楽園#3人目
『小さなステージで』
今夜開催されるバレエコンサートは千秋楽を迎えていた。続々と客足が増えザワザワし始める。そして小さく音楽鳴り響き幕が上がった。舞台袖から煌びやかな慎ましい衣装を纏い、軽やかなステップと共に現れ踊る。長く美しい曲線の脚、つま先でステップを刻みクルクルと回りだす。スポットライトを全体に浴び、観客の目線も彼女に注ぐ。
いつかの本で見たバレリーナそのものだ。なんて綺麗なんだろう。観客に紛れて舞台を影から見ているクリーム色の髪を持ち、紅玉の瞳が光を放つ。度々孤児院を抜け出してはコッソリ舞台鑑賞に浸っていた。だが、今日このバレエ団は次の町へ移るため舞台を見ることはこれが最後であろう。ならばこの眼に少しでも焼き付けておきたい。
盛大な拍手と掛け声によって幕を閉じ、孤児院へ帰るその時だった。真っ暗な夜空とは違い、星のひとつもない闇が僕を包んだ。
眼を開けると、両手を縄で縛られていた。ここはどこなのだろうか、辺りを見渡しても見覚えのない場所。自分は帰る途中だった、なのに知らない所で縛られている。冷や汗がドッと出た。最近人身売買の話を孤児院へ訪れた神父様がしていたのを耳にした事がある。
「やぁお目覚めかな」
葉巻煙草を吹かせた小太りな男が自分の顎をクイッとあげる。煙草の煙と恐怖で目頭が熱い。
「君を殺しはしないよ。でも、君は踊りが好きだとみた。毎度毎度あの舞台に訪れる」
監視されていたという事だろうか。
「だから、そんな君に踊りをお客の前で披露して欲しい」
「え?」
だがその踊りというのは僕が見た美しい物ではかけ離れた物であった。軋む鉄棒、膝の裏の痛み、肉と肉が挟まれ、挑発するような下品な踊り。客が卑しい目で見つめる。ニヤニヤして小太りのオーナーが葉巻煙草を吹かせながら客と談話している。こんなスポットライトや目線が欲しかった訳でない。美しい踊りは何処へいったのか。全て夢ではなかったのか、と思えてくる。客に気に入られればオーナーからの呼び出しがくる。葉巻煙草の吸殻が落ちた時、僕はオーナーに手招きされた。
「挨拶」
「こんにちは。アンディー様」
太っており片眼鏡をかけているアンディー・シューカーは常連の客で、毎回呼び出される。
「くれぐれも商品に手を出さないで下さいよ」
「スキンシップさ」
とお互い汚らしい笑みを零し、オーナーは下がっていった。
「久しぶりだねぇ、どうだい踊りの方は上達したかい」
僕の肩に手を回し右手で二の腕を撫で、左手で太ももの間に手を入れられ話が続けられる。それに負けじと平然を装いグラスにお酒を注ぐ。
「それに身長も伸びたんじゃないかい?」
御託を並べながら僕の股関をまさぐり始める。こんな直接的なのは初めてで、気持ち悪さが襲った。同時に今まで我慢してきた物が口から出そうになった。咄嗟に口を抑えようとしたら左手首を掴まれ相手の股関を強制的に撫でさせられた。
「本当に小さなお手手だねぇ。ほら、おじさんの触ってくれないかね。金は弾むよ」
「う・・おえぇえぇっ・・!!」
「このクソガキ吐きやがった!オーナー!」
「は!何やってんだ!」
―ガッ―
アンディー・シューカーは帰って行き、オーナーが戻ってきた。
「なぜ吐いた?」
答えようとした瞬間、口の中にオーナーの脚が入ってきた
「ゲホッ・・オエッ・・く、くふっ・・」
苦しい!靴についている土が口の中に少量ついてきてジャリジャリし、血の味が広がる。
「答えんか」
口を開ける度に足が入ってきて、答える余地さえくれない。まるで答えさせない様に。生暖かい液体が口を伝う。
「靴を舐めろ。靴の底だ」
