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第1話

 精緻な細工を施した天井を飾り立てる色とりどりの硝子が、盛夏の力強い日差しを受けて、眩しい光の旋律を艶やかに奏でる。しかし、その妙なる美しい輝きも、冷たい大理石と水晶の石柱群から発せられる凍えるような冷気によって阻まれ、室内上方にわだかまったまま、虚しく光の粒を散らすばかりである。

 かつて、世界最高峰の匠たちの技術の粋を集め作られた優美で繊細な彫刻が施された聖堂内は、気の遠くなるような歳月のために、心なしか色褪せてくすみ、静寂と薄暗さとが辺りを支配していた。

 そんな静けさを破り、規則正しい靴音が、聖堂内に響き渡る。

 頭巾付きの濃い色の外套を目深に纏った足音の主は、華やかなりし栄華を語る優美な彫刻や彫像の置かれた廊下を抜け、聖堂の中心である広間へ、そして、その奥の少し高座になった祭壇とも思しき場所へと、澱みない足取りで進んでいく。力強く規則正しい靴音が、彼の歩みとともに響く。

 ぴたり、と足音が止まり、足音の主は立ち止まる。

 彼の目の前の祭壇は、入口の冷気とは比較にならないくらい、立ち入る者を拒む、肌刺すような敵意に満ちた冷気に包まれていた。さらには、大小無数の水晶柱が、様々な角度からその身を突き出して、祭殿の中央を守るかのように屹立し、冷感を更増しする役目を果たしていた。

 侵入者にあらゆる角度から襲い掛かろうとする冷気をものともせず、彼は祭壇の中央に守られるようにして聳え立つ、一際巨大な水晶の石柱にそっと触れた。

 透き通った水晶柱の中には、一人の青年の姿があった。

 闇にも似た艶やかな漆黒の髪。まだ年若い端正な容貌。

 太古に白き月に帰った神は、かくあったろうかと思わせるほどに美しい青年が、水晶の中、冷気と静寂とに守られて、静かに瞳を閉じていた。

 長い睫毛の下の瞳は、気の遠くなるほど昔に閉じられたまま、再び開かれることなく、いつ醒めるともない深い眠りに就き続けている。

 巨大な水晶柱の褥の中で、生きているとも死んでいるとも判然としない青年に、彼はようやく言葉をかけた。


「……今度こそ、……今度こそ、あなたを目覚めさせてみせる」


 そうつぶやいた男は、しばしの間、眠れる青年の側に佇み続けたが、一向に変化を見せない青年に、深く落胆のため息をついた。やがて、彼は名残惜し気にゆっくりとその場を後にする。

 誰もいなくなった聖堂は、再び冷気と静寂の支配するところとなり、音もなく白い冷気の霧が祭壇の水晶柱を覆い隠していった。







 ずどんっ!


 腹に響く鈍い破裂音がして、いきなり目の前で火柱が上がった。

 と、思う間に、串刺しにして立ててあった昼食用の魚が、一瞬にして消し炭と化した。危うく魚と一緒に消し炭になりかけたシオンは、青筋を立て間髪を入れず怒声を上げた。


「このくそガキ!なんつう危ねえ真似しやがるっっ‼あっ、待て、逃げるな!」


 煙が晴れてシオンの顔が見えた途端、顔面蒼白になったラグは、ぴゅっと一目散にシェリルの許へと逃げ出した。そのまま、彼女の外套の下に頭からすっぽりともぐって隠れると、ものも言わずにガタガタと震えている。

 薬草や香草を摘んでいた手を止めて、シェリルが顔を上げた。


「今の音、何?……どうしたの、ラグ?」

「どうしたもこうしたもねえよ。こいつ、また、術に失敗しやがったんだよ。……って、おい、お前ら、何笑ってんだよ?」


 ラグに追いついたシオンを見たシェリルとロセッタは、ぶは、とたまらず吹き出した。

 伸び放題にまかせていたシオンの薄金色の髪は、ラグの起こした炎によって、チリチリに焼け焦げ、実に滑稽な髪型と化していたのだ。

 獣の子らの里の追っ手から逃れ逃れて、気が付くと早や、二ヶ月を越えようとしていた。旅立った頃は初夏だったのに、高山地帯を旅する彼らの頬に、もう気の早い秋の風が吹き行き、次なる季節を彼らに告げていた。

 難所と言われる険しい北西の山々連なる急峻な道を、何とか無事に越えることができた一行に、ほっとする間もなく新たな悩みが芽吹いていた。

 身体の急激な成長に伴って発現したものなのか、ラグの「語る」力が、急速に目覚めたのである。

 質が悪いことに、少年は新しい玩具でも得たかのように、その力を使いたがった。蛙の子は……の喩え通り、次代光皇と思われる彼の「語る」力は桁外れだった。シェリル程度の腕では到底、彼の指導は追いつかず、呼び寄せた精霊が暴走してしまう今回のような出来事がしばしば起こり、彼ら、特に標的になりやすいシオンを悩ませた。


