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迷宮の魔王さま  作者: 井戸端 康成
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第一話 ある魔王の死

第一話 ある魔王の死


 魔界の果て、闇深き地に城がそびえていた。魔を統べる象徴たる城はすべてを威圧し、見下ろしている。高く、厚い壁は何者の侵入をも拒み、尖搭は天へと睨みを効かしていた。


 その城の最深部にある玉座の間。艶やかな深紅の絨毯が敷き詰められ、高貴な空気に満ちたそこに、数え切れないほどの者たちが集っていた。その者たちは皆一様に玉座に向かって頭をたれている。その顔は虚ろでどこか悲痛な面持ちであった。その光景はなにか喪に臥しているかのようであった。


 数百もの瞳に見つめられていた玉座の主は、弱々しく息をするばかりであった。深く皺の刻み込まれた皮膚は蒼白、唇は土気色。彼に死が差し迫っているのは明白であった。しかし、未だにその青い瞳は刺すような光を保っていた。


「みな集まったようであるな」


 玉座の主が口を開いた。威厳溢れるその声に、場の空気が一気に張り詰める。一切の物音がその場から排除され、無音の空間が出来上がった。玉座の主は場が静まったのを確認すると、再び口を動かす。


「もう知っていると思うが、余の命は持ってあと数刻。最後にみなの顔が見たくてな。こうして集まってもらったというわけだ」


「魔王様、そんなことをおっしゃらないで下さい!」


 魔王の言葉に、集まった家臣たちは動揺を隠せない。すでに知っていたことではあったが、本人から言われたのと人づてに聞いたのとでは重みが違った。不安、恐怖、死への嫌悪。様々な感情が渦巻き、集まった者たちの心を揺らす。やがて、玉座の間がざわめきによって乗っ取られた。だがそれとは対照的に魔王は落ち着き払っていた。


「落ち着くのだ。余とて気分の良いことではない。数千の齢を重ねてきた中で一番嫌なことだ。だが避けられぬ、故に騒がぬ」


 魔王はこの一言で場をおさめた。そして手に握っている黒光りする杖を揺らして、一人の男を呼び寄せる。男は神妙な態度で玉座へと上り、うやうやしく膝をついた。


「顔を上げよ」


「はっ!」


 魔王は魔を統べる者とは思えない慈悲深い目で男の瞳をみた。男は緊張で身体を強張らせる。


「うむ、良い瞳をしておる。これからも国を頼むぞ」


「ありがたき幸せ!」


 男は涙で頬を濡らして下がっていった。魔王は満足げに頷くと、また別の男を呼び寄せる。そしてまた同じような行動を繰り返した。


 魔王の別れの挨拶はしばらく続いた。そして、いよいよ最後の家臣と挨拶をしようとしたところで、魔王の命が尽きてきた。彼は胸を抑え、苦しみに喘ぐ。


「魔王様、大丈夫でございますか!」


「もうとうの昔に大丈夫ではない。構わんから早く最後の者よ、来るのだ」


 魔王は駆け寄った家臣の手を振り払った。そして最後尾に座っている男を執拗に呼ぶ。男は魔王に早足で玉座の前に移動した。


「最後はおぬしか宰相。さあ、顔を上げるがよい」


 宰相はゆっくりと顔を上げた。魔王は最後の力を振り絞り、声を出す。それはしわがれ、小さな声であったが、心を打った。


「おぬしには世話になった……。実によく余を支えてくれた。今後は王子たちを……ぐうっ……支えてくれ」


「ははっ! 命に替えましても!」


 宰相は頭を下げた。しかしそのまま下がることはなく、魔王の手を握ぎりしめる。魔王の手からわずかずつ、わずかずつではあるが体温が失われていた。命が燃え尽きていくのが、はっきりと宰相には感じ取れた。


「魔王様……」


 宰相は魔王から手を離した。手がだらりと垂れ下がる。その身体はもう、力を失っていた。悲しみが玉座の間に溢れ出て、嘆きの声が幾度となくこだました。


 一人の偉大な魔王が今、死んだのだ。


★★★★★★★★


 魔界とも、そこから繋がる人間世界ともまったくことなる世界にある、神秘の大陸アルゲニア。そのほぼ中心に位置する迷宮都市。今日も迷宮帰りの冒険者たちで騒がしいその街の端で、一人の男が目を覚ました。


「ううっ……ここが地獄か? だいぶ想像とは違っているが……」


 男は立ち上がると、困惑したようにつぶやいた。その声はかなり若返ってはいたが、さきほど死んだはずの魔王とほぼ同一であった……。



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