第4話
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章番号、全体の兼ね合いも兼ねて訂正しました。
真夏とはいえ、高原にあるこの街の朝は爽やかで涼しい。その爽やかな陽射しに、キラリと煌いて落ちてくるそれを、男は上機嫌でぱしりと手で受け止めた。
受け止めては投げ、投げては受け止めを繰り返し、男は口笛まで吹きながら、その行為を楽しんでいた。
「おい、いやに機嫌がいいじゃないか。どうしたんだ?」
不思議に思った仲間が、彼に声をかける。男はそう声をかけられるのを期待していたようで、にいっと歯を見せて笑う。
「これだよ、これ。昨日のガキどもには、煮え湯を飲まされたが、こんな上等なものを落としていきやがった」
男は昨夕、シオンを殺そうと剣を振り上げた、あの痩せぎすの男だった。彼の手元からするりと美しいペンダントがチャラッと音を立ててぶら下がる。
複雑な彫金を施した台座もかなりの値打ちものだが、その台座にはめ込まれた華麗な金貨ほどの大きさの紅玉石が、黄金の鎖の先で朝日の輝きを受け止めて燃え立つようにキラキラと光る様は、その価値を更増しにした。
宝石の見事さに感心した仲間が、思わず触れようと手を伸ばしかけた途端、痩せぎすの男は、それをさせまいと宝石をひゅっと空高く放り投げると、再び手に握り込んだ。
「ケチケチすんなよ。見るぐらいで減らねえだろうが」
痩せぎすの男の意地の悪い振る舞いにイラついた相手は、ますます躍起になって、男の宝石を持つ手に飛びついた。その勢いでペンダントが男の手を離れて地面に落ち、石畳の道をコロコロと転がっていく。
「あっ、なにしやがる!」
「うるせえな。ケチケチするお前が悪いんだよ。……それと、落ちたもん拾ったら、当然俺のもんだよな」
「なんだとぉ⁉」
道をコロコロと転がっていく宝石を追いかけながら、男たちは罵り合い欲の皮を突っ張らかせ、全力でその後を追った。
「それは、俺のだ!返しやがれ‼」
宝石が男たちのどちらでもない、街角から現れた第三者の手に拾い上げられたのを見て、痩せぎすの男が口の端から泡を飛ばして抗議の声を張り上げた。が、相手がまずかった。
「フ、フィルダート中隊長……っ!」
訝しげに宝石を見つめていた若い男が、男たちを震え上がらせるほどに厳しい眼差しを向けた。
彼らをいとも簡単に震え上がらせた男は、ベセルド・ユァン・フィルダートといい、現在ポルトロの街に駐留するジャドレックの二中隊のうちの一隊の指揮を任されている中隊長である。
代々、ジャドレックの軍の要職を担ってきた軍閥貴族の子弟であり、師譲りの卓抜した剣技と、勇猛果敢さは有名で、まだ二十代前半という若さであったが、あと数年もすれば将軍の末席に連なるだろうと噂されていた。
そのベセルドは、手に取った宝石と男たちを見比べて渋面を作る。宝石は、下級の兵士である男らの持ち物としては高価に過ぎる品で、大方、どこかの旅人か、商人辺りからくすねたものに違いない。
長く戦乱が打ち続く混乱した世界にあって、他国よりも規律厳しいと言われるジャドレックの軍も兵の補充が追いつかず、そここに緩みが出てきてこういった小悪党に事欠かなくなってきている。まったく、嘆かわしいことだ、と思いながら、さて、この兵どもをどう処罰しようかと考え込んだ。
その時、手の中の紅玉石が何かを訴えるかのようにキラリと光った。
改めて宝石を見やったベセルドは、紅色に輝く宝石の奥に何かが刻まれていることに気が付いた。それが何かを見定めるために、彼は宝石を空に向けて日に翳した。
そうして、朝日を受けて浮かび上がった透かし彫りの紋章に、彼はあり得ないものを見出した。
「これは……⁉」
驚き、しばしの間、宝石を凝視していたベセルドは、まず、動揺を収めようと軽く呼吸を整え、それから、彼の一挙手一投足を怯えながら見つめている男たちに、凍えるような笑みを向けた。
「これを、どういう経緯で、誰から奪ったものなのか。私に納得のいく説明をしてもらおうか」
猛禽類のそれにも似た鋭い眼光に、男たちは窮地に追い込まれた鼠のように震えることしかできなかった。
染料で染め上げたような青い青い空に、白い大きな球が、ぽうん、と放り投げられては弧を描いて落ち、放り上げられては落ちを繰り返し、それをラグが楽しそうに受け止めては放り投げていた。
その横では、大きな白い球……卵が上下するたびに、尖った耳を忙しそうに上下させる大山猫ギーの姿があった。どうやら、いつ少年が手を滑らせて卵を取り落とすのではないかと、気が気ではない様子だ。
「あのおっさんたちの言ってたことは、誇張じゃなかったな」
傭兵団の根城だったという祭殿跡は、小高い丘の頂上にあり、ポルトロの街や南西の急峻な山々の雄大な景色が一望できる場所にあった。
