第4話【竹下論】
部活は終わったが、あたしは弓道場から足を踏み出す気にどうしてもなれず、皆が帰った後、袴を着たまま床の上に仰向けになった。
「あー、気持ちいい」
ひんやりとした感触が手足から伝わる。
このまま寝てしまいたい。
弓道場の隣りには体育館がある。
バスケ部かバレー部か、はたまた両方か、ボールの跳ねる音と監督の怒鳴り声がかすかに耳元をかすめる。
今あたしの周りに存在する音はそれだけだ。
なんて心地いいんだろう。
独りじゃないけど、一人であること。
人にとって、そういう空間が1番心地いいんじゃないだろうか。
風が顔をなでるのに従って瞼を閉じる。
そのまま夢の世界へと落ちようとしていた時に、感情のこもらない声がかけられた。
「風邪ひきますよ」
「っっ!?」
自分がいつどのようにして目を開き、体を起こしたのか分からないほど、あたしは驚いた。
「た、たっ、竹下!」
なんでこの後輩は、こんなにも存在感がないのだろう。
誰でも似合いそうな髪型をしてるからか?
太っても痩せてもないし、背が高くも低くもないからか?
いや。肌の色が白くも黒くもなく、上手く周りの風景と調和しているからかもしれない。
あ、分かった。
この、光りの宿ってない瞳。この瞳のせいだ。
そんなことを考えてるうちに、やっと気持ちが落ち着いてきた。
よく見ると竹下もまた着替えていない。
身を包んでいるのは、1年生専用ユニフォームである体操服だ。
もしかしてあたし同様、ずっと弓道場にいたのかもしれない。
それに気づかないあたしより、気づかれない竹下の方が凄いと思う。
「帰らないの?」
そう聞いたら、
「先輩こそ」
と返された。
あたしが黙っていると、珍しく竹下から話題をふってきた。
「自分は神様を信じません」
いや、全く貴方らしい話題選択です。
思わず苦笑がこぼれる。
「へぇ、そうなんだ」
そういえば、弓道に関する質問されたことは何度かあるが、会話のキャッチボールを投げられたのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
胸の奥から笑いがこみあげてくるのを必死で隠す。
竹下はそんなあたしに気づいていない様子で淡々と続けた。
「でも、もしいたとしたら、ひどく傲慢な神様になるんでしょうね」
「どうして?」
竹下が真面目に語るのが面白くて、つい話を促してしまった。
それを後悔したのは、竹下があたしの目を捉えたときだ。
相変わらず光りを宿さないその目は、どこも見ていないようでいて、あたしという次元を越えた深い所を探っていた。
「1番偉いということは、1番高いところから周りを見てるってことですよね。同じ目線でものを考えられないことはひどくつまらないことだと、自分は思います。誰かの上に立つことはむなしいことです。無理矢理山に登ったって、結局足は地面にあるんですから。
どこにいようが結局みんな一緒です。
神様は、一度顔を上げるという経験をしなきゃだめだ」
竹下は明らかに“あたし”に向かって言っていた。
居心地が悪い。
もって生まれた本能か、意識しないままに、あたしの顔には笑顔の仮面が張り付いていた。
「ふぅん。凄いね。そんな風に深く考えることが出来るのって、凄いと思うよ」
「いつか……神様に」
竹下の声が少し震えた。
もしかしたらそれは、あたしの気のせいだったのかもしれないけれど。
「思考を凌駕する存在が現れるといいですね」
そういう竹下の目には、光りの代わりに感情が揺らめいていた気がした。