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第2話

 彼らがセスデ高原の北西にあるポルトロの街に着いたのは、日も落ちかかった夕刻のことだった。

 街道に近く、旅商人が中継地として使用する土地柄、かなりの賑わいがある街だと聞いていたが、夕刻のせいか、人通りは少なく、所々で武装したごつい男たちの姿ばかりが目についた。


「聞いていたのと違って、物騒な感じだな。早いとこ、宿に入ろう」


 獣人と見抜かれていらぬごたごたに巻き込まれるのを避けたいロセッタが、そう言って外套の頭巾をさらに深く被り直した。その言葉に、ラグは不満げに口を尖がらせる。


「ええー。もっと、街の中歩きたいー」


 人目を避け続けて旅をしてきたラグは、大きな街に足を踏み入れるのは初めてで、この街の何もかもが珍しかった。ぷう、と頬を膨らませて不満を露わにする少年の頭に、シオンが軽く手刀を落とす。


「このガキが何かやらかす前に、そうした方が良さそうだ」


 シオンはこの時、ほんの冗談を言ったに過ぎない。が、その言葉は半刻も経たないうちに、現実のものになった。

 宿の看板を探して歩くシオンは、何軒目かに良さそうな宿を見つけた。彼が宿の看板を見つめ思案しているほんのちょっとした隙に、兵士らしい恰好をした柄の悪そうな男がふらりと近づいてきた。


「邪魔だ、ガキ」


 男がいきなりラグの足を払い、少年はあっと叫ぶ間もなく地面に尻もちをついた。そうして、今度はシェリルの方に、にやついた顔を向けると因縁をつけ始める。


「おい、姉ちゃん。このガキのせいで、靴が汚れちまったじゃねえか。どうしてくれんだよ」


 にやにやと薄気味悪い笑いを浮かべる男の後ろから、同様の兵士の服装をした数人の男たちが現れ、シェリルたちの退路を断つ。周到な連中に、ロセッタは深く被った外套の下で舌打ちした。

 女と子どもを連れた彼らは目立つ。おそらく入口の辺りから目をつけられていたのだろう。異変にすぐに気付いたシオンが慌てて戻ろうとする。その耳に甲高い子どもの声が響いた。


「悪いのは、おじさんだ!足を引っかけたのはそっちじゃないか!」


 あの馬鹿!シオンは心の中でラグを罵った。

 子ども故の純真さか、それとも、正義感の強いシェリルに感化されたものか、ラグは嘘をつくことも、つかれることもひどく嫌う。その頑固さが、却ってここでは仇となった。


「おいおい、そんな小っこいの相手にムキになるなよ。謝るからさ」


 慌てて騒ぎの渦中に飛び込んだシオンは、因縁をつける男の肩に手を置いて、取り敢えず、その場を収めようと下手に出た。その卑屈な態度が、ますますラグの気に障った。


「なんで、シオンが謝んなきゃいけないの⁉悪いのは、このおじさんじゃないか!謝れ!」

「このガキ……!」


 男がラグの生意気な口を塞ごうと拳を振り上げるより早く、シオンとギーが動いていた。

 ラグの襟首を咥えてギーが後方に飛びずさり、男の肩に手を置いていたシオンが、その肩を突き飛ばし、同時に顎に拳を炸裂させた。


「シオン、後ろだ!」


 いきなり攻勢に出たシオンに、男の仲間が後ろから襲い掛かる。が、ロセッタの警告に気付いた彼は辛うじてそれを躱し、躱し様に思い切り肘鉄を叩き込んだ。

 あっという間に二人を畳んだシオンに怯んでか、残り二人の男はたたらを踏む。

 そんな連中を冷たくせせら笑い、次に畳む相手を見定めようとした彼の目に、相手の兵服の襟章がきらりと光った。


 十字の剣に、弓型の白き月……⁉


 襟章の意匠に驚いたシオンの隙を、二人は見逃さない。一人の拳がシオンの左頬をもろに捉え、彼は受け身も取れずに後ろに倒れ込む。それを待ち構えていたもう一人が、無理やり彼を立たせると羽交い絞めにし、肘鉄を叩き込まれた男も加わって、三人で殴る蹴るの暴行を加え始めた。

 激痛と衝撃とで咳とも呻きともつかないものが、シオンの口から漏れる。


「やめて!」


 悲鳴に近い声を上げて、シェリルが男の一人に飛びついたが、力では敵わない。あっさりと突き飛ばされて地べたに転がった。

 獣人であることがばれることを嫌って、手を出しかねていたロセッタが、やむを得ないと外套の下に忍ばせた短刀を握りしめた時、最初にシオンに沈められた男が、ゆらり、と立ち上がった。


「若造が、舐めやがって……。殺してやる」


 復讐に煮えたぎる目に、ぐったりとしたシオンが映り込む。男はおもむろに、腰の剣帯から剣を抜き放った。


「…………っ!」

 

 ギーに守られ、地面にへたり込んでカタカタと震えていたラグが、声にならない悲鳴を上げた。


(誰か!誰か、助けて!シオンが、シオンが殺されちゃう‼)


 ラグの心の絶叫に呼応したかのように、ロセッタが外套を跳ね上げ、短刀を抜き放った。が、男の方がわずかに早い。男の狂刃がシオンの上に振り下ろされ、誰もが彼の死を確信して凍り付いた。


 「あれ……?」


 衝撃に備えて思わず目を瞑ったシオンは、しかし、いつまでも痛みも衝撃も来ないことを訝しんで、恐る恐る目を上げた。そんな彼の耳に、のんびりとした男の声が聞こえる。


「栄えあるジャドレックの兵隊さんが、こんな往来で、女子ども相手に刃傷沙汰とは、少々まずいと思うんだがなあ」


 荒っぽい状況を愉しんでいるふうにも見える声の主は、剣を振り上げた男の腕をがっちりと捕らえていた。ぶるぶると震える剣持つ手は、今だシオンに凶刃を振るうことをあきらめてはいない。が、それを平然と抑え込む乱入者の手は微動だにしなかった。

