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第8話「家族へのメッセージ」

 その通知は、まるでタイミングを見計らったかのように現れた。


 泉の隔離が決まり、「守る派」と「選抜派」の溝がどうしようもないところまで深まった、翌日の朝だった。


 ホール中央のモニターが、不意に明滅する。

 いつもの監視映像が消え、白地に黒い文字が浮かび上がる。


「新規機能解放:地上への通信 試験運用開始

 メッセージ形式:音声

 メッセージ長制限:一人あたり三分以内」


「は?」


 最初に声を上げたのは真壁朔也だった。


「何これ、今さらサービス精神?」


 ざわめきが広がる。

 誰もがモニターを見上げ、互いの顔を見合わせた。


「地上への……通信?」


 凛は、思わず文字をなぞるように呟いた。


 通信。

 外とつながる。

 その単語は、この閉ざされた場所ではあまりにも眩しすぎた。


 続けて、小さな窓がポップアップ表示される。


「説明:本機能は、本シェルターに滞在する被保護者の精神安定を目的として提供される。

 音声メッセージを録音し、圧縮して地上の通信受信施設へ送信する。

 メッセージは送信順に保管され、適切な受信者へ転送される可能性がある。」


 蓮司が思わず眉をひそめる。


「“可能性がある、か。受信者が誰なのかも書かないんだな」


「“どこに届くのか”も、“誰が受け取るのか”も、一切不明ってわけね」


 葛城詩織は冷めた目で画面を見上げていた。


「それでも、“外とつながれるかもしれない”って言葉だけで、十分な餌になる」


 言ってから、彼女は自分の口を押さえた。

 さすがに言い過ぎたか、と少しだけ後悔する。


 だが、もう遅い。

 ホールの空気は、すでに変わり始めていた。


「メッセージブースは、ホール横の第二倉庫スペースを改装して設置します。

 準備が整い次第、ひとりずつ順番に案内してください」


 システムの機械音声が流れる。

 あの、感情のない“女の声”だ。


 千景が小さく呟いた。


「精神安定……ね。今さら」


 しかし、その皮肉の裏で、目の奥に一瞬だけ浮かんだものを、凛は見逃さなかった。

 期待、というほど強いものではない。

 けれど、“誰かに届くかもしれない”という可能性に、完全に背を向けきれない揺らぎ。


 それは、凛自身も同じだった。



 メッセージブースの設置は、驚くほど早く進んだ。


 もともと物資の整理に使っていた第二倉庫の一角に、簡易的な間仕切りと椅子、それからマイク付きの端末が運び込まれる。

 ドアには「利用中」のランプまでついていた。


「随分と手際がいいな」


 黒瀬は半笑いで言った。


「こういう準備だけは、最初から組み込んであったってことか」


「“人を観察するときのオプション”として、だろうね」


 海斗が淡々と返す。


「被験体の心理状態を安定させるための、疑似的な外部接続。ゲームで言えば、セーブポイントでの日記機能、みたいなものだ」


「例えがオタクくさい」


 真壁が突っ込みを入れたが、誰も笑わなかった。


 ともあれ、ブースが完成すると、シェルターの住人たちは吸い寄せられるように、その前に列を作り始めた。


「ねえ、本当に外に届くのかな」


「分かんない。でも、何もしないよりはマシでしょ」


「もし生きてる人がいて、これを聞いてくれたら……」


 ささやき声が行き交う。


 希望にすがる声。

 諦め半分、それでも賭けてみたいと望む声。


 そのどれもが、この場所で長く聞いていなかった種類の音だった。


「行かないの?」


 隣で並ぶ海斗に、蓮司が尋ねる。


「興味ないわけないだろ」


 海斗は肩をすくめた。


