8.
視界の全てが白く塗り潰されていた。
それが真っ白な天井だと理解するまでに数秒掛かってしまった。
どうやら私はベッドで横になっているらしい。
あれ。
デジャビュだろうか。つい最近に同じような事があった気がするのだけど。
「……こ、っ」
ここは、と声を上げようとしたが、引き攣るような痛みに遮られた。
顔が焼けるように痛い。
ヤスリで肉をごっそりと削りおろされたらこんな感じなのかもしれない。
「よう。お目覚めか」
声に視線を巡らせるとベット脇の椅子に柳が腰掛けていた。
瞬間、記憶が爆発した。
理沙、魔女憑き、誠くん、そして――
飛び起きようとしたが上半身に走る痛みでベットへ逆戻り。
改めて見れば全身にくまなく包帯が巻かれていた。
所々が赤黒く変色している。
「葉子曰く、死んでないのが不思議、だそうだ。お前には普通の人間の血を輸血できないから、かなり手を焼いていたみたいだぞ」
「わら、は……」
喋ろうとしたが、酸素吸入器が付けられている上に顔も包帯でぐるぐるミイラで、おまけに歯や唇まで無くなってるものだから、まともな言葉にならない。
溜息をついて魔法を発動する。
とにかくあちこちが痛むが、優先して口周りと呼吸器官だけを復元した。
顔の酸素吸入器を取って尋ねる。
「あれからどのくらい経ってる?」
「お前がここに担ぎ込まれてから三日だ」
「……随分と寝込んでいたのね」
「目が覚めただけ幸運さ。
――さて、聞きたいことがあれば答えるが。それとも傷の治療を優先するか?」
「治療は後にする。いま治したら疲れてまた眠っちゃいそうだわ。それよりも意識を失っていた間のことを聞かせて」
「わかった。っと、その前に一点だけ確認させてくれ。詩村理沙は魔女憑きだった。それに間違いはないか」
一瞬、なぜそんなことを聞くのだろう、と思ったが、よくよく考えれば彼女が魔法を使うところを見たのは私だけなのだ。
「間違いないわ。彼女自身の血液を媒介にして他人の肉体を破壊する魔法を使っていた。破壊対象は過去現在を問わず、彼女の血液が付着した箇所すべて」
「それでその傷か。だがそれだと本人の身体が一晩中裂け続けた理由がわからないな」
私は彼女が語っていた内容をそのまま柳に伝えた。
つまるところあれは、私を虐げたい欲求を満たすためと、さらに大量の血液を浴びせるための演技だったわけだ。
「なるほどな、色恋沙汰が絡むと女は怖いね。男として女性にはもう少し幻想を抱く余地が欲しいところなんだが」
「女性が清潔で美しいのは写真の中だけよ」
「……お前は本当に容赦がないな」
本気で引かれてしまったようだ。
まあ柳にどう思われようがどうでもいいことなのだが。
「そんなことより、そっちの調査で何かわかったことは?」
「いくつかある。まずは西藤敬太と詩村理沙の接点だ」
「サイトウケイタって誰」
「当然のように聞き返すなよ。お前の目の前で死んだ魔女憑きの男だ」
「ああ、あの男」
言われてみればそんな名前だった気もする。
「理沙の姉の詩村千枝。彼女が西藤に性的な関係を強要されていたらしい。何か弱みを握られていたそうだが詳細は不明だ。
詩村千枝は『妹にまで被害が及ぶから』という理由で暫く前から家に戻っていなかったそうだ。
理沙があの少年を連れ込んだのはその期間だな」
「そうなんだ」
「結局、詩村千枝は守ろうとした妹に殺された訳だ。まったく、人生なにがどう転ぶかわからないな」
「間の抜けた話よね」
「そう言ってやるなよ。彼女が一番の被害者だ」
「死んだ人間の情報なんてどうでもいいわ。死者は助けようがないもの。
助けられない『被害者』に意味なんてないわ」
それ以上の感慨は浮かばなかったし、興味もなかった。
一人の人間が自滅した。
たったそれだけの話なのだから。
そもそも死者について考えるということ自体が酷く無駄な行為なのだ。
その人間が死んでいるという真実以外に、もう取り返しがつかないという現実以外に、いったいどのような言葉を重ねる必要があるのだろう。
変えようのない過去に価値などありはしないのに。
「被害者の意味、ねえ。どこぞの人権団体が聞いたら顔を真っ赤にして怒鳴りだしそうな言葉だな。まあともかく、自分が興味のない情報でも事件に関するものは頭にはいれておけ。どれが真実へたどり着く糸なのか、手繰り寄せるまでわからないからな」
「……そうね」
魔女憑き絡みの事件は全ての真相が明らかになるということは稀だ。
今回だけでなく、大概は不可解な点が残ったまま魔女憑きが処分されることで決着する。
普通の刑事事件とは異なり、動機云々以前に現象を止めることが最優先だからだ。