「もうそろそろ許して差し上げろ。かわいそうだ」

「そうそう。それに短くした方がお似合いよ、シオン」

 

 半泣きで平謝りするラグと、それをとりなそうとする女二人に囲まれて、それでも、彼は憮然とした態度を崩さなかった。

 しかし、チリチリに焦げた髪は、器用なシェリルによって整えられつつあるし、彼としても、もうそろそろ振り上げた拳を下ろさざるを得ない状況にはなっていた。

 全体的に短く整えられて、次第に顔が露わになるにつれて、女二人は、おお、と驚きの声を上げた。

 手入れのされていなかった痛んだ薄金色の髪は、櫛でとかし埃を落とすと白金の輝きを放ち、さらにその下の顔は、黙ってさえいればどこぞの貴族の子弟と言っても通るような品の良さげな顔立ちをしていたのだから。

 

「……なんだよ」

「意外と、シオンって、かっこよかったんだ」

「……喧嘩売ってんのか?」


 褒めているのか貶しているのか、よくわからないシェリルの感想に、口の悪い貴公子はせっかく直りかけた機嫌を損ねて、口をひん曲げてしまった。


「傭兵稼業にいい顔なんていらねえんだよ。甘く見られて絡まれるだけ損だ」


 そう言うと、せっかく整えられた金髪をぐしゃぐしゃと大雑把にかきむしる。ぶつぶつと愚痴っているシオンに、なんとはなしにシェリルが言った。


「そう言えば、シオンって、どうして傭兵になったの?」


 途端に、二人の間の空気がぐぐっと冷え込んだ。あ、しまった。とシェリルが思った時にはもう遅かった。ラグの失敗のおかげで、珍しくシオンがこちらに気安い態度を取り始めていたのに、不用意な自分の発言で、あっという間に前よりも高い防壁を築かれてしまった。

 彼が必要以上にシェリルたちに馴れ合わないようにしていることは感づいていた。だからこそ、親しくなれる絶好の機会を自分で潰してしまったシェリルは、がっかりと肩を落とした。

 その様子から彼女の意図を察したシオンは、余計なお節介焼くんじゃねえ、とばかりに鋭い舌打ちをした。


「俺のことなんか、どうでもいいだろ。それよりもあいつをなんとかしろよ」


 シオンは顎でロセッタに慰められているラグを指し示すと、シェリルの肩をぐいっと引き寄せて、小さく耳打ちした。


「……身に過ぎた力は、ガキだけじゃない。周りも巻き込んで不幸にするんだ。あいつを不幸にしたくないんだろ?だったら、早めになんとかしろ」

「シオン……?」


 話は済んだとばかりに、とんっと彼女の肩を突き放す。が、押された力が意外に強かったためによろけたシェリルは、咄嗟にシオンの手をつかんだ。


「な……っ!」


 シオンの驚いた声とともに、二人はドサッと草の上に倒れこんだ。すぐにバッとシオンが起き上がる。


「あのくらいでよろけんな!なんで、俺を……」

「巻き込むわよ、仲間だもの!」

「……え?」


 逆ギレしてきりきりと眉をつり上げたシェリルに、シオンが思わずたじろいだ。


「仲間だって言ったの!少なくとも、この旅をしている間は!そうでしょ?だったら、なにも、そんなに無理してよそよそしくしなくったって……」

「……黙れ!」


 荒々しくシェリルの言葉を遮ったシオンは、ザッと草を蹴るようにして立ち上がった。


「……お前、煩いよ。人の心に勝手にずかずか入ってくるな」


 そのまま、彼は彼女の方を見ることなく立ち去った。すれ違いにラグがシェリルのところに戻ってくる。


「ねえ、シェル、シオンと喧嘩したの?怒鳴ってたけど」

「ううん。何でもないの、ラグ」

「そう?そうならいいけど、でも……」


 いったん安心したような顔をしたラグは、下を向いて困惑げに呟いた。


「……シオン、とっても、泣きそうな顔してたけど、なんでかな?」


 自分とたいして年齢の違わない彼が、命のやり取りをする傭兵として一人で生きていくには、世間知らずの彼女なんかでは、到底想像できないような苦労があったに違いない。そうしたぎりぎりの日々の中で得てきた彼の腕前と経験とに彼女は救われっぱなしだ。

 だが、その一方で、殺伐とした日々は彼に孤独を強いた。人を疑い、人と距離を置くことを強いた。

 優しい人。寂しい人。……不器用な人。

 仲間に対する想いや気遣いを、正反対の態度でしか表すことを知らない不器用な青年の後ろ姿を、シェリルは複雑な思いで見つめた。











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