「ただ、先に“どういう仕組みなのか”を知っておきたい」


「だよな。分かる」


 蓮司は苦笑する。


「お前、そういうところだけはブレないよな」



 凛は、列の一番後ろで黙って様子を見ていた。


 順番が来るたび、ブースのドアが開き、誰かが中に吸い込まれていく。

 数分後、出てくるときには、ほんの少しだけ表情が変わっている。


 泣き腫らした目で、それでもどこか軽くなった顔。

 何かを言葉にして外へ投げた、という行為の痕跡。


「凛ちゃん、行かないの?」


 真琴が心配そうに覗き込む。


「……別に、話すことないし」


 凛は視線を逸らした。


「だいたい、どこに届くかも分からないんだよ。今さら“お父さんお母さん、元気ですか”なんて言ったところで、返事が来るわけでもないし」


「返事が来ないのは、分かってるけどさ」


 真琴は少しだけ笑った。


「だからこそ、言いたいことってない?」


「あったとしても、外に向かってじゃなくて、この中に向かって言いたいよ」


 凛は、ホールのほうを振り返った。


 そこには、泉のいない食事の準備。

 誰かの冗談に、誰も乗らない沈黙。

 むき出しの敵対心を、かろうじて布で覆い隠したような空気。


「でも、それはもう散々やって、散々こじれて……今このざまだよ」


 吐き出すように言ってから、自分で自分の声に驚いた。


「ごめん。ちょっと疲れてるだけ」


「ううん」


 真琴は首を振る。


「疲れてるのは、みんな一緒だから」


 そのとき、袖がくいっと引かれた。


「りんちゃん」


 振り返ると、コハルがそこにいた。

 まだ完全には顔色が戻っていないが、足取りは昨日よりずっとしっかりしている。


「一緒に、行こう?」


「……え」


「メッセージ。ひとりで行くの、こわいから」


 コハルは不安そうにブースのドアをちらりと見やった。


「ね、お願い。一緒にいて」


 断れなかった。


 断りたくなかった。


「分かったよ」


 凛は小さく息を吐いてうなずいた。


「じゃあ、コハルが先ね。私は後ろで見てるから」


「うん」



 メッセージブースの中は、予想以上に狭かった。


 古い会議用の椅子が一脚、それと目の前に小さな端末とマイク。

 壁は防音材のような素材で覆われているが、完全な静寂というわけではない。

 外を行き来する足音や、遠くの空調の唸りがうっすらと聞こえる。


「すごい。ほんとに、スタジオみたい」


 コハルは目を丸くした。


 端末にはシンプルな表示が浮かんでいる。


「音声メッセージ録音システム

 録音開始ボタンを押してから、三分以内で話してください

 録音後、内容を確認して送信できます」


「確認、なんてできるんだ」


 凛は思わず口に出した。


「“聞かせたくないところ”を消す機能があるってこと?」


「消せるのかな」


 コハルが不安そうにボタンを見つめる。


「……なんか、テストの前みたいで緊張する」


「気楽に話せばいいよ。誰に向かって話すか、決めてる?」


「うん」


 コハルは少し恥ずかしそうに、指先を絡めた。


「お父さんとお母さん。あと……学校のみんな」


 凛は胸が締めつけられるのを感じた。


「そっか」


「りんちゃんは?」


「私は……」


 言いかけて、黙り込む。


 分かっている。

 頭の中に浮かぶ顔は、二つしかない。


「……後で考える」


 話を打ち切るように言って、凛は壁際に身を寄せた。


「コハル、ボタン押して。後ろで見てるから」


「うん」


 小さな手が、画面の「録音開始」に触れる。


 ピッという電子音。

 画面の上に、赤い丸印とカウントが表示される。


「えっと……」


