第5話 名前が上がる
軍議は、朝から重苦しい空気に包まれていた。
前線の壊滅。
戦死者の数。
行方不明者の報告。
それらが淡々と読み上げられる中、誰もが言葉を失っていた。
勝利を信じて疑わなかった作戦は、結果として大きな損失を生んだ。
アレンは、部屋の隅に控えながら、その光景を眺めていた。
(……場違いだな)
本来、後方支援の人間が出席する場ではない。
だが今回は「例外」だと言われ、半ば強引に呼び出された。
「次に、生還部隊の報告だ」
その言葉に、場の空気がわずかに変わる。
報告に立ったのは、前線騎士団の副団長――リーシャ・ヴァルディアだった。
血と泥を洗い落としたばかりの鎧姿で、背筋を伸ばして立っている。
「我々の部隊は、側面からの奇襲を受け、退路を失いました」
淡々と、しかしはっきりとした声。
「主補給路はすでに敵に抑えられ、撤退は不可能だと判断しました」
「しかし」
リーシャは、そこで一瞬、視線を落とした。
「後方に、別の退路が用意されていました」
ざわり、と小さなざわめきが起こる。
「それは、事前に準備されていたものです」
「夜間でも通行可能な形で整備され、物資も分散配置されていました」
アレンは、思わず視線を逸らした。
(……やめてくれ)
「そのおかげで、我々は部隊を立て直し、生還することができました」
リーシャは、まっすぐ前を見据えたまま続ける。
「その準備を行っていたのが――」
「補給担当の、アレン・フォルツです」
一斉に、視線が集まった。
アレンは、反射的に背筋を伸ばす。
心臓が、嫌な音を立てて鳴っていた。
「フォルツ?」
年配の将軍が、低い声で名前を繰り返す。
「後方の人間だな」
「はい」
絞り出すように答える。
「なぜ、撤退路を?」
「……補給担当として、最悪を想定しただけです」
それ以上でも、それ以下でもない。
本心だった。
だが、将軍はすぐには言葉を返さなかった。
「最悪、か」
「はい。補給線が伸びていましたので」
別の将校が口を挟む。
「結果的に、それが多くの命を救った」
「偶然です」
アレンは、即座に否定した。
「使われない可能性もありました」
「だが、使われた」
将軍の一言が、場を静める。
「君は、敵が側面から来ることを予測していたのか?」
「……可能性の話は、しました」
アレンは、正確に答えた。
「確定ではありません」
「だが、備えた」
「はい」
短いやり取りの中で、空気が変わっていくのを感じる。
評価ではない。
だが、無視もされていない。
「退路を作る判断は、誰にでもできるものではない」
「前線の指揮官たちは、退くことを考えなかった」
その言葉に、苦い沈黙が落ちる。
アレンは、いたたまれなくなって視線を下げた。
(……違う)
彼は、勇敢でも、冷静でもない。
ただ、怖かっただけだ。
「フォルツ」
別の将軍が、静かに声をかける。
「今後の作戦において、君の意見を参考にしたい」
「……え?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「もちろん、前線に出ろとは言わん」
「後方からでいい。助言をしてくれ」
助言。
その言葉が、重くのしかかる。
「……考えておきます」
それが、精一杯だった。
軍議が終わり、人々が部屋を出ていく。
アレンは、しばらく席を立てずにいた。
「アレンさん」
声をかけてきたのは、リーシャだった。
「……あの」
「あなたのおかげで、生きて帰れました」
深く、頭を下げられる。
「そんな……」
「偶然ではありません」
きっぱりとした口調。
「あなたは、退く準備をした」
「それは、誰にでもできることじゃない」
アレンは、言葉を失った。
この瞬間。
彼の中で、小さな警鐘が鳴り始めていた。
(……まずい)
これは、ただの報告では終わらない。
評価が、動き始めている。
それを、彼は本能的に理解していた。




