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第5話

「きゃ……っ!」


 突然、シェリルが頭を抱えてしゃがみ込む。


 ーー逃げろ……‼


 突き刺すような頭痛とともに、聞き覚えのある声が、再度、雷鳴のようにシェリルの脳裏に響く。


「ディスクード……⁉」


 それは確かに、光皇を名乗った、あの憂いに満ちた青年の声だった。


「ディスクード?ディスクードなのね!どこにいるの?姿を見せて、ディスクード!」


 ラグのこと、黄金の翼竜のこと、そして、先の見えない旅の行く末のこと。聞きたいことは山のようにあった。しかし、彼の声は彼女の呼びかけには応じず、ただ、一方的に悲痛な叫びを発し続ける。


 ーーシェリル、逃げろ!早く、そこから、逃げ……て……くれ


 やがて、途切れ途切れになった彼の声は、響き始めた時と同様に、忽然と消えてしまった。


「おい、どうした⁉しっかりしろよ!」


 いきなり悲鳴を上げたと思ったら、急に大声でディスクードの名前を連呼し始めたシェリルを、シオンが現実へと引き戻す。


「ディスクードが……」

「何か、お前に言ってきたのか?」

「逃げろ、って……」

「はぁ?それって、どういう……」


 シオンが困惑げに眉根を寄せて、シェリルから問いただそうとした時、ロセッタが鋭い叫びを放った。


「シオン!あれを見ろ!」


 ロセッタの指し示すまま空を振り仰いだシオンは、目を瞠る。

 先ほどまで雲一つなかったどこまでも青い空に、複雑な文字とも紋章ともとれる紋様を刻んだ金色の光を発する円陣が浮かび上がり、キシキシと金属が擦れあうような音を立てて、山地から吹き下ろしてきていた風さえも貪欲に取り込みつつ、次第にはっきりとした姿を取りつつあった。

 光を発する円陣の中に、底知れない憎悪と恐怖とを肌で感じ取ったラグは、我知らず、卵を自分の盾とでもするかのように、ぎゅうっと強く抱きしめた。

 金属の擦れあう音は、今や轟々と嵐のような唸りを上げ、円陣を中心に辺りの空間が水面の波紋のようにゆらゆらと歪む。


「……こんな高度な精霊術、どうやって制御できるの?」


 ルオンノータルに存在する精霊力は、主に六つの系統に区分される。自然の力を象徴する火、風、水、土、光、闇である。術士はこれらの精霊に語りかけ、古代文字や精霊を象徴する紋章の力を使うことで、術力を発揮する。

 通常の精霊術は、それぞれの精霊が持つ自然精霊力を使用したものが多い。例えば、火の精霊から炎を具現化させる、というふうに。

 しかし、今、眼前で展開されている術は、明らかに自然精霊力ではない。光の精霊が司るとされる自然精霊力のさらに高位の精霊力「空間」を発現させたものであることは明白だった。

 高位精霊力を発現させるには、術士としての高い資質はもちろんのこと、それ以上に術力を安定させ、維持する高度な術制御能力が求められる。それは呼び集める精霊が多ければ多いほどに困難を極める。その、はずだ。

 円陣に惹かれ取り込まれていく精霊の気配は尋常にはなく濃密なもので、到底、人という存在が、これを制御できるとは思えない。シェリルが驚きを通り越して、唖然とするのも無理はなかった。

 そんな彼女の驚きを嘲笑うかのように、歪んだ空間の中心、円陣の中央がすう、と口を開け、一人の男が姿を現した。

 それは、若い男の姿をしていた。

 黒で統一された衣服の上に纏う胴衣は、真紅というには深めの深紅色をしており、膝丈よりやや長めのその衣服は、古風ではあったがどこかの国の騎士のようないでたちに見えた。

 その深紅の服を腰元まで延ばされた紫銀の長髪が優雅に縁取る。女性であれば、ほう、と誰もがため息をつきそうな、怜悧で整った顔立ちをしているが、本物の氷以上に冷え冷えとした氷水晶のごとき、色の薄い水色の瞳が男の冷酷さを際立たせ、見ている者の心すら凍えさせる。

 空間を歪曲させ、長距離を転移する。

 あれほどに高度な、一人の人間では行使しえないほどの精霊力を招聘し行使した後だというのに、男は彼らに力の差を誇示するかのように、息一つ乱すことなく、風の精霊力を駆使しつつ空の高みに佇んで、彼らを睥睨した。

 高みから見下す男の視線に、視線に晒された誰もが真夏だというのに、凍えるような寒さを感じた。


(くそっ、震えるな!震えるんじゃねえ!)