―ドカッ―
顔を思い切り蹴られ目の前に靴裏を近づけられ、抵抗した時にオーナーが隠し持っていた銃の銃口で服をめくられ、ひんやり冷たい銃口が肌にあたり
―カチャリ―
僕は踊る事さえ出来ずに死んでしまう。ならば死ぬ前にもう一度、絵本で見た踊りがしたかった。ひらりと舞う美しい踊りがしたかった。引き金を引く音がして、瞼を下ろす。
―バンッッ―
放たれた銃弾、かすかな火薬の匂いが鼻腔に入る。目を開けると僕の隣に倒れるオーナーが視界に入った。
「踊り子の綺麗なお顔が台無しね」
女性がポケットからハンカチを取り出し、僕の顔や体を拭く。辺りを見渡すと僕と同じ様に仕事をさせられていた子達も居なくなり、もぬけの殻になっていた。一体何が起こったのか。女性に視線を戻すと、キツク唇を噛みしめていた。
馬車に乗り込み、彼女が口を開く。
「はじめまして、私の事は姉さんとでも呼んで頂戴」
柔らかい笑みを浮かべ僕の目をまっすぐと見る。
「突然の事で驚くのは仕方ないわ、それに目の前で銃声なんてして怖かったでしょう?ごめんなさいね」
「どうして謝るのですか。助けていただいたのに」
「殺していないから、身柄は警察に渡したわ。怪我の方はどう?」
「痛くないわけない」
「よく頑張ったわね」
彼女はこれまでの境遇を僕に聞き、答えた。彼女が人差し指をつきたてて
「よければ楽園に来ない?貴方の他に2人住んでいるの。全員が他人だけれど貴方の様な境遇を辿って来た子よ」
「孤児院?」
「そんな所よね。でも簡単に言うと家族を作るという意味に近いかもしれない」
「僕なんか」
「大歓迎よ。その代わり、名前を改名しなければならない。いいかしら?」
「問題ないですよ。元々本当の名はない」
両親が行方不明で、小さい頃から孤児院で育ってきた。名前なんて価値のない。
「あなたの名は“アルケミラモリス”花言葉は輝き・献身的な愛、よ。その美しい踊りに対する愛、そして華やかな舞台・踊りと共に輝きを放つ貴方になりなさい。その踊りで自らを輝かせなさい。自由な踊りを」
なんだ、この高揚感。名前なんて、と思っていた筈なのに姉さんからの新名は何故か心が弾んだ。
「こんな汚い事をしていたのに輝けるはず・・」
「汚い事をしていたのなら、自ら綺麗になりなさい。それは自分自身がする事よ。私は全力で貴方を助け、自由な舞を踊って欲しい。そしてその輝きと踊りに対する愛で、自由になりなさい」
汚い事をしていたというのに姉さんはそれを非難しなかった。寧ろ受け入れ、それを含めて真っ直ぐ僕の瞳を見ていた。
絵本や舞台で見た真っ白な舞台で自分の踊りによって輝かせたい、そう思えた。暴行された胸が熱くなった。
いや、胸だけでない体中熱くなった。あの日絵本で見た時の様に。
そして姉さんに見てほしい。真っ白な舞台を僕色に輝かせながら踊る僕を見てほしい。
馬車が森の前で止まり、姉さんに連れられへ家に入った。
今まで見たことのない大きな屋敷。中に入ると踊場から二階へ通じる二手の階段が見えた。
そして姉さんの部屋の中に招かれ近くの椅子に腰をかけた。部屋の中はサッパリしていた。作業机のようなものに大量の書類が摘んであり、壁の様々な場所に花が飾られていた。
ふと、自分の額に手を接する。屋敷に入る前に湖に立ち寄り顔を洗ったせいか、顔の痛みはほとんど皆無だった。
「さぁ、少し痛むかもしれない。腕を出して」
言われように腕を出すと、姉さんが瓶の中から一つのコットンを取り出し、それで僕の腕を拭き何かわからない針が付いた器具で血液を抜き取った。
ここに住むために必要な行為だと廊下を歩いている際に聞かされた。
