9.飛んで火にいる
庭にいた公爵と目が合ってしまった俺は内心面倒なことになったと呟く。
今居る部屋と彼がいる場所は別に目と鼻の先ではない。
ただそれでも視線がかち合ったのを無視するのは難しかった。
愛想笑いを浮かべ手を振ったが、それでさようならという訳には行かないらしい。
何故なら彼の傍らに立っていた男の使用人が風のような速さで椅子を追加した。
うん、あれは絶対俺がそっちに来る前提で動いている。
アリオスが何か指示をしたようには見えない。
だがあっと言う間に真っ白なガーデンテーブルの上には皿に盛られたクッキーらしきものが増えている。
じっと見てたが公爵が口をつける様子は無かった。
つまりあれは「若奥様」に用意されたものなのだろう、たぶん。
男の使用人、恐らくはアリオスの従者だろう。
彼が不意にこちらを見た。そしてにこりと微笑む。
相手は金髪碧眼の美男子だが寒気がした。俺が男だからという理由だけではない。
さっさと来いという念を感じたのだ。
新婚夫婦が薔薇の咲き乱れる庭でお茶と会話を楽しむ。
それを彼は想定し動いているのだろう。俺と公爵の昨夜の会話など知らずに。
いや身近に置いている人間にはちゃんと伝えておいて欲しい。
俺は眉目秀麗な仮の夫に内心で毒づいた。
今回の結婚に愛など皆無なのだと。
それだけでなく妻と同衾するつもりさえないと。
じゃないと今回のように周囲が色々先を回りして動いてしまうのだ。
俺は公爵が自分の従者に指示して椅子や菓子を撤去させることを願った。
しかし数分経ってもその様子は見られない。
そうこうしている内にエストが部屋に戻って来た。
「どうしたんですか、パイのクリームがレモンカスタードだった時みたいな顔をして」
「……今から庭に行くから着替えと化粧と髪のセット手伝ってくれ」
「ああ、そういうことですか」
カーテン開けなければ良かったのに。
そう平然と言うメイド服の従者にお前知っていたなら教えろよと恨み言を吐く。
彼は難し気な顔でドレスを選びながら知ったのはついさっきだと返した。
「この家の使用人と話していたら公爵が現在どこにいるか教えてもらったんですよ」
彼は天気が良ければ庭園を散歩をして、そのまま庭で朝食を摂ることが多いらしいです。
女性の服はよくわからないと着付けしつつ愚痴を言いながらエストは俺にそう伝えた。
青白い顔をしている割に優雅で健康的な生活をしているなと俺は思う。
ウェストをコルセットできつく締められて情けなく悲鳴を上げた。
「さっき食べたものが出そうになったんだが」
「我慢してくださいよ、これ楽なタイプのコルセットらしいですよ」
これで楽というならコルセットというものは拷問道具の一種なのだろう。
そう思いながら俺は耐えた。じっとしているとエストが何とかドレスの着付けを終える。
「髪は、昨日と同じでいいですよね」
「ああ、ただ髪飾りは無しで。帽子被るから」
「かしこまりました」
俺のリクエスト通りにエストは素早く髪を結い上げた。母のウィッグも有り難く活用させて貰う。
普段自分の長い髪を三つ編みにしているからかエストの動作はとても手慣れていた。
その後、試行錯誤しながら化粧を終えると鏡の前には何とか淑女に見える俺が映っていた。