 最初の数秒、コハルは何も言えなかった。

 口を開きかけては閉じ、視線をさまよわせる。


 やがて、意を決したようにマイクを見つめた。


「お父さん、お母さん。聞こえますか」


 幼い声が、ブースの中に響く。


「雨宮コハルです。今、私は地下のシェルターにいます。地上がどうなっているのか、よく分かりません。空は、たぶんまだ灰色です」


 凛は、静かに目を閉じた。


「ここには、十三人いました。今は、十二人です。友達が、一人……事故で死んじゃいました。でも、みんなで頑張ってます」


 言いながら、コハルの声が少しだけ震えだす。


「学校に行けなくなって、ごめんなさい。宿題もちゃんと出せなくて、ごめんなさい。でも、できるだけ、勉強は続けてます。算数も国語も、忘れたくないから」


 凛は喉が詰まりそうになる。


「いつか、外に出られたら……そのときは、また学校に行きたいです。みんなと一緒に、体育して、給食食べて、ちゃんと“お帰りなさい”って言われたいです」


 コハルは一度、深く息を吸った。


「だから、どうか……まだ生きていてください。お父さん、お母さん。どこかで聞いていてください。いつか必ず、会いに行きます」


 約束の言葉。

 コハルが自分の口で、自分に向けてかけている呪い。


「……以上です」


 そう言って、震える指で「停止」を押した。


 端末が短く電子音を鳴らし、「録音完了」と表示する。


「送信しますか?」


 画面の問いかけに、コハルは少しだけ迷ってから、「はい」を選んだ。


 送信完了。


 それだけの文章で済まされる行為にどれだけの重さがあるかを、凛は痛いほど理解していた。



「次、凛だよ」


 ブースを出るとき、コハルが少し照れくさそうに笑った。


「ちょっとだけ、心が軽くなった気がする」


「……そう」


 凛は笑えなかった。


 コハルの言葉には嘘はない。

 確かに今の彼女は、さっきより少しだけ顔色が良く見える。

 外に向かって何かを投げたことで、重さの一部を手放せたのだろう。


 だが、それが本当に“外”に届いているかどうかは、誰にも分からない。


「りんちゃんも、行ってきて」


 コハルは凛の背中を押した。


「お父さんとお母さん、きっと喜ぶよ」


 その一言が、決定打になった。


「分かったよ」


 凛は軽く肩をすくめて、再びブースの中に入った。


 ドアが閉まる。

 狭い空間に一人きり。


 椅子に座り、マイクを見つめる。


 何も喋らなければ、何も始まらない。

 何か喋れば、また一つ“約束”が増える。


「……」


 しばらくの沈黙のあと、凛は指を伸ばした。


「録音開始」


 画面が赤に変わる。


「お父さん、お母さん」


 自分の声が、自分の耳には少し他人事のように聞こえた。


「まだ、生きてる?」


 最初の言葉で、もう涙が出そうになった。


「朝霧凛です。今、私は地下のシェルターにいます。たぶん、ニュースで言ってた“指定避難施設”の一つ、だと思います」


 息を整えながら続ける。


「地上がどうなっているのかは、よく分かりません。モニターには、壊れたビルと、黒い川と、灰色の空が映っています。あれが本当に“今の外”なのか、それとも昔の記録なのかも、分かりません」


 言葉が、勝手に溢れ出してくる。


「ここには、十三人いました。今は十二人です。事故で、一人死にました。誰も“殺した”とは言ってないけど、多分……いや、やめておきます。こういうことを言うための通信じゃないと思うから」


 自嘲が混ざってしまった。


「私は今、毎日、スープをよそっています。薄くて、味がほとんどなくて、でもそれを分け合って食べてます。お父さんが作るカレーが、すごく恋しいです。お母さんの卵焼きも、食べたいです」


