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第2話「出口ランプのついた扉」

 シェルターの朝は静かだ。

 本来なら人工照明の明滅で昼夜を区別しているはずだが、昨夜から照明の光量が落ち、不自然に薄い。天井のライトはまるで眠気を引きずるようにぼんやりと明るさを押し出しているだけで、壁に反射する白さがどこか灰色がかって見えた。


 凛はその光を見上げながら、昨夜のログ表示を思い出していた。

「第1段階:照明出力 3%低下」

 たったそれだけの文字が、胸の奥にはっきりと影を落としている。


 朝のミーティングが始まると、いつもより言葉が少なかった。みんなの喉の奥に、昨日の“通達”が重石のように残っている。誰も触れようとしないが、誰も忘れてはいない。


 そんな沈黙を切り裂くように、鷹野隼人が声をあげる。


「とりあえず、出口を探そう。俺たちが知らない場所、まだいっぱいあるだろ」


「そうだな。設計図を全部見直す必要がある」


 東雲海斗は早くも端末を操作し、シェルターの3Dマップを展開していく。

 凛はその光景を見つめながら、昨日の夜に胸を締めつけた不安がまだ抜けきらないことを自覚した。


 海斗がマップに指を走らせる。


「出入口として考えられるのは、メインシャフトを除けば四つ。非常扉が二つ。あとは整備用のトンネルだ」


「全部、去年の崩落で塞がってるはずだろ」


 外村蓮司が地図を覗き込みながら言う。

 がっしりした体躯の蓮司がそこに立つだけで、ホール全体の空気が安定したように感じる。

 頼りがいのある男だ、と凛はいつも思う。


「とりあえず現地を確認してみる価値はある。封鎖された理由は、崩落だけじゃない可能性もあるし」


「何それ。不吉なこと言わないでよ」


 雨宮コハルが困ったように眉を寄せる。


 海斗は首を振った。


「不吉じゃなくて、合理的にね。去年の段階で“危険”と判断された場所のすべてが、今も同じ理由で危険とは限らない」


 言いながら、海斗は右下の区画を拡大した。


 〈E-01〉


 見慣れない番号だった。

 凛は眉をひそめる。


「そんな扉……あった?」


「普通のルートには入っていなかった。電力消費を抑えるため、去年の統合パッチで立入禁止になってたんだ」


 蓮司が言葉を引き継ぐ。


「でも、緑のランプが点いてる。通電は生きてるはずだ」


「緑……?」


 凛は驚いた。

 ランプが点灯している扉なんて、この地下では極めて珍しい。


「見にいこう」


 海斗が言うと、黒瀬獅子雄が椅子からゆっくりと立ち上がった。


「俺も行く。力仕事が必要だろ」


 黒瀬の短い言葉に、三浦も「あたしも」と名乗り出る。


 こうして、調査班は自然と海斗と蓮司を中心に四人になった。

 凛は残る側になったが、胸の鼓動の速さはなぜか彼らと歩幅を合わせているように感じた。


 ◆


 E-01のある廊下は、普段は滅多に使われない裏通路だ。

 薄暗い照明の下で、錆びたパイプが壁際に走り、床には何年も使われていない台車の跡がうっすら残っている。


「ここ、去年の夏に一度見たけど、確かに扉はあった。でもランプが点いてたかな……」


 三浦が記憶を探りながら呟いた。


 やがて、重々しい鋼鉄の扉が姿を現す。

 そこには確かに、小さな緑のランプがひとつだけ光っていた。

 ぽつんと、しかし確かな生命のように。


「E-01」


 蓮司が指で文字をなぞる。


「制御盤、ここか」


 扉の横にある古い端末を開き、内部の基板を確認する。


「開閉ログ……一度もないな」


 海斗が画面を覗き込む。


「つまり誰も開けたことがないってこと?」


「そもそも、この扉が“起動した痕跡”がない」


 蓮司の声は低いが、戦慄を隠せていない。


「だったら逆にチャンスだ。今からでも使えるってわけだ」


 前のめりに言ったのは鷹野だった。

 凛は思わず声をあげる。


「待って、開けるにしても外の線量を測らないと」


「そうだな。それは必要だ」


 千景が頷く。


「無闇に開けたら、放射線だけじゃなくて瓦礫やガスの危険もあるから」


「つまり、まずは調査。それからだ」


 凛は安心したように息をつく。

