表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/13

第12話「最後の選択」

 扉E−01の前に、簡素な寝具と毛布が並べられていく。


 床は冷たいコンクリートだ。

 配管がむき出しの天井には、かつて非常灯を固定していたらしい金具の跡だけが残っている。照明はほとんど切れていて、かろうじて廊下の端に沈んだ赤い光があるだけだった。


 鷹野が倉庫から引っぱり出してきた薄っぺらなマットを、黒瀬と朔也が無言で運ぶ。千景は、使える毛布を選り分けながら、埃を叩き落としていく。


「……こんなもんか」


 黒瀬が、マットを最後の一枚まで敷き終えてつぶやいた。


 E−01の扉を背にするように、マットが横一列に並んでいる。その上に薄い毛布。枕代わりの丸めたジャケット。即席の“ベッド”だ。


 どれも、これまで誰かが眠っていた痕跡を宿している。

 ほつれた縫い目。ところどころに残る体温の記憶。

 それらが今、ひとつの場所に集められた。


 ここが、終わりの場所になる。


「ほんとに、ここでいいの?」


 コハルが、不安そうに凛を見上げた。


 凛は、小さく頷いた。


「うん。扉からいちばん近いところで、“誰も行かない”って決めたほうがいい気がするから」


 E−01の扉には、見慣れた緑色のランプが灯っている。

 それはこれまでずっと、ただのインテリアのように、そこにあるだけの光だった。


 今は違う。


 「出口候補」として、システムが正式に認識している唯一の扉。


 その目の前で背中を合わせて眠るという行為は、システムに対する、ささやかな抵抗の宣言でもあった。


「……じゃあ、そろそろ」


 千景が、皆の顔を見渡しながら言った。


「体力、もう残ってないでしょ。横になったほうがいい」


 それぞれが、自分の寝る場所を選び始める。


 コハルは当然のように凛の隣に潜り込んだ。

 朔也は、少し離れたところにマットを敷こうとしたが、泉に肩を掴まれる。


「こっちおいで。間に入って」


「え?」


「凛とコハルの隣。どうせ最後なら、子どもの夜勤シフトみたいに寄り添ったっていいじゃない」


 泉の冗談めいた言い方に、朔也は苦笑いを浮かべて、言われるがまま真ん中にマットを敷いた。


 配置は、自然と決まっていく。


 扉を背に、凛とコハル。

 その反対側に朔也。

 泉、千景。少し距離を空けて黒瀬と鷹野。


 全員が横になった。


 背中に当たるコンクリートの冷たさと、マットの心許なさが、逆に現実感を鋭くする。


「……じゃあ、言うね」


 凛は、胸の前でコハルの細い腕を抱きしめたまま、吐くように言葉を出した。


「最後の約束。“誰も地上に行かない”。“誰も一人にしない”。それを……ここで、もう一回ちゃんと口にしよう」


「そんなの、さっきも言っただろ」


 黒瀬が小さく笑う。


「何度も言わないと不安になるのは、お前の悪い癖だ」


「悪い癖でいいよ」


 凛は、天井を見上げた。


「この一年、何回も約束して、何回も破って、そのたびに“ログ”が増えていったんでしょ。だったら最後くらい、“破られたくない約束”を少し多めに言っときたい」


 沈黙。

 やがて、泉が静かに口を開いた。


「じゃあ、私から」


 暗闇の中で、泉の声だけがくっきり響く。


「私は、“誰も一人にしない”って約束する。たとえ痛み方や終わり方が違っても、誰かが一人だけ“特別な終わり方”をするのは嫌。全員、“同じ場所で終わる仲間”でいたい」


「医者としては?」


 千景が尋ねる。


「医者としては……本当は、“全員を生かす”って約束をしたかったな。でも、それができないって分かった以上、せめて“誰かだけを特別扱いしない”って約束くらいは守りたい」


 千景は、小さく笑った。


「じゃあ、私も医者として宣言しとく」


 かすれた声で言葉を紡ぐ。


「もう誰にも、“生きるために誰かを削れ”って処方箋は出さない。“誰も行かない”って決めた以上、その選択を途中で書き換えたりしない」


「……俺も」


 朔也が、少し震えながら続けた。


「俺は、今までずっと逃げてきたから。あの抽選のときも、自分が選ばれるはずだったって知ってからも、何もしなかった。だから最後くらい、逃げないって約束したい。“ここから一人で出ていかない”って」


