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第6話

「まるで、本当の親子のようじゃないか」

「……そうだな」


 シオンとロセッタが駆け付けた頃には、強烈な光は現れた時同様に忽然と消え去り、後に残っていたのは、一言も発せずにひしとお互いを抱きしめあうシェリルとラグの姿だった。


「……ちょっと待て。なんかおかしくないか?」


 最初に目敏く異常に気付いたのは、シオンだった。


「お前、本当に、あのガキかよ?」


 ラグがシェリルの胸元から顔を上げ、こちらを振り向いた。


「シオン!」


 彼の名を呼んだ者は、もう幼子と呼べるものではなかった。三、四歳程度の幼児の姿だったラグの容貌は、かつての彼を知る者たちの目を瞠らせるほどの驚くべき変貌を遂げていた。

 すらりと伸びたほっそりとした手足。丸く愛らしかった顔も、十歳くらいのきりりとした少年の顔つきへと変わっている。

 さらに、それ以上に皆を驚かせたのは。


「獣相が消えている」


 ロセッタの呆然とした呟きに、シェリルは改めてラグを見た。黒髪の横から長くぴょこりと伸びていた兎のような耳は、人間の丸く短い耳に。宝石のような翡翠の瞳は、依然と同じの変わらぬ鮮やかさを保っていたが、くるくると形を始終変えていた猫目の虹彩がすっかりなくなっていた。


「ディスクード……」


 急激に成長したラグは、あの幻影の青年、ディスクードに酷似していた。小さなディスクードは、シェリルの手をぎゅうと握りしめて笑った。


「シェル、僕と一緒にノルティンハーンに行こう!ずっと、ずっと一緒だよ、シェル!」


 初々しい生命に満ち溢れた十歳の少年と化したラグは、しゃべり方も別人のように変貌していた。


「……うん、行こう。一緒に行こう、ラグ!」


 涙を浮かべながら、シェリルは彼女の周りを跳ね回ってはしゃぐ少年に答えた。


「なんだかよくわからねえけど、取り敢えず、当面の問題はなくなった……かな?」

「シオン!シオンも一緒に行こう!」


 ラグがうれしそうな声を上げる。


「まったくよお、急にでっかく、しゃべり方まで一人前になっちまって。何なんだよ、お前は」

「痛い。痛いってば、シオン」


 シオンに頭を小突かれ、しかし、それすらも楽しいのか、少年は悲鳴とも笑いともつかない声を上げる。


「……あり得ない。成長して獣相が消えるだと?そんなこと、あり得ない!」


 それまで唖然として一言も発しなかったロセッタが、だんだんと感情を爆発させるように声を荒くして叫んだ。


「獣の子らは、生まれて死ぬまで獣の子らだ!なんで、その子どもは人間になれる⁉……あり得ない。そんなこと、あっていいわけがない!」

「ロセッタ……」


 ただ獣相があるというだけで迫害されてきた。人間の住まう地で人間に殺されないためには、交感能力を制御する魔獣使いに、人間に有用なものになるしかない。その修行の辛さに耐えきれず命を絶つ者や、他者の力に頼り結界の町で生きていくしかない、そんなふがいなさに涙する者も数多い。

 魔獣使いになったとて、人間に蔑まれ最下級の扱いしか受けられない。獣相を持たず、人間にさえ生まれてくれば、そんな苦労を味わうことなどなかったろうに。

 人間を憎みつつも人間に憧れる複雑な獣人の想いを、激情に任せて吐き出すロセッタに、シェリルもシオンもかける言葉がない。


「ロセッタ、どうしたの?僕、なにか、悪いことした?」


 シェリルの手をきゅっとつかんだラグが、居心地悪そうにそわそわと彼女とロセッタとに視線を彷徨わせる。どうやら自分が何かをやらかしたと思ったようだった。こういうところは、以前のあどけない幼子のままである。


「ロセッタよ、嘆くでない。獣の子らとしての誇りを持て。その御方が次代の光皇陛下であれば、何の不思議もないことなのだから」

「次代光皇っ⁉これが⁉」


 突然の老人の言葉に、シオンが素っ頓狂な声を上げて、ラグの横から飛び退いた。ロセッタの憤りを不安がっていたところに、シオンにまで変な声を出されたラグは、シオンよりも勢いよく飛び上がってシェリルの腰にしがみついた。

