3.
視界の全てが白く塗り潰されていた。
「――。――あ」
それが真っ白な天井だと理解するまでに数秒掛かってしまった。
どうやら私はベッドで横になっているらしい。
あれ。
昨日はいつベッドに入ったっけ。
「えっと」
何度か深く深呼吸を繰り返して、やっと昨日のことを思い出せた。
そうだ、私は自分の血液に切り刻まれる女の子の治療をしていたのだ。こんな簡単なことをどうして直ぐに思い出せない。相変わらず、寝起きは頭の回転が最悪だ。
最悪といえば体調も最悪である。
気持ちが悪い。吐き気が止まらない。
眠っていても収まりそうにないので、ベッドに上半身を起こした。
そう、結局。
あの少女の治療は、日付が変わって五時間ほど経過するまで続いた。
予想通り明け方には傷が出来る現象が収まったので、一応、彼女の全身の傷を治すことには成功した。
やれやれと血だらけのベッドから立ち上がって――そこから先の記憶がない。限界まで魔法を使った後は貧血によくにた症状になるので、たぶん倒れたのだろう。
ここはどこだろう、と周囲を見渡せば、来客用の宿泊部室の一つだった。巌本か柳がここに運び込んでくれたのだろうか。
「……」
一瞬、男二人に抱えられて搬送される自分が脳裏を過り、言いようのない憂鬱感に苛まれた。力を使いすぎて倒れるなんて間抜けもいいところだ。柳あたりにはいいように笑われてしまっただろう。
「シャワー浴びよ……」
過去の恥は熱いお湯で下水へ流してしまおう。それがいい。
部屋の奥にある備え付けのシャワールームへ向かった。途中、鏡で自分の姿を見て改めて溜息が洩れた。髪から足先まで、全身が他人の血で真っ黒だ。当然、服も黒い斑模様に染め上げられている。
「最低がもう一個追加ね」
身に付けていたものをまとめてゴミ箱へ放り投げた。まだ買ってから数回しか着ていない服だった気がするが……まあ、なんだかもう考えるのも面倒くさい。今はとにかく身体を流したかった。
コックを捻るとすぐに熱いお湯が吹き出してきた。
お風呂は好きだ。水の音が気持ちいい。赤黒く染まったお湯が排水溝に流れるのを、努めて何も考えずに見送る。赤黒い水の渦が蛍光灯の光を反射してきらきらと光っていた。
あ、今度巌本に趣味のことを聞かれたら「お風呂」って答えてみようか。これは趣味に入る……ような気がしないでもない。
さっと身体の水気を払って脱衣所へ戻ると、壁際で肌色の何かが動くのが見えた。それが洗面台の鏡に写る自分の体だと認識して、本当に何気なく、じっと見つめてしまった。
鶏ガラみたいな身体に、ワカメのような長髪が絡み付いていた。
なにかこう、まとめて煮込んだらスープのダシでもとれそうだ。
「……は」
女子が自分の身体に抱く感想としては、いささか自虐的過ぎる。
なんで今日に限ってこんなことを考えてしまうんだろうか。いつもは気にもならないのに……と、髪を乾かしながら漠然とした思考を巡らせ、ああそうか、治療を施した子と比べてるんだと気付かされた。
私と同じ年齢くらいの女の子。柔らかそうな身体をしていた。そういえば胸も大きかった気がする。あの死んだ魔女憑きの男が――なんという名前か忘れてしまったが――自分のモノにしたい考えるのも、理屈的に理解出来ないでもない。
「あ」
服を着ようとドライヤーを置いた瞬間、あることに気が付いた。
着替えが無いじゃないか。
着ていた服は先ほどゴミ箱へ投げ入れたばかりだ。それを引っ張り出して再び身に付けるのは、それこそ一人の女としてやってはいけないことのような気がする。
着替えのストックはこことは別の部屋、私の仮眠室に置いてある。問題はどうやってその部屋まで行くかだが。
「………………。バスタオル巻いておけばいいか」
よくよく考えれば大した問題ではなかった。別に全裸で出歩くわけじゃないんだから。
思い立ったら即行動。湯冷めする前に服を着たかったので、私はバスタオルを巻いて足早に来客部室を後にした。
