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幽世喫茶  作者: 堕天王
12/12

お師匠様が来た

 来客を告げる鈴の音が鳴る。客は、厄神社に根を張る(あやかし)タカであった。前屈の姿勢で、右へ左へ、よろめきながら歩いている。

「タカ……調子が悪いの?」

 幽世(かくりよ)喫茶のマスターである兎渡子(ととこ)は、心配そうにタカの表情を覗き込もうとしたが、深く頭を下げているので出来なかった。タカを認めて、付喪神(つくもがみ)のマイは店の奥へと去っていく。タカの纏う瘴気が、彼女に悪い影響を及ぼすからである。

「問題ない」

 ドカリとカウンター席に座る。テーブルに右肘を乗せ、体重を預けるその様は、とても『問題ない』ようには見えなかった。

「幽世珈琲を」

 彼は、いつもと同じものを注文する。兎渡子は、言われるがまま幽世珈琲を彼に振舞った。タカは、その幽世珈琲を熱さに関係なく一気に飲み干すと、大きな溜息と共に天井を見上げた。しばらくの後、ゆっくりと立ち上がった彼は、また右へ左へ揺れながら、店を出て行った。

「なんか、最近変な感じね」

 兎渡子は、複雑な気持ちで空になったコーヒーカップを見下ろした。そもそも口数が多くないタカであるが、以前はもっと話をしていたし、表情も動いていた。兎渡子の友達である春野蓮華が居ると、彼女を『負け犬』とからかったりもしていた。しかしここ最近は、注文する時にしか口を開かないし、蓮華とも顔を合わせていない。

 何か嫌われるような事をしたのか。

 否、と兎渡子は思う。

『兎渡子、こういうことなのだ。幽世珈琲がどういうものか、少し考えてみるといい』

 オセロットの言葉が蘇る。

 アステカ神話に登場する破壊神オセロット。彼は、幽世珈琲を飲むことで農業に目覚め、今では田畑を耕している。そんな彼と繋がりがあった同じくアステカ神話に登場する太陽神ケツァルコアトルが、幽世喫茶を訪れたことがあった。ケツァルコアトルは、幽世珈琲を飲むことで、子供のように泣きじゃくるという、激しい反応を示した。それを見たオセロットが残したのが、この言葉であった。

「幽世珈琲の副作用……とか?」

 オセロットは、何を伝えたかったのだろうか。空っぽのコーヒーカップは何も答えず、底に溜まる三日月は、不安ばかりを呼び起こすのであった。


 幽世喫茶も昼になれば、人がそこそこやってくる。忙しい時間を終え、一段落した頃には、十四時を少しだけ回っていた。

 そんな頃合いになって、一人の少女が幽世喫茶を訪ねてきた。青い髪に青い瞳。年の頃は、十代前半といった所か。年相応のあどけなさを残しているにもかかわらず、とても底知れない雰囲気を纏った、不思議な子であった。

「久しぶりである」

 姿見とは似つかわしくない古臭い韻を踏んだ言葉。

「お師匠様……」

 兎渡子は、複雑な表情で彼女の事をそう呼んだ。

 少女の名は、水及(みなの)。兎渡子に(じゅつ)の制御の仕方を教えた、言葉通りの師匠である。その彼女が纏う圧倒的な霊力と、その存在自体にこびりついている相当数の恨みの残滓(ざんし)は、霊的な存在であるマイには、あまりにも刺激が強かったらしく、完全に固まってしまっていた。

 マイをすぐに母屋(おもや)へと戻し、店を閉じた。

 水及が注文したアイスコーヒーとチョコレートケーキを提供すると、彼女はそれを黙々と食べ、アイスコーヒーを一気に飲み干した。

「あぁ、美味しい」

 染み入るように彼女は言う。

 兎渡子は、戸惑いを隠せないまま水及の姿を見つめ続けていた。そんな彼女に、水及は苦笑して見せた。

「そんな顔をするでない。私は、別にお前が匿っている妖を滅ぼしに来たわけではない」

 水及は、九州の除霊屋――妖と渡り合っている組織の頂点に立つ橘家の後見人という立場。すなわち除霊屋業界において、一番偉いのが彼女であり、一番強いのもまた彼女なのだ。姿見こそ少女の姿であるが、彼女は人ではない。千三百年もの時を生きる、人でもない神でもない、ましてや妖でもない――水及自身は、『神の成り損ない』と語っている、そういう一言で言えば、『良く分からない何か』、それが彼女である。

