第22話 数字に含まれないもの
負傷者の数は、減っていた。
それが、報告書の結論だった。
戦線は安定。
撤退は円滑。
致命的な混乱はなし。
アレン・フォルツは、その数字を見ながら、どこか胸の奥が冷えるのを感じていた。
(……減っている、はずなんだけど)
帳簿上の数字は、確かに改善している。
以前よりも、明らかに。
だが。
補給拠点の奥。
仮設医療区画から漂ってくる、消毒薬と血の混じった匂いが、その実感を否定していた。
「……増えてるよ」
その声は、淡々としていた。
アレンが振り返ると、白衣姿の女性が立っていた。
短くまとめた髪。
疲労の色が濃い目元。
「医療将校の、イリス・フェルナです」
「あ、はい……補給担当のアレンです」
「知っています」
即答だった。
「最近の撤退判断」
「全部、あなたが絡んでいますね」
責める口調ではない。
だが、探るような視線。
「……数字は、改善しているはずですが」
「ええ」
イリスは、頷く。
「“戦死者”は、確かに減っています」
「……?」
「でも」
「“生き延びた負傷者”は、増えています」
アレンは、言葉を失った。
「重傷者」
「後遺症が残る者」
「戦線に戻れない者」
彼女は、区画の奥を指差す。
「彼らは、生きています」
「でも、元には戻りません」
その言葉は、静かだった。
だからこそ、重い。
「あなたの判断は」
「多くの命を救っています」
「でも」
「“救われなかった何か”も、確実に増えています」
アレンは、視線を落とした。
(……見ていなかった)
いや、見ないようにしていた。
「戦争が壊れていない、というのは」
「人が死なない、という意味ではありません」
イリスは、淡々と続ける。
「壊れきらずに」
「人を削り続けている、という意味です」
補給区画の向こうから、うめき声が聞こえる。
抑えた声。
痛みを我慢する音。
数字には、載らない音。
「あなたは」
「撤退できる道を作った」
「それは、正しい」
イリスは、はっきりと言った。
「でも」
「退けるからこそ、戦線が長引く」
その指摘に、アレンの胸が締め付けられる。
「退けると思えば」
「人は、無理をします」
「最悪でも、生きて帰れると」
「どこかで、思ってしまう」
アレンは、反論できなかった。
「私は、あなたを責めません」
イリスは、少しだけ表情を緩めた。
「あなたがいなければ」
「ここにいる人たちの多くは、死んでいた」
「でも」
「あなたの判断で」
「ここに来る人も、増えた」
正解も、不正解もない。
ただ、現実がある。
「……どうすれば、いいんでしょうか」
アレンは、絞り出すように言った。
イリスは、すぐには答えなかった。
「分かりません」
正直な返答だった。
「私は、治すことしかできない」
「あなたは、退かせることしかできない」
「どちらも」
「戦争を止める力は、持っていません」
しばらく、沈黙が落ちる。
「だから」
イリスは、最後にこう言った。
「あなたには」
「“見ていてほしい”」
「数字の外側を」
「壊れていない戦争の、裏側を」
その言葉は、命令ではなかった。
懇願でもない。
ただの、共有だった。
アレンは、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました」
退路を作る。
戦わせない。
それでも、救えていないものがある。
その事実を。
彼は、初めて真正面から引き受け始めていた。
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