優衣の心の葛藤
12月に入ったばかりだというのに、朝晩の冷え込みはすでに本格的な冬のようだった。
吐く息は白く、ビルの谷間を吹き抜ける風が頬を刺す。
街路樹の葉はほとんどが散り、枝先に冬の空が透けて見える。
駅前ではイルミネーションの準備が進み、年末の気配が少しずつ街に色を差しはじめていた。
天井の白は、どうしてこんなに冷たいのだろう。
病室の空気は薄く、音もにおいも色も、すべてが淡くぼやけていた。
「ストレスと過労です。しばらくゆっくり休んでください」
医師の言葉は、まるで何度も再生された古い録音テープのように、頭の中で繰り返されていた。
息子の顔が浮かぶ。
倒れた朝、起きることができずに、息子の弁当を作れなかった。
「お弁当、大丈夫。今日ぐらいは売店でなんか買うよ」
彼がそう言ってくれた朝、どこかで私は限界を超えていたのかもしれない。
無理をしていた。それはずっとわかっていた。
仕事、家のこと、母親としての責任——全部を「普通に」こなそうとし続けて、身体のサインを見て見ぬふりをしてきた。
いや、それ以上に、自分の感情に蓋をしていたことのほうが、大きかったのかもしれない。
静かな病室の中、窓の向こうに広がる灰色の空を、優衣はぼんやりと見つめていた。
裸になりかけた街路樹の枝先が、冷たい風にかすかに揺れている。
舞い落ちる枯葉が、ひとひら、またひとひらと地面へと吸い込まれていくのを、
まるで時間のように見送っている自分がいた。
こんな日にも、昌宏さんは変わらず忙しく働いているのだろうか──
ふと浮かんだその名前に、胸の奥がかすかに痛んだ。
あの夜のぬくもり。
あの時の彼の手の温かさと、目の奥に宿っていた痛みのような優しさ。
すべてを忘れようとしても、私の中に染み込んでいて、抜けてくれない。
昌宏からのメッセージは、既読のまま返せなかった。
いや、返せなかったんじゃない。
返す資格なんて、ないと思ったのだ。
彼は、今も隣に誰かがいる人。
私は、何も持っていないようで、でも守らなければならない存在がある人。
「どうして、踏み込んでしまったんだろう」
つぶやいた声は、誰にも届かない。
でも、心の中では、また会いたいと思っている。
だけど、会ってしまったらきっと、またあの場所に戻ってしまう。
私はそれを望んでいるのか、怖れているのか、自分でもわからなかった。
「会いたい…」
思わず声にならない声で呟く。呼吸が浅くなる。
込み上げてくるのを抑えきれなくなって、枕に顔をうずめた。
こんなにも弱い自分を、彼に見せなくてよかった。
そう思いたいのに、どこかで「見てほしかった」という気持ちが、静かに疼いていた。
次回は「メッセージする自信がない」
無事退院した優衣。
少しずつ元の生活を取り戻そうとしていた。
ただ、昌宏へ退院報告を何度も送ろうとする…でも躊躇して送信できない優衣。