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「ビルの中を通ったほうが安全じゃないのか?」
「なに言ってんの!人通りが多いとストーカーがいるかどうか分からないじゃない。この道なら見通しが利くから、ストーキングされていたら一発で分かるわ。どう、つけられている感じはする?」
「どうかな。よく分からない」
ナナの問いに則子は細く形を整えた眉をひそめながら振り返る。
三人は渋谷マークシティウェストに沿って坂を上がっているところだ。則子がバイトするメイド喫茶がある西に向かうのであればルリの言う通り、マークシティの中を通っていくという選択肢も、道玄坂を上がっていくという選択肢もあったが、ナナが選択したのは一番人通りが少ないマークシティ南側の路地であった。
わざわざ人通りが少ないところを選んでいるのには、則子のお願いに理由があった。
則子は最近ストーキングされている気がしていた。もちろん、街中をメイド服で歩いていれば多少は奇異の目で見られることはある。しかし、バイトを五ヵ月続けてそんな視線に慣れてきたからこそ、最近向けられている視線は興味本位のものとは違う、どこか粘着質的なものを感じていた。
店員をストーキングする客はたまにいるが、店の取った対応によって大事に至ったことはない。則子の場合、年齢が若い、しかも十六歳以下なので、風営法上の問題で接客の範囲を厳しく制限されているということもあり、則子となんとか話をしようとする常連は多いらしい。相談をしたら、出勤、帰宅時には男の店員が送り迎えをしてくれるようになり、おかげで視線を感じることは減った。
しかし、接客ができないという制約上、今日のように買出しを頼まれることが多い。さすがに買出しにまで男の店員がついてくる余裕は店になく、一人で出かけることになってしまう。最近はその買出しの時にストーキングされている気がするのだという。一度、買出しに出る則子の後を店員がついていった。則子はいつもの怪しい視線を感じたが、その主を特定することはできなかった。
今日も則子は買出しに出た。よく使用する東急プラザ地下の食料品売り場に行った。行きは視線を感じなかった。
買い物を済ませて店を出ようとした時にちょうどゲリラ豪雨が始まった。幸い濡れることはなかったが、出て行くこともできない。
他の足止めを受けた買い物客と一緒に雨が上がるのを待っている時に、いつもの視線を感じた。こっそりと周囲を見回したが、視線の主を特定することはできない。雨が上がるのと同時に店を飛び出した。視線はついてきた。いつもよりはっきりとした意図を持ってついてきている気がした。
「店の人に来てもらえば良かったじゃない」
「携帯を忘れたの!」
「公衆電話でかければ良いでしょ」
「番号なんか覚えてないよ」
なんとか逃げ切ろうと走り回っている間に、ナナたちとぶつかったというわけだ。
今日はいつもよりしつこい感じがして不安なので、店までついてきて欲しいというのが則子のお願いだった。
「お礼にメイド服を着せてあげるから」
「絶対に嫌!」
「すっごい似合うと思うんだけどな。ねぇ、ルリちゃんもそう思うでしょ」
「普通にすごく似合うだけだ」
ぶっきらぼうに答えるルリだったが、ナナはその裏に隠れた欲求を見逃さなかった。
「なによ、カッチンは着てみたいの?」
「私のサイズがあればな」
「ルリちゃん成長したもんねぇ。小学校の時は背が高いだけだったのに」
則子がルリのたわわな胸を見ながら、感心したように言う。
「リンダさんのなら入るだろうけど、リンダさんは今シフトに入っているから借りることはできないな」
「そうか、残念だな」
「リンダさんて、本名なの?」
「違うよ。メイドネーム。ちなみに私はコレット」
「なんでコレット?」
「かわいいでしょ」
「かわいいけど」
坂の勾配が緩やかになる辺りからコンビニや居酒屋が並び始め、歩く人の姿もちらほらと増えてくる。
三人はこっそりと背後を窺うが、怪しい人物は見つけられない。
「お前のストーカーレーダーには何も引っかからないのか?」
ルリがナナに訊ねる。
「私がストーキングされているわけじゃないもの」
「やっぱりされるの?」
「私の場合はストーカーどうしで互いに牽制しあっているから、逆に安心よ」
「なにそれ。わけわかんない。あ、こっち」
則子の先導でコンビニの手前の通路を入り、マークシティ入り口の妙なオブジェのゲートの下を通って道玄坂上交番前の交差点に出る。交差点を渡り、更に進んでいこうとする則子をナナが呼び止めた。
「もしかしてここに入っていくつもり?」
「そうだけど」
なんでそんなことを訊くのかと、則子は不思議そうな顔をする。
「ここってラブホテル街じゃないの?」
「そうだけど」
「そうだけどじゃないわよ。やっぱりいかがわしい店なんじゃない。ブンカムラの近くだって言ったからついてきたのに」
「うちの店はいかがわしくなんかないもん。確かに周りにはラブホがいっぱいあるけど、映画やクラブやバーやショップだっていっぱいあるんだから。ブンカムラにだって、歩いて一分で行けるんだから」
「え、ブンカムラってそんなところにあるの?」
ナナはびっくりする。
「知らなかったの?」
「二、三回ぐらいしか行ったことがないから…」
「この辺りに美味しいカレー屋があるらしいんだ」
おとなしく二人の言い争いを聞いていたルリが突然口を開いた。
「ムルギーのこと?すっごい美味しいわよ。ちょっと独特な店だけどね。分かりにくい場所にあるから、今度連れて行ってあげる」
「助かる。お前も行くだろ」
「行ってもいいけどね」