「いいね、かっこいい」


 泉が、小さく肩で笑う。


「凛は?」


 コハルの声が、胸のあたりから聞こえた。


 凛は、腕の中の小さな頭をそっと撫でた。


「私は……」


 言葉が喉につかえる。


「……私は、“ここにいる誰とも離れない”って約束する。誰かが先に眠っても、最後までちゃんとそばにいる。もし私が先に眠ったら……そのときは、“先に寝ててごめん”って、どこかで謝る」


「ずるい」


 コハルが、くすっと笑った。


「じゃあ、わたしは、“凛さんの腕の中で寝る”って約束する。ひとりで寝るのは怖いから。最後まで、ぎゅってしててね」


「うん。分かった」


 凛は、ぎゅっと抱きしめる力を少し強めた。


 黒瀬は、しばらく何も言わなかった。

 やがて、低い声が暗闇に落ちる。


「……俺は、“出口に賭け続けたい”って約束を、ここで降ろす」


 凛は、思わず目を見開いた。


「え?」


「誤解するな。俺はまだ“外を見たい”って気持ちを捨てきれてない」


 黒瀬は、天井を睨むように見つめている。


「でも、今ここで“みんなで終わる”って決めた以上、俺だけ最後の瞬間に“やっぱやめた”って言うのは筋が違う。“出口に賭け続ける男”で終わりたかったけど……そうも言ってられねえ状況ってのを、今日ようやく飲み込んだ」


「……黒瀬さん」


「だからここにいる。ここで寝る。この扉の前で終わる。それが、俺の“最後の選択”だ」


 鷹野は、ずっと黙ったままだった。


「鷹野さんは?」


 泉が、そっと尋ねる。


「……俺は」


 しばらくの沈黙のあと、かすれた声がこぼれた。


「俺は、最後の最後まで“出口を使わせたい側”だった。誰か一人でもいい、外に送り出せればって。それが、この一年間俺が“リーダーごっこ”してきた理由だ」


 凛は、胸が締めつけられるのを感じた。


 蓮司が、「お前たちが守ってるのは、自分の選択を正当化する物語だけだ」と言ったときのことを思い出す。


「でも、さっき外村のログの話を聞いて、正直分からなくなった。出口が本物か、処理か。そのどっちなのか分からないまま、誰かを“栄養源”にする提案をしかけた自分が、一番分からなくなった」


