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竜の卵が孵るとき [ラグナノール戦記1]   作者: 猫吉
第四章 狂王子の帰還
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第5話

「せ、聖天騎士、だと……?」


 静まり返った場の中で、誰かがようやく絞り出した掠れた声で呟いた。


 聖天騎士。


 それは光皇の側に常にあり、尊き御身を何人からも守護し給う、とされる人間種最強の戦士であり、世界最高の武人の称号である。人の身でありながら、魔獣のごとき強大な力と鋼の肉体を持つという、光皇なき今では、伝説の彼方に消え去ったはずの存在。それが彼らの目の前にいるというのだ。


「……しょ、証拠が、どこにあると言うのだ」


 イゼリア公の側に控えたダルグリシュが、震える声でそれでも抗う意思を見せる。


「この神殿をぶっ壊してもいいなら、お前らと一戦交えて証拠としようか?ただし、俺は手加減が苦手だ。やるなら命懸けでかかってこい」


 相手を挑発する物騒な台詞を吐く男の瞳が、気のせいか、琥珀色から黄金の色へと変化したように見えた。その瞳の奥に、最強の魔獣種、竜種の獰猛な輝きが宿ることに、シオンは気づく。

 あれは間違いなく、かつて、ラグと暮らしていた黄金の翼竜そのものの眼だ。が、しかし、魔獣が人間の姿をとるなんてことがあり得るのか?

 混乱するシオンをよそに、ラウルから絶大なる恐怖を伴う黄金竜の気配が放たれて周囲を圧し、最強の魔獣の気配を、そうとは気づかずとも肌で感じ取った人々は、ジルナーシュ派、リュシオン派を問わず、恐れをなしてじりじりとラウルから離れようと後退去った。


「詐欺師どもが、コケ脅しをしおって……!衛兵、何をしておる!その無礼者たちを即刻この場より追い出し、反逆者として投獄しろ!」


 ガツンッ。机を叩く音とともに、とうとう怒りを顔に出したイゼリア公の怒号に、一連の騒ぎで凍りついていた衛兵たちがあたふたと動き始めた。それに合わせ、ベセルドたち、リュシオン派の将兵たちも一斉に腰の剣に手をかける。もはや、一触即発の事態に流血沙汰は免れないと誰もが思う中、厳かな声が響いた。


「見苦しいぞ、イゼリア。一同の者も剣を収めよ」


 祭壇の奥、神剣の間から、国王ヴィルカノン三世自らが、王妃とジルナーシュ王子を伴って現れた。慌てた一同が、一斉に王に片膝をつき最敬礼を行う。王は鷹揚に手を伸べてそれに応え、視線を黒髪の少年ラグとラウルに向けると、柔らかな微笑みを浮かべた。


「光皇陛下、聖天騎士殿。事情はジルナーシュより聞き及びました。余が至らぬばかりに、とんだ醜聞をお見せした。お許しを」


 頭を下げようとする国王を、ラグが慌てて押し留める。


「いえ、あの、それじゃ、シオン、いえ、リュシオン殿下の無実を認めてくれますか?」

「修行に出したは、世間に出て見分を広めよと、余の命令あってのこと。リュシオンに罪などありませぬ。むしろ、陛下のお力になっていたこと、それを誇りに思わぬ親がどこにおりましょうか」


 国王の言葉に、ラグは、安堵のあまり、はあああ、と深く深く息を吐き出す。ようやく緊張感から解き放たれた彼は立っていられずに、ぽすん、とラウルに寄りかかった。リュシオン派の人々も、ほっと胸を撫で下ろす。


「もとより、王太子位はリュシオンと定めている。……ジルナーシュよ、これを抜いて見せるがいい」


 国王が差し出したのは、黒塗りの鞘に収まった十字型の剣だった。控えていた一同が大きくざわめく。それは、王家に仕える者ならば見間違うはずのない、彼らが信奉して止まぬ剣帝の剣、神剣ガンダルヴァであったのだから。