廊下は室内よりも空調が効いていて、ひんやりと冷たかった。ぺたぺたと素足で床を叩いて進む。途中何度か人とすれ違ったが、予想通り誰にも咎められることはなかった。
仮眠室に到着すると、クローゼットから下着を引っ張り出して身につける。
私の仮眠室は手狭なビジネスホテルに似た造りだ。薄暗い部屋にあるのは電話機、ベッド、ユニットバス、冷蔵庫、クローゼット。それで全部だ。地下なので当然窓は無い。私は広い場所にいるより狭い場所の方が落ち着くので、ここはそれなりに気に入っていた。
髪をタオルで拭っていると、唐突に部屋のスライドドアが開いた。
「おい、神樂!」
ドアから現れた長身の男――柳は、下着姿の私を見て驚いたように硬直した。
「――――――お前、もっと肉付けろよ。可哀想になってくる」
ぐっ。
おのれ。
なんてデリカシーの無い男だ。
「女性の下着姿を見て、第一声がそれ?」
「正直な性分でね。でもまあ自分を女だと認識してるなら、お前も堂々と仁王立ちしてるとかじゃなくて、もっと女らしい反応して見せろよ」
……。
バスタオルを胸に掻き抱いて、赤面して『キャー』とか女らしい悲鳴をあげる自分。
うわあ。
ちょっと想像して鳥肌がたった。不気味すぎる。
「仮に私がそういう態度をとったらアンタはどうするのよ。慌てて部屋から出て行ってくれるのかしら」
「いいや。指差して爆笑する」
「死ね」
湿ったバスタオルを投げつけてやった。
失礼過ぎるだろう。
「服着るからあっち向いてて。――で、何の用よ」
「ちょっと様子を見にきただけだ。つうか目を覚ましたら連絡しろってメモ残しておいただろうが」
「そうなんだ。気がつかなかったわ」
「相変わらず寝起きは注意力散漫だな。この部屋も鍵掛かってなかったし」
そういえばドアロックを忘れていた気がする。我ながら不用心な話である。
「あと素っ裸で廊下をのし歩いてたってセキュリティのオッサンが驚いてたぞ。いくらなんでも裸は駄目だろ、裸は」
「裸じゃないわよ。バスタオル巻いてた」
「世間一般じゃそれを裸っつーんだよ」
「裸じゃないのに? それは不思議な話ね」
まあ、どうでもいいことだ。
「それよりあの子の様子はどうなの。まだ生きてるのかしら」
「……生きてるよ。三時間ほど前に目を覚ました。ショックは受けてるみたいだが意識もしっかりしている。何かあれば連絡が来るはずだ」
「そう」
昨日の治療で魔女の呪いが解けたわけではない。私が施したのはただの対処療法だ。日が落ちて魔女の力が強まれば、あの子は再び自分の血に切り刻まれることになるだろう。
現在時刻は十五時十分。
夕刻まで、もうあまり時間がない。
「呪いを掛けたのは、昨日死んだあの男かしら」
呪いといっても、それは便宜的に呼んでいるだけであって、実質的には魔女への『願い』によって得た、何者かの『魔法』によって引き起こされる現象だ。
つまり「こうやって殺したい」「こんな風に殺す手段が欲しい」という明確な殺意の下にある願望――それを抱き、かつ魔女へ願った者が存在することになる。
「西藤か? 考えにくいな。あの男が死んだいま、あいつがなにを魔女に願って、どんな『魔法』を得ていたのかは推測するしかないが」
「あの男はウィルシアが捕まえたのよね。彼女はどこにいるの」
「昨日の仕事だった『遺品』の運搬が明け方までかかったから、現地で足止め中だ」
曰く、本当は二人での任務だったが、魔女憑きを捕まえたことで柳が本部へ戻り、『遺品』の運搬は単独行動能力の高いウィルシア一人で行う事になったのだそうだ。
「ウィルシアが捕まえる時に、あの死んだ男は『魔法』を使わなかったの?」
「使おうとしたようだが、使わせなかったらしい。女の悲鳴が聞こえた瞬間にウィルシアがすっ飛んで行って、俺が現場に駆けつけた時にはボッコボコ。魔力が粘られたのを感じて発動する前に潰したそうだ。念入りにな」
「なるほどね」
