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第一章 『空気清浄機、買いませんか?』

第一章 『空気清浄機、買いませんか?』



「中々、ぱっとする物件は見つからん」

 青年は難しい顔をして不動産屋から出て歩いていた。

 今は、まだ桜も咲いていない3月上旬。彼は今年の春から大学に通うために故郷の町を出てきた。通うことになる金甲山大学がある街は、都会と言い切るには少しだけ苦しい政令指定都市である。それでも鉄平の実家がある町よりかは遥かに人も多い。

 このぶっきらぼうな口調の青年の名前は鉄平。18歳、4月から大学1年生である。

 中肉中背の特徴のない体格に、これまた特徴のないぼさぼさ頭。特にイケメンというわけでもなく、どこにでもいそうなありきたりな青年だ。強いて特徴を挙げろというなら、いつも眠そうに細められたその瞳。いや、細いなんてレベルではなく、むしろ他人から見れば開いているかすらわからないだろう。その目が開かれたら妖怪が見えたり、なんでもコピーできるようになるといった特異なことは勿論ない。実は単に視力が悪いだけでいつも目を細めてみていたのだが、無意識の癖になってしまいコンタクトに変えた今でも一向に治る気配がない。

「仕方ない、次の不動産屋に行くか」

 次で6件目になる。

普通ならば大学に近い場所で探すのだが、彼には少々事情があり、できるだけ交通の便が良いところで住もうと考えていた。この不景気な世の中、地元での就職は絶望的であり、大学を卒業したらそのままこちらで仕事を探そうと決めているからである。また来年には妹もこちらに大学に進学するつもりらしいので、二人で住むためにある程度は広い部屋に住みたいのだ。

ひょっとしたら長いお付き合いになる部屋かもしれない。だからどうしても条件は厳しくなるし、該当する物件は少なくなる。更には立地だけでなく周辺施設も重要だ。

「部屋は、やっぱりこだわらないとな」

 言ってはなんだが、妹も何かとこだわりが強い。あと、訳あって絶対に同じ部屋では暮らせないために、2K以上の間取りが必要である。そういった経緯を踏まえ、さっき相談していた不動産屋でも結局匙を投げられた。

 彼が色々と考えながら、階段を下りる。階段といっても5段しかないモノで、ちょっとした段差を降りるために設置されたモノだ。

「よっ、とっ、ほっ」

 奇妙な掛け声を発しながら少女が隣を通り過ぎようとした。

 すると、

「あっ」

 ズルッと、階段を踏み外した。

 まるでスケートで滑ってしまったかのように、綺麗な放物線を描いて後ろに倒れていく。

「っと……」

スローモーションになった世界で、鉄平はかろうじて少女の体を支えた。けれど、

「いたっ!」

 後頭部が地面にぶつかるのは止められたが、少女は見事にコンクリートの床に尻餅をついてしまった。ベタンッという音から察するのに、相当痛いだろう。

「おい、大丈夫か」

 頭は打っていないから大事はないだろうが、念のため確認をしようと思った。

「うぅ……」

 少女は泣くのを我慢するように思い切り、目を閉じて呻いていた。

 見たところ、高校生といったところだろうか。背丈は妹より低い感じだから、150くらいというところか。けれど、抱えた腕にかかる重みは相当軽い。羽のよう……とまではさすがに言わないが、それでもお姫様抱っこしながらハードル走くらいはできそうなくらいだ。実は抱えているのは人形なのではないのかとどうでもいい心配をしてしまう。

 特徴的なのは足元まで伸びた異様に長い黒いロングヘアーに、真っ黒なワンピース。そして黒い組み合わせとは対照的に、肌はとても白い。それは「雪のよう」なんていう美しい驚きの白さではなく、温室ならぬ陰室育ちを思わせる不健康な白さ。

 顔立ちは綺麗な顔だなと素直に思う。

とりあえず一言では大和撫子とでも言っておこうか。

「あ……」

 少女がパチリと目を開けた。

 病弱っぽいナリには似つかわしくない、ぱっちりとした瞳。

 きょろきょろと左右を見回し、そして、抱えている鉄平と視線があった。

 まるでひな鳥が、初めて親を見た時のような。

 ただじっと、少女の瞳が鉄平を見つめていた。

 対する鉄平は見えているかすら怪しいくらい細い目。

「あの……」

 まるで、キスでもできるような体勢。心なしか、少女が顔を赤くして、ぽーと見つめているような気がする。なにか顔についていたのだろうか。

 深い色の瞳だな、と鉄平は思った。不思議と人を惹きつけるような、そんな瞳。

 彼女は淡々と言葉をつむぐ。

「離してください、変質者」

 ゴンッ!

 鉄平は彼女から手を離し、支えを失った彼女は後頭部から地面に激突した。


  ◇


「……酷いです。女子高生はデリケートなのに。これで子供が生めない体になったらどうするんですか? 責任取って私が一生遊んで暮らせる慰謝料を払ってください」

 何の因果か、鉄平は少女をおんぶして歩いていた。

「もう一回、落そうか?」

「狐目のお兄さんは、そうまでしてお礼を強要したいんですか? わかりました、では言ってあげますよ」

 むすっとした声で話していたが、途端に声色を変えて

「助けて頂き、本当にありがとうございました、勇者様。貴方みたいな素敵な方に救ってもらい本当に感謝で胸が一杯ですわ。どうか、私と結婚して王国を継いでください」

 まるで役者というよりは声優かのようなよく通る高い声。何事かと周囲の人が振り返り、何とも言えない複雑な表情を浮かべて視線を逸らした。

 イタい人だと思われたらしい。どうやら都会の人たちは笑って済ましてくれないようだ。

「変な漫画の読みすぎだ。川に捨てる」

 川はなかったが、近くにはドブがあったので近づいていく。

 少女は露骨「むっ」として、あろうことか耳にがぶっと噛み付いた。

「今ので何が不満なんですか。私には納得できません。ならば次は危険で粗暴なテロリストからシュワちゃんに救ってもらった金髪美人風にお礼を言います」

「痛い痛い結構痛いからやめろ! いいか、俺は君に礼を求めていない。白々しいというか、聞いてると無性に腹が立つから、もういいから黙っていてくれ」

 頭を抱えたいが、少女をおぶっているのでそれもできない。「なんて横柄な物言い……」と少女は自分のことは棚に上げて呟いていた。きっと少女は慇懃無礼という言葉を知らないようだ。