 そんな水及は、各地に『木妖(ぼくよう)』という木に擬態した妖を植えており、その『木妖』が観測したことを、共有する事が出来る。そのため、彼女がタカやオセロットの事を知っていてもおかしくはなかった。しかし何のアクションも起こさなかった為、その事実から兎渡子は目を逸らし続けていた。こうやって水及が目の前に現れたことで、水及が見逃し続けてくれていた――という事実を、受け止めざるを得なかった。

「いくつか気になることがあったのだ。そうでもなければ、わざわざお前の前に姿を現したりはせんよ」

 それは、水及の『私は嫌われモノだ』という自虐であることに兎渡子はすぐに気付いた。水及は、自分が大切にしている人を守るためならば、手段を選ばない――それを貫いてきた。そのため、水及は多くの人や妖を殺し、それ故に各所で恨まれている。そして、そんな一貫した水及の姿勢は、彼女の強さも相まって、彼女が守って来た人たちからも畏怖されていた。その事を、水及自身も良く知っていた。

「あ、あの……」

「気を遣うな。とりあえず、どこにでもいいから腰を落ち着けなさい」

 水及は、カウンター席に座っている。カウンター内の椅子に座ると水及の顔が見えなくなるため、兎渡子はカウンターから出て、一番近くの椅子に座った。水及もそれに合わせて、体の向きを変えた。

「お師匠様、何も連絡をせず……申し訳ありませんでした」

「よい。よい」

 水及は二度言った。その『よい』と『よい』の間に、何か言葉があるような気がした。それがどんな言葉であったのかは、兎渡子には分からなかったが、敢えて言葉にしない水及の優しさには、触れる事が出来ていた。

