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第二章 『パソコン、買いませんか?』

第二章 『パソコン、買いませんか?』



 鉄平が2階の二つある部屋のうち、ベランダがある方を選んだのは偶然だった。

 六畳の部屋にあるのはベッドと小学生の時から使っている学習机、そして衣装の入ったカラーボックスがある程度。いくら狭い部屋とは言え、非常に殺風景な部屋だ。

元々、鉄平は私物自体が少ない。趣味らしい趣味もなく、実家ではいつも家業の農作業を手伝っていたから、物が増えようがなかった。

「何か趣味を探さないとな」

 実家は嫌いではない。

 けれど、あの村は嫌いだった。

「この街は、どうなんだろうな」

 窓から外を見る。

「好きに、なれるかな」

実家とは違い周囲にはびっしりと敷き詰めるように家が立ち並んでいる。違う土地に来たのだなとしみじみと思ってしまう。向こうでは家の数よりも畑の数の方が何倍も多かった。そして人の数も。だから噂話なんてモノはすぐに広まるし、ずっとずっと残る。

「……ん?」

窓の横の柱に、何かの跡がある。それは鉄平の腰よりも低い位置から、順々に水平の傷がついていた。隣には右に小さく「しゅういち」と、左には「すずめ」という文字。

ああ、背丈を計っていたんだなと気付く。実家では妹がやっていたのを思い出した。

「……」

 この家に住んでいた子供だろう。

 窓の外から隣の家を見る。

 随分と年季の入った建物で、一階には『獅子倉電器商店』の看板。

 2階には、可愛い動物模様のカーテンで閉じられた部屋。きっとあそこに、この傷跡と一緒に育ったあの少女が暮らしているのだろう。強引で、口が悪くて、何を考えているかわからなくて、けれどたまに寂しそうな表情を浮かべる少女。

 傷跡を、ゆっくりとなでる。時を追うように順々と。

 そして、鉄平の胸の辺りで、傷は終わっている。

 自分にも、多少は事情がある。

 そして彼女にも、色々と事情があるのだろう。

「今日は、店番をして欲しいって言ってたな」

 また今日も、騒がしい日が始まる。それは寂しさを紛らわせるように。


  ◇


「だからな、ニィちゃんよ。今の時代、パソコンのHDDは1Tが当たり前なんだって」

「さっきも聞いたけど、でもそんなに一体何に使うんだ?」

「いやぁ、だからな。それはだな……あー、ほら、ハンディカムとかでムービー撮るだろ? ならすぐにこんなもん、一杯にならぁ! パソコンで編集したらあっという間だァ!」

「さっき俺に説明したことと、それだと違う。月に一回、記念行事に出番があったとして、解像度を考慮したとしても……」

 電器屋の店頭でそんな押し問答があった。ぱっと見た感じ、全くパソコンに詳しくない青年が、店員である中年のおっちゃんに製品を教えてもらっているように見える構図である。

 だがしかし

「……ゲンさん? 来るのが早かったんですね」

「おお、すずめちゃんか! 助けてくれよー、このアンちゃんがよ~、いかにパソコンがこの世に必要かってことわかってくれねーんだ」

 そう実際には、留守番として立っていた鉄平に、客として来た八百屋のゲンさんがパソコンについてレクチャーしているのであった。ゲンさんは身長は190はある巨漢だ。デカい体格と大きな声で誤解されがちだが、商店街でも小心者と有名なシャイなガイなのである。ちなみに恐妻家としても有名だった。

「ゲンさん、注文してくれたPC……富士通のS‐761/Dはちゃんと届いてますから。来るなら連絡してくれれば良かったじゃないですか」

「そう、それを受け取りに来たんだ。すまんすまん、ついこのニィちゃんがパソコンってよくわからねぇって言うもんだから話し込んじまったぜ」

 最近パソコンを始めたという豆腐屋のマツ婆さんの家に無線LAN設定に行っている間、「とりあえず座っててくれればいいんで」という非常な大雑把なお願いで、鉄平はこうして店頭にいたのである。

「あ、『パソコンって何?』な田舎モノのナコさん。店の倉庫に『奥さんにバレると危険物』って付箋のついたパソコンマークの段ボール箱があるんで、それ持ってきてください。いいですか、精密機器なので引きずったり投げたり上に座ったりしちゃ駄目ですよ?」

「はいはい、わかったよ。色々と突っ込みたいところはあるが、とりあえずパソコンをそんな雑な扱いする奴はおらんだろ」

「それがいるから言ってるんです、家電量販店には割と珍しくなく。ですから一応注意だけしておきます」

 鉄平が店内へPCを取りに入る姿を、すずめはじーっと見送っていた。その姿を見て八百屋のゲンさんは珍しそうに尋ねる。

「それにしても、すずめちゃん。どこでこんなに目つきの悪いニィちゃん拾ったんだァ?」

「駅前で私を助けてくれたんですよ。親切で、とても面白い人なんです。部屋を探していたんで隣のアレに住んでもらって、たまに私が暇なときに店を手伝ってもらってます」

 鉄平の前では絶対に言わないであろう言葉だった。ゲンさんは生まれた時からすずめのことを知っている……勿論事情も。その八百屋のおっさんは苦笑いをしていた。

「ははっ、暇な時に手伝ってもらうって普通は逆だろうが」

 そして、隣の家を見上げて、

「しかし、いいのかい? あの家、アレ以来ずっと誰にも住ませなかったのになァ。あんな見ず知らずのニィちゃんを住まわしてよ」

「……いつまでも両方、空き家にしているわけにもいきませんから。せっかくナコさんと出会ったんです。きっと、このために空いてたんですよ、あの部屋は」

 彼女は見もしなかった。ゲンさんは笑う。

「しかし、まさか商店街でも男嫌いで有名なすずめちゃんの好みがこんなタイプだったとはなァ。みんな聞いたら驚くぜ」

「ナコさーん、やっぱその商品、初期不良だから返品を――」

「待て待て待てすずめちゃん、頼むから待ってくれ! 俺っちが自宅に直接取り寄せれないって知ってのことだろ!」

 慌てて引き止めるゲンさんに、すずめは明らかに不機嫌そうな態度だった。

「それ以上つまらないこと言ったら、奥さんに色々とバラしますよ? 会計ソフトを使うという名目でPC買っておいて、目的はエロ動画収集。今回新たにノートPCを購入するのは整骨院のヨッシーと一緒にネットゲームをこっそりしたいから。良い身分ですね。他には――」

「使用用途までなんで知ってるんだァ! 頼む、黙っててくれ! 俺が悪かったら!」

 ごっつい体の八百屋のゲンさんは涙目ですずめに泣きついていた。その様子を見て「ふん」と鼻を鳴らしてすずめは見下ろす。

「いいですか、ナコさんにいらぬこと吹き込んだら絶対に許しません。あの人をからかうのは私だけなんです。ゲンさんの言う『あの頃は可愛かったすずめちゃん』という年寄りが好きな世間話から余計なことを知ったナコさんに、私が反撃されたら責任とってくれるんですか?」