「わからないといえば、理沙はいつ魔女憑きになったのかしら」
「その点については不明のままだ。ただ根拠もなにもない推論だが、西藤が魔女に殺された直後なのかもしれないな。タイミングが合致し過ぎている」
「確かに西藤が全身の骨を砕かれて死んだ直後に、理沙の魔法が発動していたわね。となるとこの本部の中に魔女が入り込んでいたことになるけれど……」
「【魔女はどこにでも現れる。奴等はどこにでも存在しているからだ】」
「ゴズウェルの言葉だったかしら」
「真偽のほどは分からないけどな。ただ歴史上、最も魔女の秘密に近づいたといわれる錬金術師が遺した言葉だ。案外、本当に近くにいるのかもしれない」
「そうだといいわね。探しまわる手間が省けるわ」
「重傷なのに勇ましいことで」
柳は肩を竦めて苦笑した。
結局今回の一連の事件でわかったのは『赤色系の瞳を持った魔女が近くにいるらしい』ということだけだった。まあ情報がゼロでないだけ幾分かましというものだろうか。
「――そういえば、誠くんは無事だったのかしら」
不意に浴室で倒れていた彼のことを思い出した。
唯一の目に見える成果といえば、彼という被害者を助けられたことだ。
「意識不明の重体だ。とにかく衰弱が酷くてな。幸い命に別状はないようだから、そのうち目を覚ますだろ」
「そう。手足の健を繋いだのが無駄にならなくてよかったわ。ここ数日、治療した先から死んでいくばかりだったから」
「殺すために生かしておくとか、生かしたから殺す必要がでてくるとか、なんとも虚しい話だな」
「合理性には欠けるわね。無駄とは思わないけれど」
「まあ今は他人の傷より自分の身体だ。早く体調戻せよ。ウィルシアが立ち寄る度に見舞いの品を置いてくもんだからホラ、横見てみろよ」
指さされたキャビネットの上を見て瞠目してしまった。
果物が山ほどに積まれている。
これはどう考えても食べきるよりも腐る方が早いだろう。
柳は「やれやれだな」と苦笑して見舞い品の林檎を手に取り、そのまま果物ナイフで皮を剥き始めた。
少し喋り疲れたので、林檎が白く変わっていく様子をただただ観察する。
「無駄に剥くの上手いわね」
「お前こそ無駄に一言が多いんだよ。そこは普通に褒めていいだろ。
それはそうと『誠くん』なんて随分と親しそうに彼のことを呼ぶじゃないか。お前が名前を覚えている時点で珍しいが、どういう関係なんだ」
「ん、まあ」
しまった。
これは酷い失言な気がする。
「べつに……中学で一緒のクラスだったというだけよ」
「お前が同じクラスだった、ってだけの理由で名前を覚えるわけないだろ。もう五年も一緒にいる佐藤のオッサン、こないだ名前を覚えてもらえない、って落ち込んでたぞ」
む、痛いところを突いてくる。
ちなみに『佐藤のオッサン』は第七営業ビル所属の用務員のおじさんだ。
とにかく特徴と存在感が無い人なので未だに覚えきれていない。
「佐藤か斉藤か、二択のところまではいくのよ」
「どういう覚え方すればそうなるんだよ」
「たぶん同じ苗字の人がたくさんいるから悪いんだわ。イコールで繋がりにくい。わかりやすく斉藤①、斉藤②という形で呼称するべきよ」
「そのために名前ってのは『姓』と『名』でワンセットなんだろ」
「それよ、そこも問題だわ。下の名前があるから余計に長いし覚え辛いのよ。名前なんて記号なんだから分かりやすい方がいいに決まっているわ」
「つまりなんだ、お前が他人の名前を覚えないのは、名前に関する制度自体が悪いと言いたいんだな」
「断言できるわ。姓名の『名』が①②③って番号なら、私も斉藤のおじさんのことを覚えていられたはずだもの。あの人は斉藤①。いま決めたわ」
「オッサンの名前は佐藤だ。斉藤じゃない」
「……。…………」
「そんな適当なお前がクラスメイトの男子の名前を覚えているとか聞くと、お兄さんの好奇心も刺激されちゃうわけよ」
ニヤけ顔で差し出された林檎を断って、私は目を瞑った。
「ちょっと寝る」
悔しいけれど口じゃ柳に敵わない。
でも喋らなければ負けでもないと思われる。
この件に関しては引分で十分だ。
というか今気付いたけど、そもそも答える理由も義理もないわよね、これ。
まあ、誠くんとは二度と顔を合わせることもないだろう。
あれだけ傷を負った顔面を見せているのだ。
それが傷一つない状態に復元されていたら、彼が訝しむことは想像に難くない。
せっかく名前を覚えたのに……とは思うが、しかたのない事だ。
私は『誠くん』という名前を記憶のゴミ箱に放り投げつつ、まどろみに身を任せることにした。
第一話終了です。
読んで頂きありがとうございました。
続きは気長に待って頂けたら嬉しいです。