 鷹野の声が、わずかに震える。


「そんな俺が、“誰か一人を選ぶ”なんて、おこがましいにもほどがある。だから……」


 短い息。


「俺も、ここで寝る。扉の前で、“最後の逃げ場”を捨てる。それを、“自分なりのケジメ”ってことにしてくれ」


 その言葉を聞いて、凛は目を閉じた。


 全員が、自分なりの「最後の選択」を口にした。


「じゃあ……」


 凛は、声を震わせながら言った。


「最後の約束。“誰も地上に行かない”。“誰も一人にしない”。この扉の前で、みんなで眠る。……それで、いい?」


 「うん」「ああ」「分かった」と、小さな返事がいくつも重なった。


 約束は、いつだって簡単に交わされる。


 そのたびに、天井のどこかでマイクが赤く点滅し、中央端末の奥で「PROMISE_」から始まるファイル名が増えていくのだろう。


 それでも、今この瞬間だけは、ログに残るかどうかなんてどうでもよかった。


 凛は、コハルの額にそっと唇を寄せた。


「おやすみ、コハル」


「……おやすみ」


 かすかな返事。

 やがて、凛の腕の中から、小さな体がゆっくりと緩んでいく。


 誰かのすすり泣く声が、暗闇の中に溶けた。



 照明が完全に落ちた。


 本当の意味での暗闇が、シェルターを満たす。


 凛は、眼を閉じても開いても同じ真っ暗さの中で、自分の呼吸の音だけを数えていた。


 一回。

 二回。

 三回。


 吸うたびに胸が痛い。

 吐くたびに、肺の奥が焼けるように熱い。


 隣で眠るコハルの息は、最初こそ浅く早かったが、次第に落ち着いていく。

 泉の静かな祈りの声が、どこか遠くで聞こえた気がした。


 そのときだ。


 シュー……と、微かな音がした。


 細い、細い、空気の流れ。


 凛は、反射的に目を開けた。

 暗闇の中で天井を見上げると、通気口の一つに、ごくかすかなランプの光が点いている。


 そこから、何かが噴き出していた。


 匂いは、ない。

 音も、ほとんどない。


 ただ、ひやりとした気配だけが、じわじわと降りてくる。


「……千景さん?」


 凛は震える声で呼んだ。


「今、何か……」


 言い終わる前に、頭が重くなった。


 全身に、鉛が流し込まれたみたいな倦怠感が走る。

 指先から力が抜けていき、視界の端がじわりと暗く染まっていく。


 意識が、滑っていく感覚。


「これ……」


 千景の声が、どこかで聞こえた。


「ガス……?」


 誰かが「起きろ」と叫んだ気がした。

 誰かが咳き込み、誰かが毛布をはいだ音もした。


 凛は、必死にコハルの手を握りしめた。


 握ったつもりだった。

 でも、もう自分の指がどれくらい力を込めているのか、よく分からなかった。


 呼吸に意識を集中しようとする。

 けれど、吸えば吸うほど、頭がぼうっとしていく。


 ああ。


 これが「終息プロトコル」なんだ、と凛は思った。


 人が自分から出口を拒否したとき。

 “誰も一人にしない”と約束したとき。


 システムは、それを“条件からの逸脱”と見なす。


 だから、別の方法で「一人」を作る。


 理屈は簡単だ。


「……ああ、私は」


 唇だけを動かして、凛は心の中で呟いた。


「“最後の約束”さえも、守れないのかもしれない」


 誰も一人にしない。

 誰も地上に行かない。


 そう言ったのに。


 自分たちの意志とは関係ないところで、“一人だけ”が残されるように仕組まれている。


 どこかで、朔也が「起きろ!」と叫んだ。

 泉の祈りの声が、途中で途切れる。

 黒瀬が舌打ちし、鷹野が何かを殴る音もした気がする。


 全部、遠い。


 コハルの手の感触が、指の隙間からこぼれ落ちていくようだ。


 眠気とも違う、どうしようもない暗さが、意識を包み込んだ。


 最後に聞こえたのは、自分の心臓の鼓動でも、誰かの叫びでもなく――


 中央端末の、無機質な作動音だった。



 ……目を覚ましたとき、凛は自分がうつ伏せになって倒れていることに気づいた。


 頬に触れるのは、ざらざらしたコンクリートと、湿った布の感触。

 喉が焼けるように乾いていて、最初の息を吸った瞬間、ひどい咳が込み上げた。


「……っ、は……っ」


 肺が、痛い。


 喉を通る空気は冷たく、それでいてわずかに金属のような味がする。


 しばらく咳き込み続けて、ようやく呼吸を整えた。


 目を開ける。


 視界が、ぼやけている。


 壁、扉、床。

 E−01のランプは、まだ緑色に光っていた。


 凛は、ゆっくりと体を起こした。


