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入選しなかったので。。

作者: 愛松森

私が夏休み課題として提出した読書感想文です。入選しなかったので、平々凡々な作文だと思いますが・・。

織守きょうや 作 「記憶屋」のネタバレありですので、ご注意ください。

妙にテンションが高かった時の私が書いたので、本当に読書感想文ですか?というような物語じみた感想文(?)になっちゃってますが、温かい目で読んでもらえたら幸いです。

織守きょうや作「記憶屋」に私が出会ったのは、近所の書店の一角であった。本が整然と並べられているその本棚からこの本を選んだのには、理由がある。それは、ほかでもないその本の帯の色、煌びやかなその金色が我が目を奪ったからである。実に格好の悪い、根拠のない本選びであったと今は思う。珍しく本の裏表紙の内容紹介も読まずに、即刻レジに向かって購入していた。

 

 こういった突拍子もない理由でこの本を読むことになったのであるが、読んでいるうちに内容に打ち解けていった。記憶を食べる記憶屋と呼ばれる都市伝説がこの本の主軸となっている。この本の題でもある「記憶屋」を目にしたとき、記憶を売ってくれる人なのかなと思っていた。現に「駄菓子屋」や「茶屋」といった○○屋というものは、○○を売っている店であるからだ。だが、記憶屋はその真逆で記憶を売るのではなく、買う、消す側の立場である。その点が意外であったため、記憶屋というものに興味をそそられた。そのため、記憶屋の正体を暴いていく主人公らと、私の知りたいという願望がリンクした。読み進めるたびに、謎が解けていく。謎が解けていくと、私の願望も成就していく。そういった関係がこの本と私の間に芽生えていた。

 

 先にも述べたが、この本は謎解きの要素が多い。記憶屋の正体を徐々にひも解いていく展開にワクワクする。その結末にも大変驚かされたが、その過程が実に回りくどい。だが、その分読者に与えられるヒントも多ければ、考える時間も多いのだ。そうして、私の中で一定の見解が成立した。しかし、それを裏切る最後の落ちでズドンと強いインパクトを与えられた。予想の遥か上をいったその結末に圧巻され、感動した。

 

 そうしてこの本を読み終えたのであるが、その後に裏表紙の説明を読んだ。それを読んで私は驚いた。なんとこの本がホラーの部類に類するのだという。私はてっきりミステリー小説だとばかり思っていた。私のホラーのイメージとは、グロテスクで、とにかく怖いというものだった。小さな子供が泣き出すような話がホラーなのだと思っていた。が、しかしこの話は、恐怖というよりも感動の方で涙を誘うような本であると思う。私は私のホラーという部類への先入観を崩壊させてくれたこの本に感謝する。それは元より、ホラーと知っていればこの本を買うこともしなかっただろう。これもひとえにあの金色の帯のお陰なのだ。なんという、運命のいたずらだ。

 

 記憶屋の能力である、記憶の消去。記憶消去と聞いてどのようなイメージを持つだろうか。辛い記憶を消してくれると聞けば、いいイメージだろう。大切な人の記憶を消すと聞けば、悪いイメージだろう。だが、記憶屋の記憶の消去はその両方の面を持ち合わせているのだ。それが、面白い設定だと個人的には思う。悪なのか、正義なのか、甲乙つけがたい。結局、読み終わった後でも私にはその答えはわからなかった。でも、ひとつ思うことは、記憶屋が実在したらいいな、ということ。実在してほしい理由も、これといった根拠もない。それでも、この本を読んだ後、実在していてほしいと自然と思ってしまった。私の心の奥にも、消してほしい記憶や、思いがあるのだろうか。思い当たる節は全くないのだが。けれども、私にも悩みの一つや二つある。勉強のこと、未来のこと・・。でも、それを消したいとは思わないし、消したとしても再び同じ悩みに直面することは目に見えている。学生の苦悩は、学生である以上背負っていく定めなのだ。私も、そろそろ覚悟を決めなければならないな、と思う。

 

 この本を読むにあたって、記憶について深く考えさせられた。記憶は、過去と今、今と未来を繋いでくれるだけでなく、それに関連した人やその思いも残してくれる。もちろん、幸せな記憶だけでなく、辛い記憶もある。それでも、今を大切に生きることで、どんな記憶も有効に使うことができると思う。記憶に縛られるのではなく、記憶を今の思いで括り付けて、すべて忘れずに、次のステージへの踏み台にする。そうして築いた踏み台を使って、上へ上へと登って行きたい。成長とはそういうことだろう。記憶も成長のためには必要なもので、簡単に捨てたり、手放してはいけないと思う。どんなに辛いことでも、捨てる前によく考えてみて欲しい。どんなに思い悩んだことでも、数年経てば自然と忘れていることがほとんどだ。消したいと願うより、それを糧にして数年生きて、それですっかり忘れてしまう方がずっといいと思う。記憶の使い方はそれぞれ個人の自由だ。だからこそ、私はそれらを大切にして生きて行きたい。どんなに辛くても、その記憶に真っ向から挑んで、そして乗り越えていきたい。私はもう迷わない、悩まない。私の覚悟は決まった。


小学校三年生から毎年書いている読書感想文ですが、いっこうに上達する気配はありません。来年もここにきっと私の作文があがっていることでしょう。

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