 どうして鉄平がこんなに怪しい少女を拾ったかというと、さすがに見捨ててはおけなかったからである。なにせ彼女はこけた後「平気です。絶対に平気ですから大丈夫」とは強がっていたものの、腰を激しく打ったせいかまるで生まれたての小鹿のようにプルプル震えて立っていたのだ。非常に面白い光景ではあったのだが、これも何かの縁なので、家まで連れて行ってやることにしたのである。

 少女は何かと色々と言いたそうにしてはいたが、面倒ごとに関わってしまったというオーラを隠しもしない鉄平に、とりあえず無難な会話を振ってきた。

「狐目のお兄さん、このあたりの人じゃないんですよね。観光か何かですか?」

「ん? よくわかるな。北の方から来たんだ」

「田舎モノはイントネーションが違いますから、隠してもわかるんですよ」

「別に隠してない。あと田舎モノで悪かったな。4月からこっちの金甲大学に通うから、物件探しに来ただけだ」

 二人が歩いているのは、住宅街だった。周囲には小奇麗でお洒落な家や、古くからありそうな大きな家が立ち並んでいる。田舎から来た鉄平は、多分これが高級住宅街って言うんだろうなとしみじみと思っていた。

「金甲大学って、狐目のお兄さんの悪そうな雰囲気に全然似合わないくらい良いところじゃないですか。一体誰を脅して、あ、裏口から入場するんですねわかります。って……あの、無視しないでください。私が独り言ぶちぶち呟いているみたいで嫌なんですが」

 隣を路面電車が通り過ぎていく。

 故郷では見られなかったモノに、「へえ」と眺めてまるで聞いていない鉄平に、少女は一人で喋っていたことに恥ずかしくなったのか、仕方なく普通に聞く。

「金甲大学でしたらどうしてここに? 電車を2回は乗り継がないと行けませんよ。金甲に通うにはわざわざ選ぶ場所ではない気がしますが」

 鉄平は「それはわかってる」と頷く。

「こっちで就職して定住考えてるからな。来年には妹も来て二人暮らしになる。だから大学中心に考えるより後々のことも考えてのこと、かな」

 実際には物件探しは全くうまくいってない。この少女を送り届けたら隣駅でもまた不動産に行くつもりだった。

「そうやって意気込んで、結局は思い通りにいかないわけですね。目つき悪いですし」

「ノープランよりはマシだ」

 そう言ってから、鉄平は首だけ振り返る。

「あのな。君は一応、美人なんだからさ、もっとお淑やかにしたら可愛いと思うぞ。押し付けるつもりはないが、綺麗な容姿が勿体無い」

「……え?」

 少女と、視線が交わった。

 何が見えているかわからない瞳と、ぱっちりとした特徴的な瞳がしばらく見つめあう。

 先に視線を逸らしたのは少女だった。

 どこか拗ねたような口調で

「……余計なお世話ですよ」

 そう言ってから、

「真顔でそんなこと言わないでください。ちょっと、どきっとしたじゃないですか」

 とても小さく呟いた。

 鉄平は柄にも無いことを言ったと、その呟きは聞こえない振りをした。

 その態度が気に食わなかったのか、一度強く少女は足で鉄平を蹴った。

 しばらく、黙々と歩いていたが、

「狐目のお兄さん」

 先ほどと変わらない、相変わらずの淡々とした口調。

「物件を探しているでしたらここ、大塚山町にお勧めの部屋があります。一応、助けられたことになってるみたいですから、特別に紹介してあげましょう」

「いらん」

「いいからいいから。絶対損はさせません。後から凄く感謝することになるんで、とりあえず私に下手に出ておいてください。勿論、今から感謝してもらってもいいんですけど」

「……いちいちそーいう言い方しかできんのか、君は」

 せっかくの綺麗な容姿だというのに、残念な子である。

 これがまだ笑っていれば愛嬌という範囲でギリギリ収めてもよいのだが、なにせ少女はずっと不機嫌そうなツラで一度も笑っていない。どう考えても関わってはいけない人種だ。

「病院は少し遠いですが、近くにはコンビニだけでなく、スーパーもドラッグストアーもあります。更には広いし安い。そしてなによりも、ですよ、とても親切で凄く気が利いて可愛くて信じられないくらい賢くて美人で美しい娘さんのいる電器屋が隣にあるのがポイントですね」

「それ、本当に重要なところか?」

「はい、とても重要な要素ですね」

 このあたりに住む子は、こんな子ばかりなのだろうか? だとしたらちょっと、いやかなり住むには遠慮したい地域だなと鉄平は思った。少女がそれだけ褒める人物ということは、恐らく間違いなく普通の子ではあるまい。目の前にいる少女のように美人ではあるが、頭に「黙っていれば」という言葉のつく類だろう。

「時間ももう遅いし、別にいいから。とりあえず関わらないでくれ」

「大丈夫です、私の家の傍ですから。というか狐目のお兄さん、女の子にここまでさせておいて断るとか本当にありえないですよ。なんですか、草食系気取ってるつもりですか? いいえ、狐目のお兄さんの場合は単なるトーヘンボクというより、気が利かない人ですよ」

「狐目って何度も連呼しないでくれ。君はそのフレーズが気に入ったのか知らないが、俺はその呼ばれ方が好きじゃないんだ」

 ……とても人にモノを勧める態度ではあるまい。

 少女を送り届けたら、さっさと無視して帰ろうと決めた。

 そんなかんだで、少女の家の近くにまで来たが……

「ほら、この建物がその物件ですよ」

 あろうことか、少女は先に物件に案内していた。

(確信犯か……)