「すずめちゃん……相変わらず極端だなァ……あと今でも可愛いから、すずめちゃん。今年で18歳だろ。もう少しお淑やかにだなァ……」

 憔悴したように呟くゲンさん。

「すずめ君、持ってきたぞ。これでいいんだな?」

「ありがとうございます、ナコさん。はいゲンさん、手数料込みで28万です。いつも通り現金ですよね……はい、確かに受け取りました」

 PCを受け取った瞬間、まるでスキップするかのように上機嫌な様子で帰っていった。

 その背中を見送り、鉄平は不思議そうに首を傾げる。

「にしても、高いんだな。パソコンって。もっと安いモンだと思った」

「ああ、あれは少し特殊なモデルでして。親指シフトに対応した……ってまあ、とりあえず変わったタイプのパソコンなんですよ」

「へー。それで約28万ね。家電一式揃えれるな」

 全く興味がなさそうな鉄平。その姿に、少し思いついたすずめはスケジュールボートを確認して、今日はもう予定がないことを確認する。

「ナコさん」

 いつも通りの口調。

 けれど内心では、少し心が躍っていた。

「ん?」

 鉄平はいつも通りの狐目。

 すずめは逸る気持ちを抑えて、いつもと同じ淡々とした口調で提案した。


「パソコン、買いませんか?」


  ◇


 場所が変わって、いつもの鉄平の家の居間。

 ちゃぶ台に置かれたのはいくつものPCのカタログ。これに関しては「本当はパソコン雑誌の方が比較できていいんですけど、ナコさんにはわかり易さのためメーカーのカタログで紹介します」とのことだった。

 部屋の隅には、空気清浄機が今日も静かに運転している。

「では、ナコさんとソラにとって何故パソコンが必要かを説明させて頂きましょう」

 どこから持ってきたのか、気付けばホワイトボードが設置されていた。

 ちゃぶ台に座るのは、パチパチパチと拍手するソラと、ジト目で胡散臭そうにしている鉄平。

「別に俺、パソコンなんていらないんだけど? 昼間にゲンさんと話していても全然必要性を感じなかったんだが」

 いきなりのネガティブ発言だったが、意外にも賛成したのはソラだった。

「てっぺー、PC欲しい」

 鉄平からするとどうして座敷わらしがパソコンを知っているか非常に疑問である。

「ソラ……何に使いたいんだよ」

「お父さんとチャットしたい。お父さんはいつもネットに引き篭もってて、手紙書いても返ってこないから」

 ぶっと鉄平は飲んでいたお茶を噴いた。

「お父さんいたのか。というか、パソコンを使う座敷わらし、いや父親だからわらしじゃないんだろうけど、一体どうなってるんだ」

「最近はみんな、PC持ってるよ?」

「みんな!? そんなに座敷わらしって数いるのか!?」

 ソラは不思議そうに首を傾げる。ソラにそう言われると、すずめの話を聞かずに「いらない」と押し返すことは鉄平にはできなかった。

「しかし、座敷わらしは家にいるのが仕事とはいえ、ずっと家にいるだけで一日中ネットをしているというのは俗に言う……」

「お父さん、ニートじゃないもん! 仕事してる!」

「痛い痛い……ソラ、髪引っ張らないでくれ。あと俺は何も言ってないから。すずめだ」

 まるで親子のようにじゃれあい始めた二人に、「じゃあ説明しますね」とすずめは強引に話を進めることにした。

「さて、ナコさんの発言で一つわかったことがあります。ナコさん、どうやら金甲大学からはパソコンは支給されないんですね」

「ん? 俺は文学部だからな。理系学科ではレンタル品が全員に支給されるらしいけど」

 文学部という単語に、すずめは驚く。

「え、ナコさん……文学部なんですか? 就職のために出てきたっていう割には渋い選択ですね。就職という観点では割と人気の無い学部を選ぶだなんて。細かいことにいちいちこだわったりするところが、いかにも法学部志望って気はしていたんですが」

「……なんだよ、その心底似合わないって顔は。俺しては何ですずめ君が就職情報とかに詳しいのかに驚くが。勿論、就職はするけど、学ぶのは自分の好きなことがいいだろ。というか、俺ってそんなに細かいか? すずめ君が大雑把なだけな気がするんだが」

「私のどこが大雑把なんですが、その発言は取り消してください」

「言っていいのんだな? 結構たくさんあるぞ」

すずめは「こほんっ」と咳払いをして、2度目の仕切りなおしをする。

「いや、まあその……ごめんなさい、話がそれてしまいましたね」

 彼女はホワイトボードに「文」と書き、(大)と書く。確かに大学を示す地図記号だ。そして離れた位置に妙に目つきの悪い狐を書いた。上に(ナコフォックス)といういらぬ注釈がついている。

「で、この間を結びます」

 山とか川とか城とか精巧な毒沼地を書いたりと、とにかく「ごちゃっ」としたモノを10分かけて描き上げた。狐と大学を結ばれた線には「所要時間」40分と書かれている。

「まるで魔王の城へ向かう冒険みたい」

 何気に上手なその絵にソラが拍手をするが、ナコフォックスは胡散臭そうに見ていた。

「すずめ君、漫画を読みすぎた。というか大学まで40分かかるって言いたいだけでそんな絵を描いて、俺は10分も待たされたのか。まさかホワイトボード、そのために持ってきたんじゃないだろうな?」

「これだからナコさんはせっかち言われるんですよ」

「てっぺーはせっかち」

 すずめはやり遂げた表情をしていた。

「田舎モノのナコさんは知らないかもしれませんが、最近ではもうレポートや論文は当然ながらPCで出力したものを提出します。一部の人は『手書き以外は許さない』ということを言いますが、時代はもうデジタルです。紙もいらないからメールで添付というのも増えてますね」

「いちいち田舎モノ言うな。俺だってそれくらい知ってる」

 鉄平は大学のパンフレットを取り出した。

「けれど金甲には生徒が自由に使えるパソコンルームがあるらしいじゃないか。50台もあるからここを使えばいいだけだろう?」

 けれどすずめは「ナコさんは甘い」と指を振った。

「金甲大学の生徒数は1000人……いつも使えると思ってるんですか? 大体ですよ、休みとか講義ない日まで大学へ行くのはナンセンスです。怠惰をもさぼっても許される休日に、この険しい旅路を越えてまで。クラブやサークル活動をするにしても、自由に課題に取り組む時間まで学校にいるのは気が休まらないでしょう」

 そこまで大学生生活に詳しいことが疑問だが、聞いてもやぶ蛇だろう。

「ソラ、てっぺーには家にいて欲しい」

「いやまあ、でも大学には行くけどさ」

「一緒にパソコンでゲームしたい」

「まだ買うと決めたわけじゃないぞ?」

 まるで買い物をしている親子のような会話だ。

 パパは再び店員に向き直る。

「だがそのためだけにうん十万するパソコンを買えってのか?」

「その用途だけでも十分かと思いますが。あと最近はもっと安いですよ。ジャンク品は省きますが、海外メーカー品などでは3万円程度からありますからね。ナコさんが使う用途ではあればその程度でもストレス感じることはありませんよ」

「へぇ……。でも高いのもあるんだよな」

「ブルーレイドライブとかTVチューナーを積むとそれ相応のスペックが要求されて、値段も跳ね上がりますからね。あと国内メーカーはサポートソフトやらアフターサービスが充実してますが、ナコさんの用途であればオーバースペックと言えます」

 そこまで言って、すずめは少し考えて、

「車で例えましょうか。例えばレースに参加するには専用の車が必要です。そして揺れをほとんど感じない凄く快適なドライブを考えたら、やはり高級車が欲しくなります」

「まあ、そうだよな。さすがに軽自動車ってわけにはいかないだろう」

「それはパソコンも同じですよ。ある程度スペックを要求されるブルーレイや地デジ、またはネットゲームをする場合にはそれ相応のパソコンが必要です。また専門で使うようなグラフィックソフトを動かすには、当然高価なモノでなくては動きません」

