第1話「通達の朝、13人の名前」
◆登場人物(13人)
朝霧 凛(あさぎり りん/17)
元高校生。両親とは離れ離れのままシェルターに避難した。
「誰か一人でも多く生かしたい」と考える理想主義者だが、極限環境で理想が摩耗していく自分を一番恐れている。物語の視点役。
真壁 朔也(まかべ さくや/19)
元フリーター。軽口が多く、場の空気を和ませようとするが、本質的には臆病で自己保身的。
しかし、凛に対してだけは罪悪感と好意が入り混じった複雑な感情を抱く。
片倉 泉(かたくら いずみ/24)
元保育士。シェルター内で子どもたちの面倒を見ていた経験から、道徳的な“正しさ”を譲らない。
だが守るべき対象が減っていく中で、その正しさが人を追い詰める刃にもなっていく。
東雲 海斗(しののめ かいと/22)
理系大学生。シェルターの設備に詳しく、中央端末にも一番詳しい。
システムを“中立の神”のように扱い、合理性を重んじるが、次第にシステムそのものへの疑念に囚われる。
黒瀬 獅子雄(くろせ ししお/28)
元自衛官。生存能力と体力に優れる。
「誰かが汚れ役をやるしかない」という考えで、非情な決断を引き受けようとするが、その姿勢が他者からは“独裁”に見え始める。
仁科 葵(にしな あおい/16)
凛と同年代の少女。持病があり体力は弱いが、ネット世代らしく情報リテラシーが高い。
外の世界の崩壊前のSNSやニュースを断片的に覚えており、「本当に外は全部死んでいるのか?」という疑問を口にする。
外村 蓮司(とのむら れんじ/30)
元インフラ系エンジニア。電力や水循環の管理を任されている。
温厚だが、システムの設計思想に異常な違和感を覚え、真相に一番近づいていく人物。
氷川 千景(ひかわ ちかげ/26)
研修医上がりの若い医師。人数に対して医療資源が足りないことから、“誰を助けるか”の選別を日常的に迫られている。
冷静だが、その冷静さゆえに「非情」とも見なされる。
三浦 直哉(みうら なおや/20)
元運送ドライバー見習い。腕力はあるが頭の回転は遅く、誰かに従うことで安心しようとする。
その素直さが、時に最悪の方向に利用される。
葛城 詩織(かつらぎ しおり/27)
元ジャーナリスト。権力と情報に敏感で、「誰が何を知っているか」「何を隠しているか」を観察している。
端末のログ機能に早くから気づき、密かに“自分用の記録”も残している。
雨宮 コハル(あまみや こはる/14)
最年少の少女。両親とはぐれ、一人だけでシェルターに逃げ込んだ。
大人たちが交わす約束を純粋に信じ、破られるたびに無邪気な信頼が削れていく。
鷹野 隼人(たかの はやと/32)
いわゆる“カリスマ会社員”だった男。
話術に長け、議論や投票の場を仕切りたがる。リーダータイプだが、自身が選ばれることを当然と思っている危うさも。
城戸 真琴(きど まこと/25)
元看護助手。千景を補佐しつつ、人間関係の緩衝材としても機能する。
だが内面には強い自己否定があり、「自分だけは選ばれないだろう」と最初から諦めている。
地下の空気には、いつも金属が擦れたようなにおいが混じっている。
朝霧凛はステンレスの柄杓を握ったまま、給食室のスープ鍋から立つ白い湯気をぼんやりと見つめていた。具のほとんどない薄いスープ。それでも、温かい液体が喉を通る瞬間だけは、身体が生きていることを確認できる。
「おはよう、凛」
背後から声をかけてきたのは片倉泉だった。眼鏡の奥の瞳は落ち着いているが、その下にできた薄いクマは隠しきれていない。
「おはよう。今日も……なんとか起きられた」
「無理してない? ここ最近、空気重いし」
「大丈夫。慣れてるから」
言いながら凛はカレンダーに目を向けた。壁にかかったそれは一年と三か月前の月を示したまま。誰もめくろうとしない。めくる意味を考えるのがつらいのだ。
物資棚の端には、昨日東雲海斗が記入した赤文字がまだ濃く残っている。
「残り一週間分(13人換算)」
この数字だけは、容赦なく現実を突きつけてくる。
スープをよそい終え、凛は給食室からホールへと向かった。廊下は低い照明が等間隔で続き、歩くたびに足音がやけに響く。空調の風はいつもより弱く、壁の換気口に耳を寄せると、微かな唸りだけが残っている。
ホールに入ると、13個の椅子が円形に並べられていた。毎朝のミーティングは、この形で行われる。互いの顔が見えることで安心感が得られるから……と最初に決めたのは誰だっただろうか。
座っていた外村蓮司が、凛の顔を見るなり言った。
「空調のフィルター、もう限界だ。交換分は……まあ、見ての通りだな」
凛はうなずくしかなかった。蓮司の声はいつも落ち着いているが、その太い腕に刻まれた傷跡の多さが、この一年の過酷さを雄弁に物語っている。
