第23話 沈黙を信仰する者
その男は、前線にいた。
いや、正確には「前線のさらに前」に立っていた。
剣を抜き、鎧を着込み、誰よりも前で敵を見据えている。
兵士たちは、その背中を見て進んでいた。
レオニード・アルヴァ。
王国軍の若手将軍。
その名は、すでに前線では半ば伝説になりつつあった。
「退くな!」
張りのある声が、戦場に響く。
「ここで退けば、敵は息を吹き返す!」
「踏みとどまれ!」
兵士たちは、歯を食いしばり、前に出る。
それが出来る将軍だった。
勇敢で、優秀で、勝てる男。
ただ一つだけ。
彼は、退かない。
――だから、危険だった。
後方拠点。
アレン・フォルツは、その名を報告書で見た。
(……また、若いな)
年齢の割に、戦果が多い。
被害も、少なくはないが致命的ではない。
だが。
(……撤退、していない)
その点だけが、引っかかった。
補給担当の視点から見れば、無理な進軍だ。
だが、数字上は成立している。
「フォルツさん」
リーシャが、少し硬い表情で声をかけてきた。
「レオニード将軍が」
「あなたに、挨拶をしたいと」
嫌な予感しかしなかった。
「……今、ですか」
「今です」
応接区画。
そこに現れた男は、噂通りだった。
若い。
目が鋭い。
そして――迷いがない。
「初めまして」
「レオニード・アルヴァです」
深々と頭を下げる。
だが、その動きに隙はない。
「補給担当の、アレン・フォルツです」
「存じています」
即答だった。
「あなたの沈黙が」
「どれほど戦場を救ってきたか」
その言葉に、アレンは内心で身構えた。
(……来た)
「沈黙……ですか」
「はい」
レオニードは、真剣な表情で続ける。
「あなたは、軽々しく撤退を命じない」
「それは、覚悟が足りないからではない」
「本当に危険な時だけ」
「止める人だからだ」
アレンは、言葉を選ぶ。
「……そう解釈されるのは」
「正直、困ります」
だが、レオニードは気にしなかった。
「だから、私は進めます」
その一言が、空気を変えた。
「あなたが何も言わない限り」
「まだ、進める」
アレンは、はっきりと言った。
「それは、違います」
「僕は、止めるために黙っているわけじゃない」
「分からないから」
「言えないだけです」
レオニードは、一瞬だけ考え込むような仕草を見せた。
だが、すぐに微笑む。
「なるほど」
「それでも、です」
「あなたが止めないということは」
「“まだ死ぬ必要がない”という判断だ」
完全な誤解だった。
だが、理屈としては筋が通っている。
そして何より。
彼は、その解釈で戦果を上げている。
「あなたの沈黙は」
「私にとって、神託です」
その言葉に、アレンの背中に冷たいものが走る。
「……やめてください」
「やめられません」
即答だった。
「私は、勝たなければならない」
「この戦争で、英雄になると決めている」
その目は、真っ直ぐだった。
歪みも、迷いもない。
だからこそ。
(……危ない)
アレンは、はっきりと理解した。
この男は、自分の思想を“盾”にする。
そして、人を前に押し出す。
「撤退が必要だと思えば」
「必ず、言います」
アレンは、そう告げた。
レオニードは、深く頷いた。
「ええ」
「その時は、必ず従います」
だが、その「その時」が来るまで。
彼は、退かない。
応接室を出た後、リーシャが低い声で言った。
「……危険ですね」
「はい」
即答だった。
アレンは、拳を握りしめる。
初めて、はっきりとした恐怖を覚えていた。
敵ではない。
味方だ。
そして。
自分を信じている。
それが、何よりも――怖かった。
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