 堪りかねたようにカーナルクが、王の前に進み出て懇願する。


「恐れながら申し上げます!ジルナーシュ殿下の剣授の儀は、明後日のはず!今この場でとは、儀式を無視した上に、あまりに早急な……!」


 実を言えば、カーナルクには密かに企てている目論見があった。長いジャドレックの歴史の中で、神剣に認められし者はごくわずか。シオンが成功している今、ジルナーシュまでが認められる可能性は低い。それ故、偽物を用意し、それを剣授の儀で使用しようと画策していたのだ。今、ここで王に勝手なことをされては、計画のすべてが水泡に帰す。


「構わぬ。抜くがいい、ジルナーシュ」

「陛下!」


 再度のカーナルクの制止をすげなく無視した国王から、ジルナーシュがおずおずと両手で捧げ持つようにして神剣を受け取る。

 一同の視線が、弱冠十二の王子に集中する。こくり、と唾を飲み込んで、小さな王子は左手に鞘を、右手に柄を握りしめ、ぐっと力を込めて剣を鞘から引き抜こうとした。が、剣と鞘は、まるで元から一つのものででもあるかのように、ピタリとくっついてびくともしない。何度もジルナーシュは挑むが、結果は同じだった。

 落胆のため息と安堵のため息が、辺りを密かに交錯する。


「……やはり、か。リュシオン、来るがいい。神剣を抜いてみよ」


 拒否する間もなく王の前に連れ出され、ジルナーシュから神剣を手渡されたシオンは、震える手で柄に手をかける。二度と触れたくないと思っていたのに、彼の右手はそれに反して、待ちかねたかのように柄を強く握りしめていた。


 ーー久方ブリダナ、主ヨ……。


 錆びた金属を擦り合わせるようなギシギシとした声が、頭に響く。それと同時に、鍔の飾りがカチリと小さな音を立てて動き出す。その動きはまるで人間が瞼を開く様に似ていた。開かれた瞼の奥から眼球を模したような紫色の瞳孔を持つ宝玉が姿を現す。宝玉は自ら淡い紫の光を立ち昇らせ、やがて、剣全体を淡く厳かな紫の光が包み込む。

 光がさらに強まる中、シオンは刀身をゆっくり鞘から抜き放った。宝玉の輝きを凌ぐ刃に宿る美しい白銀の輝きが眩く煌めき、薄暗い神殿内を照らし出す。

 まるで神話の一場面のような壮麗な光景に、若い将兵の一人が、シオンを讃える言葉を呟いた。それをきっかけにして、リュシオン派の人々が喜色を浮かべて口々に彼の名を讃え、大きな唱和となっていく。

 だが、それは剣の切っ先のように鋭いイゼリア公爵の言葉によってかき消された。


「たとえ神剣が認めたとしても、リュシオンが王になどなれるわけがない!」


 この場のすべての者の目が、イゼリア公に向けられた。ギラギラと血走った眼と壮絶な表情から、事が成らなかったせいで、気が狂ったかと思う者さえいた。しかし、彼はその血走った眼を王妃へと向け、最後の切り札を切った。


「リュシオンは、国王陛下の御子ではない!そうおっしゃいましたな、王妃!」


 突然の名指しを受けて、王妃はぎくり、と体を硬直させた。皆の視線が一斉に、今度は王妃に襲い掛かる。美しく誇り高い名門貴族出の才媛。誰もが褒めたたえる理想の王妃。が、その彼女が唯一ままならぬのが、王位の継承問題だった。自らの息子ジルナーシュよりも、シオンの方を後継者として推す王に、幾度となく抗議していたこと、シオンを毛嫌いしていたことは、誰の目にも明らかだ。だからこそ、これも、それゆえの根拠のない誹謗中傷であると、誰もがそう納得しようとした。