「いい子ね、もう大丈夫。後、クマさんと小鳥さんどっちが好き?」
「・・クマさん」
少しツンとする匂いが漂う中、姉さんが小さな小瓶を出しその中に抜き取った血液を入れ、
銀の玉をその中に落とし花の付いている蓋で閉じた。そして茶色のタグに僕の名前と小さなクマのスタンプを押した。その作業をただ見ていた僕に、出来あがった小瓶を見せてくれる。タグの後ろを見るとナンバーが書かれていた。
「NO3?」
「3番目にここに来たからね。後の2人もここにあるわ」
指さした方を見ると、鳥かごにしては少し小さめであるがいくつか小瓶が入るくらいの大きさで、赤薔薇が取っ手の所に3つついており、花弁の先端は銀色である。鳥かごの中にぶら下げてある小鳥が二羽いるチャームが揺れている。綿が鳥かごの中に入っており、そこに2つの小瓶を見つけられた。
「これは何の意味があるの?」
「これはね、契約の証。入居届の様な物よ。そしてこのzeitという銀の玉を入れる事によって、この中の血液は腐る事がない。同時に、アルケミラモリスも腐らない。まぁ、このwiegeの力もあるんだけどね」
姉さんが鳥かごを子突いた
「腐らない?僕が?死んでないよ」
「簡単に言えば病気にならないよって事よ」
「へぇ」
「びっくりした?」
「でも、そんな事って」
「信じなくてもどちらでもいいわよ。現実味ないものね」
妖艶に笑う姉さん。だが、何故か少し哀しんで見える。
「ここから出ていくことは可能よ」
「そんな裏切り行為する訳?」
「裏切り行為・・ふふ、そう思うのね」
頭を撫でながら隣に座る姉さん。
「ここは楽園。あくまで“楽園”なのよ。独り立ちというのは喜ばしい事。それを止める資格は私にはないわ。人は皆自由だもの。この小瓶を飲み干せばここから出た証となる。」
「悲しい?」
「悲しいわ。けれど其れは自分で決める事。この楽園で培った物はそのまま譲り受ける」
すると姉さんの声色が変わった
「けれど真っ当な理由でないと、ここから出ていく事は許可できない」
***
ここは、あくまで楽園。時を止めるだけの場所。羽を休める場所に過ぎない。本当の自由と幸せとは・・。毎日毎日考えさせられる。むしろ考えない日がない。アシダンテラとロサルゴサが教会で初めて会った時、正直どうなるかと思った。ロサルゴサが馬鹿にされるのでは、と。あの子は天才少年と町で噂されたツェーンヴ家の末っ子。でも心配は無用だった。何故か意気投合している様子だった
「・・で・・だが・・って、聞いているのかね」
「あ、ごめんなさい。で、どうかしら」
「それを話していたんじゃろうが、全くお転婆なお嬢さんじゃ。お勤め御苦労じゃった」
神父様、と言っても聖職の割に私の活動についてバックアップをしている良き理解者。今回の依頼は市長さんだったけれど、情報提供に大変助かっていた。
そして手渡された小さな袋。
「これは?」
「zeitじゃ。これは人の時を止める作用がある」
「そんな事可能なの?」
「まぁ、詳しい事は儂も分からんがな」
「ふ~ん・・信じてみましょうか」
アルケミラモリスを部屋へ送った後、紅茶を喉に通しながらロサルゴサに出会う前の出来事を思い出す。
血液を採ることで彼等の時間はこちらの手の中にある。そして腐らない・・成長を止めるためのzeit。しかし、楽園を出るにはこの瓶を飲み干さなければならない。そう、代償はここに居た記憶や私の記憶はなくなる事になる。又は
死ぬ
そんな事をさせない。それにいつまでも腐らず綺麗な姿でいてほしいもの。
禁忌、そんな言葉はこれから私にとって強みになるのだろう。
=続く=