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「だったらちっとも面白くないわ。それにしてもなんであんな格好をしているのかしら。そうだ、カッチン」
ナナは嬉しそうにルリの耳元に言付けると、挙動不審な人物に向かって駆け出した。逃げ出そうとするのを許さず、素早く前に回りこみ、にっこりと笑った。
「こんにちは、セイラさん。そんな出来損ないのホストみたいな格好をして、こんなところで一人でなにをしているの?」
挙動不審な女刑事、石川聖良は苦い顔を見せる。ナナ達の高校で起こった殺人事件で知り合ってから、なにかと縁があり遭遇する。
「と、友達の結婚式の二次会の下見よ」
「こんなところで結婚式の二次会?」
「こんなところであるのよ。あなたこそ、こんなところで何をしているの?」
「人助けよ。聖良さんも手伝って。あそこにいるメイド服の子、あの子を襲ってきて」
「お、襲うって、どういうこと。あなた達はなにをしているの?」
「時間がないから急いで。あの子には説明してあるから大丈夫。早く!」
「なんなのよいったい…」
聖良は困惑したまま、ふらふらと則子とカッチンの方に歩いていく。それはとてもメイドを襲いに行く者の足取りではなかったが、対してメイドは渾身の演技を始めた。
「ついてこないでって言ってるじゃないですか!」
則子が突然大きな声を出す。通行人たちも何事かと、メイド服の少女を見る。
「本当に迷惑なんです。止めてください」
怯えと怒りが混ざった表情を見せ、セイラを避ける素振りをみせる。これだけ舞台が整っても、セイラは一言もセリフを発していない。せいぜい肩をいからせながら近づくだけである。
「なにしてるのよあの大根は」とナナは毒づく。
「いやっ」
セイラがなんとなく伸ばした手を、則子は必要以上の勢いで振り払うと走り始めた。
ちらりと向けられた視線に、ナナは早く追いかけろとジェスチャーを送る。
「こら待て、おい!」
セイラはようやくスイッチが入ったのか何かを吹っ切ったのか、声を荒げながらその後を追った。そうなれば元日本トップレベルのアスリートである。すぐに則子に追いついた。セイラが軽く背中を押すと、則子は自ら落書きだらけのシャッターに自分からぶつかっていった。事情を知らないものが見れば、メイドがチンピラに押し付けられたようにしか見えなかったであろう。派手な音が響いた。
「謝っても許されることと許されないことがあるんだよ」
怒鳴るセイラ。幸いなことに、その光景を遠巻きに見る通行人はいても、通報しようとしているものはまだいない。
「引っかかるかしら」
ルリと合流したナナは、セイラたちに近づきながら訊く。
「どうかな。しかし引っかからなかった場合、止め時が難しいな」
幸いなことにそれは杞憂に終わった。
「は、な、せーーー」
男が叫びながらナナとルリを追い越していった。右手に光るものが握られているのに気がつけば、それが単なる義憤に駆られたものでないのは明らかだ。
「セイラさん!ナイフ持ってる!」
その言葉に現職刑事は的確に身体を動かした。知力では女子高生に遅れを取ることもしばしばだが、体力面では秀でた能力を持っている。
ナイフを持った暴漢はあっという間に地面に転がされ、ナイフを叩き落され、無理やり立ち上げらされると、則子が叩きつけられる振りをしていたシャッターに、本当に叩きつけられる。
「さっすがセイラさん。お見事。則子、この顔に見覚えはある」
「うん、何度かすれ違ったことがあると思う」
「なるほどね。これも、木を隠すなら森の中ってことなのかしら」
「どういうことなのか説明して」
男の腕を後ろ手にロックしたままのセイラがきつい口調で訊ねる。
「ええもちろん。おかげで事件は解決できたわ」
ナナは上機嫌で答える。
「この子はこのメイド喫茶の店員なの。そうよね」
シャッターが下りている店の向かいの二階には「メイド喫茶ポエポエム」と愛らしい書体の看板があった。ガラス張りの店内には、則子と同じ格好をした店員の姿も見える。則子は頷く。