ウィルシアは性犯罪者に対して強い嫌悪感を持っているので、相当『念入り』になってしまったのだろう。どうりであの男がぼろぼろだったわけだ。まあ同情の余地はない。
「ともかくだ、少なくとも西藤には『魔法』を使ってまで詩村理沙を殺す動機は存在していないだろう。なにしろ殺したら目的の性犯罪に及べない」
「死体愛好だった可能性は?」
「えぐい想像だな。だがそういう話も聞いていない。強姦歴は多いが殺人歴はなし。情報に抜けがある可能性も否定はできないが」
ふむ。
決めつけるのはよくないが、確かにこの段階であの男が呪いの主だという可能性は低いような気もする。
「別件での呪い、ってことかしら。同時に二つの案件が関わるなんて珍しいけど」
「可能性はその方が高いだろうな。まあ犯人は生きてくれた方がこちらの都合が良い。呪いを掛けた本人が死んでいたら解呪が難しくなるだけだ」
魔女から得た『魔法』のキャンセル――解呪には『魔法』を掛けた本人がそれを解くのが確実だ。
まあそれも、考え方によっては最も難しい選択肢になるのだけど。なにしろ『魔法』なんてモノにまで縋って叶えた願望なのだ。簡単に取り消すわけがない。
「ともかく、あの子の話を聞いてみましょう。何か魔女への手掛かりが得られるかもしれないわ」
着替えを終えた私は、最後に白衣を羽織って部屋を出た。
気休め程度だが、白衣があると多少は服に血が付きにくい。あと制服効果というやつだろうか、私のような子供でも白衣姿で「医者」を名乗ると、相手からは多少の信頼を得られたりするのだ。
少女の病室は私の仮眠室からほど近いB4Fの個室だった。
廊下で待つ、という柳を残して病室へ入る。
そこは私の仮眠室よりは幾分か広い賓客用の部屋だった。
ベッドから上半身を起こした少女――確か詩村理沙だったか――と目が合う。柳の言っていた通り容体は落ち着いているようだ。顔色が若干悪いのは恐らく貧血の為だろう。
「こんにちは。気分はどうかしら」
そんなモノいいわけがないのだが、会話の切っ掛けとしてそう尋ねる。
私は知らない人間と会話するのが非常に苦手なので(何を喋ったらいいのかが分からないのだ)この手の常套句はとてもありがたい。
「ひさしぶりだね、時坂さん」
――故に。
予想外の返答があると、情けないことに硬直してしまう。ちょうど今現在のように。
ひさしぶり?
まるで昔からの知り合いであるかのような気楽さだった。どこか苦笑というか失笑というか、何かを皮肉っているような響きさえある挨拶。
口ぶりから察するにこの理沙という少女は私を知っているようだ。が、これは断言してもいいが、私と彼女は知己の間柄ではない。ほんの半日ほど前に治療した患者と医者、それだけの関係のはずだ。
「もしかして……理沙のこと覚えてない? なんて、そんなことあるわけないか」
返答が遅れたためだろうか、理沙が冗談交じりな様子で小首をかしげた。
その可愛らしい所作を眺めつつ、私はさらに三秒ほど記憶を洗い――結果、思い出そうとする行為を放棄した。
目の前に知っているという人間がいるのだから、本人に聞くのが最も効率的だ。
「申し訳ないけれど記憶にないわ。私たち、どこかで会っていたかしら」
そう答えた瞬間、理沙の顔から表情というものがストンと抜け落ちた。青白い相貌からさらに血の気が引き、いっそ死体のようですらあった。
「理沙のこと覚えてないの? あんなに長い時間一緒にいたのに?」
「一緒にいた?」
「あ――」
理沙は極々小さな呻きを漏らして俯き、
――顔を上げたときには、どこか拗ねたような表情に変わっていた。
「なんでもない。でも時坂さん、ひっどい! 理沙ってそんなに存在感なかった? 二年も同じクラスだったのに」
同じクラス。
さすがにそこまで聞けば、どれだけ察しの悪い人間――つまり私のような人間でも想像がつく。
「私と同じ、第四中学の卒業生?」
「二年と三年で同じクラスだったんだよ。理沙ちょっと傷ついちゃったな」
