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竜の卵が孵るとき [ラグナノール戦記1]   作者: 猫吉
第四章 狂王子の帰還
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第1話

 西方に覇を唱える大国ジャドレックの王都ホルデアークは、まだこの国がほんの小国だった頃から、遷都することなくこの地に据えられている。

 北部に広がる広大な草原から流れくる水豊かな川面を見渡す一際高い丘の上に王城を構え、その周囲を街地が放射状にぐるりと取り囲む。

 相次ぐ戦乱に幾度と耐え、七百年の間には様々な改築が繰り返され、創建当初の面影を残すものは探す方が難しい。が、七百年もの長き歳月を不落で過ごしてきた大都には、今もこの地のどこかに古の英雄・剣帝が臥し、今なお王都を守護し給うのだと、人々は固く信じていた。

 その揺るぎなき不落の大都は、長らくその姿を現さなかった王太子リュシオンの帰還という、突然の一報に大いに揺れていた。彼の不在によって、一応の落ち着きを見せていた後継者争いが、再び勢いを得てくすぶり始める様相を見せ始め、そここに大きな波紋を呼び起こしていた。


「なぜ、今頃になって、のこのこ帰ってくる!どこぞで野垂れ死にでもしておればよかったものを……!」


 この場でなければ不敬罪に問われかねない暴言を吐いたのは、イゼリア公の甥に当たるダルグリシュ子爵である。ひょろりと細く、いかにも文官という風情の彼は、ベセルドをはじめとする武を重んじる一派から軽んじられていた。シオンが出奔し、リュシオン派が劣勢になったのをいいことに、軍の人事にまで口を出すようになっていたが、ここで軍の連中が一気に息を吹き返すようなことになれば、最も反発を受けることは必至の立場にいた。

 ゆらゆらと蠟燭の灯が揺れる薄暗い室内以上に、物憂げな表情で黙り込んでいるイゼリア公の館には、彼の甥ように、シオンの帰還に恐々とする面々が顔を揃えていた。


「まったくだ。しかも、この大事な時期に……」


 神剣神殿司祭長を務めるカーナルクが、頭を抱える。陰気な顔でそれを眺める彼らの頭目たるイゼリア公も、なぜ、今この時期に、と心穏やかではいられなかった。


「本気で、王や弟君のお命を奪いに戻ってきたのかもしれぬぞ。いや、王族すべてを皆殺しにする気かもしれん」


 前国王弟である老エントウッド候のしわがれた声に、皆がざわめき出す。


「いくら狂王子だとて、そこまでするとは……」

「味方をも危険に晒すような男だぞ!疑ってかかるべきだ」

「聞けば、ともに妙な連中もついてきて、フィルダート公爵ゆかりの屋敷にて逗留しておるとか。王子が帰還したとあれば、あの口うるさい男がいつまでも大人しくしているとは思えん。早々に手を打たねばなりませんぞ」


 クライフ伯爵の言葉に、彼らはリュシオン派の先鋒たるフィルダート公爵の武人然とした無骨な顔を思い浮かべ、一様に苦い顔をした。

 やがて、皆が勝手なことを言い合う間、沈黙を貫いていたイゼリア公が、威厳ある重厚な声音をともなって口を開いた。


「諸君。取り敢えずは、七日後に迫ったジルナーシュ殿下の剣授の儀が恙なく行われるよう、全力を傾けようではないか。栄光あるジャドレックの玉座には、剣帝の正統なる血筋を伝える者こそが相応しいのだ。たとえ、先に剣授の儀に成功していたからといって、平民の腹から生まれたリュシオン王子に、その資格はないのだから」


 朝から王都の空に張り出していた憂鬱な鉛色の雲から、ついに雨が堰を切ったかのように泣き出し始めた。それは、王都ホルデアークにこれから起こる嵐の予兆を嘆いてのものかもしれなかった。







「まあ、事の発端は、国王が王妃の子である第二王子を差し置いて、第一王子だが妾腹出のシオンを王太子に据えたところから始まったらしい」


 さすがに王宮に招待、とはいかず、一行はひとまず、ベセルドの実家にあたる大貴族の邸宅に身を寄せた。ベセルドが邸宅と王宮とをガタガタと忙しく往復し走り回る一方で、監禁状態に近いラウルは暇を持て余し、真っ昼間から豪華な客室で適当に棚から引っ張り出してきた高級酒をロセッタに勧めながら、ジャドレックの内情を彼女に語っていた。 


「正妻の子と妾の子の争いか。人間にはよくある話だ」


 ふっ、とロセッタが軽蔑しきったように鼻で笑う。血縁の繋がりのない獣の子らでは、そういうことは起こらない。聖なる儀式に挑み、里の皆にその資格に足ると示した実力者だけが、次期長老となれる。


「まあな。もともとジャドレックは官僚機構を牛耳る貴族連中と、剣帝以来の伝統で「身分の如何を問わず、実力を重んぜよ」ってことで、下級貴族や平民出が割と多い軍の連中との折り合いが悪い。シオンの母親は平民の出だし、幼い頃から剣技に秀でていたって話だから、軍の連中に人気があった。が、逆に平民の腹ってのが、血統重視の貴族どもは気に食わない。でも、まあ、他のことについては、王妃や貴族に任せている病弱な国王が、シオンを王太子と定めた件だけは頑として譲らないらしいし、神剣にも認められたっていうから、出奔なんかしなけりゃほぼ決まりだったと思うがな」


「神剣が、認める?神々が残したものとはいえ、剣に意思など宿るのか?」


「さあ、そこまでは俺も知らんが、適性があるかどうかで光ったりとかするんじゃないのか?結構長く続いてるこの王家でも、神剣に認められるってことはそうはいないってことだから、すごいことらしいぜ」