 前回の空気清浄機の時はプールで、今度は車か。相変わらず身近なモノで例えてくる。

「ですがナコさんの用途を車にすると、近所にちょっといやらしい本を買いに行く時に使うでしょう。なら軽自動車で十分……パソコンもそういうことですよ。車と聞くと維持費や税金で敷居が高いイメージですが、パソコンではそれがネット回線料金程度なモノですから、十分にナコさんでも買えます」

 すずめは「どうです?」と尋ねてきた。

 ソラが首を傾げる。

「てっぺー、いやらしい本、買いにいくの?」

「買いに行かないから。すずめ君、ソラの前でそういう不適切な発言は控えてもらおうか」

「すいません、もう実家から持って来てるんですよね。買いにいく必要がないくらい」

「……」

「どうしててっぺー、黙るの?」

 鉄平は明後日の方向を向いていた。その様子にすずめは「家捜しが今度必要ですね」と呟く。

 不穏な空気を感じて、自動運転していた空気清浄機が『中』の勢いで風を噴出していた。

「なるほど、よくわかった。そう考えると、パソコンはあってもいいかもしれないな」

 実は鉄平はここに越して来る前に、大手家電量販店でパソコンの購入を検討していたことがある。けれどまあ、やはり店舗としては高価なモノや拡販品を売りたいのか、「これがいかに優れているか」という説明を重点的に置かれた。ただ知識のない鉄平はOSやらメモリやら……そもそも聞いたことはあってもそれが、何に必要で、それがどのような場合にどの程度必要なのかわからないのだ。車ならエンジンの回転数やら説明されるのと同じ心境である。

 3万と聞いて、鉄平はそれなら買ってもいいかなと思う。この話が始まったときに思い出したのは、実家あった動作は異様に遅くて、よく止まるパソコン。それも当時は20万したと聞いていたので、パソコンという単語を聞くと身構えてしまっていた。

「最初はそもそも何に使ったらいいか、わからないかもしれません。けれど使っていくうちに追々と色んなことがわかってきますよ。勿論、私もそのあたりは紹介しますから」

 やはりすずめの根は真面目なのだと思う。説明が続けば続くほど、普段のいい加減な発言がこちらの知識の敷居にあわせた話し方をしてくれる。

「こうやって、真面目に話してくれている時は頼りになるんだけどな」

「……余計なお世話です。素直でなくてすいませんね」

 彼女は拗ねたようにそっぽを向いた。

 たまにしか見せてくれない歳相応の表情に、鉄平は笑う。

「よし、ならパソコン買おうか。とても親切で凄く気が利いて可愛くて信じられないくらい賢くて美人で美しい娘さんのお勧めしてくれるパソコンはどれなんだ?」

 しばらく、そっぽを向いていたすずめだが

「……ナコさんのその見え透いた世辞に免じて、素直な私は機嫌を直してあげます」

 仕方ないと言わんばかりに、ちゃぶ台に座った。

「ではこれで最後。鉄平さんは今から出す私のいくつかの質問に素直に答えてください」

「変な質問でなければな」

「鉄平さんはパソコンでDVDとかを見る予定はありますか?」

「ないな」

「動画を見たりするつもりは?」

「それもない」

「えっちなサイトを見る意欲は?」

「ない! というかその最後の質問には何の意味がある!?」

 少女はやれやれとため息をついて、

「素人が危険なサイトに行く場合は、セキュリティーソフトもマトモなのを用意しないといけないですからね。その確認です。まさか鉄平さんがそんなところに行くとは、勿論、私も思ってませんよ?」

「……」

 少女は、一つのカタログを差し出してきた。

「これなんてどうです? ASUSっていう海外メーカーの『UL20FT』シリーズですが、機能の低いモデルは価格も3万手前です。低いといっても、ナコさんが使う分にはストレスを感じることはないはずです。液晶も12・1型とほど良いA4サイズ」

「まあ、見比べてもよくわからんから、それでいいよ」

 即答すると、すずめは「ではさっそく取り寄せますね」と立ち上がろうとするが、

「ちなみにすずめ君」

 嫌な予感がしたので、鉄平は彼女を呼び止めた。

「なんですか? まだ何か要望が?」

「要望というより確認だ。この前の空気清浄機の『除霊機能』みたいな、変な機能がついたのはいらないからな? 俺は普通のPCが欲しいんだ」

「……勿論、ご満足する品を用意させて頂きますよ」

 答えるまでに、少し間が空いた。

「待て! 露骨に怪しいぞ!」

「では、私は店に戻りますので。あっ、晩御飯にはちゃんと来ますのでご安心を」

「違う! いいから話を聞け!」

 ささっとカタログを閉まって、彼女は飄々と出ていった。

 鉄平は変な機能がついていたらすぐに返品しようと心に決める。

 やれやれと思い、さっきから静かだったソラを見ると、少女はホワイトボードに落書きをしていた。

「てっぺーの冒険」

 気付けば、ナコフォックスは大きな槍をもった戦士と一緒に魔王と戦っているところまで進んでいた。随分と綺麗な絵だが、こう、なんというか一昔前のスポコン漫画のように目の中に星が輝いている勇者と魔王が、妙に気になる。

「……って、ホワイトボードを置きっぱなしか」

 言うまでもなく、物凄く邪魔だった。


  ◇


「どうもー。すずめちゃーん、いるか~い?」

 昼下がり、窓を開けて掃除をしていると軽薄そうな声が隣の家から聞こえてきた。

「ああ、穴山さん。どうしたんですか? またいつもの営業中のサボりですか」

 どうやら営業マンが獅子倉電器商店を訪ねてきたらしい。あんな小さな電器屋にもきちんと営業マンって来るんだなとーと他人事のように聞いていた。耳を澄まさずとも、隣の家である、声が小さいすずめの声まで聞こえてしまう。

「いやね、昨日に注文してもらったASUSのノートPCのことでさぁ。メーカーに問い合わせたら今、在庫ないってのよ。で、今日はそのことで相談に来たってわけだよ」

「昨日、納期を事務所に確認したら即納って聞いたんですけど。穴山さんのところ、納期を間違えるのしょっちゅうじゃないですか? メーカーと仲良くしてるんですか?」

「いやぁうちのお局がね、仕事できないのに幅利かせちゃってさぁ。よくそのあたりでトラブルが発生するわけよ。大丈夫、うちはメーカーに無茶な条件吹っかけて中々卸してもらえないなんて事情があるわけないから、ないからさぁ」

 本当に営業マンかと思うくらい軽い口調だった。穴山という男は恐らく、商社の営業マンなんだろう。大手家電量販ならまだしも、小さな電器屋ではメーカーと直接取引がある店よりも、途中に流通を挟んでいることがほとんどだと、すずめから教えてもらった。獅子倉商店街はどこかのメーカーの看板を背負っているわけではないので、必然的にそうなるのだとか。

「それで穴山さん、わざわざ来たってことは手ぶらというわけではないんでしょう? 今回のPCはどうしても客が今すぐ手に入らないと困るということで、即納なモノを選んだんですからね。届かなかったら、さすがに穴山さんでも許しませんよ? 次からはアマゾンで仕入れます。あそこの方が安いとき、割とありますからね」

 そんなこと一言も言ってない、と突っ込みたい気持ちを抑えて鉄平は床を磨いていた。というか電器屋が商社からより仕入れるより通販の方が安いって、どうなんだ。

ちなみにソラはこの時間、いつもおネムの時間なので鉄平のふとんですやすや寝ている。座敷わらしの生活リズムは朝早起き、長い昼寝、夜更かしと完全に引き篭もりのスタイルである。

「いやぁすずめちゃんを顔を見に来ただけ……ごめんごめん、冗談だからそんな本気で怒った怖い顔しないで。俺、すずめちゃんの怒った顔がトラウマなの。何度か夢に出てきて、不眠症になって医者に相談に行ったこともあるくらいだから」

 立場よわっ!

