表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やわらかな光のなかで  作者: 冬木真人
それでもお互いを信じて
14/15

2人の間を切り裂く現実

あの日から、もう2ヶ月近くが過ぎていた。

夏休みが終わり、まだまだ日中の暑さが厳しい秋の初め。


家に帰れば、必要最低限の言葉しか交わさない日々。

妻との関係は、話をすることはあっても、もはや会話のキャッチボールになっていなかった。

言いたいことはあるのに、どちらも相手の言葉を真正面から受け止めようとはしない。


ただ伝えるべきことを告げるか

──あるいは、一方的にぶつけて終わるか。


そんなすれ違いが、何気ない沈黙の中に溶け込んでいた。


実態はただの同居人──

けれど、法的にはまだ“夫婦”だった。

その重さを、あの日以来ずっと背負い続けている。


優衣のことを思い出すたびに、胸の奥がちくりと痛んだ。

“あの時間”がたしかに存在したことが、甘さと痛みをないまぜにして残っている。



ある朝、自席で午前中の会議資料を整理していると


「おはようございます」


優衣だ。ちょっと驚いた。

久しぶりに会った彼女は笑っていた。けれど、それは、よく知っている“表の顔”だった。


「おはようございます」


顔をちょっと背けてそう返す自分の声が、少しだけ硬く感じた。

何でもないふりをするしかなかった。


──人の目があるから。

それだけじゃない。

見つめすぎれば、心が揺れてしまうから。


久しぶりに会うことができたのは、半期に一度の全体部会が開催されるためだった。

もちろん、今日はオンラインでも問題なかった。だが俺は立場等色々、出社せざるを得ず──


「今日はどうしたの?」


昌宏がわざとらしく聞いてみる。


「オンラインでは何かと色々難しかったので…」


優衣のはっきりしない言葉の奥に、ほんのわずかな気配を感じた。

まるで、会いたい気持ちを、ぎりぎりのところで抑えているかのような──そんな気配。


結局彼女とはあの日以来、職場の外で一度も会っていなかった。

会いたいのに、会う理由が見つからない。

近況を聞いてみたくなり、何度かメッセージを送ろうとしたが、

言葉が見つからず、いやある意味勇気が出なくて送れなかった。



昼休み、カフェテリアで佇んでいると、優衣がそっと声をかけてきた。


「真壁さん……あの、少しだけお話できますか?」


思わず顔を上げると、彼女はうつむき加減に視線をそらしていた。


「……うん。ちょっと外に出ようか」


「はい…」


社屋の裏手、建物の影に並んで立つ。

アスファルトにはまだ熱が残り、湿気を含んだ風がゆっくりと吹き抜けていく。

遠くから車の音が、かすかに聞こえていた。


なかなか言葉が出てこなかった。

話すべきことは山ほどあるのに、声にすること自体がどこか怖い──

そんな沈黙が、互いを包んでいた。


やがて、優衣がぽつりと口を開いた。


「……この前のこと…。私は後悔してない。してないけど……ね……でも怖いの」


「怖い?」


「うん。自分の気持ちが、どうなってるのか、わからなくなってきて。ああいうの、ずっと避けてきたのに……。

それに、息子にもバレたらって思うと……ゾッとするの」


「……そうか。勘が鋭いんだね、息子さん」


「うん。最近ちょっと様子が変で。口には出さないけど、私の顔をじっと見るの。

まるで“何かを感じてる”みたいに」


優衣の声がわずかに震えていた。

その横顔には、疲れがにじんでいた。

けれど、どこか凛とした強さも感じられた。


「……俺も、正直、どうすればいいのかわからない。

妻とはもう……家族という感じじゃない。

でも、それを理由に、誰かを傷つけていいのかって、ずっと考えてる」


優衣に真壁家の家庭状況を、これまで細かく話したことはなかった。

けれど、その苦しみを察してくれていたのだろう。

話している間優衣は、ただ黙っていた。

その沈黙には、言葉以上の想いが詰まっていた。


優衣が俯きながら、少しだけ顔を上げて


「もっとちゃんと……昌宏さんとまっすぐ話せるようになりたい」


「……うん。俺も、優衣とまっすぐ向き合いたい」


その瞬間、ふたりの目がわずかに合った。

けれども、すぐに逸れる。

交わりかけた視線には、言いかけて飲み込んだ感情が滲んでいた。


優衣はほんの少し唇を噛み、視線を落とす。

俺もまた、息をひとつついて空を見上げた。


切なさだけが、確かにそこにあった。

言葉にならない“現実”が、じわじわと二人の距離を引き裂いていく。

それでも、完全に離れる勇気も、近づく強さも持てないまま──


不安定な日々が、ただ静かに、淡々と過ぎていった。


次回は「しばしの別れ」

支社への異動が決まった優衣。

それを知って衝撃を受けるも、何もできないもどかしさが募る昌宏。

2人はもうこのまま終わってしまうのか?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