 やれやれと頭を抱えたい気分ではあったが、もう着いてしまったのは仕方ない。少女の顔を立ててとりあえず物件を見てみることにする。

「ほぉ……テラスハウスか」

 最近、物件の写真を多く見ていたからすぐにわかった。テラスハウスは集合住宅……つまりアパートのようなモノなのだが、実際には一軒家に近い。例えるなら一つの家を真ん中で綺麗に二つに分けたモノ、といえばいいか。側面を共有することで建築費も安く済み、その割に間取りも広いので中々に人気の物件だ。間取りは恐らく2LDK、一階にリビングで2階に分かれた二部屋のタイプだろう。広さも十分で庭もある。外装も綺麗なことから築年数もそんなに立ってはいないように見受けられる。2軒とも空き家らしい。

「でも、お高いんでしょう?」

 とりあえず、TV通販風に問い掛けてみると、少女は相変わらずの淡々とした口調で、

「それがなんと、月々の家賃が3万。 敷金礼金もなしの夢の物件です。ちなみに築18年と少しだけ古いですが、許容範囲内でしょう」

 随分と具体的な数字が返ってきた。

「……いくらなんでも安すぎないか? 相場では8万はするだろう」

「まあ、出るって噂がコホンッ! ここは少し駅から離れている場所ですから」

「おい、今、なんか不穏なこと言わなかったか!?」

「気のせいです」

「いわゆる事故物件というやつだろ! お前、いいから吐け!」

「……出しちゃって、いいんですか? 背中、汚れますけど」

「そっちじゃない! 頼むから背中ではやめてくれというか少しは女の子らしくしろ!」

 まるで少女は聞いちゃいなかった。

 一通り鉄平が叫んだ後、少女は説明を続けた。

「そして、隣にあるのが……!」

 彼女の視線を追いかける、そこには

「獅子倉電器商店へようこそ」

 個人経営のボロくて、こじんまりとした電器屋があった。

 少女は「よっこせいと」と言いながら、鉄平の背中から降りた。

とてとてと歩いていき、電器屋の前に立つ。

そして、なにやら尊大そうに胸をふんぞり返って、初めて名前を名乗った。

「私の名前は獅子倉すずめ。この店は私の家なのです。狐目のお兄さん、ここまで運んでくれてありがとうございます。そして、これからよろしくお願いしますね、お隣さん」

 なんでそんなに偉そうな口調なのか。

 獅子倉すずめと名乗る女の子に、鉄平は色々と突っ込みたい気持ちでいっぱいだった。

 そもそも鉄平は一言も住むとは言ってない。

「……あー」

 鉄平はたくさん疑問のうちから、どれから聞こうかと悩み、

「獅子なのか雀なのか、どっちなんだ?」

 とりあえず、最初にそこから整理しようと思った。


  ◇


 鉄平は額の汗を拭い、部屋を見回す。

「ひとまず、こんなところだな」

 冷蔵庫と洗濯機、そしてベッドだけはなんとか設置を完了する。安い引越し業者に頼んだので、荷物は運び入れてくれるだけで配置まではしてくれなかった。細々としたモノはダンボールに入ったままで、全く手をつけてない。

「あっ、ナコさん。やっと荷物届いたんですね」

 1階のリビングでお茶を飲んでいると、庭に続く窓からすずめがひょこっと顔を出した。軽快そうな言葉とは裏腹に、相変わらずのポーカーフェイスというか無表情だった。

ちなみに「ナコさん」というのは、鉄平の姓である。鳴子と書いて「なこ」と読ませるのだ。彼の住む田舎では割とメジャーな姓ではあるのだが、普通は十人に聞いても全員が「なるこ」と読んでしまうだろう。

「すずめ君か。これから一日、荷開け作業だな。引越しって初めてだけど、結構手間だ」

 結局、鉄平は大塚山町のあの物件に住むことになった。隣の電器屋に住む自称『とても親切で凄く気が利いて可愛くて信じられないくらい賢くて美人で美しい娘さん』の押しに負けたのだ。「べっ、別にナコさんに傍で暮らしてほしいからだなんて理由じゃないですよ」とあからさまな芝居をしていたが、彼女には紹介料を大家からもらった「らしい」。ちゃっかりしているというかなんというか。最初から狙われていたのである。

「ナコさん、寂しいくらい随分と荷物少ないんですね。あ、お邪魔します」

 図々しいすずめは鉄平が返事する前に、靴を脱いで部屋入ってきた。

「寂しいは余計だ。それに必要なものはこれから追々と買い揃えていくつもりだからな」

 少女は、まるで本当にすずめようにキョロキョロと周囲を見回し

「ふむ、色々と足りませんね」

「だから、まだ最低限のモノしかないんだって言ってるだろ。すずめ君、人の話は聞け」

 肩をすくめてそう答えるが、すずめはちっちっちと指を振り、

「ナコさんは、一人暮らし初心者ですもんね。ネットゲームで例えるなら若葉マークの外れてない初期装備の冒険者のようなものですよ。素直に上級冒険者の言うことは聞いてください」

「いや、俺、ネットゲームとかしないから、その例えがいまいちピンとこないんだけど」

「ここは一つ、私が、全く最近の家電も何も知らない田舎者のナコさんのために、獅子倉電器商会がピッタリな商品をお勧めしようではないですか」

「だから聞けって」

 聞いちゃいなかった。すずめはいつもの無表情のまま「ぱぱぱーん」という効果音を呟きながら、どこからともなくカタログを取り出した。

「新生活を迎えるあなたに、とっておきの商品をご紹介しちゃいます」

「しちゃうんですか」

 鉄平はパチパチと投げやりな拍手をしていた。

もう何を言っても無駄だと思ったからである。

「さて、これから大学に通うことで何かと家を留守にしがちなナコさん。当然、家は戸締りしていきますよね。ですが実はそこに落とし穴があります」

「ふむ、防犯とか?」

「ぶっぶー! ナコさん、不正解。いつも通りのイケてない発言、ありがとうございます」

「……いちいち腹が立つな、すずめ君」

「確かに泥棒と同じくらい性質が悪い連中ですけれど。ほらここ見てください」

 そう言って窓ガラスの下の部分を指す。そこにあるのはゴムパッキン。少しだけシミのような模様が浮かんでいる。

「……カビ?」

「そう、カビです。出かけるからと、つい締め切ったまま家干しとかしてしまうと結構発生するんですよ。今の季節はいいですが、これから梅雨もきますからね。お家と長い付き合いを考えているなら……1台あると全然違うでしょうね」

