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やわらかな光のなかで  作者: 冬木真人
静かな渇き ―境界線の向こうにあるもの―
10/17

2度目の小さなチャンスと偶然

春の風が、少しずつ冬の冷たさを溶かしていく、3月だった。

会社の外で誰かと偶然出会うなんて――そんなこと、滅多にあるはずもない…というか考えもしなかった。


週末の土曜日、郊外のショッピングモールの書店で文庫を一冊手に取り、レジを済ませた帰り道。

ふとモールの出口を出たところで、視界の端に見慣れた横顔があった。


「……篠原さん?」


彼女は驚いたように顔を上げた。

それは、久しぶりに見る“仕事モード”ではない彼女の表情だった。


「あ……え?真壁さん……どうしてここに?」


「ちょっと本を見たくて。そっちこそ?」


彼女は少し照れくさそうに視線をそらしたあと、

一緒にいた少年の背中を軽く叩いた。


「この子の進学先の説明会。4月から高校生になるんですけど、いろいろ準備が必要で」


「ああ……そっか。今、ちょうど春休みか」


「はい。あ、紹介します」


そう言って、彼女は少年の肩に手を置いた。


「この子、高校一年生になったばかり。名前は──まあ、それはいいか」


冗談めかして言いながら、彼女は少しだけ照れて笑った。


少年──彼女の息子は、俺に軽く会釈した。


どこか、彼女の面影を残す優しい目元と、口元のあどけなさが、不思議にまぶしく見えた。


「こんにちは。…えっと……いつもお世話になってます。って言えばいいのかな」


その一言に、思わず笑ってしまう。


「いや、俺こそ。お母さんにはいつも助けられてるよ」


「……お母さんって呼ばれるの、なんか全然慣れないんですよ。こんなに大きくなっても」


優衣がそう言って笑う姿に、ほんの一瞬だけ、いつもの職場の彼女とは違う顔があった。

少し肩の力が抜けて、でもどこか切なげな、母としての静かな表情。


「じゃあ、また……来週」


「はい、また会社で」


それだけの会話だった。


でも、胸の奥に、なぜかあたたかなものが残った。



数日後の昼休み。

気づけば、篠原と出会って、もうすぐ二年になろうとしていた。

昼休みに並んでランチを取り、食後にカフェテリアで向かい合って話すことも、

いつのまにか自然な流れになっていた。

それが偶然かどうかは、もはや考えることさえなくなっていた。


いつものカフェテリアで、2人だけの席に座っていたとき、彼女がぽつりと切り出した。


「この前の偶然、ちょっと驚きましたね」


「俺も。まさかあんな場所で」


「……あの子、帰り道にぽつりと言ったんです。“あの人、お母さんのこと、好きなんじゃないの?”って」


一瞬、手が止まり言葉が出なかった。


「……で、なんて答えたの?」


「“違うよ”って、即答しちゃった」


苦笑しながら言うその声が、どこか寂しげだった。


「でも、あの子、続けてこう言ったの。“なんだ…そうだったらよかったのに”って」


しばらく、沈黙が続いた。


やがて彼女は、手元の紙ナプキンを指先で折りながらつぶやいた。


「……この年になると、誰かを“好きになる”って、少し怖いね」


「うん。期待もできないし、傷つく余裕もないし」


「でも、忘れたくない気持ちも、あるんだと思う」


そのとき、ようやく気づいた。


「小さなチャンス」って、たぶん、劇的な出来事じゃない。


何気ない偶然とか、ふとした一言とか。

そんな些細なことが、壊れそうな距離をつなぎとめてくれている。


あの日の、ショッピングモールでの偶然。

彼女の息子の何気ない一言。

そして、彼女が語ったためらいと少しの願い。


どれもが、俺の中で“想い”を再燃させていた。


気づけば、春の風がカフェテリアの窓の外を吹き抜けていた。


次に訪れるチャンスが、“偶然”じゃなくなることを、

どこかで願っている自分がいた。

次回は「抑えきれない思い」

ついに真壁の抑えていた想いがあふれてきて…。

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