 というより、すずめは誰に対して容赦がないという事実にも明らかになった。

「それで、ご用件は? 他のPCで手を売ってくれって言って少し割高のを用意する、いつものアレをされるとさすがに今回ばかりは私も穏便に済ませられないですよ」

 しかしすずめは妙にさっきから「今回」という部分にこだわるっている。いつもの常套句なのだろうか? それとも本当に今回はどうしてもすぐに手に入れたい理由があるのか。

「あー大丈夫大丈夫! UL20FTのシリーズはあるんだよ。すずめちゃんが発注してくれたのって搭載メモリもHDDも一番低いモデルでしょ? あれはないんだよ」

 そう言ってから、少し勿体ぶるように間を空けてから、こう言った。

「だけどうちのお局のミスをね、謝るだけじゃ悪いと思ってさ。ちょっとスペックが高いのを同額で提供しようかなってね。メモリ8Gで256GのSSD搭載の最上位タイプ。ただ一度だけ起動しちゃってるから開梱品なんだよね」

「……どういうことです? あのシリーズにSSDのタイプはなかったはず。そしてそんな明らかに高いカスタムモデルを『ニイキュッパ』と同じ原価で提供するなんて、さすがに不自然でしょう。穴山さん、正直に答えてください。また今月の予算に届かないからって、抱き合わせで私に何かを買わせるつもりなんですか?」

「違う違う。本当にこれだけだよ。ただね、大きな声では言えないけど、こいつはさ……」

 途端に何かをすずめに耳打ちしているようだった。さすがに小声なのでここまでは聞こえなかった。大きな声で言えないパソコンって一体何なんだ……?

「……ああ、例のやつですか? なるほど、扱いに困るわけですね。けれど、穴山さんはいいんですか? 確か100万近くはしますよね」

「いいのいいの。元々は社長がゴルフコンペでメーカーからもらったもので、表立って売れないモデルだし。かといってこいつ、生意気すぎて誰も使いたがらなかったんだよ。もうせっかくだからいつも世話になってるすずめちゃんに買ってもらおうわけさ。一応、モニターっていう建前だけにはしておいてもらえると嬉しいんだけど」

 鉄平は思わず床を拭く手を止めていた。表立って売れないモデルってなんなんだろう。あと気になる言葉があった。

(パソコンが生意気? 動作が不安定ということだろうか)

 ひょっとしたら、パソコンでの常識的な表現かもしれない。わざわざすずめが鉄平に対してだけは「PC」と言わず「パソコン」とまで間違えないように言うくらいだ。鉄平のパソコンに対する知識ではわからないことの方が多いのだろう。途中の会話に出てきたメモリとSSDというのも、そもそも何かわからない。数字が大きければそれだけいいのだろうけれど。

「確かに、あの人にはちょうどいいかもしれませんね。少々、癖のある性格でも『こんなものだ』と言えば気付かないでしょうし。ひょっとしたら詳しくないあの人の方が、うまく使えるかもしれません」

(あれ、確か今話しているパソコンって……俺が使うパソコンだよな?)

 なにか、不穏な空気が漂っている。なんだ、どんなパソコンだっていうんだ!?

「わかりました。今回はそれで手を打ちましょう。けれど次は事前に相談してください。力になれることは善処しますから」

「いやはや、さすがに電話では話しにくい内容だったからね」

 話はまとまったらしい。

「にしてもすずめちゃん。今回のお客さんはクレーマー? 君にしては珍しく随分と気にかけているじゃないか。こんな事情だったら先に言ってくれたら良かったのに」

「いえ、ナコさんはクレーマーではなくて、単に私が……」

 どこか焦ったようなすずめの言葉。それを聞いた穴山は、妙に楽しそうな声になった。

「あれぇ、ひょっとして男の人? そうか、おやおや。そう様子だと……へぇ、すずめちゃんもやっぱり女の子だったんだね。近所の人? 同級生? 写真あったら見せてよ。すずめちゃん美人だから絶対いけるって! だってすずめちゃん、その人のこと好――」

 バチンッ!

 町中に響き渡るほどのビンタの音。聞いているだけで背筋がぶるっと震えるくらい、鮮やか過ぎる音色である。全力全開最大出力で放たれたであろうことは、想像に難くない。

「穴山さん。用事が済んだら、とっとと帰ってください。余計なことを言われると、私、もう一回もみじを咲かせてしまいそうなんですが。あとツイッターでささやきますよ? 『穴山、女子高生に求愛中ナウ』っていう感じに今すぐに!」

「待ってお願いだから! 君のささやきはうちの彼女も見てるんだからな! うちの亜紀のこと知ってて言ってるだろ!? あいつ怒ると、じっと黙って涙浮かべながら半日ずっと見つめてくるんだからね! あの罪悪感半端ないんだからさぁ!」

「だからとっとと帰ってください!」

 珍しく、というより鉄平は少女の感情むき出しの声を初めて聞いた気がする。

 電器屋から誰かが走っていった。顔を出すと、20台半ばくらいの青年。話し口調から随分とチャラい男を想像していたのだが、意外にも誠実そうなかなりのイケメンだった。

「あっ」

 声に振り返ると、すずめと目があってしまった。

「すずめ君、パソコン届いたんだな」

 それだけで今までの会話を聞かれていたと気付いたのだろう。

 瞬き一つ、光の速度かと思うくらいの速さで、すずめは一瞬で鉄平の前に立っていた。

「聞いてましたか?」

 顎を掴んで、顔が引き寄せられて睨まれた。これで彼女が頬を赤く染めて目を閉じていたらキスでもするのかとでも思えるが、まるで親の敵を見るかのごとく般若の表情。ときめくというより命の危機を感じてしまう。

「すずめ君、目がだいぶ怖いぞ……」

 目を逸らそうとするが、顎を掴まれているので強引に顔を向けさせられる。

「聞いてましたか?」

 彼女は再び問い掛ける。

「パソコンが届いたってことはな。掃除していたからそれくらいしかわからなかったが」

 指で指すと、キッチンの床に落ちている雑巾。いかにも家の奥で掃除していたから聞こえませんでしたというアピール。実はアレはちょっと前に使っていた雑巾で、先ほどまで使っていたのはソファーの下に後ろ手で隠した。家事をしないすずめにはキッチンにおかれた雑巾がいつ使われていたかなどわかりもしないだろう。

 しばらく探るように睨み付けてきたが、まるで一本線のような鉄平の細い目から嘘かどうかを探ることはまず不可能である。

「……ならいいんですが。ナコさん、次からは声をかけてください」

 そう言って手を離した。

(そんなに聞かれたくない内容だったのか?)