 得意気に説明する店員に、お客は胡散臭そうにしている。

「小まめに換気すれば、なんとかなるんじゃないのか? 実家では母親がそうしてたし」

「ノンノン。一人暮らしだとそうはいきません。そして敵はカビだけでなく、ハウスダストという伏兵もいるわけで。ナコさんモノグサそうだから、掃除も隅々まで行き届かないでしょう」

 モノグサは余計だ。しかし、突っ込むのも面倒なのでとりあえず聞き流していた。

 少女はカタログのあるページ開いて、ガバッと突き出してくる。

 勢いがありすぎて鉄平の顔面に当たったので、鉄平は腹立たしげな様子でカタログをブン取った。「なになに……」と並んでいる製品を見ると

「――空気清浄機?」

「そうです。空気清浄機、買いませんか?」

 少女は説明を続ける。

「ナコさんの住んでいたド田舎と違って、ここは都会ですからね。空気もそこまで綺麗じゃないんですよ。車の排気ガスに花粉、早朝の生ゴミ臭……」

「ド田舎は余計だ、ほっといてくれ。しかしすずめ君よ、こーいう空気清浄機って本当に効果あるのか? なんか俺、こーいう製品見る度に色々と騙されている気がするんだが」

 少女は呆れたように「ふー」とこれ見よがしにため息をついてみせる。美少女のすずめがすると妙に様になって可愛かったので、逆にちょっと腹が立った。

「これだからナコさんは素人言われるんです。大体効果がないモノにメーカーがこんなに種類出すわけないじゃないですか。いいですか? 例えばナコさんの実家、汚い木造でしょう。で、家に帰ったら『あ、我が家の匂い』だとか思ったりしますよね?」

「汚い言うな。まあなんとなく、すずめ君が言いたいことはわかる。家によってなんか不思議と独特の匂いがするもんな。古い家ならなお更だ」

 鉄平は顎に当てて、思い出すように頷く。

「実はあれ、大抵はカビだったり染み付いた汚れの臭いが混じったモノなんですよ」

「え、マジ?」

「マジです」

「……我が家オリジナルのカビを培養してますみたいで、確かに嫌だな」

 少女はぺんぺんとカタログを叩き、

「そんな時にこそ、空気清浄機ですよ。騙されたと思って買ってみませんか? 効果が感じられなければ返品してもらってもいいんですよ?」

 家電に詳しくない鉄平はそう言われると、一台あってもいいかもしれないと思ってしまった。値段も3万程度と、そこまで法外な値段というわけでもない。これから長く付き合う家なのだから、確かにこれはあっても悪くない……のだろうか。

「そういえば妹、花粉に弱いからな。これはこれでありか」

 すずめが無表情のまま親指をぐっと立てて、「さあ、選びましょう」と意気込んだ。病弱で儚げな外見をしている割に、どうにもノリがお笑い系な子である。

「メジャーなのはシャープのプラズマクラスター機能つきと、パナソニックのナノイーつきですが、私はシャープの方が好きなのでプラクラを薦めますね」

「いいのか、電器屋がそんな好き嫌いで選んで。あとそのプリクラみたいな略、やめてくれ」

「あそこの営業、担当変わってから嫌いなんです。やっぱり顔馴染みの営業さんの製品売りたいって思うじゃないですか。アフターサービスもきちんとしてくれますしね」

「言いたいことはわかる。わかるが俺に関係ない話だろ、それ」

 すずめはまあまあと笑って「ここは私の顔を立てると思って」と図々しいことを言う。

 まあ、特にメーカーのこだわりもないのでいいかと鉄平も頷く。

「なんか、空気清浄機とプラズマクラスターっていうのが両方あるんだが。というかプラズマクラスターって名前はなんなんだ? 怪獣を倒すための兵器の名前にしか見えない」

「スーパーXに搭載される兵器ではないのでご安心を。さて、詳しい説明は省きますが、そうですね……ナコさんにもわかるように例えるなら……」

 すずめは少し考えて、すらりとした綺麗な指をぴんと立てた。

「ナコさんの部屋をプールと例え、その水を綺麗にするための装置と仮定しましょう」

「ふむふむ……プールね。まあ、それなら想像できる」

「空気清浄機というのは、ゴミや細菌をろ過するフィルター付きの水を循環させる装置のようなものです。水は留まると汚れますが、それは空気も同じです」

 それだけ聞くと、もうそれで十分ではないかと思う。

 けれどすずめは指を左右に振る。

「何故プールの例えを出したか……それはプールにしかないモノがあるからです。そう次亜塩素酸ナトリウム……まあ要は『塩素』ですね。あれが複数撒かれて消毒をしています」

「ああ、あのプールの底に沈んでいる丸っこい奴ね。よく摘んで投げて遊んだよ」

「触るとよくないんですけどね。まあ、あれが解けて周囲を消毒しているのを想像してください。プラズマクラスターは局地的に空気を清浄化する力に特化したものなんですよ。勿論、塩素と違い害もありません」

 少女は「正確な例えではありませんが」と注意する。しかし鉄平はなるほど思う。大体のニュアンスは伝わった。

「なら、このプラズマクラスター付きの空気清浄機なら両用でお得ってわけか」

「プラズマクラスター単体製品の方が清浄力は強いんですが範囲が狭いですからね。ナコさんにはその機能付き空気清浄機の方がいいでしょう。プラズマクラスター機能だけでカバーするにはここのリビング広いですしね」

「なるほど……」

 鉄平は説明するすずめに感心していた。

 正直、口が悪くて何を考えているかわからない少女だとは思っていたが、製品を説明するその口調にはよどみなく、とても頼りになる話しぶりである。家電に詳しくない鉄平に対してもたとえ話で説明してくれたことも、とても面白いと思った。

 実は鉄平は家電量販店というのが嫌いである。

 製品に詳しくない店員も最近は多く、「これがお勧めですよ」しか言えない場合も多い。

かと言って詳しい店員やメーカーの販売員がいても、何が何やらわからない専門用語の羅列で説明した「気分」に浸っているいわゆる技術「オタク」みたいなパターンな自己満足の人も往々にしている。

