EP 6
九段下の駅の階段を上がると、そこは熱気と光の海だった。
日本の夏の夜。日本武道館。
聖地、北の丸公園に足を踏み入れた瞬間、居酒屋でメロンアイスを顔面に浴びた優太は、まだうっすらと甘いメロンの匂いを漂わせながら、千鳥足の三人を抱えて立ち尽くした。
「うぅぅ……優太ぁ……ここはどこぉ……? 私、もう食べられないわぁ……」
「冷徹公爵様ぁ……♡ もっと……もっと私をギュッてしてぇ……♡」
「ふふふっ……地面が波打ってるわぁ……異世界の魔力ねぇ……」
リーザ、キャルル、ルナ。異世界の美女と獣人たちは、日本の居酒屋の「飲みやすいカクテル」に完全に敗北し、優太にぶら下がるようにしてふらついている。ウサギ耳もエルフ耳も、力なく垂れ下がっていた。
「お前ら、いい加減にシャキッとしろ! ここは武道館だぞ! 魔王の推し活の本番だ!」
優太が叱責する横で、トイレから戻って着替えたルチアナが、秋葉原で買ったばかりの新作乙女ゲーのパッケージを愛おしそうに眺めていた。
「あーースッキリした! 焼肉にビールにアイス! 最高の一日ね! さぁ優太、次はどこ行く? 私はアキバのネカフェで徹夜ゲーしたいわ!」
「帰れ駄女神! これからが地獄の本番だろうが! ……おい、あいつはどこに行った?」
優太が周囲を見回した、その時である。
「……ッ!? なんだ、あの凄まじいプレッシャーは……!」
「えっ? 敵襲!? またオーク!?」
酔っ払っていたキャルルが、一瞬で武闘派の目つきに戻り、トンファーを構えようとした。
だが、そのプレッシャーの源は、オークでもなければ、魔王軍の軍勢でもなかった。
「……待っておれ。今、愛に(行)くぞ……月人くん……!!」
そこには、全身を『朝倉月人(20)』のグッズで武装した、この世の終わりのような「限界オタク」が立っていた。
魔王ラスティア。
彼女の姿は、異世界のアナステシアを統べる支配者としての威厳を、微塵も感じさせないものに変貌していた。
頭には『月人命』と書かれた真っ赤なハチマキ。
首には『朝倉月人 20th Anniversary』のマフラータオル。
Tシャツはライブ限定の月人くんの顔写真がデカデカとプリントされたもの。
両腕にはリストバンドが何本も巻かれ、
そして何より、彼女が抱えている特大のカバンは、数百個の缶バッジとアクリルキーホルダー、そしてぬいぐるみが隙間なく敷き詰められた、重量十数キロはあろうかという、禍々しいまでの『痛バッグ』だった。
極めつけに、彼女の両手には、それぞれ十数本のペンライトが、指の間に挟まれる形で『バルログ持ち』され、開演前だというのに虹色に激しく発光していた。
「な……なんじゃあいつ……。コミケ会場でも見たことないレベルのガチ勢じゃねぇか……」
優太が呆然と口を開けて固まる。
「月人くん……月人くん……! 貴方の呼吸が、貴方の鼓動が、この武道館の石畳から伝わってくるようじゃ……! 嗚呼、尊い……! 尊すぎて、魔力が暴走しそうじゃ……!!」
ラスティアは痛バッグを抱きしめ、両手のペンライトをバルログ持ちしたまま、九段下の空に向かって、異世界のマナ(魔力)をハァハァと荒い鼻息と共に吸引し始めた。
その姿は、周囲の一般客(月人ファン)たちからも、「あのガチ勢、角生えてるけど特殊メイク凄すぎない?」「オーラがヤバい。ガチの限界オタクだ……」と、畏怖の念を込めてヒソヒソと囁かれていた。
「おいラスティア! お前、その格好で入場する気か!? 手のペンライト多すぎだろ!」
優太が突っ込む。
「うるさいわ優太! これこそが、月人くんに対する正装じゃ! これを全部、月人くんの色にして、アリーナ最前列で振るのじゃ!!」
ラスティアは血走った目で、バルログ持ちのペンライトをブンブンと振り回し、威嚇するように吼えた。
「さぁ、行くぞ! プレミアムアリーナ最前列チケットを、この聖なる門の管理人に提示するのじゃ!!」
ラスティアを先頭に、カオス極まる異世界御一行は、ついに日本武道館の入場口へと突撃した。
チケットを提示し、厳重な手荷物検査(痛バッグの缶バッジの多さに店員が引いていた)を突破し、彼らはついに、武道館の内部へと足を踏み入れた。
そこは、数万人のファンが放つ熱気と、開演を告げるBGM、そして無数のペンライトの光が渦巻く、この世の何処よりも熱い「推し活の戦場」だった。
「おおおっ……! あそこじゃ! わらわの、月人くんの、最前列はあそこじゃあああああッ!!」
ラスティアはペンライトをバルログ持ちしたまま、アリーナ席の最前列、ステージまでわずか数メートルという「神席」へと、弾丸のようなスピードで駆け出した。
優太が酔っ払いの3人を引きずりながら客席に到着した時、そこには、ステージの照明を浴びて、両手のペンライトを極彩色に光らせながら、開演を待つ「限界オタク魔王」の、背中があった。
中村優太の胃痛は、すでに過労死ラインを突破していた。
だが、彼らの本当の地獄(ライブ発狂)は、まだ幕を開けたばかりだったのである。