おそらく、ここに根城を築こうと決めた傭兵団長は、軍事的にも優れた土地の利点を生かそうとしたのだろうが、空から来襲してきた敵に対しては、この見晴らしが却って仇となったようだ。
ひゅう、と冷たい風が山地の方から吹いてくる。
今、この地に残るものと言えば、想像を絶する破壊に晒されたことを物語る、猛火に晒され煤けた瓦礫の山と焼け焦げて茶色の地肌を所々に残す黄色く黄昏た草原のみである。
傭兵たちの遺骸といった凄惨なものは、街の人々によって葬られ、丘のふもとに新しい土饅頭となって眠っていた。
「時間と距離から考えても、人里近いこんな場所に、そんな派手な色の魔獣が何頭も闊歩しているわけがない。おそらく、お前たちの話のラグ様の親だという黄金の翼竜の仕業だろうな」
魔獣使いとしての経験から意見を述べるロセッタの横に、いつの間にかラグが近寄ってきていた。そうして、不思議そうに彼女を見上げる。
「親じゃないよ」
「……どういうこと?」
首を傾げたシェリルも、その時になって初めて疑問を感じた。魔獣を退治することの出来るという光皇が魔獣の子どもだなんて、確かにおかしな話だ。
「そういや、光皇が何者で、どうやって生まれてくるのかなんて、考えたことなかったな」
獣人から人間へと変化し、幼児から少年に急激に成長するラグ。彼の生態は、人間、獣人、魔獣のどれにも属さない。
「僕、呼ばれて、目が覚めたの。そしたら、金色のあの子がいたの」
彼らになんとかわかってもらおうと、一生懸命に思い出し思い出ししながらしゃべるため、言葉遣いが以前の幼児の頃のように少々稚拙になる。
「じゃあ、兄弟か?」
「けいやく、しようって」
「契約?何を契約するの?」
「……わかんない。でも、僕とけいやくすると、あの子、いいことあるんだって」
どうも要領を得ない少年の話に、彼らは首を傾げるばかりである。何しろ、六百年もの歳月を経て光皇への信仰も、その伝承も人々から薄らぎつつあるので、仕方のないことなのかもしれなかった。
「あの竜が、あたしたちをノルティンハーンに導いてくれるって、ディスクードは言ってたのに、なんでこんなひどいことをするのかな」
死と破壊の痕が色濃く残る廃墟というよりは、もはや瓦礫の山というに相応しい光景を前に、シェリルはただただ立ち尽くすしかなかった。
焼け焦げた傭兵団の砦の跡の後ろの方に、獣の子らの長老が教えてくれた大祭殿の跡らしき遺跡の跡がひっそりと見える。
ひゅう、とまた山地からの風が吹き、裾野の瑞々しい夏草や、街外れの畑の薄っすらと黄緑色になりかけた麦穂の上を撫でるように過ぎ行く。殺伐としたこの場所とは対照的なのどかな田園の風景がそこには広がっていた。
自然を創り上げている精霊は、生きていくに十分なものを人に与えてくれている。それなのに、魔獣と人間、人間と人間の不毛な争いは大小を問わず繰り返され、多くの悲しみや憎しみを生み出している。
「……いつまで、こんなことが続くのかな」
「さあな。それよりも手掛かりが、肝心の竜のおかげでなくなっちまったぞ。どうするんだ?」
聞かれても、シェリルには答えられなかった。最初の出会い以来、ディスクードには会っていない。力なく首を振る彼女に、シオンはため息をつく。
「振り出しに戻る、ってことか……」
いや、振り出しどころではない。ラグという扱いに困る厄介なものがいるのだから。
それに、とシオンは廃墟を見つめて気落ちしているシェリルを見やる。彼女にはさすがに言えなかったが、最後の光皇とされる光皇ディスクードには良くない話もあるのだ。
彼は白き月の神々同様、人間を見限ったのだと。それゆえ、次代光皇も現れないのだ、と。
もし、それが真実を言い当てているのならば、ラグをノルティンハーンに連れて行くことは、悪手になりかねない。
さて、どうするか。考えあぐねて、無意識に手を胸元にやったシオンは、あるものがないことに気が付いた。全身をパタパタとはたき、それでも見つからないとなると、慌てて辺りの地面を見回したが、失われたものを発見することはできなかった。
そんな彼の奇妙な行動を、三人と一匹が不思議そうに見つめる。
「何か、失くしたの?」
皆を代表して、シェリルが問う。
「あ、ああ、これくらいの……」
尋ねるシェリルに、失せものの形状を説明しようとした彼は、ぱたっとその動きを止めた。
「いや、いいんだ。別になくなっても困らねえもんだし」
「……諦めきれないって顔してるわよ、シオン」
最近、富に彼の表情の深読みをするようになったシェリルが、疑わし気に半目でシオンを睨み、彼はうっとたじろいだ。
こいつの鋭さってなんなんだよ。俺、そんなに顔に出てるか?内心で冷や汗を垂らしつつ、彼は彼女の視線にじっと耐えた。
二人の無言の、視線だけの戦いに、ロセッタとラグ、そして、ギーが少々緊張した面持ちで見守る。そんな中、シェリルが急に悲鳴を上げた。
ーー逃げろ!
シェリルの頭の中に、稲妻のように鋭い声が響いた。