 勿論、単にお買い得品が欲しいという客もいるだろうし、詳しい説明やウンチクを教えて欲しい客もいるだろう。けれど、鉄平のように「そもそも何もわからない」客からすれば、そんなものは店の自己満足なのである。

「すずめ君がそういうなら、それにするか」

 鉄平のように家電に詳しくない客が教えて欲しいのは、第一に「その製品は何に使うモノなのか」から始まり「その製品が自分にとって必要なのか」、「どうしてその機能が自分にとってお勧めなのか」である。今回の空気清浄機の例で言えば、プラズマクラスターという機能がどのような原理で空気を綺麗なするかという知識ではないのである。

 本当は、すずめは製品の細かな違いな機能を説明できるのだろう。けれど、鉄平というお客様に対してあえて簡単なたとえ話を出して説明をしたのだ。

 ただ製品の説明を聞いただけ。

 けれど、鉄平は獅子倉すずめという少女の人となりを少しだけ理解できたと思う。ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、気が利く子なのだと。

 鉄平の自分を見る目が変わったことに気付いたのだろう。つい勢いよく説明していたすずめは、少し照れたようにそっぽを向いてしまった。

「……ごほん。これでどうです? うちに在庫あって12畳用のやつだからちょうどいいでしょう。しかも特別モデルだから空気清浄機としての機能にプラスして、更に『除霊機能』つきの、最新ハイエンドモデルなんですから。さすがシャープ、目の付け所が鋭い」

 彼女はさらっとそう言った。

「除霊!?」

 聞き間違いかと思ったが、絶対、彼女は今「除霊機能」と言った。いくら家電に詳しくない鉄平ですら、それはおかしいとはっきりと確信できる。

「お安くしておきますよ、この家、なんかいるみたいですしちょうどいいじゃないですか」

何事もなかったかのうようなすすずめに、「待て待て」と止める。

先ほどは熱心に説明してくれたから感心したのに、なんかもう台無しだった。

自分の新居を見回して尋ねる。

「すずめ君、ここに何かいるっていうのも聞き捨てならんが、そももそなんだ除霊って!」

「え、なにかおかしいですか?」

「おかしいだろ! そんな機能がついている電化製品なんて聞いたことない!」

 すずめはこの人何言ってるんだろうという顔をして、首を傾げる。

「そりゃあ、家に花粉が飛んでくるのと同じような感じで、霊もちょくちょく飛んでくるでしょうよ。だから一家に一台あっても不思議じゃないです。昔は強力な霊は電子ジャーで封印してましたが、さすがに一回使う度に人が一人死ぬので、流行りませんでしたし。今は除霊機能付きの空気清浄機で霊が来ないように防霊するのが常識なんですよ」

「また聞き流せない単語が出てきたな、おい!? 電子ジャーって、あの緑色の人を閉じ込めたやつなのか! というか、都会ってそんなに霊とか多いのか!」

「全く……ナコさんは疑り深いですね。いいでしょう、そこまで言うなら実機でその効果を試してみようじゃないですか。その威力を実感すればナコさんも信じるでしょうから」

「そういう問題じゃないだろ!」

 正面から話し合っているはずなのに、どうにもかみ合っていない会話だった。

 「よっこせいと」と立ち上がり、自らの電気屋にその空気清浄機を取りに出て行った。


  ◇


 すずめが持ってきたのは、カタログに載っているのと同じ形の白い空気清浄機だった。一瞬見ると『核マーク』かと見間違う、黒くしたようなプラズマクラスター機能搭載マークがついている。そして隣には、ゴーストバスターズで出てくるような、なんかよくわからない幽霊っぽいのに赤いバツマークがついた機能アイコン。

「『KI―AX80―GH』この子は面倒な設定は不要ですから。コンセントに差して、電源を入れるだけ。最近の家電は本当に優秀です。いい時代になりました。耐久力は低いですが」

「すずめ君、高校生だよな? なんか昔から見てきたみたいな口調が気になるんだが」

 想像以上に静かな音で、一見すると起動しているのかわからない。だが機械の上からきちんと風が出てきていた。

「しかし、すぐには効果が実感できそうにないな」

「ナコさん、せっかちですね。まあ、入居する時に清掃業者が綺麗にしましたから。とりあえず一週間使ってみましょう。それで実感沸かなかったら返品してくれていいので」

 鉄平はどしっとあぐら、すずめはちょこんとお嬢様座りをして、静かに動く空気清浄機見つめていた。

 二人はじっと黙って、空気を綺麗にしているらしいマシンを見つめる。

(……押してみたい)

 鉄平は除霊機能ボタンを押してみたい衝動を堪えるのに必死だった。絶対ロクでもないことが起きるという絶対的な予感……だが、押してはいけないと思えば思うほど、その謎の機能を見てみたいというジレンマが強くなる。

「……ふふっ」

 そして隣には、そんな鉄平がボタンに手を伸ばすのを今か今かと待っているすずめ。いつも通りの無表情だが、どことなくニヤニヤ笑っている気配がする。

……押したら負けだ。しかし、しかしだ。少女の顔を立ててやるのが年長者としての義務ではないだろうか。いやいやだが待とう。このボタンが危険というより、このすずめが持ってきた家電は危険な気がする。この少女、ロクなことを考えていない。

