嫉妬
闇は好きだ。真っ暗だからこそ、光がより輝いて見える。
そんな影ながらの存在が夫と妻の関係に似ていてとても良い。
人間であった頃から、そう思ってた。
漆黒の姫は自分の拠点としている廃れた寺の中でため息を着いた。その手には飼い慣らしている黒猫が這っている。
紫苑と結婚した時、まだ自分が闇の住人と契約を交わしてしまった事に気が付いていなかった。まだ紫苑の正体さえ分かっていなかった。
正体を知った時、自分は戻れない道を歩んでしまったと絶望感に苛まれた。
それでも健気に自分を愛してくれる紫苑を純粋に愛していた。
あの女が現れるまでは……――。
「全ては、あの女から始まったのだな」
頷くように黒猫が首を上下に振る。ニャーと鳴くのも忘れずに。
最初に桜と出会った時、何と美しい女なのだろうかと思った。闇から見れば、一輪の光る花だった。心も穢れない本当に純粋だと見て取れた。
そんな桜に紫苑は心を奪われたのだ。妻であった姫、梓の存在も忘れて。
もちろん桜に紫苑は自分の正体を告げなかった。それこそ警察に自首しているのと同じだからだ。
桜は紫苑を信じ、周りも認める関係になっていった。それをずっと梓は影で見てきたのだ。
――妻として彼を支えなければならない
そう思って何も言わなかった梓だったが、醜い感情が日に日に沸き起こってきていた。
何故、その女なのか。私の何がいけないのか。愛情が伝わらないのか。
梓の心はどんどん廃れていった。何をしても紫苑の心を掴む事が出来ない。桜に勝つ事が出来ない。
愛しているからこその嫉妬。そんな感情が生まれてしまった。
そして邪悪な心を産み、漆黒の姫が誕生した。そう名乗るだけで神にでもなれたような気がした。姫と言うだけで権力を奮い、全てをひれ伏せれると思った。
だが桜は漆黒の姫となった梓に怯む事は無かった。紫苑に別れを告げ、宣戦布告した。
彼女の行動に紫苑は困惑し、嘆き悲しみ、そして憎悪を持った。彼女に対する執着心は並じゃなかった。
更に追い討ちを掛けるように桜は胡蝶と婚約した。同じ呪術一族である二人を止める者など誰も居なかった。あの晴れがましい姿を見てると吐き気がしそうだった。桜を愛してしまったが故に紫苑は苦しんでいると言うのに何と情の無い女だと姫は憎んだ。
――いずれ決着を着けなければならない。この愛の行方も、光と闇の戦いも
こうして紫苑と姫はあの森へと向かったのだ。紫苑が封印される事となったあの森に。
「紫苑……」
棺で見る事は出来ても、もう千年彼とは話せていない。正直、忘れ去られて居ないかが心配だ。
封印された後も忘れる事が出来ず、人間ではなくなってしまってでも彼が目覚めるのを待とうと決心した。これも彼を愛するが故。
でもそれだけでは体が持たないと判断したのは、つい最近だ。それで杏の母を殺め、その血を紫苑に捧げた。力ある血はより強い力を与えてくれる。だから力ある者の血を欲するのだ。
二人分の血を捧げただけでも目覚めの速さは急速に縮まっているはずだ。
「早く、目覚めて。貴方の恨みを晴らすためにも、そして私のためにも」
祭壇に向かい、黒き神に毎日祈りを捧げるのだった。
早朝。
漆黒の姫はまだ陽が昇り始めて居ない事を確認し、外へ出た。光差す場所では生きられない身となった今では太陽が一番の弱点だ。
ふわりと空中に浮いた姫は目を閉じ、力の波動に集中した。
力は人間の約半数以上が持っている。だがそれは大体身体と言う器が制し、表に出る事はなかなか無い。だが器の制する限度を超えると力は目に見えて現れる。霊が見えたり、物を思い通りに浮かせたり様々な効力を発揮する。
その中でも強い波動を姫は感じ取った。かなりの力の持ち主らしい。そのオーラは並外れている。
目を開け、そのオーラの持ち主を確認する。
無造作な亜麻色の髪に、黒の瞳をした少年だった。力のせいで色々な物が見えているはずなのに冷静だ。
――この男、なかなか度胸のある……。全ての血を紫苑に捧げるより、こやつを操れば……
一目の付かない場所に着地した姫は力を使って姿を変化させた。昔風だった格好を今時のポップな格好に変えたのだ。ポニーテールにした頭、ひらひらのワンピース。どれも初めて着る物だが、着心地はそう悪くない。
目標を見失わないように姫は少年の後を追った。
だが姫にとって地上は酷いものだった。交差点では車に轢かれかけるし、何より人が多くて隙間を上手く潜り抜けられずぶつかったり、碌な事が無かった。
それでも目は必死でその少年を追っていた。もちろん、そんな事少年は気付かずにスタスタ歩いていく。
やがて人通りが少なくなり、自然溢れる公園に出た。少年はその公園のベンチに腰掛けた。姫はそれを茂みから見張る。
少年はふう、とその場でため息を着いた。そして空を見上げて呟いた。
「どうして、俺はここに居るんだろう……。この世界で、生きているんだろう」
今にも駆け出したい衝動に捕らわれた。
ずっと昔に忘れ去ってしまったあの純粋な心が蘇ってくる。闇に蝕まれた我が身を苦しめるのだ。
どうする事も出来ず、姫は蹲った。人の純粋さがあまりにも無垢で、綺麗で、どんなに手を伸ばしてもそれを手にする事は出来ないもどかしさが募る。
ならば、壊してしまえばいい。
――我と同じように純粋な心など脆く壊れてしまえばいい!
茂みから立ち上がった姫は迷う事無く少年に近づく。
少年は突然目の前に立った姫に恐る恐る聞いた。
「あの……、俺に何か用があるんですか?」
この世に本物の幸福なんて、何処にも無い。
そう信じないと、この世に存在する意味が無くなってしまう。
それを姫は心の中で恐れていた。恐れたからこそ、純粋な物を葬り去る事でその意味を守ろうとした。
姫はしばらく何も言わずに居たが、あの不気味な笑みを少年に見せて言った。
「我は闇の支配者、漆黒の姫。純粋たる者よ、我が僕となり闇と化せ」
目が濃紫に光った瞬間、少年から心が無くなった。そう、術により操られたのだ。
「御意」
誓いの印として胸に印が浮かぶ。それを確認した姫は壊れたかのように甲高く笑い始めた。
周りに人など居ない。空間を捻じ曲げて誰も来れない様にしたからだ。
光は闇にやがて消える。それが、運命。
そう確信した姫は狂喜した。これであの忌々しい呪術師を永遠の闇へ葬り去れると。