表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/39

第4話

 森の奥へ奥へと分け入り、樹海と森林の境界の辺りをぐるぐると連れまわされて、もう何刻過ぎただろうか。最初は薄く漂っていた霧が周囲をだんだんと白く濃く染めていく。

 こんな中、魔獣に襲われたらひとたまりもねえな。

 シオンは無表情を装いつつ、内心ではひやひやしていた。普通の森と樹海の違いは、生える植物の植生の違いだ。樹海に近づけば近づくほど、当然、魔獣との遭遇率は格段に上がるので、樹海近隣の辺境に住む者や旅を生業にする者なら誰もが生き残るために知っていなければならない必須の知識である。

 樹海にほど近いとはいえ、シオンはそれでも慎重に森の植物の違いに注意しつつ行動していた。だから、こんな森の中にいても魔獣と不幸な遭遇をしないで済んだ。

 いや、むしろあいつのおかげかな?シオンはちらりと斜め後ろを歩くシェリルを見る。

 世間知らずなダメ女。と彼が辛い評価を下していた彼女は、ド田舎育ちのゆえか、彼以上に森の植生に詳しかった。道すがら、今まで知らなかった植物や、今後に役立ちそうな薬草なども教えられ、彼はちょっとばかり彼女を見直していた。

 そんな彼の目線に気付いたのか、シェリルがきょとん、とした表情を向けてくる。何故か照れくさくなった彼は慌てて目を逸らした。

 それにしても。彼は再び最初の考えに頭を戻す。この辺りは、もう相当やばい場所だぞ、と。

 樹海に近づくにつれ、生える植物の種類が変わっていくのはもちろんだが、相当に近づくと、色でわかる、という。森の色彩が、緑から徐々に白と黒とに変わっていくのだそうだ。

 シオンも話に聞いただけで実際に見たことはなかった。が、木の葉に非常にわずかではあるが、白い斑点が混じり、木の幹や枝が若干他のものより黒く見えてきたのは、彼の気のせいだけではあるまい。

 今度は横を歩く角の生えた女に視線を向ける。彼の視線に気付いた女は、ちら、と冷めた目線を返すと、再び顔を前に向けた。どうやら魔獣の心配はなさそうだ。

 ……まあ、こいつらが噂通りの能力を持っているのなら当然か。

 そんなことを考えつつ、シオンは背に負ぶった子どもを軽く揺すり上げた。森歩きに疲れた幼子は、彼の背中で呑気にくうくうと小さな寝息を立てている。

 さらにそれから数刻ほど歩かされた後、彼らは足を止める。気のせいか、濃かった霧が薄っすらと晴れてきたようである。


「あ……っ!」「ええっ⁉」


 シオンとシェリルが同時に声を上げ、目を瞠った。

 樹海は魔獣が支配する禁断の地だ。人間にとっての地獄だ。そのはずだ。しかし、眼前に広がるこの光景は。


「こんなところに、こんな立派な町なんて……」


 人工的に削り整えられた石畳の道。整然と並ぶ建造物。

 樹海との境界であること、住人すべてが何らかの獣相を持っていることを除けば、シオンが知るごく普通の町の風景がそこには広がっていた。


「獣の子らっていうのは、稀にしか生まれないと聞いていたが、そうでもないんだな」


 目の前を笑いながら駆けていく子どもらや、賑やかにざわめく人々を見ながら、シオンは驚きをそのままに口にした。


「……いや、間違いではない。人間や魔獣から生まれる我々はごくわずか。ここにいる者の多くは、私を含めて、生まれてすぐの赤子の頃に村や町から攫ってきた者たちだよ」

「攫って……って⁉」


 ぎょっとすることを淡々と語る女に、シェリルは目を丸くする。


「ロセッタ様!人間に余計なことを……!」

「構うまい。娘、お前、攫って、という言葉に驚いたようだが、実際には救っているのだ。産みの親に殺される運命しかない同胞をな」


 ロセッタと呼ばれた角の生えた女は、仲間から飛んだ低い叱責の声を無視して、挑むような眼をシェリルとシオン、いや、彼らの属する人間という種族に対して向けた。

 強い憎しみとあまりに酷い彼らの生い立ちに、シェリルは息を飲んだ。

 いくら田舎育ちの彼女とて、ルオンノータルに住む者。獣の子らは人間よりも魔獣に近い忌むべき存在だと聞かされて育った。が、産みの親に殺されるほどとは思いもしなかった。