 割と唐変木の鉄平は何も気付いてなかった。

 こほんっとすずめは感情落ち着けるように、静かに息を吐いてから

「それでは、夜にパソコンの設定をしましょうか」

 いつも通りの無愛想な表情でそう告げた。


  ◇


「ナコさん、いくらなんでもこの部屋は寂しくないですか?」

 居間でも良かったのに、何故かすずめは鉄平の部屋で設定すると言って聞かなかった。なにやら電波の届きにくいところで試したいとか。

 鉄平の部屋では、ソラがまるで猫のように布団に丸まって寝ていた。

「……いやまあ、そのうち実家から荷物がまた届いて増えるよ」

 とりあえず嘘をついておいた。迂闊なことを言うと「じゃあ色々紹介しますよ」とか言い出しかねない。この少女に情報というエサを与えてはいけないのだ。

「あれ……ナコさん。これは――」

 すずめが学習机の上に置かれた写真立てを手に取っていた。

「あー……」

 しまった思ったが、もう遅い。それは置くのが当たり前にされていたモノなので、隠すのを忘れていた。

 鉄平は背中越しに写真を覗きこむ。

そこに写っているのは二人の男女。一人は鉄平だ。相変わらずの狐目のために、何を考えているかわからない。けれど、隣にいる少女の表情は――

「彼女、ですか?」

腕を組んで寄り添い、幸せそうな笑みを浮かべている。

少し陽に焼けた栗色のサイドテールの少女で、身長は鉄平よりも少し低いくらい。ストライプのシャツに青いパーカーを羽織り、下はハーフパンツ。見ただけで活発で明るそうな少女である。まるで太陽のような雰囲気が、写真からでもわかる。

すずめとは全く正反対の空気をまとう少女だった。

「……すずめ君にはそう見えるか?」

「そうとしか、見えません。私と違って、とても明るくて元気で社交的で可愛くて地域で一番美しいと評判の娘さんっぽい彼女さんじゃないですか。ふーん……ナコさん、彼女が、いたんですね。とてもそんな雰囲気はなかったのに」

「とても親切で凄く気が利いて可愛くて信じられないくらい賢くて美人で美しい娘さんみたいなフレーズだな……」

 背中越しなので、すずめがどんな表情浮かべているかわからない。

 ただ、一つはっきりしているのは、ものすご~く機嫌が悪そうなオーラである。

 迂闊に刺激したら間違いなく……あの営業マンと同じように紅葉を咲かせる羽目になるだろう。すずめという少女が何に対して機嫌を損ねているかわからないが、まあ多分、悪いのは鉄平なのだ。ここは慎重に対応する必要がある。

「あのな、そいつは――」

「そいつ? 随分と親しい呼び方ですね」

「すずめ君。いいから、聞いてくれよ……」

 言い辛い理由は、事情の知らない少女には全くわからないだろう。

 鉄平は重い口を開いた。

「――妹だ」

 しばらく、嫌な感じの沈黙が横たわる。

「もっとマシな嘘、つけないんですか?」

 そして、淡々とした口調……けれどどことなくもう噴火寸前なのではないかと思わせる。

「いや、ホントだって。それ妹だよ」

「……へえ。ナコさんは妹こんなに仲睦まじそうな感じで写真を撮るんですね。大体、全然似てないじゃないですか。どう見ても血縁には思えませんが、どうでしょう?」

 まあ、確かにその通りなのだ。この写真を見て、兄妹だと判断するのは難しい。

 何故なら――

「……半分しか血が繋がってないからな」

「えっ?」

 振り返った少女と目が合う。

 いつもは静かな瞳が、今は波打つ海のように揺れていた。多分、鉄平の一言で事情のある家庭環境だと気付いたに違いない。

 そして、きっと目の前いる少女も同じように何かを抱えているから、こんな瞳を浮かべているのだろう。

「ナコさん……私は」

 少女が何かを言おうとした。

 けれど遮ったのは、鉄平の布団ですやすや寝ていたソラだった。

「あっ! てっぺー、パソコン来たの!?」

 ガバッと起き上がり、嬉しそうにパソコンの箱に飛びついた。

 二人は何とも言いがたい表情をして見詰め合っていたが、鉄平はため息をつきながら視線を外して、すずめにお願いした。

「すずめ君、パソコンの設定……してくれるんだろう?」

 少女は一度目を閉じて深呼吸してから、

「仕方ありませんね。機械オンチで最初からやる気のないナコさんに代わって、とても親切で凄く気が利いて可愛くて信じられないくらい賢くて美人で美しい娘さんが設定してあげます」

 いつも通りの無表情を取り繕った。

 すずめは箱を開けて、ノートパソコン本体とバッテリー、ACアダプターを取り出した。

「まあ設定といってもそうたいしたことはないんですけどね。それにこれは既に開梱品……ごほんっ、私が先に一度開けておきましたので初期設定はもう終わってます」

 穴山との会話は鉄平は聞いてないことになっているので、黙っていた。確か、一度だけ起動してお蔵入りになっていたんだったか。しかし、普通は販売する時は確か……初期化みたいなことをするんじゃなかったんだろうか。鉄平は詳しくないので何とも言えないが、よく店頭で「リカバリ中、触れないでね」という張り紙の張った売約済みパソコンを見た記憶がある。

 パソコンをソラがキラキラして目で見つめていた。

 まるで玩具を買ってもらった子供のようだ。田舎は田舎でもド田舎生まれである鉄平の子供の頃はコマやカルタを買ってもらったらこんな感じだったが、都会の子はこういう電子機器でも同じような表情ができるのだなとしみじみ思っていた。

 すずめはバッテリーをはめ込み、コンセントを差す。

「ナコさん、このボタンを押せば起動します。で、電源を切る時ですがこのボタンは押さずにパソコンの中でのメニューで『シャットダウン』を選ぶんですよ」

「さすがに、それくらいは知ってる。えーと、押せばいいんだな」

 すずめが指差すボタンを押そうとする。けれど小さなボタンだ、半分以上をすずめの指が乗っている。場所はわかったからどいてくれるのかと思うが動く気配もなく、仕方なく指でどかそうとするが、先が白くなるくらいに力を入れてそこを死守していた。

「……」

「……」

 仕方なく、すずめの指の上からボタンを押す。

 ピッ。

 軽い電子音と共にPCが立ち上がる。

 すずめは満足そうに頷いて指を離した。

「……」

 訳が分からない……が、機嫌が直ったのでよしとしよう。

 一瞬たくさんの英語がずらっと並んだが、すぐにメーカーロゴが表示されデスクトップ画面が表示された。

「速いね。これひょっとしてSSD?」

「ええ。やはり時代はSSDですね」

 ソラが尋ねると、すずめは頷いていた。ちなみに鉄平はさっぱりわからなかったが。

「さて……立ち上がりましたが」

 彼女は何かを確認するように、デスクトップ画面を見つめる。

 鉄平は先ほどから気になっていたことを尋ねた。

「なあ、この画面の隅で背中向けて体育座りしてるマスコットはなんだ?」

 それは大体4センチくらいの大きさの2Dキャラクターだった。

 背中の開いたとても派手な真っ赤なパーティドレスに、深紅としか表現できない色をしたロングツインテール。いかにも「お嬢様」という感じのキャラクターだが、見るからに沈んだ様子で背中を向けて座り込んでいた。

 すずめは少し考えていたが、ぽんと手を叩く。

「まあナビゲーターというか、アシストプログラムみたいなモノですよ。パソコン初心者のナコさんが円滑にPCライフを楽しめるように、専用ソフトを入れておきました」

「なんか、今考えましたっていう口調が凄く気になるんだが」

「気のせいですよ。これだからナコさんは無駄に疑り深くて困るんです。あっ、このパソコンはマイクもカメラもあるので、この子に音声でも指示できますから」

 確かに最近は音声入力なる言葉も聞く。ならばおかしくはない……のだろうか?