「ナコさん……早く、ほら、我慢しなくていいんですよ」

 まるで悪魔が悪の道に誘うように、耳元で囁いてきた。耳に吹きかかる息に、鉄平はぞくっとする。まるで抱きついているかのように、密着して「ナコさん」と誘惑してくる。

そこまでして自らの持ってきた家電の力を魅せたいというのか。

「くっ……」

 指が伸びるが、寸前のところで押し止めた。

「もう、ナコさん! じれったい! これだから草食系は!」

「草食系とか関係ないだろ! あっ、すずめ君、よせ!」

 しかし我慢し切れなくなったすずめが、指を掴んで無理やり押させた。

 びこっと幽霊にバッテンマークのランプが青く点灯する。

 けれどぱっと見て、特別に変わったところはない。

「なんだ、こけおどしか……」

 露骨に鉄平は安堵をした。すずめは「あれ、おかしい」と不思議そうに見ていた。

 しばらくして……

 キュイーン……カカカカカカカカカカカカカッ

 何かを吸い込んで、プラスチックを掃除機が吸ってしまったような音を立て始めた。

「……」

「……」

 鉄平とすずめはビクッとして、見つめていると、空気清浄機はエラーランプを点滅させながら停止してしまった。

「止まりましたね」

「なんか、嫌な感じの音を立てたんだけど、この子」

 ガタッガタッ……

 そして空気清浄機は、まるで中に何かが入ってるかのように揺れる。

 二人は顔を見合わせる。

「開けてくださいよ、ナコさん。私、男らしくて大胆なナコさんが大好きです。ここで率先してくれたら、私はきっと惚れ直してしまいます」

「そんな胡散臭い告白はいらん。というかここで、俺にやらせるのか、すずめ君よ。店員にしては随分と無責任じゃないか」

「ナコさんは、ふあいと!」

 もう何言ってもすずめは聞かないだろう。

 鉄平はため息をついて諦め、恐る恐る、鉄平は背面のカバーを外す。

 本来ならばそこにはフィルターがある場所で、隙間と言っても5センチ程度しかない。詰まっても埃程度のものしかないはずである。

 だがしかし

 ゴロッ

「ぶっ!」

 物理的にありえない大きさのモノが転がって出てきた。というより、空気清浄機より大きなモノが、背面から出てきたのだ。まさかこれは、異次元にでも繋がっているとでもいうのか。

「……」

 鉄平は、言葉をなくして出てきたモノを見つめていた。

 それは、すずめよりも小さな女の子。小学生低学年くらいだろうか。おかっぱ頭に、真っ赤な着物を着たちょっと古めかしい少女である。

「え……」

 それを見て、すずめは一瞬、不思議な表情を浮かべた。とても驚いたような、それでいて少しか悲しいような、飄々とした彼女らしくない、寂しそうな表情

「なんだ、座敷わらしですよ。ビックリして損しました。ナコさん怖がりすぎですよ」

 けれど彼女はすぐにいつもの無表情を取り繕い、露骨に安心した声で平然とそんなことをのたまった。

「どうやら吸霊力が強すぎて彼女を吸っちゃったようです」

「吸っちゃったじゃないだろ! なんだ座敷わらしって!? いや座敷わらしは言葉の意味はわかるからな? 俺が聞きたいのは座敷わらしなんて出てくるかという非常識な事態だ。というのにすずめ君、なんでそこまで平然としてるんだよ!」

 鉄平は激しく驚いた。

 けれどすずめはそんな鉄平の様子などどこ吹く風。

「ナコさん、良かったですね。座敷わらしのいる家は縁起がいいんですよ。私も薦めた甲斐があるというもの。いや、ホントに私って優秀な店員さんですよね」

 何故か既に、やり遂げた顔をしていた。

「いいから人の話を聞け! いいか都会ではそもそも妖怪とか普通なのか?」

「……ナコさん、妖怪とか何恥ずかしいこと言ってるんですか。変な漫画の読みすぎじやないですか? いいですか、座敷わらしは座敷わらしですから妖怪などでは……いたっ! いきなり女の子の頭を殴るとか何考えているんですか?」

 ゴンッ。

 主婦がよくやる「あらやだあの人恥ずかしい」みたいな態度のすずめに、無性に腹が立って鉄平はげんこつを振り下ろしていた。

「もう座敷わらしでもなんでもいい。で、この子、どうすればいいんだ?」

 視線の先では、座敷わらしの少女がむくっと起き上がり、こちらを見ていた。

浮かべているのは少し心細そうな表情。

「ナコさん。あなたは先に住んでいたこの子を追い出すっていうんですか? 後からきた分際で? ちょっと待ってくださいそんな顔で睨まないで拳を振り上げないでください」

 露骨に距離を開けたすずめに鉄平はため息をつく。

 さてさてどうしようかと思い、悩んでると、座敷わらしはぽつりと呟いた。

「……なんか食べたい」

 そういえば、もう夕飯時だったなぁと今更気付く。

 鉄平は、色々と考えるのを放棄した。

 だから鉄平は気付かなかった。

 少し離れた場所で、すずめが少し悲しそうな顔で呟いていた。

「本当に、いたんだ……」


  ◇


「まだ食材もほとんど買ってないから、簡単なモノで悪いな」

 組み立てたちゃぶ台に料理を並べる。

「ナコさん、質問があります」

「なんだい、すずめ君」

 彼女は並べられた料理を見て、はいっと手を上げた。

「食材がないと言いつつ、冷凍チン一発ではない、なんか凄く豪華なピザがあるような気がするんですが。なんかオーブンで焼いているなぁとは思っていましたけど、さすがにこれは想像してませんでした。謙遜ではなくて、料理のできない私に対する嫌味ですよね?」

「すずめ君が料理をできるとか知らん。これはピザじゃなくて、キッシュっていうパイ料理のカテゴリー。牛乳と卵は傍の米屋で買ったし、パイシートやベーコンは冷凍なんだよ」

 ほかほかのキッシュの前に、座敷わらしは目を輝かせていた。

「食べていい?」

「遠慮なく。はい、箸ね」

 座敷わらしが嬉しそうに割り箸を割って、いそいそと取り皿に分けてはむはむと食べ始めた。

 その様子をジト目で見つめるすずめ。

「私、取り皿すらないんですけど。なんか、ナコさん。その子と私、随分と対応が違わなくないですか? もしかしてロリコ……ちょっと待ってください、皿を遠くにしないでください」

「手で掴んで食べるんだよ。けどこの子なら箸の方が馴染みあると思っただけだ。大体、すずめ君も何を当然のような顔をして座ってんだ。君は隣に家があるだろうが」

 鉄平は切り分けられたキッシュを、つまんで一口で食べる。

 すずめは遠ざけられた皿へ一生懸命に手を伸ばしながら話をする。

「いえ……私の家は両親がいないもので。兄はいるんですが、市内に住んでます。つまり私はほとんど一人暮らしみたいなものなんですよ。そして勿論、私は料理とかしないので家に帰ってもインスタントしかないですし」