 顔色を変える彼女に、ロセッタは視線の圧力をふっと緩める。そうして、シオンの背中に眠る幼子を見つめて笑みを浮かべた。


「まあ、いい。我らと同じ獣相を持つ子どもが懐いている人間だ。そう悪い者でもあるまいよ」


 彼らが連れているラグが、獣相を持つ者だと知ってからの彼女は機嫌がいい。


「しかし、こんな大きな獣人の町が、よく今まで人間に知られなかったもんだな」


 戦乱の世において、皮肉にもこの忌むべき者たちは注目を集める存在になりつつある。彼らは魔獣と意思を交感できる能力を備えており、彼らを仲間と認識する魔獣を使役することができる。

 この「魔獣使い」の能力を生かして、彼らは雇われ傭兵として様々な国と取引をし、優秀な兵としての評価も需要も高い。

 しかし、これほどの大規模な町が築かれているとなれば、話は別だ。

 人間は獣人を魔獣に近しい存在として忌むし、人間以下の存在として蔑んでもいる。そんな彼らが必要以上に力を蓄えることを良く思うはずがない。町の存在を知ったのならば、絶対に放っておくはずがない。

 シオンの感想に、ロセッタのラグを見つめる母のような慈愛の微笑みが、歴戦の戦士のような笑みに変貌する。


「卑怯で傲慢な人間と一緒にするな。我らは血以上に濃く強い絆で結ばれている。この場所を漏らすような愚か者などいない!」


 排斥され、差別される憤りと憎しみをシェリルはひしひしと重く感じ取った。気付くと、町の喧騒はいつの間にかひっそりと止んでいて、通りには誰もいなくなっていた。窓という窓、扉という扉は、シェリルたち人間を拒絶するかのようにピタリと固く閉ざされた。

 しかし、町のそここから憎悪に満ちた視線と思念を痛いほどに感じる。術士であるシェリルは、人よりも感受性が強い。強すぎる憎悪を浴び続けて、彼女はほうっと疲れた顔でため息をついた。




 一行はやがて、町の集会所のような一際立派な建物の一室に通された。凝った意匠の彫刻が優美に室内の壁や柱を彩っているのを見て、シェリルは感嘆の声を上げた。


「綺麗……」

「美しいだろう。人間どもの遺跡から掘り起こしたただの簡素な石組みに、手先の器用な里の者が手を加えて作り上げたのだ」

「あたしの村の祭堂なんて比べ物にならないくらい綺麗よ。……ああ、なんだか、ほっとした」

「なぜだ?」

「だって、花や鳥や星。私たちと同じものをあなたたちも美しいと感じてる。この町に入ってから、ずっと嫌な目で見られてたけど、同じものを美しいと感じるんだから、いつかはわかりあえるんじゃないかなって、そう思ったの」


 室内を沈黙が包んだ。おかしな雰囲気に周りを見れば、シオンもロセッタも、その他の獣人たちも、ポカンとした顔で彼女を見ている。

 なにか、まずいことを言ってしまったのだろうか?彼らの態度にシェリルが居心地の悪い思いをし始めた矢先に、奥の方で誰かが豪快な笑いを弾けさせた。


「面白い!実に、面白い娘だ!」

「長老!」


 唐突に現れた老人に、ロセッタが慌てて頭を下げ、胸に手を添えて礼の姿勢をとる。


「誠に、人間がお前のような者ばかりであったなら、我らの苦難もなかったものをな」


 皆の視線を集める老人は、萎びて細く、小柄な老いた見た目からか、この大きな町を統率している長老としては頼りなげに見える。が、老いた獅子のような獣相の顔の奥の小さな眼には力強いものが宿っていた。