「なるほどな。しかし、今のところ、弟君には血筋以外に有利な条件は見受けられないが、取り巻き連中はいやに強気のような気がするが」


「弟君はまだ剣授の儀とやらを受けていない。連中はそこに一縷の望みを賭けてるんだろうな。神剣に認められれば、シオンより立場は上になる。まあ、失敗したってシオンを消すって手があるからなあ」


 他人事とばかりにのんびりと怖いことを言うラウルを眺め、まったく、人間という連中は救い難い奴らだ、とロセッタは呆れのため息を吐いた。そうして、あることに気づいて顔を顰める。シオンのあの容易に人を信用しない性格は、ここで育まれたのだろうか、と。同時に、深く根深く人間不信の網を張った彼の頑なな心に、懸命に手を差し伸べようとしていたあの明るい娘の姿が、懐かしく思い出された。

 素直で、一途で。獣人の自分を時には姉のように慕ってくれた娘の無邪気さが、彼女は嫌いではなかった。


「……シオンも、大変なところに生まれたものだ。あれだけ性格がひねくれたのも無理はないな」

「……ひねくれてて、悪かったな」


 ぶすうっとした不機嫌な声が、彼らの背後からした。


「ラウル、このおしゃべり野郎!よくもまあ、人のことを、ぺらぺらと……」


 つかつかと室内に乗り込んできたシオンは、おしゃべりなラウルをじろりと半眼で睨んだ。ばつが悪そうに頭をかくラウルの横で、ロセッタはと言えば、シオンの姿に唖然として声も出ない。

 かっちりとした詰襟のある軍衣にも似た真白の衣装は、彼の整えられた白金の髪の色よりもやや濃い目の金糸の刺繡が繊細に施されており、まるで貴公子のようだ、とシェリルに揶揄された彼の容姿を、より清楚で洗練されたものにしていた。

 この爽やかな見た目の貴公子が、泥と埃に塗れて山中を旅していたぼさぼさ頭の小汚い青年と同一人物だと、一目でわかる者はいないに違いない。


「……お前、本当に、王子様だったんだな」

「……ロセッタ、お前のその言い方、シェリルに似てきたぞ。ラウルっ、てめえ、何笑ってやがる!」


 二人のやり取りについに堪えきれなくなったラウルが、ぶふふふ、と押し殺しきれない笑いを漏らすを怒鳴りつけながら、シオンは内心、安堵していた。

 過去の過ち、己の複雑な出自、それを知っても二人の態度は変わらない。いや、そうあろうと彼を気遣って努力してくれている。特に、西方の出身でグロイアルの悲劇に詳しいラウルなどは、胸にしこるものがあるであろうに、おくびにも出さないでいてくれるのはありがたいと思った。


「……ラグは?」


 途端に、努めて陽気に振る舞っていた二人が、顔を見合わせ、気まずい表情を作る。


「ずっとシェリルの側につきっきりだ。……気付いてるか、シオン。ここに来てから、いや、彼女が眠りについてしまってから、ラグ様の表情がほとんどないことに。あの喜怒哀楽のはっきりとした子が、だ」


 ラグとシェリル。あの二人は互いが離れては生きていけないほどに強く強く結びついていた。シオンはそのことを、嫉妬を覚えるほどに知っている。


「形成主かあ……」


 ぽつり、と独り言のように漏らしたラウルの言葉に、シオンとロセッタが敏感に反応した。

 獣人の里の長老、そして、すべての元凶となったあの紫銀の髪の男も言っていた。シェリルは、形成主だと。


「どういう意味なんだ、それは!」


 険悪な表情を伴った二人が、ラウルの胸倉を掴まんばかりに、ぐい、と身を乗り出した。険悪から凶悪な顔に変わりつつある彼らの鬼気迫る表情に、身長も体格も彼らより数段大きく勝っているはずの偉丈夫は、気圧されるようにして少々身を引いた。


「俺も聞きかじりだから、詳しいことは知らん。頼むから、その殺気立った目で睨むのは勘弁してくれ」


 二人は渋々表情を緩めると、どかりと椅子に腰を落ち着けた。それを見計らって、ラウルは二人を交互に眺めつつ、記憶を手繰るようにして語りだした。


「あの子ども、最初、獣人の姿をしてたんだって?おそらく、そいつは、樹海特有の霊気ってやつや、一緒にいたっていう魔獣の影響を受けてたせいだろうな。光皇の雛ってのは、そういうふうに周りの影響で、姿形まで変わっちまう、非常に不安定なものなんだそうだ」


「じゃあ、今あいつが人間みたいな姿をしてるのは、俺やシェリルの影響を受けたせいってことか?」


「お前ってよりも、あのお嬢ちゃんだな。形成主ってのは、簡単に言うと、光皇の親にあたるものだな。あの子どもは彼女を選んだ。それ以降の雛は、形成主の姿、性格、感情なんかを真似て成長していくものらしい。思い出してみろ。あいつの性格や仕草が、お嬢ちゃんに似てるって感じたことは、一度や二度じゃないはずだぜ?」


 指摘されれば思い当たる節は多々あった。それと同時に、シオンとロセッタは新たな事実に気づいて愕然とする。もし、このまま、シェリルが目覚めない、もしくは、最悪、死ぬことにでもなってしまったら、あの少年はこの先成長することができるのか?いや、それよりも……


 間接的とはいえ、自らの親を殺してしまうという大罪を犯した者に、世界を、人間を救うという、光皇になる資格などあるのだろうか。


 二人の視線がどちらからともなく、少年がいる隣室へと通じる扉へと注がれた。











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