25.人形の理由
遠くからこちらに向かいセシリアの名を呼んでいたのはエストだった。
当然俺を妹と間違えているわけではない。
セシリアに化けてアンブローズ公爵家に嫁いだ俺を人前で呼ぶにはその名しか無いからだ。
俺がそのように命じたしエストも言われる前から理解していた。
だというのに一瞬反応が遅れたのはアリオスの発言に気を取られすぎたからだった。
今、毒を盛られたとか言っていなかったか?
俺はエストに向かい立ち止まるよう手で指示する。
そして公爵に恐る恐る尋ねてみた。
「……毒云々はたとえ話ですか?」
「いや実際にあった話だが」
十年前に私が毒殺されかけた。美しい色だが焦点が微妙に合わない瞳で彼が言う。
そういうところが作り物めいているのだ。悪気なく評した瞬間気づいた。
もしかして彼のこの「特徴」は。
「死にはしなかったが顔面神経が僅かに麻痺し視力も落ちた。でも今はそこまで困っていない」
大抵のことは時間がどうにかしてくれる。
苦痛など全く感じていない様子で公爵が言う。それが逆に痛々しかった。
胸の内とはいえ人形公爵などという渾名を繰り返したことに罪悪感がわく。
だが俺の身勝手な感傷は公爵の次の言葉で即吹っ飛ばされた。
「しかし私の体内には排出できない毒が残り続けているらしい。だから子供は作れない」
「えっ」
「え?」
沈黙が黄薔薇の咲き乱れる庭に漂う。
それを破ったのはアリオスの方だった。
「王家はこの件を知っている筈だが……君は知らなかったようだな」
だとしたら本当に申し訳ないことをした。そう公爵は動かない表情で告げる。
しかし決して口だけの謝罪では無いと俺は感じた。
そしてここで又大きな難問が立ち上がってくる。
公爵の家族計画について俺の妹は知っていたか、それが焦点だ。
多分アリオスとセシリアは対面でこの話はしていない。だから今の会話になったのだ。
今回の縁談を妹に持ち掛けてきたのは王家だ。
そしてアリオスの身体事情と世継ぎ問題について王家は知っていた。
だがそれを黙ってリード伯爵家にアンブローズ家との縁談を薦めていた可能性がある。
正直詐欺だろそれは。
別に子供を作らない夫婦が存在したって良い。
王族や貴族当主は世継ぎを作ることが当然とされているが、俺はそこまで絶対だとは思わない。
変わり者かもしれないが自分の考えが正しいと他人に強制したり革命を起こしたりするつもりもないのだから別に良いだろう。
でもそれはあくまで両者の同意があっての決断じゃないと駄目だとは考えている。
この件についてアリオスに隠す意思は見られないので仲人側が伯爵家に伝えなかったことになるが。
「わかった。今回の婚姻は重要事項の説明を欠いた不適切なものだと王家に……」
「あっ、ちょっとそれは待ってください!」
「何故だ、リード伯爵家は騙されて契約を結んだようなものだろう」
アリオスが湖面のような瞳で俺の方を見ながら言う。
彼の言い分は正しいし決断が速いのも誠実だと思う。
でも単純に俺が蚊帳の外で聞いてないだけかもしれないんだよな。
両親やセシリアにはちゃんと説明されて了承したかもしれないし。
その場合アリオスが王家に説明不足を抗議などしたら。考えただけで冷や汗が噴き出す。
「少し、考える時間をください。両親に確認したいので……意向とか!」
今は公爵様の傷の手当てを優先しましょう。
俺は待機していたエストに助けを求め声をかけた。
「ごめん、悪いけど」
「かしこまりましたぁぁぁっ!!」
俺が言葉を言い終わる前に大音量と共にきらきら光る何かが突撃してきた。
でかい犬か、それとも猛牛かとパニックになる。
「あ、あばれうし」
「あの声はオリバーだから牛ではなく人間だと思う」
アリオスの指摘でそれが彼の金髪の従者だと気づくまでに寿命が半年分ぐらい縮んだ。
いや一体どこから出てきたんだ。でかい図体なのに今まで全く気付かなかった。




