夏休み、午後2時の積乱雲
僕が目を覚ましたのは降りるべき駅を2駅過ぎた頃だった。山際を走る列車からは眼下に広がる青々とした水田、遠くに夏休みの午後2時を象徴するみたいな積乱雲が見えた。ふと僕の目の前に座る少女が目に入った。彼女は僕が2年前に卒業した高校の制服を着ていた。彼女は一心不乱に何かの小説を読んでいた。みんなみんな電車の中だとほぼ毎日のようにある小テストの勉強をしたり、スマホをいじったりしていた中読書に勤しんでいた僕は彼女に少しだけ共感を覚えた。その時突然車掌の声が聞こえた。僕は大学の講義があることを思い出した。この駅で降りればまだ間に合うかもしれない。電車が駅に到着した。彼女はふと我に帰ったように慌ててカバンをまとめ、電車を降りていった。電車を降りる時に気づいた。彼女の座っていた席に最近映画化された小説の文庫本が転がっていた。僕はとっさにその本をとって電車を降りた。改札を抜け、僕は彼女に叫んだ。
「すみません、これを忘れませんでした?」
彼女は振り向き、一瞬不信そうな表情を浮かべてから、一気に紅潮した頬と共に言った。
「あ、ありがとうございます!もしかしてこのために降りてくださったんですか?」
「いや大丈夫だよ。僕もどうせまた上りで戻らなくちゃいけないからさ。」
そう言った僕の耳に上り線の発車チャイムが飛び込んできた。
「あの……すいません。本当にありがとうございます。」
「大丈夫だよ。じゃあね。」
「はい、ありがとうございます。」
そう言って彼女は駅から伸びる下り坂を走っていった。駅に戻った僕は時刻表を確認する。次の上り列車は40分後だ。
「ど田舎っ!」
これでは講義に間に合わない。どうしようか。まあいいか。困った表情を浮かべながら駅の外を見渡した僕の目に飛び込んできたのはとても大きな慰霊碑だった。この先にある大きな峠を超えるトンネル工事の時、亡くなられた人に対するもののようだ。
この碑は見覚えがある。前にここに来たことなんてあっただろうか。
その時僕は突然思い出した。どうして忘れることなんてできたのだろう。4年前の夏、まだ僕が高校1年だった時、友人と共にこの駅で降りたんだ。夏休み、冷房の効いた教室、どうしても寝てしまって進まない数学の課題。そんなものに嫌気が差した僕等はいつもは乗らない電車に乗って、旅に出ることにした。と言っても2人とも1000円も持っていなかった。その時20分ぐらい電車にゆられてこの駅で降りたんだ。この駅が持っているお金で往復できるギリギリの距離だったから。あれもちょうど同じ位の時間だった。彼とは久しく会っていない。保育園から高校まで一緒のやつだったけど、大学は違う。彼は文系で僕は理系だった。彼は英語がやたらと得意だった。彼は東京のレベルの高い公立大に進んだ。高校に入ってそれぞれ違った友達が増えるにつれ、彼とは少し疎遠になった。あの少女がもし本を忘れなかったらこんなこと思い出しもしなかったな。彼女に感謝。そしてあいつに連絡をとってみよう。彼はきっと普通に応じてくれる。さっきよりも少し高くなったような気がする積乱雲を見ながらそう思った。