「最近ストーカーに悩まされていたらしいの。でも、見られている感覚はあるんだけど、誰に見られているのか分からない。今日も正体不明の視線から逃げていたところで、私達と偶然出会ったの。それで店まで送って来たんだけど、確かに視線は感じるけれども、視線の主が見つけられない。そこで一計を案じたの。もし、この子がストーカーに取って大切な存在であるならば、彼女が自分以外の何かに襲われていたら助けに来るんじゃないかって。そうしたらちょうど、襲う役にぴったりな人が通りかかったってこと」
「穴だらけの作戦ね。こいつが出てこなかったらどうするつもりだったの」
「だからぴったりなんじゃない。もし通報されたとしても、セイラさんがいれば警察への説明も簡単でしょ。結果的にはセイラさんもお手柄だったんだからいいじゃない」
「管轄外でこういうことをすると、後が面倒くさいの。オフの日だし」
「一般市民の安全が守られたんだから許して。でも、視線の主が見つからないカラクリも、分かってみれば簡単ね。もしくは私の推理力が本当に大したことないのか。常に街をうろうろしていることが当り前の人間なら、うろうろしていても不審には思われない。もっと早く気がついても良かったわ」
抵抗しても無駄だと悟ったのかおとなしくしている男は、青と白の横縞の大手宅配会社のユニフォームを着ていた。
「さて、それでは残る疑問は一つ。なぜこの子をストーキングしていたのか。常連客?それともメイド好きのオタク?」
「オレはこの店に入ったことはねーし、オタクでもねぇ。だいたいストーキングなんかしてねぇ」
男はホールドされたまま、口は粋がる。
「警察が聞き込みをすれば、この子をつけ回していたことぐらいすぐに分かるのよ」
ナナはセイラを差し置いて勝手なことを言う。
「…ちょ、ちょっと、お願いしたいことがあっただけだ」
「どんな?」
「こいつがモトカノにすげー似てんだよ。で、モトカノと別れる時に携帯の中のデータ全部消されちって、写真が一枚も残ってないの。だから、ちょっと写真を撮らせてもらいたかっただけなんだよ」
「モトカノの写真って…」
「もう少しましな言い訳は考えられないのか?」
「言い訳じゃねーよ。分かってたんだよ、こうなることは。だからなかなか言い出せなかったんだろうがっ」
「ストーキングしてたなら、写真ぐらいいくらでも撮れただろ」
「盗撮なんかできるかよ」
男はキレてガタガタと暴れ始める。
「本当なのか?」
「さあね。でもいつまでもそうしていたらセイラさんも大変だろうし、すぐそこに交番もあるんだからとりあえず連れて行きましょ」
集まってきた野次馬の間を移動しようとした時、目の前の店から悲鳴とガラスの割れる音が響いた。人々の視線が一斉に、ストーカーからメイド喫茶に移る。
更に大きな物音が続いた後、入り口から若い男が飛び出してきた。手には血のついたナイフを持ち、顔やワイシャツも赤く染まっている。
「お前が悪いんだからな」
男は店内に怒鳴るとナイフを投げ込み、店の前に備えられた階段を駆け下りてくる。そしてあっけに取られている人々の間をかき分け、坂を走っていった。
「離せ!」
微かに生じた隙に乗じ、ストーカーがセイラの拘束から抜け出した。血まみれの男とは逆側に逃げ出そうとしたが、すっと伸びてきた脚に勢いよく転んだ。脚の主であるルリはすばやく男に馬乗りになり、腕を締め上げる。
「セイラさん、追ってください」
「わ、分かった」
セイラは慌てて血まみれの男を追っていく。
野次馬がどんどん増えてきている。明らかに堅気ではない男達が入って行ったメイド喫茶の店内からは、鳴き声や怒鳴り声が聞こえてくる。
そんな店を見上げながら、則子がぽつりと言った。
「せっかくストーカーを捕まえてくれたのに悪いんだけど、あの店辞める」
ナナは済ました顔で答える。
「ええ、懸命な判断だと思うわ」
その昔、メイド喫茶にはまっていた頃を思い出して書きました。
渋谷って、昔は道玄坂の辺りがメインだったんですねぇ。
初出:2010年11月14日コミティア