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竜の卵が孵るとき [ラグナノール戦記1]   作者: 猫吉
第四章 狂王子の帰還
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第2話

 隣室へと通じる扉を開けると、天蓋付きの大きな寝台の上に、物言わぬ姿となったシェリルが、「竜の卵」である白い球を抱いて昏々と眠っていた。その横で、寝台に頬杖をつきつつ黒髪の小さな少年が、無言のまま彼女の眠りを見守っている。

 シオンの訪れに気づいたギーが、親愛の喉音をゴロゴロと微かに鳴らすが、物思いに耽っているらしい少年は、まだ彼の来訪に気づいてはいないようだった。


「……もう、痛くないか?」


 かなり驚いたのか、飛び上がりそうなほどにビクッと反応したラグが、シオンの方に振り向く。その微かではあるが怯えがちらついた顔に、先ほどの反応がやはりただ驚いただけではなかったことに、シオンは気付く。

 ベセルドの手配した術士によって速やかに癒されたとはいえ、傷を受けた痛みと恐怖は、消えることなく経験として心に刻まれる。一時の激情を抑えることのできなかった己の未熟さをシオンは悔いた。

 彼は壊れ物でも触るかのように、おずおずと少年の頬に手を伸ばした。頬に置かれた手にそっと小さな手を重ねたラグは、顔をやや下に向けて、低い声で、ぼそ、と呟く。


「……殺しちゃえばよかったのに」

「何?」


 ラグの言葉にシオンはぎょっとした。そんな彼を今にも洪水を起こしそうに潤んだ翡翠の瞳が見上げる。


「殴って、殴って、殴り殺してよかったんだ!あの男も、シェルをこんな目に遭わせたのも、みんな、みんな、僕のせい……、あっ⁉」


 激情のままに叫んでいたラグは、シオンに乱暴に胸倉をつかまれ、ぐい、と持ち上げられたために、言葉を中断させた。


「あ……、く、う……、シ、シオ……ン?」


 胸倉をぎりぎりとつかみ上げられ、つま先もつけない宙ぶらりんな体勢でまともに呼吸ができないラグが、苦しげな声を切れ切れに上げる。シオンの青灰色の瞳が冷たい色を帯びて、すう、と細められる。


「殺したら、あいつ、喜ぶのか?」


 途端、ビクッ、と雷にでも打たれたかのようにラグの体が大きく跳ねた。二重の大きな瞳がますます大きくなって、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。


「よっ、よろ、こばない。喜ぶわけ、絶対に、ないぃぃぃっっ‼」


 鼻水と涎のおまけまでつけての大絶叫に、シオンはぱっと手を放す。途端、支えを失ったラグの体は、どたんっ、と大きな音を立てて床に尻もちをついた。


「何事……っ!ちょ、お前、シオン!ラグ様になんてことを……!」


 ラグの絶叫と大きな物音とに慌てて扉を開けたロセッタが、顔をぐしょぐしょにしたラグの姿に絶句する。飛び出そうとする彼女を、ラウルが静かに押し止める。


「……はぁ、ったくよお、お前がしっかり躾とかねえから、俺が苦労するんだぞ、聞いてんのか、こら」


 呆れた顔でため息をついたシオンは、寝台に眠るシェリルに愚痴る。


「シェ、シェルを悪く言わないで!……痛っ!」


 顔を袖でごしごしと拭って立ち上がったラグが、抗議するようにシオンに手を伸ばす。その額をシオンがびしりと指で弾いた。悲鳴とともに額を押さえてよろよろと一、二歩下がったラグは、痛みに涙目になりながらもシオンを睨み返す。その勝気な眼差しは、確かに、ラウルの言う通り、シェリルに似ていた。


「……なあ、ラグ」

「ひぅっ!」


 ぬうっと伸ばされた手に、また、なんかされる!と思ったラグは咄嗟に頭を庇って身を固くした。が、その手は、ぽん、と柔らかく少年の頭に乗せられただけだった。


「シ、シオン?」


 恐る恐る見上げると、シオンはにやり、と笑っていた。


「お前って、何でできてるんだろうな?」

「ぼ、僕は…………」


 ラウルに言われた、その言葉。しかし、自責の念で心がいっぱいいっぱいになり、押し潰される寸前だったラグに答えなど見つけられようはずがなかった。突然、果たさなければならない課題を突き付けられ、陸に上がった魚のように口をぱくぱくさせるラグの頭を、ぐりぐりとよろけるくらいに強くシオンが撫でる。


「余計なこと悩んでる暇なんかねえぞ。さっさと答えを見つけろ。……こいつ、きっと褒めてくれるぜ?「すごいじゃない。さすがあたしのラグだわ!」ってさ」


 シェリルの口調を真似た途端、ラグの頬にぱあ、と赤味が差す。まったく、単純で素直なとこまで、こいつそっくりかよ。眠るシェリルとラグとを見比べて、シオンはたまらず、くつくつと笑いを漏らした。