「なにを馬鹿なことを……」


 シオンの隣に来ていたフィルダートが、人々の気持ちを代弁するかのように否定を口にする。気のせいだろうか、その声はやや掠れていた。しかし、そんなフィルダートの態度が、王妃の心に憎悪の炎を激しく燃え上がらせる結果となった。


「お前が……。お前が、それを言うか!バルザック・ヴァン・フィルダート!お前が、あの尻軽な女をしっかりと捕まえておかぬから、そこの、どこの馬の骨ともわからぬ男の種が、王位を簒奪することに……‼」

「リリアナ‼」


 痩せ衰えた体から出されたとは思えぬ、王の激しい怒声に、王妃ははっと我に返る。彼女は、王を、そして、呆然とする人々を見、自分がとんでもないことを暴露してしまった事実に蒼白になり、よろよろとよろめいた。それを慌ててジルナーシュが支える。


「……フィルダート、俺は、いったい、誰の子だ?」


 冷静であれ、そう彼に説いてきた男が、シオンの言葉にひどく狼狽した表情を浮かべた。実際、彼の顔はきっとフィルダートが狼狽するほどのひどい表情をしているだろうことは、自分でも笑いたくなるほどに想像できた。だが、心が、そう、心が表情にまで手が回らないのだ。……凍りついてしまって。

 凍りついた心は、いろいろな過去の場面を彼に映し出す。優しいがどこか他人行儀な父。執拗に自分を憎む王妃。フィルダートや乳母、そして、大神官が投げかける複雑な感情が入り混じった視線。凍った記憶の断片を振り返れば振り返るほどにおかしい、と思う。そうして、結論付ける。

 結局は正しいのだ。イゼリアの、そして、王妃の言うことは。では、俺は、いったい、誰の?


「俺は、いったい、誰の子なんだ?」


 シオンは掠れた声で再度、同じ質問を繰り返した。しかし、それに対して誰も答えようとはしない。シオンの目が、すうっとそれを答えることのできる最も最適な人物へと移動した。視線の先の国王は、病み衰えた顔に苦渋に満ちたものを湛えて彼を見つめていたが、口を開こうとはしなかった。

 ここに至って、疑惑が真実だと悟り始めた人々が、王を憚りながらもさわさわと嵐の予兆に怯える木立のようにざわめいた。そのざわめきが、シオンをむかむかと苛立たせる。


「こんな剣のために、俺を十八年も騙してきたのか⁉答えられよ、父上、いや、ヴィルカノン三世!」


 周りの視線、渦巻く不信感、すべてに耐え切れなくなったシオンが激高のあまり、神剣を床に叩きつけた。その不遜極まりない行為に、誰もが息を飲む。


「殿下!お静まりください!」

「うるさい!黙れ、フィルダート!お前だって、俺を騙していたんだろうが‼」


 荒れ狂う激情のままに声を荒げるシオンに、とうとう国王が重い口を開いた。


「……こうなっては、もはや、リュシオン一人に語って収まる問題ではあるまいな。しかし、まさか、このような大勢の前で語ることになろうとは…………」


 国王は長く深いため息をつくと、思いもしなかった展開にハラハラしている黒髪の少年を見やった。


「光皇陛下」

「は、はいぃ⁉」


 一瞬、自分が呼ばれたのだと自覚がなかったラグは、慌てて顔を振り向けた。緊張しきった少年に、国王は軽く微笑んで頷く。


「これから語ることは、貴方様にも関係のあることでございます。……また、皆の者も心せよ。これから語ることはジャドレック王家の秘事である。本来、聞いてはならぬことゆえ、他言は無用。胸の内に収めるよう、しかと肝に命じて聞くが良い」


 王は軽く瞳を閉じた。彼の脳裏に鮮明に蘇るは、今からおよそ十九年ほど遡った過去の時代に咲いた、一つの恋の物語であった。










 

王妃様、若かりし頃、悪役令嬢、やってました。

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