 胸が締めつけられる。


「お父さん。最初の日に、『絶対に迎えに行く』って言ってくれたの、覚えてる? その言葉、多分どこかのマイクが録音して、“約束ログ”って名前で保存してると思います」


 笑うべきか泣くべきか分からない。


「もしまだ、生きていたら……迎えに来られなくてもいいから、どこかで生きててください。私、探しに行くから」


 その言葉を口にした瞬間、凛は自分で自分に殴りかかりたい衝動に駆られた。


 まただ。

 また自分で、自分の首を絞める約束を口にしてしまった。


 “探しに行く”。

 “会いに行く”。


 それはつまり、「ここから必ず出る」という宣言でもある。


 システムのどこかで、「PROMISE_RIN_FAMILY」なんて名前のファイルが増えていく光景が、頭に浮かんでしまった。


「……でも、もしもう死んでたら、そのときは」


 そこまで言って、言葉が詰まる。


 死んでいたら。

 既に灰になっていたら。

 何を頼めばいいのか。


 凛は、震えそうになる声を無理やり押さえ込んだ。


「そのときは、私が勝手に生きます。勝手にごはん食べて、勝手に大人になって、勝手に“幸せになります”って言います」


 それもまた、約束だ。


「だから、もし聞いていたら……少しだけ、笑ってください。『お前、本当に言ったことを守れるのか』って」


 深く息を吸い込む。


「いつか必ず外に出るから。そのときはまた、一緒にごはん食べようね」


 言ってしまった。


 言った瞬間、自分の胸の内側に、何か重い鎖が嵌められる音がした気がした。


 それでも、声は止まらない。


「以上です」


 凛はボタンを押し、録音を終えた。


 画面には「送信しますか?」とだけ表示されている。


 一瞬、迷った。

 ここで「いいえ」を選べば、この言葉はこのブースの中にだけ残る。

 ログにはならない。

 誰の耳にも届かない。


 だが、それを想像した瞬間、胸の奥に別の痛みが走った。


「……送信」


 凛は「はい」を押した。


 端末が短い電子音を鳴らし、「送信完了」とだけ告げる。


 それで、本当に空の向こうへ飛んでいったのか。

 あるいは、シェルターの天井にぶつかって消えたのか。


 確かめる術は、どこにもなかった。



 その頃、医療室の一角では、泉がひとりで別の端末に向き合っていた。


 彼女用に用意された、隔離スペース専用のメッセージ機能。

 ブースではなく、簡素な椅子と机だけの、味気ない空間。


「ご希望の方は、個別スペースからメッセージ送信が可能です」


 システムの説明文は、いつも通り事務的だった。


「……ご希望、ね」


 泉は苦笑した。


「希望なんて、もうどこにもないのに」


 それでも、端末の前に座る。

 自分の手が、震えているのが分かる。


「録音開始」


 ボタンを押す。

 画面が赤く染まる。


「私は、片倉泉です」


 声が、少しだけ掠れていた。


「昔、保育士をしていました。子どもたちの面倒を見て、その日その日を乗り切ることだけ考えて生きてきました」


 彼女は天井を見上げる。


「でも、私は一度、子どもたちを守りきれなかった。あのときのことを、今でも夢に見ます。点呼で名前を呼んでも、返事が返ってこなくて、焦って探し回って……見つかったときにはもう、間に合わなかった」


 凛が聞いたことのなかった、過去の話だった。


「だから、ここに来たとき、私は勝手に決めました。今度こそ、絶対に守るって。子どもたちを、若い子たちを、誰も死なせないって」


 泉は、静かに笑った。


「でも、できなかった。三浦くんも守れなかったし、物資のことでも、私はまた勝手に動いて、またみんなから信頼を失った」


 隔離空間の壁に、自分の声が反響する。


「私は、子どもたちを守りきれなかった保育士です」


 それは、懺悔とも、自己紹介ともつかない言葉だった。


「だから、もし外に誰か残っているなら……どうか、“約束を守れる大人”でいてください。子どもに『守る』って言ったら、ちゃんと守れる大人でいてください」


 泉の視界が滲んでいく。


「私みたいに、“二度目のチャンス”をもらっても、結局うまくできなかった人間もいます。でも、それでも、どこかにちゃんと約束を守れる人がいてくれたら……それだけでも、少しは救われると思うから」


 声が掠れる。


「以上です」


 泉は、そっと停止ボタンを押した。


「送信しますか?」


 画面の問いに、「はい」を選ぶ。


 送信完了。


 彼女の言葉は、どこかへ飛んでいったふりをして、実際にはこのシェルターのどこかのストレージに蓄積されているかもしれない。


 それでも、送らずにはいられなかった。



 一方、海斗と蓮司は、通信システムそのものを解析しようとしていた。


「やっぱり、出力ポートが一つ増えてるな」


 サーバールームで、蓮司がコードの束を指さす。


「こっちが内部回線。で、こっちが……」


「上方向のアンテナに接続されてる」


 海斗はモニターに表示された回路図を追いながら言った。


「微弱な電波を、パルス状に送信しているみたいだ。メッセージ一本ごとに、一回のパルス列。暗号化は……かなり高度だな。少なくとも、こっち側から解析して“どこに届いてるか”を逆算するのは無理」