「うん、僕、頑張る!絶対、答え見つけて、シェルを助ける!」


 俄然、張り切りだしたラグの様子にほっとしたロセッタは、ラウルに促されて隣室へと姿を消した。ぱたん、と扉が閉められ、部屋には再びシオンとラグ、そして、シェリルだけとなった。


「……昔、自分に与えられた力に自惚れて、何万もの人間を殺しちまった馬鹿なガキがいる。そいつに比べりゃ、お前の失敗なんかたいしたこたあねえ。心配すんな」

「……シオン」


 過去のことを語っているのだ、と聡い少年は感じ取った。そして、もうひとつのことも。


「……僕のこと、初めて、名前で呼んでくれたね?」

「うん?ああ?そうだったか?」


 今頃気づいたらしく意外そうな顔をするシオンに、ラグはふと、シェリルの呟きを思い出した。ああ、そうか。あの時の彼女の言葉に含まれた感情の意味が、今なら彼にも少しわかる気がする。

 

「シオンて、不器用な、人?あっ、痛っ!」

「……余計な事ばっかり覚えやがって」

「殿下」


 ラグの頭にごすっと手刀を落としたところで扉が開き、今度はベセルドの硬質な声がかかる。


「陛下がお会いになりたいそうです」

「……そうか、わかった」

「シオン、ありがとね」

「……おう」


 笑顔の戻ったラグの頭をクシャリと撫でて、シオンは部屋を後にした。







 やせ細った身体には不釣り合いなほど大きく見える寝台に、穏やかな細面の初老の男が枕に上体を預け、彼の見つめていた。以前よりますます瘦せ衰えたように見えるが、その青い瞳は、かつてのままの威厳と親愛に満ちていた。


「……久しいな。見違えるほどに逞しくなった。フィルダートの勧めで修行に出したことは、無駄ではなかったらしい」

「は……」


 父の言葉に、シオンは何と答えて良いものかわからず、深々と頭を下げた。グロイアルを滅ぼしてしまった罪の意識に苛まれ、重荷から逃げ出したくて、何も考えられずに国を飛び出した。修行、などと苦し紛れの説明がまかり通っていることの方がどうかしている。

 しかし、彼のそんな複雑な心境に、病んだ父王は気付かない。厳しく優しい父。が、この父が彼の心中を理解してくれることはないだろう。それほどに二人の間は隔たっていた。


「あまり、この父に心配をかけるな。お前には期待しているのだから」


 シオンは無言で頭を下げると、いたたまれずに早々に部屋を辞した。これ以上、病んで気弱になった父王を見ているのが苦痛だった。


「殿下」


 退出した先の廊下では、灰色の軍衣に身を包んだ、壮年の銀髪の男がぴしりとした隙の無い姿勢で彼を待っていた。そろそろ初老、と言ってもよい年齢の割に、骨太のがっちりとした鍛えられた体躯は、彼の経歴が軍で培われた以外にあり得ぬほどに、彼は武人そのものを体現していた。


「俺が修行の旅に出ただと?お前が考えつきそうなことだな、フィルダート」

「……さぞ、私のことを恨んでおりましょうな」

 

 最後に見た時よりも皴の増えた男がほろ苦い表情を作る。男は、バルザック・ヴァン・フィルダート。この国の公爵位を持つ者であり、ベセルドの伯父。そして、現在は一線から退いているものの、かつては近隣諸国に剣鬼と恐れられた将軍で、シオンの後見人を務め、剣の師匠でもあった。

 広く長い、無人の静寂に満ちた廊下を二人は無言のまま歩き出す。二人の脳裏には、四年前の悲劇が鮮明に蘇ってきていた。

 初陣に勇み立つシオン。それを微笑んで見守るフィルダート。もうすでに上で話のついている、小競り合い程度で済む小さな戦のはずだった。しかし、状況を楽観視していた彼らの運命は、神剣によって大きく狂わされる。

 城壁内に立てこもる抵抗勢力に、降伏を求める。そのための軽い示威行為として、シオンは神剣を振るった。

 たったの一振り。それが惨劇の始まりとなった。

 誰もが想像だにしなかった威力を発揮した神剣の力は硬い岩盤と聳える城壁を打ち砕き、その衝撃は大津波を引き起こした。敵も味方をも巻き込んだ大災厄が過ぎ去った後、気付けば、海商都市として西方近海の商業を支えていたグロイアルは、立てこもった住民ごとそのことごとくを海に引きずり込まれ、水中へと没してしまっていた。

 都市の象徴であった鐘突き堂が恨みがましい音を響かせ、ゆっくりと倒壊し水没していく様を、シオンは決して忘れることができない。


「……いつまでも逃げていては、何も始まりませぬぞ、殿下」

「……わかっている」


 逃げ場など、生きている限りどこにもありはしないことを、彼はこの四年間で、知り過ぎるほどに知ってしまっていた。










 

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