「……まったく、我が養い子とはいえ、お前は里に厄介ごとばかり起こしおる」

「むしろ、どれも大事に至らずに済んだと、お褒めいただきとうございますのに」


 ため息をつき、眉間に皴寄せる表情と口調とは裏腹に、老人は養い子ロセッタとの会話を楽しんでいるようだった。


「あのっ!ラグは、どこに……?」


 話に無理やり割り込んだシェリルは焦っていた。建物に入ってすぐに、彼女はラグと引き離された。同じ獣相を持つ子どもを手ひどく扱うことはないと信じているが、あんなにも自分に頼り切っている小さな子を見知らぬ者たちの中で一人にさせてしまうのは忍びない。


「優しい人間のお嬢さん。獣の子は同胞である我らと暮らす方が幸せと思わないかね?」

「え?」


 シェリルは老人の言っている意味が、うまく理解できなかった。


「……命は助けてやるから、ガキを置いてとっとと失せろってことか」

「シオン!」


 あんまりに酷薄なシオンの物言いに、シェリルは感情のまま声を荒げた。


「はっきり言えばそうだ、若造。ならば、話が早い。その嬢ちゃんを連れて、早々にこの町を立ち去るがいい。ただし、町のことは他言無用。守れぬ時は……」


 その先は聞かずともわかる。まだ少年の幼さがどことなく残る顔に似合わぬ不敵な笑いを浮かべて、シオンは老人の言葉を手で制した。


「……わかってるよ。俺にとっちゃ、見逃してくれるだけでありがたい。どうする、シェリル?」

「どうする……って」

「俺はあのガキをここに残していった方がいいと思うぜ。獣相の子どもと旅するのは、はっきり言って無理だと思うからな」


 シオンにとって、ラグをこの町に置いていくのは至極当然の選択だ。獣相の子どもを連れて、人間が数多く行き来する街道や町を、正体を知られずに旅することは不可能に近い。

 実を言えば、「獣の子ら」は大人よりも子どもの方が恐ろしいのだ。彼らは魔獣との交感能力を生まれつき持っているが、最初から制御できているわけではない。幼い子どもは幼いほどに親の愛を、庇護を求める。その無意識の感情が交感能力を通じて、親と勘違いした魔獣を呼び寄せることになる。

 呼び寄せられるのは、一匹だけではない。一匹現れればそれを呼び水にして、魔獣はどんどん現れる。魔獣に魅入られた地で人間は生きてはいけない。幼い獣の子らが原因で、魔獣の温床となり、樹海や砂漠に飲まれて消えていった国も数多い。


 獣の子らいるところ、魔獣あり。


 人間社会の中で獣の子らがいないのは、生まれれば忌み子として、ひっそりと闇に葬ってきたからだ。


「……そんな。じゃあ、このまま旅を続けたら、ラグは人間に殺されるかもしれないの?」

「お前、本当にもの知らずだな」


 シオンの冷淡な言葉が耳を叩く。


「世の中、あんたの頭の中みたいに綺麗じゃないのさ。殺される寸前の、いや、瀕死の状態の赤子を、我らがどれほど救ってきたと思う?今だって、我々の手をすり抜けてしまった同胞が、どこかでひっそりと殺されているだろう。育てようとするだけ、魔獣の方がまだましだよ」


 ロセッタの皮肉げな言葉が追い打ちをかける。殺されていく赤子の姿に、ラグの姿が重なって、シェリルは思わず目を瞑り、手で顔を覆う。

 獣人たちに出会ったときに感じた、逆らうことのできない大きな渦に巻き込まれていく不安に、ラグが殺されるかもしれないという恐怖が重なって、彼女の心を身動きもできぬほどに暗い闇が這い寄ってきて縛る。


「あたし……、あたしは……」


 彼女の中にいまだに鮮明に残る、優しく微笑む、けれど、美しい顔に憂いを残す青年の姿がゆらゆらと揺めいた。










  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