第2話 却下された進言
作戦会議が終わったあと、アレンはしばらく席を立てずにいた。
簡易幕舎の中はまだ人の熱が残っていて、空気が重い。机の上に広げられた地図を見つめながら、彼は小さく息を吐いた。
(……やっぱり、言わなきゃよかったかな)
進言した内容自体は、特別なものじゃない。
補給線が伸びすぎていること、側面が薄いこと、万一を考えれば一部戦力を後方に残した方がいいこと。
どれも、教本に書いてあるレベルの話だ。
それでも、あの場の空気には合わなかった。
「万一、なんて言葉を使うな」
「今回は攻めの一手だ」
「後方の人間は前線の士気を下げるな」
直接そう言われたわけじゃない。
けれど、指揮官の視線と、周囲の沈黙が、それを十分に物語っていた。
アレンは地図を丸め、立ち上がる。
自分の仕事に戻ろう。それしかできない。
「フォルツ」
幕舎を出ようとしたところで、背後から声がかかった。
振り返ると、補給部門責任者のマルティナ・クロウゼンが立っていた。
「少し、いいかい」
「……はい」
二人は幕舎から少し離れた場所へ移動した。
周囲には物資箱が積まれ、兵士たちが忙しなく動いている。
「さっきの進言のことだが」
「……ご迷惑でしたか」
アレンがそう言うと、マルティナは小さく笑った。
「いいや。あの場では、誰かが言うべきことだった」
「でも、却下されました」
「それでもだ」
マルティナは声を落とし、周囲を一瞥してから続ける。
「前線の連中は、勝ちたいんじゃない。勝つと信じたいんだ」
「……」
「不安を口にする人間は、邪魔になる」
それは責める口調ではなく、ただの事実を述べているようだった。
アレンは何も返せず、黙ってうなずく。
「だからね、フォルツ。あんたは正しい。でも、正しい人間が好かれるとは限らない」
「……はい」
「とはいえ」
マルティナは一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
「準備だけは、続けなさい。却下されたのは“発言”であって、“備え”じゃない」
「……いいんですか?」
「責任は私が取る」
その言葉に、アレンはわずかに目を見開いた。
「ありがとう、ございます」
「礼を言うほどのことじゃないよ。私は現実主義なだけだ」
マルティナはそう言って、その場を離れていった。
残されたアレンは、しばらくその背中を見送ってから、深く息を吐いた。
(……やるだけは、やろう)
彼は補給担当としての仕事に戻り、静かに手を動かし続けた。
物資の配分を再確認し、万一孤立した場合に備えて小分けにする。
通常ルートが塞がれた場合を想定し、獣道に目印を設置する。
夜間でも進めるよう、簡易灯の数を増やす。
どれも、使われないかもしれない準備だ。
夕方、同僚の兵士が声をかけてきた。
「なあアレン。そんなに準備して、意味あるのか?」
「意味がなかったら、それが一番いいだろ」
「……相変わらずだな」
呆れたように笑われても、アレンは気にしなかった。
自分が臆病だという自覚は、とうにある。
夜。
前線からの伝令が届いた。
「進軍は順調。敵の抵抗は軽微」
報告を聞いた周囲が、安堵と期待の声を上げる。
アレンも、内心で少しだけ肩の力を抜いた。
(……よかった)
その直後だった。
別の伝令が、血相を変えて駆け込んできたのは。
「敵影確認! 側面から――!」
その言葉に、周囲の空気が一変する。
ざわめきが広がり、誰かが叫ぶ。
「そんなはずはない!」
「斥候は何をしていた!」
アレンは、報告書を握りしめたまま、凍りついたように立っていた。
(……来た)
それは予言でも何でもない。
ただ、起こり得ると考えていた事態が、現実になっただけだ。
指揮官たちが慌ただしく動き出す中、アレンは静かに自分の役割を確認する。
撤退路。
補給。
連絡。
できることは限られている。
それでも――。
「……お願いします。誰も、死なないでくれ」
小さく、誰にも聞こえない声で呟きながら、アレンは動き出した。
まだ、この時点では。
彼の名前を覚えている者は、ほとんどいなかった。