「薬もあとわずか。ケガ人を出さないようにね。頼むから」
氷川千景がメディカルバッグを抱えながら言った。細身の身体に無理を重ねているのがすぐ分かる。医療担当である千景だけは、誰よりも物資の減りを敏感に感じていた。
「そんな暗い顔すんなよ。今日も何とかなるって」
明るい声をあげたのは鷹野隼人だ。無駄に爽やかな笑顔で指を鳴らす。こういう空気のときでも、彼だけは前向きでいられる。誰が何と言おうと、それは凛にとって救いだった。
「腹減ったー。スープだけかよ、今日も」
真壁朔也が椅子にもたれながら大げさに叫ぶ。わざとらしい文句が周囲を和ませるように聞こえるが、本音も混ざっているのだろう。
そんな中、ひとりだけ眠そうに目をこすっている少女がいた。雨宮コハル。凛と同じ年齢で、ここの最年少だ。昨日も遅くまで水質データの解析をしていたはずだ。
凛が座った瞬間、中央端末が低い電子音を鳴らした。
「……今の音、聞いた?」
泉の声が震える。
聞いたことのない警告音だった。低い、深い、沈むような音。
モニターの中央に白い文字が浮かび上がる。
ホールの空気が変わった。
「通達:地上環境の安全閾値への回復は、現時点で確認されていない。
シェルター維持資源の枯渇が予測されるため、以下の選択肢を提示する。
──地上に戻れるのは、1人だけ。
候補者を選出せよ。」
瞬間、ホールが爆ぜたようにざわついた。
「は? 何だよこれ」
「戻れるのは一人? 意味わかんないんだけど」
「脅し? それとも……本気?」
黒瀬獅子雄は腕を組み、眉間に深い皺を刻んでいた。感情を表に出さない彼の瞳の奥に、わずかな怒気が宿るのを凛は見逃さなかった。
葛城詩織は反射的にメモ帳を取り出して文字を写し取りはじめる。どんな状況でも記録する、彼女らしい反応だ。
東雲海斗は端末に駆け寄り、管理者ログインを試す。しかし画面には無慈悲な文字が表示される。
「権限ロック中。操作は無効化されています」
「嘘だろ……昨日まで普通に入れたのに」
海斗が歯を食いしばる。
そして、第二の文が現れる。
「選出が行われない場合、シェルター維持条件は段階的に切り捨てられる。
(例:空調出力の低下、照明の間欠化、物資配給の制限)」
凛は椅子の縁を握った。
「そんなの、誰かを選べって……脅してるだけじゃない」
声が震えていた。自分でも驚くほど。
泉が凛の手をそっと抑える。
「落ち着いて。まず、どう動くか決めないと」
「そうだな。感情だけで動いたらまずい」
黒瀬が重い声で言う。
「いやいや、まずは情報整理だろ。緊急会議しよう」
鷹野が言うと、場の空気が少し整いはじめる。
自然と、彼がリーダーのように中心に立つ。
しかし黒瀬が言い返す。
「会議より先に、武器になるものは一ヶ所にまとめるべきだ。争いが起きたときに危険だ」
「危険って決めつけるのは早いわよ。ここにいる誰がそんなことをするの」
千景が反論する。
議論は混乱したまましばらく続き、最終的に鷹野がまとめにかかった。
「よし、三つの約束をしよう」
彼が指を立てる。
「一つ、今から24時間は誰も選ばない」
「二つ、その間に外の状況とシステムの真意を調べる」
「三つ、絶対に暴力には訴えない」
沈黙ののち、全員が小さくうなずいた。
見えない誰かに聞かせるように、全員で口に出して確認する。
その瞬間、中央端末のLEDがかすかに点滅した。
まるで“聞いている”かのように。
凛は手を伸ばし、皆と重ねた。
温度も、汗のにおいも、かすかな緊張も混ざるその感触。
あの瞬間だけは、確かに「何とかなる」と信じられた。
だが通達の文字は消えない。無機質な白い光が、ホールの中心に居座り続ける。
その夜、凛は眠れなかった。
モニターには、廃墟と化した地上の映像が映っている。
ぐしゃりと折れたビルの群れ、黒く淀んだ川、骨のように突き出した高速道路の橋脚。
空はもう青くない。
凛は布団の中で、かつて青空を見上げて走った日の記憶を探した。
家族の声。友達の笑い。風に揺れる学校の旗。
消えてしまいそうな色を、必死に思い出そうとする。
そのとき、ホールの照明がふっと一度だけ消えた。
すぐに戻ったが、凛は息を飲んだ。
端末のログが、また1行だけ増えている。
「第1段階:照明出力 3%低下」
誰も選んでいないのに。
まだ24時間経っていないのに。
凛は胸を押さえる。
暗闇の中、ひとりだけ気づいた。
これから始まるのは、選択ではない。
約束が試される時間だ。
13人の名前は、すでにどこかのファイルに記録されている。
そしてシステムは、彼らの“反応”を待っている。
――このシェルターに、生きて帰れるのは本当に一人なのか。
――それとも、そもそも“出口”は存在しないのか。
凛はモニターに映る灰色の空を見つめながら、静かに目を閉じた。
眠れぬ夜が、ゆっくりと始まった。