「てっぺー、呼んでみようよ」

「そ、そういうものなのか? アシストソフト言うくらいだから、ほらこっちが困ってなくても図々しく出てきて指示してくれるのだと思ってるんだが。ほら、あのやたらと重くて出現するのにも時間かかるイルカとかみたいに」

 ソラが言うと、まるで動物園でパンダを呼ぶような感じだ。せっかくだから試してみる。

「おーい。こっち向いてくれないか?」

 声をかけると、

「……」

横目でちらっとだけこちら見て、マスコットはまた視線を自分の膝に戻した。

「そっぽ向いちゃった」

「完全にいじけてますね」

 すずめは首を傾げてから、何か気付いたようだった。

「あっ……そういうことですか。前回起動したのが確か数ヶ月前で、それから放置されていたことを考えると。なるほど、しかも生意気だからいらないと評されていることは……」

「……すずめ君、どういうこと?」

「いえいえいえ、独り言ですからお気になさらず。ナコさんは道端で見ず知らずの小さな女の子に声をかける不審者ごほんお兄さんという感じで、続けてください」

「……突っ込まないからな?」

 どうしたものかと鉄平とソラは見つめる。パソコンの操作方法を教えてもらうはずが、何故か今はよくわからないマスコットの相手をさせられていることに、気付いてなかった。

「つまんないー」

「ソラ、そうは言ってもだ。この子はいわゆる『人工知能』みたいな感じの人類の英知の結晶なんだろう? よくわからんけど、凄いに違いないんだ。きっと何か事情があるんだろう?」

 ふて腐れるソラに鉄平は優しい口調で諭す。自分とのあまりのあからさまなくらいの態度の違いに後ろですずめが嫌な感じで「へえ……」と呟いたが、聞こえない振りをした。

「……」

 すると鉄平の言葉に反応したのか、突然にマスコットむくっと立ち上がる。手鏡を取り出してなんか髪が乱れてないかを確認を始めた。プログラムにしては妙に芸が細かい。

 見つめること5分、「よしっ」と頷いたマスコットはくるっと振り返った。

「さすが新しいマスターは違うわね! 見る目が違うわ!」

 どこかのアニメのキャラクターにそっくりな高い声。マスコットは真っ赤な目をした強気そうな少女の顔をしていた。なにか妙に気合の入りように、言葉もなく見つめる。

「全く……こんなにも可愛くてクールで才色兼備な私の価値がわからない人ばかりでうんざりしていたところなの。でもあなた、私がどれだけ素晴らしいかを一目見ただけで理解するだなんてとても見所があるわ。いいわ、私、あなたのPCで働いてあげましょう。光栄に思ってよいんですことよ。私さえいればどんなお困りごとも簡単解決痛快愉快悪即斬。あら、あなた結構カッコいいじゃない。ねえ、マスターの名前を――」

「だ・ま・り・な・さ・い!」

 どこからともなく持ち出した金槌片手に、すずめが低い声で警告した。すずめの性格上、このタイプのキャラクターは物凄く嫌いなのだろう。確かに相性が悪そうだ。

 すると高飛車というか、頭の弱そうなマスコットは「ひぃっ」と露骨に怯えて、また後ろを向いて座り込み、がくがくぶるぶる震え始めた。

 さすがに怯える姿に可哀相になって、鉄平はすずめを「まあまあ」押しとどめる。

「で、君の名前はなんなんだ? 俺の名前は鳴子鉄平だ。このパソコンの所有者になる」

 すると、ぱぁっと顔を輝かせてマスコットは走って戻ってきた。ツインテールがまるで犬の尻尾のように嬉しそうにゆさゆさと揺れる。

「ナコテッペイ! とても優しいのね。一目見た時から、あなたとなら一緒にやっていけそうって思ったの。本当にあなたがマスターで嬉しいわ! 私、あなたのために精一杯頑張るから、なんでも言ってね」

「な・ま・え・は?」

 機嫌の悪そうなすずめの声に、マスコットは彼女に対して露骨に舌打ちをしてから、

「マスター、私の名前は『AI‐0017』。マスターのパソコン操作を助ける最新の人工AIなのよ。なんでも気軽に言ってね!」

「AI‐0017……てっぺー、よくわかんない」

「型番……だよな。しかし呼びにくい。なにか他に愛称みたいなのはないのか?」

「愛称……?」

 AIの少女は不思議そうに首を傾げる。それはそうだろう。彼女にとって型番が名前なのであり、他に呼び名だと用意されてはいない。シリーズがあるならまだしも、家電やIT機器に通称がつかないことなんでざらだった。

 鉄平の要望に応えられないマスコットは、露骨に落ち込む。

「ゴメンなさい、私にはそんなモノはないわ」

 しょぼんと呟いた彼女に、鉄平は「ふーむ」と考えて、

「トナメ」

 そう一言呟いた。

「え?」

「型番が17なんだろう? なら、十七番目の女の子と書いて十七女(トナメ)だ。どうだ?」

 彼女が上を見上げる動作をする。どうやら、検索かなにかしているらしい。十七女というのは実在する苗字であり、名前ではないが呼び名としては良いのではないかと鉄平は思った。

「トナメ……トナメ……」

 2Dのキャラクターは、まるで自分に言い聞かせるように反芻する。

 そして、満面の笑みで頷いた。

「マスター、私の名前はトナメ! とても素敵な響きだわ!」

 どうやら、お気に召したらしい。

 ドレス姿のマスコット……トナメは、まるでダンスでも踊ってるかのように上機嫌そうに体を揺らしていた。

「では、トナメ。早速ですがネットの設定を行います。無線の子機は使えますね?」

 すずめがそう指示をすると、

「はいはい、そうですね。させていただきますよ。もうとっくにきどうしてむせんのらんぷがついてるのがあなたにはみえないのかしら?」

 途端に不機嫌そうになり、棒読みで返してきた。

「すずめ君、とりあえず金槌は降ろしてくれ。俺のパソコンが初日に物理的に壊れたらさすがに俺も困る。これに関してはもう料金払ったからな?」

「……失礼しました。『SISIKURA1192』というSSIDを拾えるか試してください。暗号キーは『SUZUZUMENICEGILE』です」

 よくわからない単語が連発しているが、とりあえず暗号キーというモノについては触れてはいけないと直感で悟った。

「……接続完了。電波強度は中。これでインターネット接続は完了しました。問題ありませんわ、マスター」

「勝手にナコさんに報告しないでください。ふう……どうやら電波状況も十分ですし、何も問題はないようですね」

 それを聞いて、ソラは「わーい」と嬉しそうにパソコンに飛びつき、「ねえねえ、トナメ。メッセンジャーインストールして」と早速指示をしていた。トナメもソラには突っかかったりせずに「はいはい、お嬢様。少しお待ちなさい。すぐに入れてあげるから」と笑顔で操作をしていた。

「で、すずめ君。俺、そういえばインターネットの契約とかしてないんだが。ほら、フレッツとかなんとかテレビでやってるやつ。どうすればいいんだ?」

「ああ、それは気にしないでください。私の家の無線に繋ぎましたから。ですから通信にかかる料金は発生しませんよ」

「いいのか? 電話代と同じようなモノなんだろう? さすがに通信料は支払う」

 そう提案するが、電器屋の店員は首を振る。

「大手家電量販店で光回線の契約と一緒にすれば、この値段のPCなら無料でもらえますからね。ですから私はパソコンの料金を頂く代わりに、通信料はなしとさせて頂きました」