 マットが乱雑にずれている。

 そこかしこに、毛布が落ちていた。


 さっきまで隣にいたはずのコハルの姿が、どこにもない。


「……コハル?」


 呼びかける声が震える。


 返事はない。


 泉も、千景も、朔也も、黒瀬も、鷹野も――誰の姿も見えない。


 でも、凛は知っていた。


 「いない」のではなく、「動かない」のだと。


 彼らが横たわっているはずの場所には、毛布が残っている。

 乱れたシーツの中には、まだわずかな温もりが残っていた。


 けれど、その上に“人の形”はなかった。


 まるで、抜け殻だけが脱ぎ捨てられたみたいに。


「なに……これ……」


 膝が笑う。


 凛は、壁に手をつきながら立ち上がった。


 そのとき、中央端末が低い電子音を鳴らした。


「被験体数:1」


 ホール全体に響く、冷たい合成音声。


「出口プロトコルを起動します」


 凛は、息を呑んだ。


 その言葉の意味を、嫌というほど知っている。


 蓮司の見たログ。

 「最終状態:1名が残存。出口プロトコル起動」。

 「地上環境:安全閾値未達」。


 その「1名」が、今この瞬間、自分になったのだ。


「……待って」


 凛は、ふらつく足で端末に近づいた。


「ちょっと待ってよ。みんなは、どこ……?」


 返事はない。


 E−01のランプが、緑から白へと変わっていく。

 内部メカのロックが外れていく低い機械音が、足元から伝わってきた。


「ふざけないで……!」


 凛は、扉に向かって叫んだ。


「誰も行かないって言ったのに! みんなで一緒にいるって約束したのに! なんで勝手に“1人”にしてるの!」


 扉は、機械的に開き続ける。


 右側の重い金属板がわずかにスライドし、隙間から冷たい空気が流れ込んできた。


 なんの匂いもしない。

 はずなのに、凛にはそれがどこか人工的な匂いに思えた。


 放射線測定器が、端末の端で点灯する。


 液晶に表示された数値は、「0」。


 安全。

 その数字だけを見れば、そう解釈できる。


 けれど、今の凛には、目の前の数字が何の保証にも思えなかった。


「嘘つき……」


 凛は、扉の隙間から吹き込む空気を睨みつけた。


「“出口なんてない”って言った外村のほうが、よっぽど誠実じゃない……」


 端末が、淡々と続ける。


「被験体#ASAGIRI_RIN。地上環境への搬送を開始します」


 その言葉に、凛はようやく悟った。


 ここで言う「搬送」とは、地上での“生活”を意味しない。


 これまでのログの文脈からすれば、それは単に「実験結果をまとめて処理する」という意味に過ぎない。


 観察を終えた被験体を、指定のシークエンスに沿って“外”へ送り出す。


 それが、出口プロトコル。


「……勝手に決めないでよ」


 凛は、ゆっくりと頭を振った。


「勝手に“最後の一人”にしないで。勝手に“搬送”しないで。……最後くらい、こっちに選ばせてよ」


 扉は、半分以上開いている。


 外から差し込む光は、意外にも強かった。

 白く、均一で、太陽のような暖かさは感じない。


 まるで、巨大な蛍光灯を目の前に置かれたみたいな、無機質な白。


 凛は、その眩しさに目を細めながら、扉に背を向けた。


 ふらつく身体を引きずって、中央端末の前に立つ。


「……海斗。蓮司」


 彼女は、小さく呟いた。


「お願い。今だけでいいから、力貸して」


 キーボードに、かじりつくようにして指を置く。


 東雲海斗が残した管理者モードのヒント。

 外村蓮司が見つけた深い階層への入り口。


 ログの中に刻まれた彼らの声を思い出しながら、凛は慎重にコマンドを入力していく。


 IDとパスワード。

 昔聞きかじった技術用語。

 半分は当てずっぽうで、半分は祈りだ。


 何度かエラー音が鳴り、画面に「権限不足」の文字が踊る。


 それでもあきらめずにキーを叩き続けた。


 やがて、端末が違う音を鳴らす。


「管理者モード:制限付きログイン」


 画面が切り替わる。


 白い背景に、見慣れた文字列が並んでいた。


 「PROMISE_LOG」

 「MESSAGE_LOG」

 「ENVIRONMENTAL_DATA」

 「SYSTEM_NOTE」


 凛は、迷わず最後の項目を選んだ。


 SYSTEM_NOTE。


 機械的な文体で、シェルター群の結果がまとめられているファイル。


 蓮司が読んだ、あの冷たい文章の一部。


「被験体グループ#27。観察期間:365日+α。

