EP 2
女神の武器は一升瓶
転移の光が収まると、むせ返るような緑の匂いが鼻を突いた。
周囲は見渡す限りの鬱蒼とした森。地球の植生とは明らかに違う、極彩色に毒々しく変色した植物が風に揺れている。
「やだやだぁ! 帰りたいいぃぃ! ラスティアちゃんとの飲み会がぁぁ!」
横では、創造主たる女神ルチアナが地面に突っ伏して、芋ジャージを泥だらけにしながら幼児のように駄々をこねていた。
優太はそれを完全に無視し、すぐさま周囲の警戒に入った。
ハワイで元SEALsの教官から叩き込まれた基本中の基本。未踏の地では、まず自身の死角を潰し、射線を確保する。リュックを下ろし、中身を素早く確認。医学書、医療セット、水筒、スマホ。よし、欠損はない。
「おい、駄女神。泣いてる暇があったら現状を説明しろ。ここはどこだ?」
「うわぁぁん! 知らないわよ! とにかく帰して! 私の定時とコタツを返して!」
役に立たない。
優太が短くため息をついた、その時だった。
ガサガサッ!
背後の茂みが揺れ、低く濁った唸り声が響いた。
現れたのは、緑色の肌に醜く歪んだ顔。子供ほどの背丈だが筋骨隆々で、手には赤黒く錆びた鉈を持っている。
ファンタジーの定番にして、明確な『殺意』を持った害獣――ゴブリンだ。
「ギギャァァッ!!」
「ひぃぃぃっ!? うわあああん、怖いよぉぉ!!」
あろうことか、この世界を作ったはずの女神が悲鳴を上げ、人間の優太の背後にスライディングで隠れやがった。
「お前、女神なのにゴブリンに怯えるのかよ!? 管理者権限かなんかで消し飛ばせないのか!?」
「む、無理よ! 私はシステムをいじるだけの裏方なんだから! 戦闘力なんて一般人以下よ!」
「使えねぇな! じゃあせめて何か武器を出せ! チートアイテムとか聖剣とかあるだろ!」
ゴブリンが涎を垂らしながら、ジリジリと距離を詰めてくる。
ルチアナは涙目でジャージのポケット(四次元仕様)をガサゴソと漁り、一つの瓶を取り出した。
「えっと……これ! さっき飲んでた『大吟醸・鬼殺し』の一升瓶の空!」
「……使えないな!!」
優太は飛んできた一升瓶を空中でキャッチした。
ズシリと重いガラス瓶。しかし、薙刀の有段者であり、近接戦闘の訓練を受けた優太にとって、重心のしっかりした鈍器は十分すぎる『武器』だった。
「ギャッ!」
ゴブリンが鉈を振り上げ、飛びかかってくる。
優太は極めて冷静だった。相手の踏み込みのベクトルを見切り、半歩ずれて射線を外す。
同時に、一升瓶の底をゴブリンの顎の先端――脳を揺らす急所へ向けて、下からカチ上げるようにフルスイングした。
ガガァンッ!!
鈍い破砕音。
一升瓶の硬烈な一撃がゴブリンの顎を完全に粉砕し、脳震盪を引き起こした。白目を剥いて崩れ落ちるゴブリン。
優太は容赦しない。倒れ伏したゴブリンの延髄へ、さらに一升瓶を無慈悲に振り下ろした。完全に痙攣が止まるまで、徹底的に、冷徹に。
「……ふぅ。意外と頑丈だな、この瓶」
血のついた一升瓶を肩に担ぎ、優太は冷たい視線でコタツ部屋の女神を見下ろした。
「ひぃっ……!」
ルチアナは、ゴブリンよりも優太の容赦のなさと手際の良さに怯え、ガタガタと震えていた。
「さあ、案内しろルチアナ。人がいる場所を探すぞ」
「は、はいぃ……」
医学生たるもの、未来の患者の命を救うためには、まず自身の安全と生存を確保しなければならない。中村優太の過酷な異世界サバイバルは、一本の空き瓶から始まった。