 月額料金を考えれば、パソコンの料金の方が安いことくらい鉄平にもわかる。けれどせっかく少女が気を利かせてくれたのだ。黙って頷いておこうと思った。

「まあ、同じローカルネットワーク内ならナコさんの動向も監視できますからね」

 なにか小声で言われたが、聞こえない振りをした。

 かたかたかたかたかたかたかたかたかた。

 物凄い速度でキーボードを叩く音が聞こえる。

 振り向くとソラがブラインドタッチで文字を打っている音だった。鉄平の10倍は速い打ち込み速度である。最近の座敷わらしはパソコンも平然と使いこなすらしい。

 まるで流れるようにログが流れている。少し覗くと『やっほー、娘、元気してるー(はぁと)』とソラ曰く父親とチャットしているらしい。もう、どこから突っ込んでいいからわからない。

「で、だ。すずめ君よ」

「なんですか? あ、お礼なら明日の晩御飯をハンバーグにしてもらえれば」

 平然とそんなことを言い出す少女をジト目で睨む。

「さすがの俺でも、あのパソコンが普通じゃないことくらいわかる。俺、言ったよな? 普通のパソコンが欲しいって。明らかに違うだろ、アレ。女の子つきとか聞いてないが?」

「でも、パソコン素人のナコさんにはピッタリでしょう?」

 言い訳をするかと思ったが、あろうことか清々しいくらい開き直った。しかも「私、なにか間違ってます?」とどこか得意気な様子。しかし鉄平としても昼の穴山との会話は聞いていないことになっているので、鉄平もそれ以上は追及ができなかった。

「俺、なんかいつもすずめ君には騙されている気がするな」

「失敬な。言いがかりです。私がいつ騙したんですか。物件にしかり、空気清浄機にしかり、そして今回のパソコンもありえないくらいの高額ゴホンッ、ナコさんにとって一番、手頃なのを用意したんですよ? 感謝はされど、呆れられる理由は一切ないはずですが」

 そんなやりとりをしていると、

 プルルルルルルル。

 電話の着信音が鳴った。

 すずめが「ナコさんの電話ですよ」と視線で伝えてくる。実はまだ携帯電話を買ったばかりで使い慣れていない鉄平は、少しもたつきながらも折りたたみ式の携帯を取り出した。

 ディスプレイに表示されている名前は『琴』。

「そういえば、引越ししてから一度も電話してなかったからな……」

 言い訳がましく呟く。単に携帯の扱いに慣れてなくて億劫だったからだが、そんなことを言っても到底納得されないだろう。

「出ないんですか?」

「出るよ……さっき話していた妹だよ」

 すずめはどうして鉄平が電話を渋っているかわからなかった。写真立てに目をやると、とても元気良さそうな少女が笑っている。

 鉄平がのろのろと携帯の着信ボタンを押す。

 すると――

『兄さん!』

 いきなり、大音声で叫ばれた。

 近くにいたすずめですら顔を顰めたくらいなのだが、鉄平は慣れたものですぐに耳を当てなして通話を始めた。

「琴、元気にしてるか」

『何事もなかったように話をしないで! 兄さん、琴に言ったよね? 引越ししたらすぐに電話するって? 兄さん、家を出て今、何日かわかる?』

 相当お怒りのようだった。普通に喋れば可愛い声なのだが、さすがにここまで感情的に怒っていると聞いていて耳が痛い。

「えーと、3日かな?」

『そう、三日だよ! 私、ずっと電話を待ってずっとずっと寝てないんだからね! 兄さんの嘘つき! 鈍感! 唐変木!』

 恐る恐る隣を見ると、すずめはドン引きしていた。3日も電話を待って寝ていないという発言も相当だが、後半の罵倒は妹に言われる言葉ではないはずである。鉄平はとにかく話を逸らそうと必死になっていた。

「あっ……そうだ、琴。俺、パソコン買ったんだ。今、業者の人に設定してもらってるんだけどさ。ほらお前、言ってただろ? パソコン買ったら教えてって」

『えっ、嘘! 兄さん、パソコン買ったの!? もーそれなら余計に連絡してよね。そのパソコンってWEBカメラとかついてるの?』

 視線で問い掛けると店員さんは無言で頷いた。

「ああ、ついてるらしいけれど……それがどうかしたのか?」

『じゃあ、私とメッセンジャー繋ごうよ。カメラを使えば映像通話もできるから。料金も無料で兄さんの顔を見ながら話せるし、電話よりそっちの方がいいな』

 途端に上機嫌になった妹、鉄平はほっとしながら、

「ああ、今メッセンジャーってソフト入ってるから使えると思う」

『機械オンチの兄さんにしては随分と手際がいいね。あっ、設定してる人が入れてくれてるのかな? 「友だちの追加」って選んでからね、「KOTOKOTONAKONAKO」ってアドレスで検索すれば出てくるから。じゃあ電話切るから、メッセンジャーで待ってるよ』

 言うだけ言って、ぷつんと通話が切れた。

 鉄平はどうすればよくわからなかったので、トナメに電話で琴が言っていたことをそのまま伝える。

「わかったわ、マスター。ことことなこなこと……はい、できました。これで大丈夫なはずですわ。マイクもカメラも設定してあるから、すぐに使えますことよ」

 言葉使いは変だが、なんとも気が利くパソコンである。頼りきりになることは目に見えてるので、きっと一生、鉄平はPCの操作は覚えないであろう。

「悪い、ソラ。パソコン使うぞ」

「うん。でも私のIDで登録しちゃったけど、いいの?」

「よくわからんけど、大丈夫だろ」

 深くも考えずに、椅子に座ってパソコンに向き直る。すずめとソラも後ろからパソコンを覗き込む。12・1型とは、三人で見るには小さい。必然的に密着することになる。

『コトちゃんから映像通話のお誘いです』

「えーと、承諾っと」

 おっかなびっくりクリックした。

『……兄さん』

 すると、地獄の底から響いてくるような、暗い声が聞こえてきた。

「おお、繋がったな。簡単だなこれ。で、琴、どうしたんだ?」

 画面には、写真に映っていた少女がいた。鳴子琴……鉄平の妹である。愛用のクマさんのパジャマを着ていることに、数日ではそう変わらないよなと鉄平は思った。

『色々聞きたいんだけど……まず、その表示アイコンはなに?』

「表示アイコン?」

「これですわ、マスター」

 するとトナメが親切にトコトコ歩いて、ウインドウの隅を指す。そこにはいつ撮ったのかソラの笑顔の写真が貼り付けられていた。

「ああ、ソラの写真か」

 鉄平は何故、妹が怒っているのかわからなかった。けれどよく考えなくとも、機械オンチの兄がパソコン繋いだと感心すると、いきなり小学生くらいの女の子の写真を自分のアイコンとして使っていたら、妹としては色々と思うところがあるだろう。

『で、次に……その子たちは、なに?』

 憎き犯罪者に罪を問う時、きっとこんな顔をしているのかもしれない。それほどまでに琴の表情は凄惨な顔をしていた。

 脂汗が額にビッシリ浮かぶ。

 やっと、事の重大さに気付いたのだ。

 妹は、「ちょっとだけ」嫉妬深い。クラスメイトの女子話しているだけでも、露骨に機嫌を損ねるくらいのレベルである。それに関しては色々と事情はあるのだが、そんな妹が仲良さそうに女の子二人に挟まれて妹と映像通話をしたら……まあ良い気分ではないだろう。