その冗談めかした口調に反して表情は本当に不快そうだった。恐らく、本気で気分を害しているのだろう。
――ああ、私の馬鹿。
またやってしまった。また他人を怒らせてしまった。
昔からそうなのだ。
私は他人という存在に対して【酷く鈍感だ】。
他人に対して全く興味を抱くことが出来ない。それこそ病的なほどに。
生物は対象物への興味関心度合いによってその行動に優先順位を付けるが、私にとって大多数の人間は――誤解を恐れずに言い切ってしまえば『どうでもいい』レベルを超えることが、ほんとうに、滅多にない。
その性質が、年齢が同じでたまたま居住地区が近いというだけで集められた集団、すなわち学校という空間、クラスという疑似群体において、どういった効果を生み出すかは想像に難くないだろう。
私に話しかけてくれるような奇特な人もいたが、こちらがいつまで経っても名前を覚えないものだから、呆れて近寄ってくることすらなくなってしまった。彼・彼女たちには悪いことをしてしまったと、今でも認識している。
そう、私は認識している。
このどうしようもない自分の欠陥を、認識している。
そしてもし叶うのであれば、この欠陥を――欠陥としか表現のしようがない性質を――治したいとも考えている。
人を不快にすることも、傷つけることも、悪いことなのだから。
悪いことをしてはいけない。
それは私が守ると決めた、大切な約束だから。
「ごめんなさい。覚えてなくて」
頭をさげると彼女は渋面を背けた。
無神経に相手を傷つけたのなら、まずはきちんと謝罪しなければいけない。目は伏せて、堂々としていてはいけないのだ。
「……もういいよ。理沙呆れちゃった」
「そう、ありがとう」
嘆息混じりの彼女の声に、しかし私は『面倒なことになった』という認識を募らせる。
まさか私を知っている人間とこんな状況で顔を合わせることになるなんて。彼女にとって私はただの同級生、それも察するに、それなりに長い時間を共有してきた間柄らしい。そうなると、
「理沙あんりよく覚えてないんだけど、時坂さんとは昨日も会ってるよね。もしかして理沙のこと助けてくれたの時坂さん? というかそもそもなんで時坂さんがこんな所にいるの? なんでお医者さんの服着てるの? あとココはどこなの? 普通の病院とかじゃないみたいだし」
当然、質問攻めになるわけで。
「ええと、落ち着いて。順番に全部話すから」
それから私は現状の彼女が置かれている状況を説明した。
何者かに呪いを掛けられていること、昨晩の傷は私の魔法で塞いだが、また夜になれば呪いの力が戻り、自身の血液に切り刻まれるであろうこと。
全てを聞き終えると、理沙は異常者でも見るような視線を私に投げた。
「呪いに魔法? 冗談にしても面白くないよ」
まあ当然の反応である。
「信じられないかもしれないけど事実よ。昨晩自分の身体に起きたことは理解しているでしょう」
「それは、そうだけど」
「それで何点か貴女に聞きたいことがあるの。とても大事なことよ」
理沙はまだ納得していない様子だったが強引に話を進める。
時間がないのだ。
「……なに?」
「さっきも言ったけど、貴女は誰かに狙われているの。貴女のことを恨んでいたり、憎んでいたりするような相手に心当たりはない?」
「ッ! 理沙誰かに恨まれるようなことなんてしてないもん! 嫌われたりなんかしないんだから!」
かあっと頬を高揚させて大声をあげた。
突然の癇癪に唖然と見返してしまう。
「本当なんだからね! ねえ時坂さん聞いてるの!?」
「う、うん。大丈夫、聞いてるわ。えっと、貴女を貶したつもりはないの。ただ――」
「嘘! そんなこと言ってどうせ内心では馬鹿にしてるんでしょ!? もう嫌、何なの昨日から! 理沙なんにも悪いことしてないのに何でこんな目に遭わなきゃならないの!」
わあっ、と大粒の涙を零しながら布団に伏せってしまった。
ああああ。
参った。
まるで癇癪を起こした子供だ。どう手を付けていいのかわからない。
