楽園#1人目
1人目:ロサルゴサ
『どこまでも歩く』
指先から伝わる冷たい鉄格子。昨日は隣の奴が連れて行かれてから戻ってはいない。きっと次は自分の番なのだろう。冷たいのは鉄格子だけではないようだ。
「ママのご飯が恋しい。お腹すいたよぅ・・ママ・・会いたい」
一緒の牢に入っている奴がそう呟いた。
母の手料理、とは一体なんなのだろうか。
自分は母の浮気相手の子であり、物心ついた時には既に売られ此処にいる。だからといって母が居る事に関して羨ましいという感情は起きなかった。母とは一体何か、何故そこまで求める存在なのか疑問である。そう思うのは僕自身母からの愛など知らないからだ。そんな事を考えていると手を掛けていた鉄格子に振動が伝わってきた。
-ガシャン!-
「来い」
「痛っ・・!」
大きな手に手首を引っ張られ外に出される。嗚呼、ついに来たんだ。部屋に着くと変な匂いが鼻を刺激した。そして至る所に赤色の液体がこびりついていた。男に指示され台に仰向けになり、手足をベルト固定された。さっきまで誰かが縛られていたのか、生温かく少し湿っているベルトが肌に当たり正直気持ち悪い。
「オーダーは両足だそうだ」
白髪混じりの男性が自分の足を撫でながら顔を近づけ舐め始めた。
「っ!」
生温かい汚い舌の感覚を伝わり、気持ちが悪くなり咄嗟に喉が閉まる。
「先生、商品なんすから。」
「わかっとる、わかっとる。ただ味見してみただけだよ。少し汗の味だ。」
そう言って大きな刃物を出し、周りの大人達が一斉に自分を押さえ込んだ。
「くっ・・・(苦しい)」
「大丈夫、より綺麗になるからね」
その言葉と同時に大きな刃物が下ろされた。何度も何度も何度も何度も。
「うああああああああああああああああああああああ!!」
感じたことのない痛みだった。肉が破れる音、ブチブチと小さな音を立て辺り一面赤く染まる。骨の振動が妙に生々しく、顔がぐちゃぐちゃになる程歪み、何かに弾き飛ばされるように気を失った。
「痛みのあまり失神してんな。残念だなぁ、可愛い声が聞けない。お漏らしまでしちゃって可愛いねぇ」
「汚ねぇ。誰が掃除すんだと思ってんだよ!」
―ドカッ―
「おい止めろって、折角の美人さんなのに」
「そうね、折角の美人さんなのにね」
「!?だ、誰だ!おm・・」
辺りが騒がしく、力を振り絞って目を開けると女の人が見えた。そして女の人は自分の目に手を置き、
「今は眠りなさい」
その一声で意識がなくなった。
目が覚めると微かな振動と温かみを感じた。
母さん
いや、違う、目を開けると女の人と目が合った。どのくらい時間が経ったのだろう、考えるほど意識はぼんやりとして思考停止してしまう。とりあえず状況把握しなれば、そう思い起き上がろうとすると激痛が走る。
「!!!!!」
「駄目よ、いくら強い鎮静剤を打っても、さっき貴方は足を切り落とされたのだから大人しくしてなさい」
「っ・・。あの・・自分は・・どうなるのですか」
「これから教会に行って、今回の出来事を神父様に報告しに行くわ。ご両親は?」
「・・いない」
「・・そう。貴方はこれからどうしたい?」
どう・・したい?自分は何を・・したい?選択肢を与えられる事がこれまでになかった為、考える事すら放棄していた。生きている目的は僕にはない。突然の自由を与えられたとて、僕は・・
「行く宛てがないのなら、家にいらっしゃいな。一緒に暮らしましょうよ」
「え・・?一緒に??」
「ええ、貴方がよければ私は大歓迎よ。部屋もあるしあいつらみたく、酷い事はしないわ。それに貴方は自由なのよ、もう苦しい思いはしなくていいのだから」
自由・・。だけど・・
「怖い」
「!」
「当たり前よね、怖いと思って当然よ。無理にとは言わない、出ていく事も自由。貴方は自由を与えられず、何をしていいのかわからない、ならば私の傍にいてくれないかしら?私は一人暮らしで、少し寂しかったの。前までは人が沢山居たのだけれど・・今は一人ぼっち。生きる目的を一緒に私と見つけていきましょう」
そう言い頭の上に手を乗せ、撫でてくれた。どうせ、行く宛てもないのならこの足で歩き、何かしらの恩返しをしたい。そして自由と生きる目的、それをわかりたい。そう、心の中で小さな自我が芽生え始めた。
初めての僕の言葉。
「行きたい。」
「それはよかった!これからよろしくね、えと、名前は?」
「ない。」
「・・なら・・ロサルゴサ」
「ロサ・・ルゴサ・・」
初めての僕の名前。自分の名前。愛される者につけられる物・・。
「花の名前よ。花言葉は“照り映える容色、悲しくそして美しく”」
優しく微笑む彼女はきっと花なのだろう。
とても美しい花。
奇跡の花。
何処か僕と同じ面影を持っているような気がした。
生きる目的や自由なんていらなかった。“傍に居てほしい”僕を必要とする言葉。
彼女が次第にぼやけていき、目頭が熱くなる。頬に垂れる滴は生暖かく、冷たい僕の肌を溶かしていく。
この息苦しさは嫌ではなかった。今までの閉じ込めていた感情が少しずつ漏れ出ていき、失った足が現実を見せて行った。彼女は僕を見て、とても穏やかな顔をしていた。
「私の事は“姉さん”とでも呼んで頂戴」
静かに頷くと、彼女・・姉さんは僕に愛を注ぐかのように唇を合わせた。
少しずつ、少しずつ、溢れないように僕を包み込むように。
とても甘い匂いがした。
これが愛される匂いなのか、僕にはわからない。
これが愛なのか、僕にはわからない。
愛を知らない僕にはわからない。
馬車は止まり、何処からか生暖かい風が僕たちを包み込む。
壊れた歯車が小さく歪な音を奏で始める。
それを知っているのは。
続く
【生きる目的】