 慌てて鉄平は弁明する。

「いや、この二人はな……さっき話していたパソコンのセットアップをしてくれている業者の人たちなんだよ。だから、なんか特別の関係の人とかではなくてだな……」

 どう見ても、すずめは高校生、ソラは小学生。無茶な説明だとはわかっていたが、他に言いようがない。

 その鉄平の言い分に、むっとしたのはすずめである。彼女は一瞬、画面向こうの琴を睨んでから、あろうことか、頬をくっつけるくらいに更に密着し、

「お隣さんで~す。鉄平さんには朝から晩までお世話になってます♪」

「ぶっ!」

 普段の淡々とした口調から想像できないくらい、妙に馴れ馴れしい猫なで声に鉄平は激しく噴いた。朝から晩までって、朝飯から晩飯までってちゃんと言って欲しい。

「ふふん」

 何故か、してやったというすずめ。

 恐る恐る、鉄平が妹を見ると、

『兄さん』

 先程までとは打って変わって、妙に明るい笑顔を浮かべていた。

 けれど、鉄平は知ってる。それが、本気でキレている時の琴の表情だということを

『――待っていてね』

 グシャッ!

 何かが潰れるような音がして、通話が途切れた。表示を見ると『コトちゃんはオフラインです』という表示。

 トナミがよいしょとウインドウを片付けて閉じる。

「向こうから通話を切られましたわ。なんかパソコンごと電源が落ちたような感じですよね」

「……そうか」

 鉄平は、死刑囚の気分で一言呻いた。

「ナコさんの妹さん、随分と短気ですね」

 そしてのほほんと、いや、上機嫌な様子のすずめ。

「てっぺー、お父さんが話しかけてきてるから、パソコン使う」

 鉄平を押しのけてソラはパソコンでまたチャットを再開していた。


 こうして、鳴子邸に少しだけ普通じゃない薄型ノートパソコンがやってきた。初心者の鉄平でも簡単に使える、とっても高性能で賢い17番目という名前を持つAI搭載機。これからきっとパソコンライフが楽しくなる。

 獅子倉商店街から2番目に購入した家電は、パソコンだった。

 あなたも獅子倉商店街でパソコン、買いませんか?


  ◇


 パソコンから離れないソラをなんとか引き剥がし居間で寝かせ、やれやれと部屋に戻ってきた。窓を開けっぱなしだったので閉めようと思ったが、なんとなくベランダに出た。

 都会の夜空は、星がほとんど見えない。辛うじて明るく光るオリオン座が見られるくらいだ。

「……ん」

 そして隣の家の、2階の窓が開いていることに。

「……」

 可愛い動物模様のカーテンが風で揺れる。なんとなく、その向こうで彼女がこちらを見ているという予感があった。

 しばらく見つめていると、観念したように、さっとカーテンが開かれる。

「一人暮らしの女子高生の部屋をじっと見つめているなんて、趣味が悪いですよ」

 黒い寝巻きに身を包んだすずめが顔を出した。

「それはお互い様じゃないか?」

「……私をナコさんみたいな唐変木と一緒をしないでください」

 彼女は何か思うことがあるのか、静かな口調だった。

 鉄平は少女に色々と聞いてみたいことはある。

 振り返ると、その窓際には背比べをした柱の傷。この建物は築17年らしい。

「……どう、しましたか?」

 そして隣の家にいる少女も、17歳。

 このテラスハウスは2軒の家が片面の壁を共有して寄り添うように立っている。隣は空き家である。つまり、鉄平たちが来るまでこの建物は完全に誰も住んでいなかったのだ。聞かなければわからないことがたくさんある。けれど、今はまだ、問い掛けるべきではないと思った。

 だから、

「ありがとうな」

 それだけ言った。

 少女は唐突のお礼に一瞬ぼかんとしていたが、

「別に……私は礼を言われる筋合いはありません。ナコさんはお客さんです。ですからナコさんに必要なものを用意するのが、電器屋としての私の仕事です」

 少し拗ねたようにそっぽを向いた。

 鉄平は相変わらずの物言いに苦笑する。

「それでも言いたかったんだよ」

「そうですか」

 いつもは悪態と一緒に長々と言葉を続けるすずめだが、それだけ呟く。

 電器屋の2階に住む、今のすずめはどこか寂しそうだった。服装もいつものワンピースではなく少しメルヘンな寝巻き姿ということもあってか、昼間見る姿よりも歳相応……いや幼い感じを受ける。

 まるで、親をずっと待ち続けるか弱い女の子のような。

「明日、ハンバーグがいいんだろ?」

「え?」

「すずめ君が自分で言っただろ。だから……」

 鉄平はそんな年下の少女に、少しだけ優しい声色で言葉を紡ぐ。

「一緒に買い物に行こうか。少し遠くのスーパーも見に行きたい。案内してくれないか」

「それはデートのお誘いですか?」

「違う」

「……ふんっ。仕方ありませんね、では買い物が一人では寂しいというナコさんに、心優しい私が付き合ってあげます」

 彼女は視線を逸らしたまま、小さく了承した。

 鉄平は用件が終わったので、ベランダから部屋へ入ろうとするが、

「ナコさん」

 少女が引きとめた。

「少し、話をしませんか?」

 鉄平は、自分でも知らないうちに優しく笑っていた。

「ああ、構わない」

 まだ出会ったばかりの二人は、互いに何も知らない。

 きっと二人はどこか似ている。

 だから、少し、気になるのだ。

 二人がわかりあっていく時間は、まだまだたくさんあるのだから。


  ◇


 すずめが寝たのを見届けてから、鉄平は空をベランダから空を見上げる。

「てっぺーは、今、楽しい?」

 後ろからの声。

 それはソラの声によく似ていたが、彼女の舌足らずの口調とは違い、はきはきとした声。

「……」

 振り返るとそこには誰もいなかった。

「ここだよ、てっぺー」

 そして、視線を上にあげると、屋根に彼女が腰掛けていた。

 真っ赤な着物にきちんと着こなした大人の女性。前髪は綺麗に横一文字に切り揃えられており、後ろ髪は足元まで届くくらい長い。

 彼女は静かに微笑んでいる。


 ああ、彼女はソラなんだなと……鉄平は直感した。

 まるで姿は違うけれど、間違いなくそこにいるのは、座敷わらしのソラだ。

 でも普段とは少しだけ、違うのだろう。

 だからソラであってソラではない。


「……まだ、俺はちゃんと笑うことができない」

 そう言ってから、

「けれど、楽しくなってきたよ」

 不器用な笑みを浮かべた。

 彼女は満足そうに頷く。

「これから、もっともっと楽しくなるから」

「ついて、いけるかな」

「大丈夫だよ、だって――」

 彼女は隣の家を指差し

「すずめがいるから」

「……そうだな」

 鉄平は頷いた。

「どうして、この家にいるんだ?」

 問い掛けると、座敷わらしは首を振る。

「まだ教えてあげれない。だって、彼女の心の扉がまだ少ししか開いてないから」

「そうか」

 鉄平が電気の消えたすずめの家を眺める。

「次にここで会えた時には、もう少し話せると思うよ」

「今日はお別れか」

「うん、おやすみ」

 風が吹いた。



 鉄平が屋根を見上げると、そこにはもう、着物姿の女性はいなくなっていた。




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