付喪神
今回は、可愛い付喪神が登場するお話。
最近、不思議な事が起こる。
パソコンに向かって執筆作業をしていると、突然珈琲のいい匂いが漂ってくるのだ。後ろを振り返ると、テーブルに淹れたばかりだと思われる珈琲が一つだけ置いてあるのだが、彼女以外の存在は認めない。
最初は、自分で淹れたのを忘れたのかと思った。だが、珈琲の味がまるで違っていた。びっくりするぐらいに美味しい。喫茶店のマスター代行の彼女が嫉妬するほどに。
そんなことが、何度も続く。
怖いということはなかった。彼女は、『家にブラウニーが住み着いたのか』と笑っていた。ブラウニーとは、妖精の名前である。日本の座敷童子に近い存在だ。
放っておいても、実害はない。逆に温かい珈琲が、何もせずに飲めるのはとてもいいことである。しかし、彼女としては『良く』なかった。
プライドの問題もある。自分よりも美味しい珈琲を淹れる存在が、身近にいるのだ。少し、腹が立つ。しかし、それよりも度合いが大きい理由、それは『好奇心』である。
ブラウニーなのか、座敷童子なのか――どんな存在かはわからないが、美味しい珈琲を淹れる『それ』が、どんな姿をしているのか、興味が尽きない。しかし、問題があった。
どうやって、相手を捕捉するのか。
何の前触れもなく、珈琲を置いていく神出鬼没の相手。正直、打つ手がないのが現状である。
誰もいない店内。カウンターに上半身を預けて、ぼんやりと考える。すると、馬鹿にしたように、すぐ横に珈琲が出現した。腹立たしいが、珈琲は飲む。捨てるのはもったいないし、捨ててしまって、もう出なくなってもらっても困る。
珈琲を飲みながら気配を探ってみるが、やはりなにも感じない。ふぅ……と溜息を一つ。彼女の息が、珈琲の湖面を揺らす。その揺らぎを見つめているうちに、試していない事があることに彼女は気付いた。
思いついたら、即実行。
幽世喫茶のメニューの一つ、『幽世珈琲』。普通の豆、普通の焙煎方法、普通の淹れ方。ただ違うのは、彼女の指。幽世の調べを奏でる事ができる、その指が触れたとき、普通の珈琲は、『幽世珈琲』という異質なものに生まれ変わる。
珈琲を誰もいないテーブルに置いて、カウンターの陰に隠れる。後は、待つのみ。
穏やかな昼下がり。眠気が差してくる。うつらうつら。睡魔に抗い続けること、二十分ほど。彼女は、珈琲の水面が揺れた『音』を聞いた。
現れた――。
勢いよく立ち上がり、相手を確認する。
テーブルに座って珈琲を飲んでいたのは、舶来の人形がそのまま大きくなって座っているような錯覚を抱かせる、綺麗な白人の女の子だった。髪は、肩にかかる程度で金髪。サファイアのような美しい青色の瞳をまんまるにして、彼女を見ていた。
「……あ」
少女のか細い呟き。
少女は、首を小さく傾げて微笑んだ。
「見つかってしまいました」
「女の子だったのね。ヒゲもっさりのお爺さんを期待していたのに。残念」
「期待に添えなくてごめんなさい」
彼女は、少女を上から下まで眺めて、ふむとなにやら納得した様子。
「まぁ、売り上げには貢献してくれそうね」
少女は笑みを崩さなかった。多分、彼女の言っている意味が分からず、笑って話を流しているのだろう。
「この珈琲、とても不思議。ずっと……ずっと昔に住んでいた、港町が克明に浮かんだわ」
少女の言葉に、彼女は満足げに微笑む。そして、少女は彼女の微笑みに見守られながら、消えていった。残されたのは、彼女が用意した珈琲のカップとソーサー――。
「あら……無くしたと思っていたら」
それと彼女が愛用していた、マイセンの珈琲カップとソーサーだけであった。
ここは幽世喫茶。
可愛い付喪神がいるお店。
END