 相手の圧倒的な強さを前にして、湧き上がってくる恐怖を懸命に押さえつけ、シオンは辛うじて精神力だけで持ちこたえた。敵か味方かわからない……。おそらくは、敵、と本能が訴える相手に、怯えを悟らせるわけには決していかなかった。そして、それはシェリルやロセッタ、ギーも同様だった。ラグに至っては立っているのがやっとの状態で、がくがくと震える足は、今すぐにでも頽れてしまいそうだ。

 そんな哀れなラグの様子を知ってか知らずか、男の視線は、怯えきった少年の前でぴたり、と止まる。


「……やはり、お前の気配だったか、雛め」


 深い憎悪のこもった視線と声音とに、ついに抗えなくなったラグの膝が、かくりと折れて地面につく。慌ててロセッタがそのまま倒れそうになる少年の小さな体を支えた。


「ラグ様!しっかりして下さい!」


 ロセッタの声にラグは答えることなく、ただただ小刻みに体を震わせながら、瞳は男を見つめ続けている。が、実際には、視線を逸らすことすらままならないのだと、ロセッタは気付いた。

 少年の視線を拘束して放さない男の、口の端を歪めた微かな笑みは、まるで絶好の獲物を見出した魔獣そのものの笑みであった。







 街に足を踏み入れた彼は、街を包む異様な喧騒に気付いて、不審げに深く被った外套の頭巾を軽く捲り上げた。通りをジャドレックの兵士があたふたと走り回り、街の一角に大勢の人だかりができている。あの辺りは夕べ、彼が旅の一行を案内してやった宿屋があるはずだった。


「あいつら、また、なんかやらかしたのかよ。少しは大人しくしててもらわないと、先が思いやられるぜ」

 

 舌打ち混じりに誰に言うともなく呟いた彼は、頭巾を目深に被り直し、群衆の中へと分け入っていった。彼の嫌な予感通り、野次馬たちが昨夜の宿の前に群がっている。


「おい、いったい、何があったんだ?」


 手近にいた野次馬の肩を引き寄せようとした彼は、自分でも思っていなかったほど焦っていたらしい。少々手加減を誤ったらしく、肩を引き寄せた野次馬の男は、まるで振り子のように上半身をぶわんっと振り回されるようにして、彼の方へと強制的に振り向かされた。野次馬の男は、男のあまりの剛力ぶりに目を白黒させながら、猛然と抗議した。


「な、なにしやがる!あんた、俺を殺す気か!」

「悪い、悪い。それよりも、あの宿で何があったのか、教えてくれないか?」


 手を合わせて素直に謝る男に、野次馬の男はそれ以上抗議はしなかった。それよりも頭巾の男の望む通り、目の前で起こっている出来事を教えてやることの方が、野次馬たる者の本能を痛くくすぐったのだ。男は喜んで事の次第を語りだした。


「なんでも、昨日あの宿に泊まった旅の連中の行方を、ジャドレックの奴らが躍起になって探してるんだよ。つい、一刻ほど前に、若い将官があの宿に入っていったんだ。ジャドレックの連中は気が荒いから、親父、ひでえ目に遭ってなけりゃあいいんだが……」


「ひょっとして、その若い将官ってのは、濃いめの茶色の髪をしたフィルダートって名前じゃなかったか?」


「あ?ああ、そうだ。確か、部下がそんな名前で呼んでたなあ」


「……そうか。なら、問題ないな。あの男は融通は利かないが、その分、道理のわかる男だった」


 言葉の後半からは自らに言い聞かせるような言い方で、彼は呟いた。自分が面倒ごとを持ち込んだ手前、事態が悪くならないことに安堵する。しかし、一方で、彼の呟きは、野次馬の男の目に剣呑な光を宿らせた。


「……あんた、随分とジャドレックの連中に詳しいな。ひょっとして、あの腐れ軍人どものお仲間かい?」


 ポルトロの街の住人は、長年、二つの国に挟まれながらも自らで自治を行ってきた歴史ゆえに、自立心が強い。当然、占領軍のように横柄な振る舞いをするジャドレックの連中を、快く思っていない。この野次馬の男も例外ではなかった。


「いや、単なる野次馬さ」


 面倒なことになっては困る。彼はそそくさとその場を立ち去ることにした。踵を返したその歩調は次第に早まっていく。嫌な予感がひしひしとする。こうなったら、ジャドレックの連中より早く、彼らを探し出さなくてはならない。


「……まったく、よお、なんで俺がこんな目に……。しかし、ジャドレックの連中に追われるような奴が、あいつらの中にいたか?それとも、あのおちびさんが目的か…………?」


 早足で歩きつつ、ぶつぶつと呟きながら、うーん、と首を捻った彼の前で、ガシャン、と派手な音がした。


「おいっ、気をつけて歩けよ、兄ちゃん」

「あ、っと、すまんな」


 考えことに没頭しながら歩いていた彼は、前方から来た品物を抱えた小柄な男とぶつかっていた。最初に落ちた鍋に続けて、派手な音を立てて籠や鍋が地面に転がり落ちる。小男に詫びつつそれらの幾つかを拾い集めていた彼は、ふと、異様な気配に感づいた。

 彼の視線が、すうっと街の北の方角にある小高く黒ずんだ丘陵に吸い込まれる。雲一つなかったはずの空がいつの間にかかき曇り、特にあの辺りに雲が渦を巻き始めていた。


 どくんっ。


 心臓の辺りが大きく跳ね上がる。それとともに動悸と焦りにも似た気持ちが激しくせり上がってくる。彼はそれに顔を顰め、胸の辺りをぎゅうと押さえた。


「……もう、嗅ぎつけやがったってのか…………!」


 もうこの気持ちを、焦りを抑えてはいられない。彼は抱えていた鍋を小男に押し付けると、丘陵に向かって猛然と駆けだしていった。











  

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