 “約束”の数:132。

 “約束”の破棄率:83%。

 観察継続。」


 その下に、新しい行が追加されている。


「終息プロトコル:起動済み。

 出口プロトコル:条件達成(被験体数=1)。

 実験状態:終了処理へ移行中。」


「……ふざけないで」


 凛は、震える指でカーソルを動かした。


 キーボードの上に、十本の指を置く。


「お願い、一つだけ……」


 彼女は、端末に顔を近づけるようにして呟いた。


「最後の約束を、私にさせて」


 ゆっくりと、文字を打っていく。


「被験体グループ#27。観察結果:」


 ここまでは、システムの文体を真似た。


 ここからが、本題だ。


「約束は、破られ続けた。

 裏切りも、嘘も、弱さも、たくさんあった。

 でも、それでも人は、最後の瞬間まで誰かと“分かち合おう”とした。」


 指が震える。


 思い出が、一つ一つ浮かんでは消えていく。


 缶詰の列の空白。

 ガス室の事故。

 抽選の紙片。

 匿名投票の結果。

 メッセージブースでの震える声。

 約束ログの部屋で聞いた、過去の自分たちの楽観的な言葉。


 全部、汚くて、情けなくて、それでも確かに自分たちのものだった。


「──人類は、終了ではなく、“継続の可能性あり”と記録する。」


 そこまで打ち込んだところで、指が止まった。


 喉が締めつけられる。


 “人類”なんて大きな言葉を、自分が安易に使っていいのか分からない。


 でも、ここで「終了」と打ち込まれるのだけは、どうしても耐えられなかった。


「……保存」


 凛は、エンターキーを押した。


 画面の隅で、小さなアイコンがくるくると回る。


 保存処理中。

 その簡潔な表示が、これほど心臓に悪いものだとは思わなかった。


「お願い。消さないで。上書きしないで。……たとえ誰も読まなくてもいいから、どこかに残して」


 祈るように呟く。


 やがて、アイコンが止まり、画面の端に小さく「更新完了」の文字が浮かんだ。


 SYSTEM_NOTEの末尾には、凛の打ち込んだ文章が、そのままの形で残っていた。


 ほんの数行。


 ログの海の中では、取るに足らないノイズみたいな文だ。


 それでも、凛にとってはそれが全てだった。


「あとは……勝手にすればいい」


 凛は、キーボードから手を離した。


 E−01の扉から、強い光が差し込んでいる。


 白く、冷たく、あまりにも均質な光。


 足元がふらつく。


 もはや立っているだけで精一杯だ。


 それでも、凛はゆっくりと扉のほうへ向き直った。


「行くよ、コハル」


 思わず、そう口に出していた。


 隣には誰もいない。


 頬を伝う涙が、冷えた空気の中でひどく鮮明に感じられた。


「泉さんも、千景さんも、朔也も、黒瀬さんも、鷹野さんも。……もし、どこかでこのログを見る人がいたらさ」


 凛は、小さく笑った。


「笑ってくれていい。“そんなの継続の可能性でもなんでもない”って、笑ってくれていい。でも、その笑い声があるうちは、きっとまだ――」


 そこまで言いかけて、言葉を飲み込んだ。


 これ以上、何かを約束する資格は、自分にはもうない。


 約束は、ログに残る。

 破られるたび、システムにカウントされる。


 だからこそ、最後の一行だけは、破られないままで封じ込めたかった。


 凛は、足を一歩踏み出した。


 扉の向こう側へ。


 光が、視界を白一色に塗りつぶしていく。


 冷たい空気が、肌を撫でる。

 床の感触が変わった気がした。

 重い何かに体を支えられる感覚。

 それらが、すべて混ざり合っていく。


 目を閉じる。


 閉じても、開いても、白しかない。



 ──中央端末は、静かに最終ログを記録していた。


「被験体#ASAGIRI_RIN。搬送完了。」


 実験ログ:

 「被験体グループ#27

  終息プロトコル:実行済み

  出口プロトコル:起動済み

  実験状態:終了」


 その末尾には、ひとつだけ異質な行が残されている。


 「──人類は、終了ではなく、“継続の可能性あり”と記録する。」


 それが、観察者によって意味を与えられる日が来るのかどうかは、誰にも分からない。


 ただ、廃墟都市の地下深く。

 E−01の扉の前に残された空の寝具と、乱れた毛布と、誰もいないマットの列だけが――


 かつてここに、“一緒に終わろうとした十三人”がいたことを、ひっそりと物語っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