 剛力、と言ってもよいほどの膂力を間近で見せつけられ、唖然として見上げるシオンに乱入者は口の端を軽く上げて笑うと、捕らえた男から剣をあっさりともぎ取って仲間の方へと突き飛ばした。

 それほど力を込めたようにも見えなかったのに、男はものすごい勢いで仲間たちにぶつかるようにして無様に倒れ込んだ。そのおかげで、ようやく男たちの拘束から解放されたシオンを、ロセッタとシェリルが急いで助け起こす。


「これ以上、騒ぎが大きくなると面倒だ。ついて来い」


 剛力の男はそう促すと、へたり込んで震えていたラグを軽々と担ぎ上げ、集まり始めた野次馬をやり過ごして、彼らを細い裏路地へと誘った。


「ありがとう。助かりました」


 痛みに顔を顰めるシオンに、癒しの術力を行使しながら、シェリルは男に感謝を述べた。それにつられて、ラグも慌ててぴょこり、と頭を下げた。


「なあに、礼を述べられるほどのものじゃないさ」


 気さくな返事に安堵した彼らは、改めて眼前の男を見やる。最初に大きい男だと思ったのは、間違いではなかった。

 ここ西方は比較的背の高い者が多いが、この男はそれより抜きん出てさらに高い。また、その長身に見合う鍛えられた立派な体格をしていることが、ややくたびれかけた厚めの外套の上からでも見て取れた。

 するりと男が目深に被っていた外套の頭巾を外す。頭巾の下から現れた金色の髪と、それと同系色ではあるが、生き生きとした生気溢れる黄金に近い琥珀色の瞳が印象深いその顔は意外に若く、悪党相手に悠然と構えていた態度からすればもう少し上かもしれないが、外見からだいたい二十五歳前後辺りだろうと思われた。


「以前はこんな物騒な街じゃなかったんだが、一ヶ月ばかり前に、この辺りを根城にしていた傭兵団が壊滅しちまってな。混乱してる隙を狙うように、隣国のジャドレックの奴らが幅を利かせるようになった」


 剣の王国ジャドレック。ポルトロの西に位置する、現在、西方で一番の実力を持つ大国である。

 約七百年ほど前までは、西方に乱立する数ある諸王国の中でも弱小国と呼ばれたこの国を、ここまでの大国と成したのは、一人の英雄であったと言われる。神剣を携えていたという故事ゆえに、後に「剣帝」と称されることになる彼は、当時、三十余国もの国々がひしめき合い、戦に明け暮れる戦乱に満ちたルオンノータル西方を統一し、現在の王国の基礎を築いた。

 シオンが先ほど気を取られてしまった兵士の襟章には、ジャドレックの国章である十字の剣に弓型の白き月が彫られていた。十字の剣は神剣を、白き月は剣帝に神剣を授けた神が住まう白き月を表したものである。

 聖魔大戦以降の荒廃し続ける世界で、多くの国々が滅んでいく中、ジャドレックの国力が保持し続けられたのは、神剣と剣帝の血筋を伝える王家を奉ずる国民の結束力の強さにあった。

 しかし、その一方でジャドレックの悪名は高い。近隣諸国に多い徴兵制ではなく常備軍を有し、それを柱とする軍事国家体制は、近隣諸国との衝突をしばしば繰り返し、近隣諸国を恐々とさせた。

 近年では、十年ほど前から病弱な国王の後継者争いが激化し、二人の王子の派閥がそれぞれ優位に立とうと、無用とも思える軍事行動を起こし戦乱の種を振りまいていた。


「ここはジャドレックとエイルリーフの境界であり、緩衝地帯として自治を認められている。が、あの様子じゃ、そのうち、戦場になるかもしれない」


 ロセッタの冷静な物言いに、男も苦い顔で同意する。


「安全な宿を教えてやるから、取り敢えず今夜はそこに泊まればいいが、この街は早めに出た方がいい」


 男に案内されて宿の前まで来た頃には、日は完全に沈み、空には二つの月とそれに寄り添う夏の星々が美しく瞬き始めていた。


「おじさんも、泊まるんじゃないの?」


 宿を案内し終えて、そのまま薄暗がりへと消えていこうとする男を、ラグが呼び止めた。ほんの少しの間だったが、ラグはこの気さくな男に好感を抱き始めていた。男の黄金にも似た琥珀の瞳が、懐かしい何かを思い起こさせたのかもしれなかった。


「おいおい、おじさんはないだろう」


 まだおじさんと呼ばれるには若い男は、ひどく傷ついた顔をしておどけてみせると、ラグの黒髪をクシャリと撫でた。


「悪いが、ここでお別れだ。まあ、縁があったら、また会うだろうさ」


 男の答えにひどくがっかりした少年に、彼はつと屈み込み、背の低い彼の目線に合わせる。ラグの翡翠色の瞳に、男の琥珀色の瞳が映り込んだ。


「いいか、正しいことを正しいと言うのは悪いことじゃない。ただな、それがお前の大事な人を危険に晒す可能性がある場合は、よく考えて行動しろ。でないと、お前を庇ってくれた兄ちゃんが殴られ損ってもんだぜ」

「……ごめんなさい」


 シオンに痛い思いをさせたのは、自分のせいだとやんわり諭されたラグは、泣きそうになって小声で謝った。男はラグに自分の意図がちゃんと伝わったとみて取ると、満足げに頷き、改めて街の暗がりへと消えていった。











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