「勿論って言われても俺には困るんだが」

「料理のできない女の子は嫌いですか?」

「いや、それ、今は関係のない話だろ」

「いいえ、関係あります。というわけで早く答えてください簡潔に潔く料理ができない女の子でも気にしないとはっきりと」

 何故か早口になるすずめ。実際に別にどちらでもいいので、

「料理しない女の子でも別に俺はいいと思うが。男が作ればいいだけだからな」

「ならいいんです。では、私も頂きます」

 すずめがキッシュに手を伸ばすと、自分の分が取られると思ったのか、座敷わらしは箸でその手を叩く。

「こら、箸で叩くな行儀が悪い。大丈夫、取ってやるから」

 鉄平は取り皿に分けてあげると、座敷わらしは無邪気にわーいと喜んでいた。

「だって、お店開けてると忙しいんですから、料理とか家事している暇なんてないんですよ。どうです? できる女って感じの台詞でしょう?」

「君がそもそも店番している姿を俺は見たことがないがな……」

 鉄平はやれやれとため息をつく。

「そういえば座敷わらしって、そもそも食事が必要なのか?」

 気になっていたことを聞くと

「んーなんと言えばいいでしょうか。ナコさん、お菓子好きですよね?」

「ほどほどにはな。それが何か関係が?」

「アレと感じとしては一緒ですよ。食べなくても死にはしませんけど、それでも美味しいから食べたくなる……座敷わらしにとって食事というのはそういうモノですから」

「なるほど、ね」

 ニュアンスから大体のことはわかった。

「というか、平然と座敷わらしに料理を作ってあげたナコさんに私はビックリですよ」

「すずめ君が先住民とかそんなことを言って俺を責めたからだろうが」

 言い合う二人に、座敷わらしは首を傾げる。

「美味しいのは好き」

 美味しそうにもぐもぐ食べている。鉄平は頬についたかすをティッシュで取ってやる。

「……毎日、食べたいのか?」

「うん」

 無邪気に頷く少女に、鉄平は仕方ないかとため息をついた。別に今のところ、お金には困っていないので、少しくらいは相手してやってもいいだろう。座敷わらしとかどうとか関係なく、さすがにこんな女の子をむげに扱うのは気がひける。イメージとしてはペットを飼ったくらいの感じで扱おうと考えていた。

「君、名前は? 俺の名前は鳴子鉄平だ」

 鉄平が問い掛けると、少女は首を振った。

「……ない。だからてっぺーが好きなように呼べばいい」

 あまりネーミングセンスには自信のない鉄平は、「どう思う?」とすずめに意見を求めるが自称『とても親切で凄く気が利いて可愛くて信じられないくらい賢くて美人で美しい娘さん』は何故だか知らないが不機嫌そうな顔でもくもくとキッシュを食べていた。その目は「勝手にしてください」と言っている。

「……仕方ない。そうだな、じゃあ俺が決めようか」

 すずめは「えっ」と、そこは押して欲しかったという顔をするが、割と唐変木な鉄平はまるで気がつかなかった。

 鉄平は周りを見回し、座敷わらしが出てきた空気清浄機が目に付く。

 空気清浄機から出てきたのだから……

「ソラ、なんてどうだろう」

 繰り返し言うが、彼にネーミングセンスはない。

 けれど座敷わらしは、無表情に頷き、

「うん……それでいい」

 なんとなくではあるが、満足そうだった。

「じー……」

 人には常識がないとか言っておいて、あっさとり座敷わらしと暮らすことを受け入れている鉄平をすずめはジト目で睨む。

「いや、すずめ君は何が気に食わないか知らんが、これ、我が家の問題だからな?」

「そんなこと言って、ナコさん……ただのロリコンじゃないんですか? 犯罪の臭いがするんですが、私の気のせいですかね?」

「だからそもそも、一緒に暮らせというニュアンスで話進めたのはすずめ君だろうが」

 釈然としない表情を浮かべる少女に、青年は全く訳が分からないという顔をしていた。

 目つきが悪い割に意外と甲斐甲斐しい青年と、無邪気にもう懐いている少女の和気藹々とした団欒を横目にすずめはため息をつく。何気になんていう高い順応力だろう。

 逆にすずめは、自分でもどうして胸中がもやもやしているかよくわかっていなかった。

なんと言えばいいのだろうか。一言で言うと、構って欲しいというか。鉄平とすずめは運命的かどうかはともかく、偶然に縁ができた関係だ。普通はもう少しくらい、鉄平が自分のことを意識すべきではないかという、我ながら何故か勝手な理屈が出てくる。

 口は悪いモノの、こう見えてすずめは鉄平と話していると楽しいのである。生まれも育ちも大塚山町のすずめにとって、違う場所から来た、しかも年上の青年というのはとても珍しいし、些細な文化の違いも楽しいのだった。

 それに、座敷わらしというのがこの家にいることが、すずめにとっては本当は許せないはずのことだったから。

「……」

 このまま、出来の悪いホームドラマみたいな団欒を、物理的には近いけれど、明らかに遠い場所から見つめているのはとてもつまらない。そもそも自分でもどうしたらいいかわかっていないすずめは、途方に暮れてしまった。家電ならばカタログを開けばスペックが載っている。でも自分の心のことはどこを見ても書いてない。

「……そうだ」

 名案、というよりは妙案を思いついた。

「ナコさん、獅子倉電器商店(うち)でアルバイトしませんか?」

 突然の少女からの提案に、鉄平は思いっきり怪訝な顔をした。

「確かにアルバイトはしようかとは思ってるけどな。だが……開店休業中の店で、何を手伝えと? 現に今も店主が隣の家で遊んでるし、必要性が全く見られないんだが」

「だっ、だって私、現役の女子高生なんですよ? 始終開けていられるわけないじゃないでしょう。それに近所のお客さんは、用事がある時は携帯に電話してくれるから大丈夫なんですよ」

「じゃあ、俺はいらないよな」

「違いました。ああもう! 私がナコさんに言いたいのは、えーとそのですね……」

 想像以上に食いつきの悪い鉄平に、なんと言えばいいだろうかと悩んだ挙句、

「時間が空いてる時でいいから店番をして欲しいと言ってるんですよ。あと、料理ができなくていつも出来合いもので寂しい私にご飯作ってください。それくらい察してください」

