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竜の卵が孵るとき [ラグナノール戦記1]   作者: 猫吉
序章 時に忘れられた村
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第1話 

初投稿です。不定期投稿になります。


 呼んでいる。

 そう、感じる。

 呼ばれている。

 確かに、間違いなく。

 か細く、微かな、けれど、真摯な声。

 高く、低く、緩やかに、絶え間なく続く声。

 心地良い、優しい、響き。

 抱きしめたくなるような愛おしい、響き。

 呼んで。

 願って。

 もっと、強く、望んで。



 柔らかな微風が、頬をそよと撫でゆき、

 木立の隙間から漏れ出づる光が、

 包み込むようにして、その身を照らし出す。

 ぎこちない仕草で辺りを見回す瞳が、大きく見開かれる。

 自分を優しく包み込む世界にようやく気づいたかのように。

 吹き抜けざまになにかを語りかけようとくるくると舞う風。

 ふわりと揺れる木立や下草の慎ましやかな緑とその匂い。

 木立の隙間から彼を見守り、祝福する天と光。

 何も語らず、しかし、悠然と支え続ける大地。

 すう、と手を伸ばす。

 自らを包み込むそれらのものに、語りかける声に。

 やがて、その顔に、笑みが浮ぶ。

 まだ、善悪とても定まらぬ、なにものにも染まらず、

 染まる色さえ色失わせる、無垢に過ぎる微笑みが。






 ティルトは、苔むした岩に寄りかかり、初夏の風に追い立てられる雲の群れを眺めていた。この小高い丘は、彼の気に入り場所だ。彼の住むちっぽけな村と、それを包囲するように生い茂る森と山々が一望できる。

 何より羊たちの好きな草が豊富に生い茂っているので、羊番の彼がこうしてのんびりしていても、口うるさい父親にとがめられずに済む。

 こうやって飽くことなく、羊たちが満腹になって退屈するまで、この風景を眺め続ける。

 天と地と、村とそこで生を営む人々や家畜。これが彼の愛する世界のすべてだ。


 時を止めてしまった村だ。


 変化も、発展もない。彼が村で一番好ましいと思うこの風景を、幼馴染みの娘は怒ったように眉をつり上げてそう言った。男顔負けの勝気さを持つ彼女らしい台詞だと思う。そして、それは彼自身でさえも村の現状を正確に言い当てていると感じていた。

 今、世界は人間がこの地に満ち始めた頃以来の災厄と荒廃の只中にあるという。

 六百年ほど前、後の世に「聖魔大戦」と名付けられる、この世界ルオンノータルすべてを巻き込んだ大きな戦が起こった。魔獣という獰悪な生き物と人間との長きに渡る戦いは、大地を焦土に変え、多くの国々を滅ぼし、多くの人命を奪い、人心を疲弊させた。

 その大きな戦がいつ終わったのか、それとも、まだ続いているのかは、定かではないという。そんなことが些細なことと思われるほどに世界は大きく混乱してしまったのだ。

 焦土と化した大地と同様に心を荒れ果てさせた人間は、わずかに残った実りある領土を奪い合い、魔獣は驚異的な繁殖力と凶悪な膂力をもって天地を我が物顔に荒らしまわり、大戦から何百年も経た今も、世界は戦の痛みを引きずり血を流し続けていた。

 魔獣に襲われ跡形もなく消し去られた村の話、人間同士の戦によって焼かれた町の話を、ティルトは時折思い出したように訪れる行商人から頼みもしないのに、何度も何度も聞かされた。

 話のたびに彼らは言う。

 ここは災厄から見過ごされた土地だと。いつ訪れても変わらぬ村などこのご時勢、ついぞお目にかかったことがないと。

 むろん、彼らが言うようにこの地にまったく変化がなかったわけではない。現に彼が背を預けている大きくそり立った岩も、かつては勇壮な戦士たちで賑わったであろう砦の跡だというし、その他にも村にはいわくありげな遺跡群がそここに点在している。今では見捨てられたと言うに相応しい先人たちの跡地に彼らの父祖は流れ着き、今の村を築いたのだ。

 だが、ティルトにとってそれは遠い過去の話で、行商人の話同様、まったく興味のわかないものだった。

 今、ここには時に忘れられた村と呼ぶに相応しい安穏とした日々が流れている。それでいいじゃないか、と彼は思う。

 時に忘れられた村だからこそ、彼の愛するこのささやかな風景が壊されることなく続いていく。災厄が見過ごしたもうた土地だからこそ、理不尽なことで家族を失ったり、どうしようもない憤りに駆られて涙することもない。

 そんなことを考えているうちに、初夏の日差しはゆっくりと西に傾きつつあることに、ティルトは気付いた。彼はもそりと立ち上がると、大きな伸びをした。それから、古ぼけた麻のバッグから羊の角で作られた角笛を取り出し、大きく息を吸い込んで力の限り吹き鳴らす。

 強く野太い響きはかつての砦跡を風と共に吹き渡り、草を食むことに飽いていた羊たちの元へと届く。いそいそと集まってきた羊たちの数を数えていると、羊に混じって見慣れた子どもが白土色の羊の中を縫うようにして駆け寄ってきた。


「どうした?ホルス」


 ティルトの一番下の弟で、今年八つになるホルスである。頑固な父の一番の気に入りで、まだ幼いながらもよく父の手伝いや使い走りをしている。


「シェリルがどこにもいないんだ。兄ちゃんのとこかと思ったんだけど」


 苦手にしている幼馴染みの勝気な顔を思い浮かべたティルトは、弟に気づかれぬよう、ひっそりと渋面を作った。

 息が詰まる。外の世界に行ってみたい。熱に浮かされたように瞳を輝かせて、外の世界への憧れに胸を膨らませる彼女の気持ちが、彼には理解できない。しかも、質の悪いことに行動力の有り余る彼女は、時折、その言葉を実行に移しさえした。

 こうやって夕暮れ時まで戻らない時に探して連れ戻すのは、いつも彼だ。閉鎖的な村ゆえ、規律を犯す者に村人の目は厳しい。何度となく面倒事を起こしている彼女を、これ以上面倒な立場に追い込むのはまずかろう。


(結局、後の始末をつけるのは、いつも俺なんだ)


 毎度、世話を焼かせる幼馴染みに、ティルトは諦めのため息をつくと、ホルスにバッグを放り投げた。


「羊を連れて、先に帰れ。シェリルは俺が見つけるから、大丈夫だ」


 もう日が完全に沈むまで半刻もない。ティルトは迫りくる夜の闇の手から逃れるかのように、草地を蹴って走り出した。











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