急に廊下で待っている柳が恨めしくなってきた。きっとこんな展開を多少なりとも予想したから部屋に入ってこなかったのだ。日頃から「女子供は面倒だから苦手だ」と言っている彼だが、なるほど、確かにこれは面倒臭い。
そもそも彼女はなぜ協力を拒むような態度を取れるのだろう。放って置けばあと数時間で全身が裂けて死ぬかもしれないというのに。その事実を理解出来ていないのだろうか。
「助けて、誰か理沙を助けてよ」
泣き声は次第に嗚咽へと変わる。
助けて、か。
「理沙さん」
「……」
「理沙さん、聞いて。私は貴女を助けたいの」
「……理沙を?」
「ええ。私は魔女がらみの事件で死人が出ることを望んでいないわ。そのためには貴女の協力が必要不可欠なの。だからお願い、私に協力して」
言っていることは事実なのだが、我ながら白々しい台詞である。まあどこかで読んだ本の受け売りなので、白々しいのは当然なのだけど。
「本当に? 本当に理沙を助けてくれるの?」
「約束するわ」
それでもやはり、この手のテンプレートは状況に窮している人間にはそれなりに効果があるものなのだ。本当に常套句はとてもありがたい。
「理沙の協力が必要?」
「ええ。だから泣かないで話してもらるかしら」
「……。…………うん、わかった」
理沙はしばらく迷った末に頷いた。よかった。
「でもでも、協力する前に理沙お願いがあるの」
「え?」
「協力してあげる。だから理沙のお願いも一個きいて?」
ええっ。
何を言っているんだろうか、この子は。
自分を助ける協力をしてもらう代わりに、私に何かをして欲しいということなんだろうか。でもそれは彼女のためであり、いや、確かに私が望んでいることでもあるんだけど、でも結局は――
「……どうぞ」
いいやもう。なんだか考えるのが面倒臭くなってきた。
「えっとね、理沙一度お家に帰りたいの」
「それは、勿論、そのくらい出来ないことはないけれど」
「本当に!? やったあ、誰にお願いしても『今は帰せない』ばっかりで困ってたんだ。みんな意地悪だけど、時坂さんは優しいね」
いつ呪いが発動してもおかしくはないのだから、他の人は彼女の身を案じて引き留めていたはずなのだけど。親切心とは中々に伝わりにくいもののようだ。
「一応、理由を聞いてもいいかしら。正直に言えばここから離れない方が賢明なのだけど」
「理沙ね、彼氏がいるの」
「はあ、彼氏が」
小首を傾げてしまう。話の飛躍についていけないのは、やはり私がずれているせいなのだろうか。
「誠くんのことは流石に覚えてるよね。いまね、誠くんと理沙は同棲してるんだー」
「そうなんだ」
覚えてない。マコトクンとやらには全く覚えがないのだが、ここで正直に話すとまた拗れそうなのでとにかく頷く。
「でもしばらく前に怪我しちゃって、一人じゃご飯の支度も出来ないの。男の子だから元々苦手っていうのもあるんだけどね、それでも理沙がついてないとダメなの。でもお世話が大変とか辛いとか、そういうのは全然ないんだよ? すっごく優しいし、理沙もお世話するの楽しいし、それにやっぱり好きな人と一緒って……もう、なんだか話すの恥ずかしいな。でもねでもね、彼も意外と家庭的なとこがあって」
「つまり彼の様子が気になるので一度帰宅したいと」
いつまで続くかわからなかったので、失礼を承知で話に割り込んだ。
重ねて言うが、時間がないのだ。
「んー、うん。そんなところかな」
「でも外出をするのなら私も同行する必要があるわ。それでも構わないかしら」
「うん、いいよ。彼以外にウチには誰もいないし」
「そう。じゃあ日が暮れる前に急ぎましょう。そういえばご家族への連絡はどうなってるのかしら。話を聞く限り別居をしているようだけれど」
「家族、かぁ」
理沙は一瞬宙を仰いで何かを考え込んだ。そして、
「私を恨んでるのって、もしかしたらお姉ちゃんかもしれない」
唐突にそんな言葉を口にしたのだった。