「察しろとか無茶を言うな。言われないとそんなの絶対わからん」

 咄嗟に考えたにしては悪くないのではないかとすずめは思った。

 鉄平は座敷わらし、ソラを見て「うーん」と考える。

「二人分も三人分もそう変わらないから、食事作るのはいいんだがな。しかし、それでおすずめ君からの提案というが引っかかる。あ、実は物凄く低い給料ってオチとか?」

「ナコさんの中で、私がどういう立ち位置なのかというのを一度聞いてみたいですね。まあ給料については後々に話し合いましょう。ちゃんと自分の食費は支払いますし、悪い話ではないでしょう。とりあえずうんって頷いてください。雇用契約書持ってきますから」

 鉄平はソラに「どう思う」と尋ねると、少女は「てっぺーの好きなようにしたらいいと思う」と頷きながらキッシュを食べていた。

 早くも二人の間には、妙な信頼関係が築かれていた。なお更、ここは鉄平にアルバイトしてもらわないと疎外感が強くなる。というより、ここで引いたら家電にあまり興味のない彼は、お隣なのに獅子倉電器商店に絶対に顔を出さないであろうというのはもう確信だ。

 祈るようなすずめの気持ちなど露知らず、鉄平はふーんと考えて、

「学業に差支えがないレベルでならいいかか」

「さすが鉄平さん、男らしい。惚れ直しましたよ」

「そんな世辞はいらん」

 すずめは「ではさっそくと」立ち上がるが、鉄平はちょいちょいとちゃぶ台を指差し、

「すずめ君、行儀が悪いぞ。まだ食事、終わってないから」

「ナコさん、なんかお母さんみたいですね」

「……妹によく言われる」

 新居に移っての初めての食事は、他人同士の三人で楽しんだ。

 予定には全く無い状況ではあるが、「まあいいか」と鉄平は思う。

 三人の隣では、空気清浄機が静かに動いていた。


 引越し一日目は、こうして騒がしいままに過ぎ去った。





  ◇


 鉄平の部屋は2階にある二つの部屋の片方である。もう片方は妹が来た時のために全く荷物も置かずに空けている。眠気眼で一階に降りると、足のないローソファーでソラがすーすー寝ていた。3月上旬だからまだ肌寒いのだが、座敷わらしには特に布団は必要ないとのこと。というより本当は寝る必要もないらしいのだが、鉄平が寝てしまうと話し相手がいなくなって退屈なのか寝てしまうのだ。

「んー……」

 ソラが目を覚ます。

「おはよう、ソラ」

「おはよう、てっぺー」

 挨拶はしつつも、もぞもぞ動いてソファーでゴロゴロしている。

 その様子に苦笑しながら、朝ごはんの準備をしようとキッチンへ向かうと

「おはようございます、ナコさん」

 ちゃぶ台に「さあ朝ごはん食べますよ」とスタンバイしたすずめが座っていた。

「……おはよう。すずめ君、何をしているのかな?」

「なにしてるって、朝ごはんを待っているんですけど。早く見栄えも良くて暖かくて美味しくて美容にも良い朝ごはんを用意してくださいよ、ナコさん」

「……朝から無茶を言うな」

 鉄平は手馴れた様子で朝食の準備をしていく。

 その後姿をすずめは、「ぽー」と見つめる。

「ナコさん、いいお嫁さんになれますね。私が保証します」

「すずめ君は嫁にも夫にもなれそうにないな。少しは手伝おうって発想はないのか?」

「……本当にナコさんは、まるでお母さんのようですね。はいはい、わかりましたよ。皿くらい並べればいいんでしょう? 全く……」

 すずめは「仕方ないなぁ」と立ち上がろうとするが、

「てっぺー、お皿出したよ」

 いつの間にか来ていたソラが並べてくれた。

 しかもコップも出して、牛乳を注いでくれる。

「ありがとう、ソラ。助かるよ」

「ううん。てっぺーはご飯作ってくれてるから」

 褒められて「わーいと」と無邪気にソラは喜んでいた。

「……!」

 対するすずめの表情は般若のごとく。料理をしている鉄平には見えないし、ソラもその表情の意味がわからずにきょとんとしていたが。

 そうこうしている内に、料理ができあがる。

「トースターはないから、食パンはそのままだ」

 並べられたのはまるでテレビにでも出てきそうな王道なメニュー。食パンが主食で、おかずにはスクランブルエッグと、軽く炒めたウインナーとほうれん草。両親と兄が出て行ってから久々の「当たり前」の朝食に、すずめは無意識に拝んでいた。

「それじゃあ、食べようか」

 鉄平の言葉に、みんなが手を合わせる。

「頂きます」

 こうして、鳴子鉄平の新生活は始まった。

 変な電器屋の娘が隣に住んでいるし、よくわからない座敷わらしも一緒に暮らすことになったけれど、これはこれで、賑やかでいいかもしれない。

 きっと、想像もできないトラブルが起きそうな予感がしているけれど、鉄平は深くは考えることをしない。考えても無駄なことはしない主義だからだ。

「そういえば、俺がいなくてもソラが居れば俺がいなくても換気もしてくれるよな。それならカビも生えないし、空気清浄機って別段なくてもいいか」

「何言ってるんですか? ちゃんと説明聞いてましたか、都会の空気は汚いと。空気清浄機は色々と多機能……そんな簡単にいらない子扱いしないでください。大体、返品なんてできるわけないでしょう?」

「いや、すずめ君、返品してもいいって言ったし」

「言ってません。それはナコさんの妄想の中だけですよ」

「てっぺー、私、掃除するよ?」

 居間の隅では買ったばかりの空気清浄機が静かに、空気を綺麗にしていた。空気だけでなく危ない悪霊も一緒に浄化してくれる優れもの。これからきっと安心な健康生活を送ることができるはず。

 あなたも獅子倉商店街で空気清浄機、買いませんか?

 獅子倉電器屋と鳴子鉄平の、どうしようもなくくだらないけれど、どこか暖かい物語は、こうして始まりを告げた。

 あなたも欲しくなる、ちょっと変わった家電が紹介されていく……かもしれない。


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