「地上に、本当に受信施設なんて残ってるのか?」


 蓮司は、つぶやくように問う。


「そもそも、この電波はどこまで届いてるんだ?」


「さあね」


 海斗はキーボードを叩く。


「地上の残った施設か、軌道上のプラットフォームか、もっと遠くの“どこか”か。あるいは、全部ウソで、ここから数メートルも進んでないか」


 彼は画面を見つめながら、続けた。


「もしかすると、このシェルター自体が、最初から地球上にあるとは限らない」


「は?」


「空を直接見たこと、ある?」


 海斗の問いに、蓮司は言葉を詰まらせた。


「……ない。ここに来る前の記憶だって、正直曖昧だ」


「そういうこと」


 海斗は薄く笑う。


「もしここが、地上から切り離されたどこか――宇宙ステーションとか、地下じゃなくて“上”に浮いてる施設とか、そういう場所だったら。『地上への通信』って言葉の意味も、全然違ってくる」


「SFみたいな話をするなよ」


「ここまで来たら、全部SFみたいなもんだよ」


 システムログの片隅に、小さな文字が追加される。


 MESSAGE_LOG

 送信数:1/2/3……


 PROMISE_LOGの隣に、「MESSAGE_LOG」の項目が新たに並び始めていた。


 どちらも、“外”に向けた言葉。

 どちらも、“届いている”と信じたい言葉。


 だが実際には――。


「なあ、海斗」


 蓮司が静かに尋ねる。


「お前は、どっかに届いてると思うか?」


「思いたい、とは思ってる」


 海斗は視線を画面から外さなかった。


「でも、“システムが僕らを慰めるために用意した玩具”って可能性も、同じくらい高い」



 メッセージを録音した住人たちは、一時的に心が軽くなったような顔をしていた。


「なんか、すっきりした」


「ずっと胸につかえてたものを、少しだけ外に出せた気がする」


「返事が来なくてもいい。聞かれなくてもいい。ただ、言えただけで、ちょっと……」


 そんな言葉が、あちこちから聞こえてくる。


 凛も、ほんの少しだけ胸の重さが和らいでいる自分に気づいていた。

 混じり物のある安堵感。

 それがいつまで続くか分からないことを知りながら、それでもしばらくはその温度に身を任せていたかった。


 ただ、それはあくまで一時の麻酔にすぎない。


 通達のカウントダウンは進む。

 物資は減り、空調はさらに弱まり、やがて照明までもが間欠的にしか点かなくなる。


 ホールのライトが一瞬だけ暗くなり、すぐに点く。

 それを繰り返すうちに、「暗くならなかった時間」のほうが不自然に感じられるようになっていく。


「おい、またかよ」


 真壁が天井を睨む。


「このままいくと、そのうち“真っ暗な時間”がデフォルトになるんじゃないか」


「かもね」


 凛はスープの鍋をかき混ぜながら答えた。


 鍋の底は浅く、金属の音がすぐに響く。



 サーバールームの中。

 中央端末のストレージには、今日だけでいくつもの新しいファイルが追加されていた。


 MESSAGE_RIN_FAMILY

 MESSAGE_KOHARU_FAMILY

 MESSAGE_IZUMI_CONFESS

 MESSAGE_OTHERS……


 その横には、これまで通りのファイル群。


 PROMISE_DAY02

 PROMISE_DRAW_01

 PROMISE_COMMUNITY_BREAK

 PROMISE_KAITO_PRIVATE……


 どちらも、“外”に向けた言葉だった。


 しかし、そのどれもが、実際にはこの閉ざされた箱庭の中から一歩も出ていないかもしれない。


 電波は上に向かって放たれる。

 しかし、それを受け取る“空”が、本当にこの上に広がっているのかどうかすら、誰にも確かめられない。


 それでも人は、話さずにはいられない。

 約束し、訴え、懺悔し、誰かの名前を呼ばずにはいられない。


 システムは、それらを無表情に保存し続ける。


 PROMISE_LOGと、MESSAGE_LOG。

 どちらも、観察対象#27の振る舞いとして整然と積み重ねられていく。


 どこにも届かないかもしれない“外”に向けた声と、決して忘れられない“内側”の記録。


 そのどちらもが増えていくほど、廃墟シェルターの内部は、じわじわと、確実にすり減っていくのだった。

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