 びくびくと怯える少年の頭にそっと手を置いたシェリルは納得していた。

 こんなにも光皇と名乗ったディスクードに似ているのだ。もしかして、とは胸の奥で何となく感じていた。そんな彼女にも、老人は謎めいた言葉をかける。


「嬢ちゃん、まさか、あんたみたいな若い娘さんが形成主様とは驚いた」

「さっきから意味深なことばかり言うじゃないか。そろそろ隠し事はなしにしようぜ、爺さん」


 事態が収拾したのを見計らったかのように現れた老人に、シオンが厳しい視線を浴びせた。


「……ついてくるがいい」


 短い言葉でくるりと背を向けた老人に従って、集会所の裏口を抜け、奥に広がる迷路のような垣根を抜け、無言の老人の歩みのままについていく彼らの先に、やがて、古い遺跡群が姿を現した。

 無造作に伸びた蔦や木々が、かつては精緻に積み上げられていた巨石を持ち上げ、至る所から顔を覗かせている。かなり長い年月の間、訪れる者もなく忘れ去られていたもののようだった。

 シェリルたちは、壊れた柱や巨石の間に辛うじて残っている石畳の道を抜けて、老人の足にしては早い彼の後を追った。

 苔や蔦の占拠した隙間からわずかに見え隠れする彫刻などから、どうやら、ここはかつて精霊を祀る精霊祭殿であったらしいことがうかがい知れた。


「こりゃあ、かなり古いぞ。ここが昔の町の中心だったのか?」

「ここは神聖な禁足地なんだ。普段でも長老以外は立ち入ることが出来ない。まして、人間を案内するなんて、長老はいったい何をお考えなのか……」


 訝し気に答えるロセッタをしり目に、問題の老人は、気の遠くなるような歳月を耐えてきたと思われる巨大な一枚岩の壁面を見つめて、静かに佇んでいた。近づいてみると、それには壁画が描かれていることがわかった。

 かつては鮮やかな彩色を施されていたであろうそれは、長い歳月を風雨に晒され続けたために、顔料がボロボロに剥がれ落ち、何が描かれているかをすぐに判別するのは難しい。


「シオン!あれを見て!」


 壁画の上部に見知ったものを見つけて、シェリルが叫ぶ。白く、他の人物よりも大きく描かれた人物と思わしきものの上に、雪の結晶にも似た紋章が薄っすらと見える。ラグの額に光とともに現れては消える謎の紋章である。


「そういえば、ディスクードの額にもあった……」

「ディスクードにも、か。そうだとすると、あれは光皇を表す聖光の紋章だ。なら、ここは、光皇を祀った光皇祭殿だったってことか」


 シェリルは黙り込んだ。この世の事象を司る六種の精霊を使役するには、「語る」以外にも古代文字や精霊を象徴する紋章を使って使役する方法がある。後者の方がより大きい力を駆使することが可能で、術士となる者はこの紋章術を学ぶ。むろん、シェリルもそれをオランジュから教わった。


(でも……)


 おかしい。そう、シェリルは思った。あの紋章をオランジュから学んだことがない。村の祭殿にもあの紋章は祀られていなかった気がする。なぜなんだろうか、と自問していると、シオンがつまらなそうな顔でこちらを見ているのに気付いた。


「こんなの、どこにでもある光皇祭殿じゃねえか」

「ううん、よく見てよ。描かれている人は、みんな獣の子らだわ」


 白い顔料で表現された光に包まれる光皇と思しき人物の周りには、ややそれよりも小振りに描かれた人々が拝むように伏している姿が辛うじてわかる。それらの人々には角や尾があるのが見て取れた。

 シオンの間違いを指摘したシェリルに、ロセッタも同意する。


「その通りだ。この結界の町が作られたのは、聖魔大戦が始まった頃だったと聞いている。その初期の頃に獣人の手で作られた祭殿だろう。……しかし、精霊を祀る祭殿ならともかく、光皇を祀る祭殿なんて今の町にはない。光皇は人間の守り神であって、我らの神ではないからな。なんで、ご先祖は、こんなものをわざわざ作ったんだ?」


 それまで黙っていた長老が重い口を開く。


「……我ら、獣の子らに生きる活路を与えて下されたのが、光皇陛下だったからだ。そして、それは同時に、人間、いや、世界に対して決して許されることのない大罪を、我らは負うことになってしもうた」

「私たちが、人間に大罪を犯した?どういうことです?長老」


 老いた養い親に対するには少々厳しい声で誰何するロセッタの前に、老人の小柄な体は、よりいっそう小さくなったように見えた。


「……次代の光皇陛下と形成主様が現れなすった。真実を語らねばなるまい」


 獅子面の老人は、皴深い口から苦渋に満ちた声を絞り出して、今から六百年もの前の昔語りを、とつとつと語り始めた。











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