「先に、烏華(うか)の事を尋ねても良いか?」

 烏華とは、兎渡子の姉の名前である。

「姉さんは、重度の霊障(れいしょう)を患って南病院に入院させています」

「南病院に? あそこには、霊障の専門医はいないぞ。どんな状態なのだ?」

「えと……ずっと眠り続けています。なにも反応しません」

「最初から?」

「はい」

「今もか?」

「はい」

「それは、転院させた方がいい。そのままだと、衰弱死するぞ」

 兎渡子は、俯いて体を小さくした。

「その……近くに居て欲しくて……」

「そうか。なら、私の知っている専門医を派遣しておこう。私も様子を見に行っておこう。後で、案内をしてくれるか?」

「はい……でも、いいんですか? 私は、私たちはもう、除霊屋の人間ではないのに」

「そんなのは関係ない。私は、お前たちの事が気に入っている。ただ、それだけなのだ」

 その言葉は、兎渡子の心を打った。涙を零し、嗚咽(おえつ)を殺して少しだけ泣いた。

「あともう一つ聞きたいことがある」

 水及は、兎渡子が落ち着くのを待ってから、そう切り出した。

「はい」

「幽世珈琲についてだ」

 兎渡子は、跳ねるように顔を上げた。水及は、いつになく冷たい瞳でそんな兎渡子を見ていた。

「あれは、どういうものなのだ?」

「記憶の……復元を可能にしていると……思います」

「記憶の復元? やはり、実際飲んで見ない事には分からぬか」

 水及に言われて、幽世珈琲を彼女に振舞う事に。水及は、渋い顔をしてその幽世珈琲を見つめていた。

「むぅ……兎渡子の力を知っているだけに、飲むのが怖いな」

「お師匠様、無理をしなくても……」

「気にするな。こういう事には慣れている」

 水及は、幽世珈琲を一口口に含んだ。

「……熱い」

 そう呟いた瞬間、水及は持っていた珈琲カップをカウンターに叩きつけた。粉砕されたカップの欠片と、珈琲が周囲にばらまかれる。

「あっ……すまぬ」

 我に返った水及が、申し訳なさそうに頭を下げる。

「いいえ。それよりも汚れませんでしたか?」

 タオルを持ち水及の下へと駆け寄ろうとした兎渡子を、水及は右手を上げて制止する。

「また新しいのを買えばいいだけだ。それよりも、兎渡子、これはダメだ。ダメだぞ」

「ダメ……?」

「言ったはずだ。お前の力は、人の心を惑わすと」

 水及は、いつにも増して厳しい顔で兎渡子を見つめる。

「自分で飲んだことがあるのか?」

「はい。ただ、効果がありませんでした」

「そうか。なら、普通の珈琲を一杯淹れてくれ」

 水及に言われて、兎渡子はすぐに幽世珈琲ではない珈琲を用意した。水及はその珈琲を両手で挟み、集中する。それに呼応して、珈琲の水面が幾重もの波を作っている。

「これを飲んで見ろ。完全に同じというわけにはいかないが、お前の幽世珈琲を再現した」

 水及から、水及が作った幽世珈琲のレプリカを受け取る。今まで何度として他人に飲ませて来たというのに、珈琲の黒い水面は不安を掻きたてた。

 兎渡子は、意を決して一口口に含んだ。


「お誕生日おめでとう!」

 笑顔の少女は、幼い頃の烏華だ。

「兎渡子、宿題は自分でしないとダメ!」

 腰に手をあてて怒っている烏華。

「兎渡子ももう中学生か」

 慈愛に満ちた微笑みを浮かべる烏華。

「兎渡子……私と共に……!」

 半分ほど黒色化した烏華が、兎渡子をそれでも安心させようと強がってみせる。


「あぁあぁぁあああぁあぁ!!」

 兎渡子は、頭を抱えてその場に座り込んだ。水及はそれを静かに見下ろしていた。

「記憶の復元だけでない。その時の感情も蘇る。兎渡子、お前は能力を制御しきれなくなっていたんだ」

「わ、私は……」

 胸を抉られるような感覚。幸福、安堵、それから寂寞(せきばく)、絶望、虚無。

 壊れる。壊れてしまう。心が砕けて、何も考えられなくなってしまう。兎渡子は、地上にいるにもかかわらず、感情の海で溺れかけていた。

 そんな兎渡子に、水及はそっと右手を翳した。淡い青色の輝きが兎渡子に降り注ぐと、兎渡子はその場にぱたりと倒れ伏した。


 次の日、兎渡子は水及を烏華の病室へと案内した。烏華は、殺風景な個室のベッドに横たわり、規則的であるがか細い呼吸をしていた。

 水及は、背中に体向枕を当てて右向きに寝せられている烏華の顔をじっと見つめる。

「霊体が最低限しかなく、核がない。魂を抜き取られたか。どうしてこんなことになった?」

 水及は、烏華の顔から視線を逸らさずそのまま尋ねた。

「ウツロという妖に取り込まれて、私がそのウツロを退けました。取り込まれた姉さんと共に」

「ウツロ?」

 そこで水及は顔を上げた。

「何故、そんな厄介な奴の相手をお前たちがしたのだ?」

「それは……分かりません」

「私に連絡する手間を省きおったな。馬鹿どもが」

 吐き捨てるように言った後、水及は再び烏華を見下ろした。

「姉は……治りますか?」

「ウツロが滅んでいれば、すでに烏華は目を覚ましていたはずだ。そうなっていない以上、ウツロは滅んでいない。烏華の魂を抱えたまま、どこかに居るはずだ。それを見つけて、烏華の魂を分化する事が出来れば、烏華は目を覚ます。それまでは、対症療法で存命させるしかない」

 ウツロが滅んでいない。それは、兎渡子の心にチクリと刺さった。姉の犠牲を伴ったにも関わらず、問題のウツロが滅んでいない。

「ウツロは私が探す。お前は関わらなくていい。お前には無理だ」

「……はい。お願いします」

 兎渡子は、静かに頭を下げた。

「兎渡子、これからも幽世珈琲を淹れ続けようと思っているのであれば、私の下で修業するといい。そうでないのであれば、二度と淹れてはならない。店も畳んで、別の場所で普通の喫茶店でも営め。どちらにするか、良く考えるのだ」

 病院の門の前で水及はそう告げた後、深い森の中へと姿を消した。兎渡子はそれを見送った後、もう一度、水及の背中に頭を下げた。

「……どうしよう」

 空を見上げると、秋を告げる鱗雲が広がっていた。

 幽世珈琲を淹れ続けるのか、それとも辞めてしまうのか。

 兎渡子は、選択しなければならくなった。


 ここは幽世喫茶。

 今は、分かれ道の入り口。



 END


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