 けれど海斗が画面をスクロールさせたとき、その安堵は砕かれた。


「待って……ここの注釈」


 蓮司が読み上げる。


「『出口候補:E-01。地上環境との接続確認未完了。候補者の選出が完了すると、自動接続される』」


 黒瀬が息を呑む。


「……自動接続?」


「つまり、出口は最初から外につながってるわけじゃないってこと?」


 三浦の声が震える。


 海斗は顎に手を当て、ゆっくり言った。


「選出者が決まった瞬間、システムが“出口として認めるライン”をつなぐ。これまで遮断されていた通路、あるいは外側のゲートを開く……そんな感じかもしれない」


 凛は嫌な想像をしてしまった。


 ――地上につながっていない?

 ――そもそも外は、本当に存在するのか?


 葛城詩織がメモのふりをしながら、そっと端末をポケットに入れた。

 取材癖のある彼女は、この会話をこっそり録音していたらしい。


 ◆


 夕方、端末にメッセージが表示された。

「出口候補:E-01」

 その文字が、じわじわと全員の胸に染みわたる。


 夜のミーティングが始まる。


 鷹野が自然と議長席へ座り、前に立った。


「いつかは、誰を地上に送り出すか決めなきゃならない。だったら基準を決めておこう」


 ホワイトボードに四つの案が並ぶ。


 年少者優先

 能力優先

 くじ引き

 投票


 凛は思わず立ち上がった。


「待って。そもそも“地上が安全だ”って確証がないのに、誰か一人を送り出す前提で話すのはおかしいよ」


 鷹野が凛を見た。


「気持ちは分かる。でも、物資が尽きたら……」


「全員死ぬって言いたいの?」


 凛の声には怒りが混ざっていた。

 しかし誰も反論しない。

 彼らの目に浮かんだのは、絶望の色か、それとも諦めか。


 そのとき、泉が強く手を叩いた。


「今はまだ決めない! 議論だけ先に進めても意味はないよ。調査結果を待とうよ」


 泉の言葉に、鷹野もようやく無理に進めるのをやめた。


 議題は保留のまま、会議は流れるように終わった。


 ◆


 解散後、凛はコハルと並んでホールに残っていた。

 ほかの皆が寝室へと戻っていく足音だけが遠くで響く。


 ふたりは、ぽつんと光るE-01の緑ランプを見つめた。


「ねえ、凛」


 コハルが口を開く。


「もし、地上に出られたら……何したい?」


 凛はその問いに、少しだけ考えて答える。


「うーん……青空を見たい。前みたいな、透きとおった青。息を吸って、胸の奥が痛くなるくらいのやつ」


「それ、分かる。あたしもね、本物の空を見たい。あと、ちゃんと学校に行きたい」


 コハルは照れくさそうに笑った。


 その笑顔が、胸に刺さる。

 こんな小さな願いさえ、かすむほどの状況に自分たちはいる。


 凛は思った。


 ――誰が選ばれるかじゃない。

 ――そもそも、“選ばせようとしている仕組み”そのものがおかしい。


 そのとき、また照明がふっと短く点滅した。


 コハルが身を寄せる。


「今の、何……?」


「大丈夫。まだ停電じゃない」


 凛が言い聞かせようとしたとき、中央端末が低く起動音を鳴らした。


 画面には何も表示されない。

 けれど、内部で何かが動いているのが分かる。


 天井の隅にある小さなマイクが、ほんのわずかに赤く光っていた。


 ――会話の録音だ。


 凛は背筋を凍らせた。


 その直後、端末の内部ログに、淡い音がひとつ追加される。


「約束ファイル:DAY_02」


 まるで彼らの行動すべてを、システムが“観察”しているかのように。


 凛はコハルの肩にそっと手を置いた。

 この地下に何が仕掛けられているのかは分からない。

 ただ一つだけ確かだった。


 ――出口は、扉だけではない。

 ――“誰を選ぶか”という行為そのものが、出口への鍵にされている。


 その夜、凛は自室に戻りながら思った。


 出口ランプが灯った扉が光っているのは、希望のためじゃない。

 “選ばれた瞬間を待つため”だ。


 システムの意図は、まだ見えない。

 だが確実に、“誰か一人”を選ばせるための歯車が、静かに回りはじめていた。

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