ナナは開いていた携帯電話を大きな音をたてて閉じながら答えた。
「でも、こんなところの店のバイトが許されるなんて、校則のゆるい高校なのね」
「あ、私、高校行ってないから」
則子はあっけらかんと答える。
「そうだったのか」
「うん。私はメイドさんになりたかったの。でも、中学ではそんな進路を指導してくれなかったから、自分で就職活動をして、メイドとして雇ってくれるところを見つけてきたの。大変だったんだよ。今どき、中卒じゃメイドにもなかなかなれないんだから。就職氷河期時代ってほんとなんだから」
「家政婦じゃ駄目だったのか?」
「家政婦でも同じことよ。中卒で家政婦になりたいって言ったら、変な顔をされるばっかり。紹介所に行っても、高校にぐらいは行っておきなさいとか逆に説教されるの。昔は家政高校っていう家事全般に関する高校があったらしいから、そういうところなら行っても良かったんだけど、なくなったみたい。ま、家で家事をやっていたわけでもないから得意でもないし、とりあえずちょっとは今後の足しになるだろうと思って、メイド喫茶も候補に入れて、それでも秋葉原の店とか全然雇ってくれなくて、ここでやっと雇ってくれるところを見つけたの」
「メイド喫茶の店員になりたかったわけではないのか」
「それはそれで興味あったけど。かわいいし。でもやっぱり、メイド喫茶にいるのはあくまでも店員であって、メイドではないんだよね」
「どういうことだ?」
「えーと、メイドっていうのはご主人様にご奉仕するの。ご奉仕することによって報酬を得るのよ。メイド喫茶はそうじゃなくて、接客なの。まぁご奉仕でも接客でも喫茶店の形の中では結局できることは同じなんだけど…、どういったら良いのかな、メイドはご主人様にくつろいでもらうのが仕事だと思うんだけど、メイド喫茶はご主人様が本当にくつろいでいるかどうかは問題ではなくて、ご主人様って言うか、お客さんからどれだけお金を搾り取れるかって言う話になってくるのよ。もちろん、本物のメイドだって給金をもらうんだけど…」
「メイドは仕事だけど、メイド喫茶は商売だってことでしょう」
「そうそう、そんな感じ。すごいねナナちゃん」
「キャバクラの店員と同じってことじゃない」
ナナは則子に褒められるが、憮然としたままだった。
車二台分あった道の幅が狭まって一台分の幅になる。道の両側はラブホテルだ。路上駐車している車も多く、雑然とした感じだ。
「確かにね。だからある程度お金がたまったらお店をやめて、家政学科の専門学校に行こうと思ってるの。お店の人はみんな良い人だし、楽しいんだけど、給料がそんなに良いわけじゃないし、ストーキングもされるしね」
「で、今は視線を感じるの?」
「どうかな。分からないや。ついてきてもらったから諦めたのかも」
「どうした?今日はやる気がないな」
事件に巻き込まれているにもかかわらず、いつもと違ってテンションの低いナナにルリが問う。
「だってストーカーじゃね。どうせ店の客か、メイド服に引き寄せられたこの辺の住人でしょ。一応さっきから周囲に気を使ってはいるけど、それらしい人物は見当たらない。推理のしようも首の突っ込みようもないもの。もちろんストーカーは許せないから、私たちのおかげで今日は退散したのであれば、役に立てて良かったって思うだけよ。あら、これってライブハウス?」
「そうこっちがオーイーストで、こっちがオーウェスト」
「聞いたことある。こんなところにあるのね」
ナナは物珍しそうにライブハウスを見るが、隣にまたラブホテルがあることに気がついて顔をしかめる。そんなナナにルリは質問を続ける。
「なんでストーカーは見つからないんだと思う?」
「カッチンこそ、いつもより積極的じゃない」
「そんなことはない。ただ、いつもストーキングされている人間の隣にいる者の実感を話せば、今も私達は見られている」
ナナと則子は慌てて周囲を見回すが、怪しい人物を見つけることはできない。
「ストーキング慣れしている人間がこれだけ揃ってストーカーを特定できないんだ。少しは興味が持てないか?」
「忍者がいるとか?」
「また突拍子もないことを言うのね。自分のことだって分かってるの?」
則子の案にナナが呆れる。
「だって、見つからないってことは、隠れるのが上手か、気配を消すのが上手だってことでしょ。だったらまず考えられるのは忍者じゃない」
「なんで忍者がメイドをストーキングするのよ」
言いながらナナは電柱の上の方を指差す。
「あそこに監視カメラがあるわ。最近警察は繁華街に積極的に監視カメラを設置している。この辺りだったら防犯上、自分でつけている店やビルも多いでしょうね。もし、その監視カメラの映像を全部見ることができるとしたらどう?姿を見られることなく、ストーキングをすることができるわ。ただし、場所は監視カメラが設置されている区域に限定されるけどね」
「へーすっごい、すっごいねぇナナちゃん。もしかして美人なだけじゃなくて天才なの?」
「一度も当たったことがない推理よ。あら、これはなに?」
三人は十字路に入っていた。右手側の道に「しぶや百軒店」と書かれたゲートが立っている。
「ああ、昔はここに商店街があったんだって」
「こんなところに商店街?」
「私も良く知らないけど。でも、このラブホテル街のすぐ裏だって住宅地だし」
「そうなの?」
則子が背後に指を向けたのでナナは振り返る。にっこりと微笑んだのは、住宅地が並んでいるのを確認したからではなく、そこに思いもかけない者を見つけたからだ。
「あからさまに挙動不審な人がいるな」
隣に立つルリも気がつく。則子は少し身構える。
「あれがストーカー?」