第4話
翌日、ウィルスは王都の地図を見ながら貴族屋敷が並ぶ通りに向かっていた。
一生縁がなさそうな、高級馬車が往来を行き来している。
日傘を広げた貴婦人たちがウィルスの姿を見てくすくすと笑った。
だが、ウィルスにとってそんなことはどうでもいいことであった。
地図を片手に、ようやく目的のハスク家の屋敷に辿り着く。
門構えからして相当立派なもので、一般庶民のウィルスには門の向こう側など夢の世界のようだった。
とりあえず門番に話しかけてみる。
「すみませんが、昨日こちらのお嬢様、フィリア様が買われたぬいぐるみのおもちゃ屋の店主をしているウィルス=シュパンサーと申します。フィリア様にお目通り願いたいのですが…」
「少々待たれよ」
門番が屋敷の中に消えていく。そうして十分後、戻ってきた門番は門を開いた。
「フィリア様が会われるそうだ」
「どうもありがとうございます」
ウィルスは礼をいうと、屋敷の敷地内に一歩、足を踏み入れた。
***
通されたのは応接室。どの調度品も赤を基調とし、ソファーの弾力は半端なかった。
下がるシャンデリアに口を開けていたら、扉が開く。
ぬいぐるみを片手に現れた子供がすぐにフィリアだと分かった。後ろに執事がついている。
「ようこそお越しくださいました。昨日は無理を通して申し訳ございませんでした」
そう言う執事の影に隠れるようにして、フィリアはじっとウィルスを見ている。
「フィリアお嬢様、こちらの方がそのぬいぐるみを作られた方ですよ」
「……」
フィリアはおずおずと出てくると、ウィルスの前で礼儀正しくお辞儀した。
「ハスク家の三女、フィリア=ハスク=ドルチェと申します……あの……このぬいぐるみ……とても気に入ったの……」
「そ…っか」
ウィルスはフィリアの腕に抱かれているテディを見つめる。
この時のテディの声など、ウィルスに届くはずがない。
フィリアの幸せそうな顔を見つめていたら、なんだかこちらも幸せをもらいそうになってしまった。
「あの、今日は用事があってここに来たんです」
ウィルスは持ってきた黒鞄をローテーブルの上に置いた。
「こんな大金受け取れません。僕は子供の笑顔があればそれで十分です。お返しします」
「ですが、それではこちらの面目が立ちません。どうかお受け取り下さい」
執事がそういうが、ウィルスは頑として譲らなかった。
ウィルスの頑なな態度に執事の方が折れる。
「分かりました、そこまで言うのならこちらは引き取りましょう」
「あともう一つお願いがあるのですが」
ウィルスは袋から取り出したくまのぬいぐるみを革鞄の横に置いた。
「このぬいぐるみと、それを交換して頂きたいのです。これは僕が同じように魂を込めて作りました。どうか聞き届けてもらいたいのです」
執事はフィリアを見るが、フィリアは首を振ってテディを抱き締めた。
「お嬢様はこちらのぬいぐるみの方が気に入られたと申されております」
「そこを、なんとか……! どうか……! そのぬいぐるみは僕にとって特別なんです!」
しかしフィリアは最後まで首を縦に振らなかった。
***
肩を落として家に帰ってきたウィルスは、店を閉めたまま工房の椅子に座った。
結局テディを取り戻すことは叶わなかった。
拳を作って、膝の上に置く。
――出来れば……この方法は取りたくなかった。
本来あるべき自分の姿とは全く異なるから。
それに、死んだ両親のことも思い出す……自分がおもちゃ職人である事を真っ向から否定するようで、これまで一人では一度もやったことがない。
立ち上がって、自宅の自分の部屋に戻ると、衣装箱の一番下からそれを取り出した。
漆黒の衣装。そして、その衣装に包まれた七つ道具が白日の下、鈍色に光る。
「…………」
そのうちの一つを取って太陽に向けると、光点を集め放射線状に明かりを散らした。