ちできないからね。目が覚めたら、君は自分の体に戻っていることだろう」
彼はシェリルの手を引いて、光の輪の中へと彼女を導いた。輪に入ろうとする寸前、彼女は何気なく、気になっていたことを尋ねた。
「あなたたちは、皆、同じなのね。姿も、声も、なにもかも。どうして?」
彼女の問いに、ラグレインは笑って答えた。
「……私のこと、嫌いになれるかい?」
彼女はきょとんとして、次にぷるぷると激しく首を横に振った。こんな綺麗で優しい人を、いったい誰が嫌うというのか。周りの光皇たちも、ラグレインと同じようにくすくすと笑っている。
「つまり、そういうことなんだ。私たちはそういうふうにできているんだ。君たち人間が最も好ましいと思う姿にね。だって、私たちは…………で、できているのだから」
そう言うと、ラグレインは彼女を眩い光の輪の中へとふわりと投げ入れた。
過去と真実が明かされる回でした。物語の感想、意見、お待ちしてます。