嫌な奴だけど
自分のクラスである二年B組へ滑り込んだ二人は迷わず全員の顔があるか確認した。
全員が揃っている事を確信して、二人はへなへなとその場に座り込んだ。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
「ああ、ちょっと走ってきて貧血気味になっただけだ」
明るく彰は振る舞った。杏も必死で笑みを浮かべるが、苦笑いになってしまう。
とりあえず、来る前に誰かが襲われたという訳では無いようなので一安心した。だが、本番はこれからだ。これから彼女は血を求めてこの学校へ舞い降りる。
たとえ彼女が来ても、生徒達には指一本触れさせはしない。そう硬く杏は誓っていた。
ホームルームの時間になり、慌てて生徒達は席に着いた。もちろん、杏と彰もだ。担任の先生は遅刻などにとても厳しい。たった一秒でも許さないのだ。おまけに説教は延々と聴かされるので精神的にきついものがある。
眼鏡を光らせ、先生は厳かにホームルームを始めた。
「今日は欠席者が居ないな。連絡は今日の一時間目の体育だが、体育館で行われるそうだ。他、提出物などがあれば」
誰も立ち上がらなかった。それを確認して先生は教室から出て行った。それと同時に荷物を持って生徒達は更衣室へと移動し始める。
更衣室は体育館の横に建っているプレハブの事を指す。二つの部屋があり、両方とも窓がなく覗けないようにしてある。右側を女子、左側を男子が使用する。
――もし一人の間にあいつが来たら……
その時は、この命に代えても守ってみせる。
杏は更衣室に入り、気配を探りながらシャツに手を伸ばす。他の女子は仲良く会話しながら体操着に着替えている。
特に異常はなく、更衣時間は終了した。ほっと安堵のため息を着いていると、後ろから声が掛かる。
「杏、何してるの。早くしないと遅れちゃうよ」
声の主は杏の友人、神崎凛だった。彼女は腰までの長い黒髪に、何もかも見透かすような灰色の瞳をしていた。彼女は杏の私情をよく理解するただ一人のクラスメートだった。
彼女の呼びかけに慌てて杏は体育館シューズを手にとって更衣室を出ようとした。
その時だった。
「だ、誰なの!貴方!」
怯えたように言う凛の視線を追うと、そこには漆黒の姫が座っていた。姫は空中に浮くと、狙いを定めたように口の端を持ち上げる。
凛を後ろに庇い、杏は姫と対峙した。だが、姫の瞳に映るのは杏ではなく凛の姿だけだ。
「その娘を守りきれるか、この我から」
「守ってみせるわ。あんたなんかに凛を渡すものですか!」
「ほう、無駄な抵抗を」
次の瞬間、姫の姿は掻き消えた。と、気配が後ろへ回り込む!
――しまった!
振り向いた時には漆黒の姫が長い爪を凛目掛けて突き刺そうとしていた。杏はとっさに凛を庇おうと飛び込んだ。でも、間に合わない……!
目の前に赤が飛び散る事を覚悟した時だった。
「風よ刃となれ!風華招刃!」
突風が漆黒の姫を薙いだ。体制を立て直すため、姫は後ろへ飛び退いた。その背中を杏が見逃す訳無かった。
「炎よ邪悪な者を焼き払え!炎帝業火!」
杏の術により生み出された炎が勢い良く姫に襲い掛かる。
避ける事も出来ず、姫は業火に包まれた。
「くそう……人間ごときに負ける我ではないわ!今だけ退いてやろう!」
悔しさを露にした言葉を言い捨てて、姫は姿を消した。
杏は札をしまい、凛を守った人物に礼を言わずに睨みつけた。
だが、人物はにこにこ微笑んでいる。どうやら、自分のしでかした事が分かっていないらしい。
「俺のお陰でこの子、助かったんだぜ?少しくらいお礼言ってくれてもいいだろ?」
凛は黙って杏の隣に行き、入り口に立つ彰を同じように睨みつけた。
さすがの彰も状況を把握し、圧倒的な威圧感に息を呑む。
「助けた事にかこつけて、何女子更衣室を覗いているんだ!この変体呪術師!」
杏達は彰目掛けて体育館シューズを投げつけた。見事にシューズは彰の顔に命中した。彰はそのまま後ろへ倒れこむ。
「全くとんでもない人よね。凛、注意しなきゃ駄目よ」
「言われなくてもそうするよ」
自分のシューズを拾い、二人は彰を置き去りにして体育館へ向かう。
目を回しながら彰は悪態を着いた。
「俺、正義のヒーローなのに〜……」
午前の授業が終わり、昼食の時間となった。
朝の出来事で彰は思いっきり拗ねていた。しかし、杏は礼を言うのが癪で何も言わなかった。それが余計に腹立ったらしく、彰は一人で屋上に行ってしまった。
いつもなら教室で彰と、凛と楽しく食べている昼食なのだが今日は二人だけだ。
教室でやたら騒ぎながら食べる連中の声がやけに大きく聞こえる。
「やっぱりお礼は言っておかなきゃ駄目なんじゃない?」
唐突に凛が言うので杏は思わず飲んでいたお茶を噴いた。咳き込みながらも杏は凛を睨んだ。
「あんな変態野郎に礼なんて言う筋合い無いわ!」
「でも助けてもらったのは事実だし、そのせいで怒らせちゃってるのも本当で……」
「うっ」
痛いところを突かれ、弁当に入っているウィンナーを頬張りながら杏は呟いた。
「ちょっと痛い目見ないとあいつは駄目だからね」
それを聞いた凛はにんまりとして、フォークで軽く肩を突いた。
「そんな所がほっとけないって感じの言い方だね。もしかして、杏たら彰の事が」
「ありえない!絶対ありえない!」
杏は思いっきり否定した。
でも凛はからかうようににんまりする事をやめない。
恥ずかしさのあまり、顔が火照ってくるのを感じていたが、気付いていないフリをして否定する。
「だって、小さい頃から見てるけど嫌な奴だよ?私より修行さぼってるくせに呪術では勝てない。おまけにスケベでお調子者であんな人好きになったらこの世の終わりだって!」
「悪かったな、この世の終わりまで言わせて」
殺気のこもった声に杏は身震いする。振り向くと、思いっきり機嫌の悪い彰が立っている。
――やばい、ちょっと言い過ぎたかも……
言ってから後悔しても既に時遅し。
殴られる事を覚悟して杏は強く目を瞑る。
「俺が誰のために呪術を極めていると思ってんだか」
意味深な言葉に杏ははっとして彰を見た。しかし彰は踵を返して教室を出て行ってしまった。
誰のため?自分のためじゃなかったの?
思考を巡らせつつも、呆けている杏の背中を凛が押す。
「追いかけなよ、杏!どう見ても彰普通じゃ無かったよ?」
「……ごめん、すぐ戻ってくるから!」
食べかけの弁当をそのままにし、杏は彰の後を追った。